抱きしめとキス
少し気になり、もう一度ルードランに塔の最上階へと連れて行ってもらった。限られた者しか出入りできないし、滅多に登れる場所ではない。だが、魔法を撒きそびれていた。最上階から階段で降りながら魔法を撒いて行く。全部の階に魔法を撒き終わり、幸い呪いの品は見つからず、ホッと一安心だ。
「マティマナは放って置くと仕事をしすぎるって話は本当だね。少し休憩しよう?」
ルードランは息を切らす様子はなかったが、塔を階段で降りたのは初めてのようだった。マティマナと手を繋いだまま誘導するように歩いて行く。
「はい。思ったより、とても高い塔でしたね。キレイな階段ですし、各階も素敵でした」
探し物の魔法を撒くついでに軽く磨き掃除をし、雑用魔法をタップリ使った。疲労よりは高揚感のほうが強い感じだが確かにそろそろ休憩の頃合いかもしれない。
「今日は、別棟のひとつに、母が軽食の場を用意してくれたらしいんだ」
ライセル夫人が自ら指示をしてくれたらしい。
ルードランはマティマナの手を引いて渡り廊下から、美しく整えられた庭園付きの別棟へと入って行く。一階広間の扉が開け放たれ、庭園が見える張り出しに軽食の場が設えられているようだ。
広間を真っ直ぐには横切らず、ルードランは壁際の豪奢な織りの布地が垂れ下がる調度類の多い場所を過ぎ、曲線を描く豪華な階段を目指している。
階段横に、装飾の豪華な人目につかない、ちょっとした空間がある。
軽く誘導されたかと思うと、不意に正面から抱きしめられた。
あっ!
吃驚したけれど、ルードランの腕のなかは安堵感のほうが強い。マティマナは無意識に、腰へと腕を回し軽く抱きつき返している。
一旦ギュっと抱きしめられ、その後、少し上体が離されたかと思うと、ルードランの片手の指先がマティマナの頤を捉えて軽く持ち上げさせた。
ふわりと、唇へと唇がふれあわされる。軽く唇が重なる甘い感触――。だが、強烈な衝撃だ。
うわぁ、ぁぁ、ななな、なに、これ?
マティマナは慌てまくっているが、ルードランはうっとりした表情で唇を離した。
「キスと、言うのだそうだよ。遠くカルパムの都では、婚姻の誓いに神殿でキスするらしい」
気が遠くなって、倒れそう。でも、ルードランの腕にしっかり抱き留められている。
幸福感など突き抜け天上にでもいるようだ。心臓がバクバクし、ドキドキが止まらない。
僕たちの挙式にも是非取り入れよう? と、ルードランは囁き足した。
「あわわわ、ひ、人前で?」
動揺しまくりながら、震え声で訊く。
「神前だよ?」
真っ赤になって慌てているマティマナの顔を見詰めて、ルードランは嬉しそうに囁いた。
「あ……はい。誓いの印でしたら……」
ドキドキが全くおさまらないまま、ようやく声にする。
「いいね。キス。思っていたより、すごく素敵だ」
平静そうにルードランは囁いていた。だが、抱きしめの感触とともに、やはりドキドキしているらしきは魔法の感覚で伝わってくる。ドキドキが互いのものだと分かり、マティマナは少し安堵することができた。
「ちゃんと食べないと持たないよ?」
斜めに隣り合って座りながら、ルードランは固くなったままのマティマナへと心配そうに囁いた。
広間から庭園へと張り出した場には、夜会のときのような軽く摘まめる軽食と飲み物が用意されている。ふたりのため、というには豪華で大量すぎる気はするのだが。時の留められたテーブルの上に置かれているし、裕福な大貴族とはいえ料理を無駄にすることはない。
「あ、いえ。胸がいっぱい……というか、もったいなくて……」
キスの感触が甘く残っている。それを消してしまいそうで、飲み物にも軽食にも手を出せずにいた。
「もったいない?」
ルードランは、なんのことか分からないようで、不思議そうに瞬きしつつ訊いてきた。
「あ。えーと、……キスの感触が」
極々小さい声で、真っ赤になりながら白状した。
「ああ。良かった。食欲がないわけじゃないんだね。キスなら、またするよ?」
ルードランは心底ホッとした表情を浮かべた後で、悪戯っぽい表情を浮かべながら宣言した。
体調を心配させてしまったようだ。それと、キスをねだってしまった、かも? マティマナは慌てたまま、どんな表情をすれば良いやら混乱してしまっている。
「あ、わっ、ああ、どうしましょう」
真っ赤になった顔を両手で隠しつつ、おろおろと呟いた。
「あんなにたくさん魔法を使っているんだから。さあ、食べて?」
探し物の魔法を撒くだけでなく、場所によってはくすんだ手摺りを磨いたり、つい掃除も混ぜてしまっている。
床がピカピカになるのは、気持ちいいし、嬉しい。
軽食は、作法など気にしなくて良いように、食べやすい状態で用意されていた。
気兼ねせずに、好きなだけ食べられるように配慮してくれている。
マティマナはディアートから食事の所作もお墨付きをもらっているけれど、それでもライセル家の面々が一堂に会する場での食事は緊張の連続だ。
「いただきます」
思ったよりも喉が渇いている。順番にも拘らず、マティマナは飲み物を手にした。
果汁を炭酸水で割った爽やかな味わいで、身体がホッとする感じだ。
「とても美味しいです!」
「良かった。どんどん食べよう?」
ルードランは無造作な雰囲気なのに、とても優雅に食べ進んでいる。
マティマナは遠慮がちに食べるつもりが、最初の一口で思ったよりも空腹だったことが分かってしまい、気づけば極々普通の調子で食べていた。
ディアートに教えられたことは、ちゃんとできていると思うが、上品に食べる目的でない品もあるのが悩ましい。
マティマナが戸惑っているのに気づいたようで、ルードランは薄生地で巻かれた料理を手で取って齧り付いた。
「正式の場で出ない料理は、好きなように食べて平気だよ?」
笑みを向けてルードランは囁くが、全くもって優雅だ。
「ルーさまみたいに綺麗に食べられないですよ?」
前置きしつつ、食材の誘惑には抗えず、手にとって齧り付いた。
絶妙な味付けの品々がたっぷりと薄生地で巻かれていて、食感も味わいも極上だ。上手に食べるのは難しく、何気に慌てて食べきった。
ルードランは、じっと微笑ましそうに食事を進めるマティマナを見詰めている。
「マティマナと食べると、いつもの数倍美味しいよ」
笑みを深めながらルードランは囁く。
マティマナはだんだんと落ち着きを取り戻してきた感じで、遠慮せずにそこそこの量を食べていた。






