ルードランの弟
夜にそっと訪ねてきたルードランに魔法のことを聞かれた。もう少なくともルードランには隠せないので、色々話した。
弟のバザックスの部屋が散らかり放題で、母が心痛らしいとのこと。雑用魔法では一発でしゃらんと済ます、というわけにはいかないけれど、片づけは得意中の得意だ。
「それならきっと何とかなりそうかな」と、ルードランは独り言ち、マティマナは翌日、ルードランの弟だという者の部屋へと連れていかれた。
片づけをするということで、マティマナは平服――といいつつ、何気に豪華な代物なのだが――を着せられている。
「部屋を片付ける?」
明らかに不機嫌な声が響いた。扉から顔を出したのは、ルードランの弟バザックスらしい。眉根を寄せ、ボサボサの金髪を振り乱し、様々な色合いに汚れのついた不思議な形の衣装――たぶん夜着だろう――を着た、とても大貴族とは思えない風貌をしていた。
「研究の邪魔は困るぞ?」
ルードランの弟らしきは文句たらたらだ。
研究が煮詰まって苛立ちが募っている真っ最中らしい。
夜会などとは無縁そうだ。研究一筋の学者を目指しているようだった。
裏方仕事をしていても、ルードランの弟についての噂はない。弟が居るということは知られていたが、城に住んでいることは巧みに隠されていたのかもしれない。
「研究の役に立つかもしれないよ?」
ルードランは確信しての笑み含みでバザックスを説得している。バザックスもルードランと同じ青い眼をしていたが、眼光鋭いというか、睨むようなキツい眼差しだ。
覗き見る限り、部屋のなかは散らかり放題だった。汚れも酷そうで、若干の悪臭も放っている。
しかし、奇妙だ。通常、王族直系の大貴族であるライセル家では、王家由来の魔法が働いているはずだった。部屋など、汚そうにも汚れないはず。なのに、これはどういうことだろう?
「部屋の汚れる理由が分からなくてね」
不思議そうにしているマティマナに、ルードランはコソッと告げた。
「とても、片づけ甲斐のありそうなお部屋です」
マティマナは決意の表情で呟く。といいながらも、雑用魔法が使い放題で構わないことにうきうきしていた。
「失礼します」
片づけをするといいながら、手ぶらで部屋へと入り、行儀悪く頭を掻くような仕草のバザックスへと丁寧に礼をした。
「紙の位置や、開いた巻物は、そのままに保ってくれ。重なりも、何もかも」
くれぐれも慎重に頼む、と、冷や冷やしながら、マティマナに付きっきりだ。端から全く信用されていないことが丸わかりな状態だった。
「あ、はい。わかりました。それ以外のものは片づけても宜しいでしょうか?」
変えてほしくないのは、紙と巻物の状態のようだ。
「ああ。とにかく紙と巻物の状態は、絶対、変えるなよ!」
ライセル家は、王族の血筋で有力貴族と呼ばれる五家のひとつ。
本来であれば城の敷地には、王族由来の魔法が働き自動での清掃や片づけが発動しているはずだ。実際、裏方の仕事をしていても、その魔法が発動しているのでとても楽だった。なのだが、ルードランの弟バザックスは、紙や巻物の位置を保持したいがために、その機能を停止させているのかもしれない。
ちらかり放題なのはいいとして。食べかすや、ゴミやら塵やら、本来有り得ない。これらを散らかすのはダメだろう。こぼした飲み物に濡れた痕跡も、そのままだ。
さすがに物が腐りはしていないようだが。いや、微妙に嫌な臭いがある。
マティマナは、素早く雑用魔法を全体に働かせ、食べかす、食べ残し、飲み残し、使用した食器類、それらを分類しつつ厨房横へと届けた。汚れた食器は、洗い場。食べかす食べ残し飲み残しは専用のゴミ箱。魔法で特殊処理をする専用のゴミ箱は、たいていの屋敷に備えられている。
「紙や巻物以外の品は、棚に分類収納しても宜しいですか?」
マティマナは小さい範囲ずつに次々に魔法を浴びせながら訊いた。
「ああ。できれば分かりやすく頼む」
紙と巻物の位置が保たれそうなので、バザックスは少し安堵してきている様子だ。
寝台を整え、窓帷の塵を払い、埃はたてず、濡れ残しの痕跡もない。魔法の範囲は少しずつだ。それでも、紙や拡げた巻物の下も、丁寧に拭き清められる。紙や巻物を濡らすようなことは絶対しない。
雑用魔法は範囲を狭めれば、かなり細密なことがらを指定できた。
「お召し物、しみ抜き、しても宜しいでしょうか?」
わざわざ汚しているかもしれないので、一応確認した。
「着たままで、可能なのか?」
「はい。では、しみ抜きしますね」
了承と判断し、夜着らしきのしみ抜きをする。三回くらいバザックスを魔法で包むと、夜着はすっかり綺麗に元々の形を取り戻した。同時に、ぼさぼさの金髪も、しっとり、ふんわり巻き毛になっている。
とんでもなく散らかっていたように思えたバザックスの部屋は、紙と開いた巻物をそのままの状態にして残しても、かなり綺麗さっぱりと片づいた。
床の上も、机の上も、整頓されて物の在処が、分かりやすくなったと思う。
「ウソだろう? 確かに、巻物も紙も位置は寸分変えてないな。だが、片づいているし、綺麗に拭かれてる!」
しばらくマティマナの雑用魔法での片づけを見続けていたバザックスは、驚愕し、瞠目し、ピカピカに綺麗になっていく自室を見回している。
「あ、これは、捜していたんだ」
バザックスは感嘆しながら、机の上の品々を撫でるようにして呟いた。
小物や筆記具、紙を纏めるための布帯など、丸まって汚れ机の下に入っていたりしたが、塵を払い綺麗に洗って皺を伸ばしたような状態で机や棚に並べている。
資料となる品々は、棚に分かりやすいように分類されて飾られたし、机の引き出しも、綺麗に分類整頓された。格段に使いやすくなったはずだ。
大量にある小箱の類いも、大きさごと綺麗に棚に収納された。
整頓されてみれば、圧倒的に研究の効率も良くなるだろう。
「この紙束、順番どおりに並べ直しますか?」
マティマナは紙の重なりを変えるな、とは言われていたが、書き物をしている紙に順番らしき番号が振られているのに気づいて訊いた。求められれば、直ぐに順番通りに並べ変えられる。
「そんなこと、可能なのか?」
「こんな感じです」
並べ直してほしそうだったので、紙束を手にして雑用魔法を働かせて並べ変えた。
「す、すばらしい……! なんて、すばらしい魔法なんだ!」
バザックスは、すっかり感心感動したようで、マティマナは頗る満足感を味わった。何しろ、巻物と紙は床に残ってはいるが、全然散らかったようには見えなくなっている。
いかにも、作業途中、というだけの雰囲気になった。
「散らかり難くなったと思いますが、片づけでしたら、いつでも、お申し付けくださいませ」
にっこりと笑みを向け、不要物の入った箱を抱えマティマナはバザックスの部屋を出た。