イハナ家当主ポレスの影
主城の入り口付近は、人の出入りが激しいため、頻繁に魔法を撒き足す必要があった。
真っ正面は、広間へと繋がる広大な廊下なのだが、マティマナは横合いの細めの通路を進んでいた。
(え?)
吃驚して心のなかで悲鳴めいた声を上げた。
主城の入り口に、確かにイハナ家の当主ポレスが佇んでいたように見えた。だが次の瞬間には姿は掻き消えている。
念のため少し歩いて門番に確認してみたが来訪者はないとのこと。
マティマナは魔法を撒きながら、ルードランを探した。なんだか胸騒ぎがする。イハナ家当主は、何をしに来ていたのか?
階段を上がり、執務室の方向を目指した。なんとなく、そちら方向で逢えるような気がしていた。
「ルーさま! イハナ家当主のポレスさまが、主城の入り口にいるのを見ました!」
予感通り、角を曲がったところでルードランと鉢合わせで逢うことができ、マティマナは小声ながら早口で告げた。
「誰かに逢っていたのかい?」
「それが、門番を通してないみたいで。転移で入ってきたのでしょうか?」
ポレスが魔道師であれば、一度来たことのある場所への転移は容易いだろう。夜会でライセル家には何度も来ている。とはいえ護りが強く働く主城には、いくら来たことがあっても直接転移では入れない。
更には、ポレスが魔道を使う、などという話は聞いたことがなかった。
「また、棘のようなものを持ち込んだのかもしれないね。撒いた魔法が乱れたりしてない?」
思案気にしながらルードランはマティマナの手を取り、確認してくる。マティマナは撒いた魔法を脳裡に思い浮かべてみた。細かい異変を捜すのは、ちょっと難儀だ。
「棘は小さすぎて、少し移動してくれないと、魔法も乱れてくれないんですよね……」
マティマナは意識を集中させ、魔法の乱れを感知するように務めた。励ますようにルードランの手の熱が、伝わってくる。
「あ! 動いてます。この前より小さいです!」
棘の動きがだいぶ違う。ケイチェルが持ち込んだときより複雑な動きに感じた。極小の棘だろうか? 悪意が強く感じられる。
「どの辺り?」
ルードランが訊く。
小さい魔法の乱れは、主城の入り口辺りから徐々に移動している。
やはり、イハナ家当主ポレスが、呪いの棘を持ち込んだのだろう。
とはいえ門番を通していないので、来訪の事実は証明できない。マティマナが目撃しているとしても、何の証拠もない。
「主城の入り口から、広間の方向に移動してます。あっ! 増えました!」
ポレスに棘を付けられた者が、誰かに接触して棘を付着させたのだろうか?
「あああっ! どんどん増えてますっ!」
動揺しているマティマナをルードランは抱き締めた。
「あ、やっぱり。こうするとマティマナの視てる魔法の乱れが視えるよ」
「一気に増えました! 出逢う端から棘を付けているのかしら?」
ひとりが複数人に付けたのか、複数人居るところでばら撒いたのか、それは分からないが驚くべき速度で魔法の乱れは主城中に拡がって行く。
「確かに、凄い速度で増殖してるね。法師のところに行こう。また、動きを留めて貰うのが良い」
ルードランは抱き締めの腕を解くと、マティマナの手を取り、法師の部屋へと駆け込んだ。
「また、棘がつけられてます! 大量です!」
「頭のなかを、また視させてもらいます」
マティマナは頷き、どんどん乱れて行く魔法の状況を視せた。
「これは……すごい量ですね」
法師が驚愕した響きで呟く。
「はい。あっという間に増えました」
「呪いをつけられた者の動きを留めたけれど、この速度だと取りこぼしがあるかもしれないです」
法師は思案気だ。
「今度は誰を狙っているんだ?」
「ライセル夫妻の部屋の近くにはなさそうです」
「留めたものは、そのままにして、別の動きが無いか良く視てみて?」
ルードランが、マティマナと法師に提案する。
確かに、狙いは別にあるに違いない。混乱に乗じる形だろう。
「ああっ! 厨房で増えました!」
厨房には使用人も侍女も多数いる。一気に、棘を付けられたらしく魔法を乱す動きが大量に動き出した。
「厨房の人たちは留めた。他はどうですか?」
法師といえど、頭のなかを覗いているだけなので、マティマナの感知できていない呪いまでは察することはできない。マティマナは、ライセル家の敷地内に撒いた魔法へと範囲を拡げたり、主城の細部に意識を集中させたり、必死で乱れを捜した。
乱れが見つかると、マティマナが知らせるまでもなく法師が気づいて動きを留めてくれている。
今は、とにかく動きを留めるのがいい。
「だいぶ留めたね」
手を繋いでいるルードランにも、若干、様子は視えているようだ。
「はい。でも、どこか見逃していないか心配です」
ディアートは無事そうだ。バザックスも、当主夫妻も大丈夫。
少しホッとしながら、極々小さな魔法の乱れをマティマナは必死で捜した。
「あ、また、更に凄く小さな呪いが……何カ所か動きだしました」
法師が動きを留めた者は、呪いの棘を他の者に付けることはできなくなっている。
留められなかった極小さな棘の刺さった者が存在しているようだ。
「種類の違う棘を使っての陽動かな?」
ルードランは少し眉を顰める表情だ。
「小さな呪いも留めましたが……」
「もっと小さな動きがあるのかも?」
法師の言葉を聞きながら、マティマナは呟いた。
何種類もの大きさの違う棘で操っているのなら、もっと察知しにくい棘が存在していても不思議はない。
「範囲を拡げず、主城に集中してみて?」
ルードランが提案する。
確かに、主城以外では被害は少ないと思う。ディアートの棟だけ別途注視しつつ、残りの意識は全部主城に集中するのが良さそうだ。
「はい! ……特に、ライセル夫妻のところを……あら? すごく小さいけど乱れかしら?」
それは家令の控え室の方向のようだった。
小さな乱れとも確認できないような微妙さで、でも動きがある。他の呪いの動きは全部法師が留めてくれているから、マティマナはその微妙な動きに集中する。
「あっ、これ、たぶん呪いです! 家令さんの控え室に入りました!」
「あっ!」
ルードランと法師が、同時に声を上げた。家令の部屋へと入ったとたん、微妙な動きで呪いと確定できないようだったものが、不意に大きな呪いに変化した。
「転移しますよ!」
法師が声を出したときには、マティマナはルードランと一緒に家令の部屋に入っている。
「おや、皆さん?」
家令は、動きの止まった侍女が持つ盆の上から、茶器を取り上げた所だった。
茶器からは巨大な呪いの気配が渦巻くように揺らめき、家令の口を目指して今にも飛びかかろうとしている。
「それを飲んではダメです! 呪いです!」
マティマナは、悲鳴で叫ぶように告げ、家令は反射的に口元に運んでいた手を下げる。
駆け寄って、マティマナは魔法の布で茶器ごと包むようにして家令から受け取った。






