イハナ家当主ポレスの再来。半解凍の悪魔を放つ
マティマナは、イハナ家当主ポレスが主城の入り口付近に現れたのを見てしまった。
(また、来たの?)
ざわざわと嫌な予感が走る。姿を見られないように物陰に隠れながら、何をするつもりなのか見定めようとした。使用人が通り掛かるのを待ち棘を仕込むつもりかもしれない。
主城の入り口は、昼間は扉を開け放っている。門番が城に入る者を選定しているので、特に騎士などの仰々しい衛は置いていない。
ただ、入口から一歩を踏み入れれば、使用人か侍女か、その日の担当者が出迎え即時対応する。
しかしイハナ家当主ポレスは、奇妙な暗がりを、ほわっと宙に送り出すと、そのまま踵を返し姿を消した。
転移したらしい。ほんの一瞬の短い間の出来事だった。監視している法師も気づけなかっただろう。
門番も通してなどいないはずだ。
ほわほわと浮かぶのは、燐光を発するような闇の塊に見えた。手のひらの上に乗せられそうな小ささだ。
だが、小さいが邪悪な気配。
マティマナには気づかずに、移動して行く。
そっと後をつけながら見ると、それは奇妙な形をしていた。闇のような色。ギザギザに割れたような卵の殻のなかに下半身が入っている。殻は黒いが透けた氷のようだ。捻れた二本の角、つり上がった赤い眼、呪いに塗れたような邪悪な姿。
悪魔? 半解凍の悪魔、と呼ばれている存在?
ルードランが別方向からマティマナに近づいてきている。マティマナは指を唇の前に立てて、声や物音を立てないように仕草で示しつつ、(イハナ家当主がヘンなものを城のなかに放って行きました)、と、心で声を掛けた。
聞こえたのか、異変を察してくれたルードランは、そっと近づいきて手を繋ぐ。マティマナの気配から方向を定めて、ふらふらと浮かびながら移動して行く尋常でない気配へとルードランは視線を向けた。
(半解凍の悪魔?)
ルードランは驚いた表情を浮かべながら、マティマナの心のなかへと直接言葉を響かせる。
耳飾りのお陰か、心で会話するのにも大分慣れてきていて便利だ。
(たぶん。主城の入り口に、イハナ家当主ポレスさまが来てました。やっぱり彼がロガですね。その奇妙な闇を城のなかに放って、すぐに転移で消えました)
(拙いな。どこに向かっているんだ?)
半解凍の悪魔を、城へ侵入させてしまった。止める手立てはなく、後をつけるので精一杯だ。
ふたりで、気づかれないように後を追う。
見つかれば、その場で戦闘になるだろう。
だが、戦闘に使える魔法など持っていないし、法師に連絡をとる手立てがない。
それに、ロガの呪いは、聖王院の法師では解けない。
マティマナは不安でいっぱいになり、だいぶおろおろした気配だ。
(なんとかなるよ。落ち着いて)
(あ……はい!)
ルードランが手を強めに握ってくれた。それだけで、なんとか出来るような気がしてくる。
半解凍の悪魔は、主城の階段をふわふわと上がって行く。転移したり、壁をすり抜けたりはしないので、なんとか姿を追えていた。
うろうろしているようにも見えるが、半解凍の悪魔は真っ直ぐに目的地に向かっているに違いない。
半解凍の悪魔本体が来てしまったから何をするつもりなのか想像も付かない。棘を付けるのとは、きっと違うのだろう。
(まさか、ライセル城に悪魔を送りこんでくるなんて!)
心で会話をしながら、悪魔に少し遅れ、気づかれないように後を追う。
上階にどんどん上がっている。最上階はライセル夫妻、家令や執事、法師などが居るのは、そのひとつ下の階だ。どんどん重要な人物の場所に迫っている。
(何をするつもりか謎だけれど。捕らえたり、追い出したり、退治などが可能なものだろうか?)
ルードランはかなり思案気だ。
(法師さまなら、なんとか倒すことが可能なのでは?)
(どうだろう? 最初から呪いには法師除けをしていたし、法師は対策されているだろうね)
半解凍の悪魔は、呪いめいた闇の炎に包まれながらふわふわ浮いて移動している。
最上階には行かず、廊下を進みはじめた。
(目的は、家令さま? 法師さま?)
この階であれば、主要人物はどちらかだ。執事は室内に常駐はしないので可能性は薄い。
(連続して家令を狙ったりはしない気がするけどね)
(まさか、法師さまを乗っ取るつもりでしょうか?)
そんなことをされてしまったら、お手上げだ。法師に対応してもらう以外に、悪魔に勝てる方法など考えられない。
(いや、さすがに法師の乗っ取りは無理だと思うよ)
(そうですね。乗っ取りなら、棘で操るほうが手っ取り早そうですし。なぜ、わざわざ悪魔を?)
法師の部屋へと向かっていると分かっても、連絡をとる手段がない。
マティマナとルードランは、互いに離れていても言葉を交わせるようにはなったけれど、ふたりして他の者には心の言葉を届けることなどできなかった。
半解凍の悪魔は法師の部屋につくと、扉を突き抜けて部屋へと飛び込んだ。
「行きましょう!」
「それしかないね」
法師の邪魔になるかもしれないが、そして何ができるわけでもないのだが、飛び込まなくてはと心が騒いでいる。
「うわああああっ!」
法師は、半解凍の悪魔から闇――たぶん、濃い呪いだ――を不意打ちで浴びせられたようだ。霧のような呪いの闇。法師が身体に纏っている防御的な術が、若干、呪いを弾いている。辛うじて呪いそのものに触れずには済んでいるようだが、纏いつく呪いは、じわじわと法師に迫っていた。
法師の聖なる力の源は清さであり、万が一、呪いに触れてしまったら、最悪、聖なる力を失ってしまう可能性がある。
「無事か?」
ルードランが法師に訊く。
「辛うじて。ですが、時間の問題です」
迫る呪いを弾き返すことができず、ぎりぎりのところで触れずに抗っている状態のようだ。
「あら? 半解凍の悪魔は、どこです?」
法師の近くに半解凍の悪魔の姿が見えない。マティマナは、キョロキョロと辺りを見回した。法師に呪いを放って動きを封じている間に、何か別のことをしようとしている?
「呪いの品だ! 呪いの品を回収しに来たのか?」
ルードランが気づいて声を上げた。
半解凍の悪魔は、マティマナがあちこちから回収してきた呪いの品々を入れた籠に近づいている。
遠隔で、するするとマティマナの魔法の布を呪いの品から外そうとしていた。
「ダメ! ダメよ、そんなこと!」
マティマナは反射的に、半解凍の悪魔に向けて掃除のときの魔法を浴びせ掛けていた。
「ぎゃぁぅっ! なにしやがる!」
半解凍の悪魔が、妙に甲高い声で怒鳴り、マティマナへと呪いの闇を放つ。大砲からの弾のような大きな闇。
「きゃっ!」
マティマナは反射的に大きな魔法の布――たぶん敷布のようなものだ――を拡げていた。ぱふん、と、ぶち当たった呪いの塊は、当たったままの形で敷布に丸く絡めとられた。
あ、呪いを包めるみたい?
マティマナは、包んだ呪いを放ると、急いで法師に駆け寄って大きな魔法の布を翳す。
法師を取り巻く呪いは、布へと少しずつ吸い取られて行くようだった。






