ライセル家の夜会
「ライセル家へ嫁ぐとなれば、それなりの魔法の力も必要だぜ?」
背後から声高に元婚約者ザクレスの声が響いていた。ずっと悪口を言っている。
あー、あんなに堂々と! ライセル家に喧嘩売ってるって、気づかないのかしら?
もう関係ない人ではあるが、マティマナは、つい余計な心配をしてしまう。
元婚約者のザクレスは、マティマナの雑用魔法のことは知らない。知られなくて良かった。知られていたら下賤な魔法しか使えないと指摘して笑いものにしただろう。いや、非難囂々で、もっと早くに婚約破棄になっていたかもしれない。
家人からはバラさないように、常々釘を刺されていた。
「ロクに魔法も使えない下級貴族が嫁では、ライセル家の恥になりますよ!」
ザクレスの近くで、同意の声をあげているのは、ジェルキ家と懇意な富豪貴族パーブラ家の令息たちのようだ。富豪貴族の取り巻きの上級貴族たちが、ヤジを飛ばして悪口を盛り上げている。
ザクレスの近くには、一緒に馬車に乗っていた令嬢が居るが、究極的に不機嫌そうな表情をしていた。
ザクレスとの間に、何かあったのだろうか? その令嬢に、責っ付かれるように、ザクレスはマティマナの悪口を喚き立てているように見えた。
「ザクレス君の側で嗾けているのは、問題大有りのイハナ家だね。ケイチェル嬢だ」
ルードランは、マティマナの耳元で思案げに呟いた。富豪貴族となれば、さすがに名前と姿も把握しているようだ。
「あ、イハナ家の方だったんですね」
イハナ家は悪徳な富豪貴族。ジェルキ家と良い勝負だ。確かに美人な令嬢の近くに、イハナ家の当主ポレスが居た。ザクレスの家に招かれたとき、見掛けたことがある。短めの黒髪に豪華な長衣。悪徳を極めたような邪悪な気配が、マティマナはとても苦手だった。
会場最前には豪華な設えでライセル家のための一角が用意されていた。
マティマナが挨拶すると、意外にもルードランの父母である現ライセル家当主たちは、にこにこで、とてもご機嫌だ。豪華衣装で佇みながら、愉しそうに声を掛けてくれた。
ルードランが旅装束で捕まえた婚約者なら、ライセル家の威光をカサに着ようとしている者ではないと、そういう判断らしい。
「バザックスは来てないんだね」
ルードランは、マティマナの手を取ったまま、父であるライセル家当主マルゲーツ・ライセルへと問いを向けた。バザックスはルードランの弟だ。
「ああ、篭りっきりで何やら研究しているよ」
少し溜息混じりに溌剌とした印象の当主は応えた。
「少しは片づけをさせて欲しいのですけどね」
散らかり放題らしく、ルードランの母は夫の隣で頗る心配そうな面持ちだ。
華やかな王家由来の大貴族でも、いやだからこそ、抱える悩みは大きいに違いない。
雅な曲が奏でられ、会場の中央では踊る者たちが多い。石材の床にゆったりとした踊りの足音が響いていた。
マティマナは、ルードランに連れられて会場を巡った。ルードランは引っ切りなしに声を掛けられている。
好奇の眼差しが、あちこちからマティマナに注がれていた。マティマナは、必死に平静を装いながら、にこやかな表情を保つ。
(あっ!)
マティマナは心の中で小さく声をたてた。
眼の端に入った、客の接待している侍女の着つけの背で結び目がズレている――。マティマナは、こっそり魔法でキレイな蝶結びになるように直した。
持たされた扇が、良い感じで魔法の杖のように使えていた。とはいえこの魔法は、誰の目にも見えない。特に決まった動作をする必要もないから、いつ魔法を使ったのか誰にもバレずにすむ。
「面白い魔法をつかうのだね」
ルードランが、耳打ちするように囁く。
え? ウソっ! 今の、わたしがやったってバレたの?
マティマナは驚いてルードランを見上げる。
ずっと、魔法を使っていたね、と、歩きだしながらルードランは好意的な視線と言葉だ。
落ちているゴミを片づけ、緞帳の繕い、ちょっとした卓に掛けられた布の角度。こっそり、きっちり直していた。卓から落とされたものも誰にも気づかれないうちに元に戻したり。
隠しているのに、それらもルードランにはバレていたようだ。
「ルードランさま」
「ルーでいいよ?」
「あ、えと、ルーさま」
「そうそう」
「ルーさま、どうか魔法のことは、ご内密に」
「どうして? 素晴らしい魔法だと思うよ?」
内密にも何も、ライセル家の跡取り息子に一番バレてはいけなかった気がする。誰よりも隠すべき相手だったはずだ。だが、マティマナは雑用魔法を密かに気に入っているから、褒められれば素直に嬉しい。
「そんな風に言っていただけたの、はじめてです」
ついつい嬉しくなって笑みが深まった。
夜会は華やかな立食形式だ。
壁際に並べられた立派なテーブルには、豪華な食材が美しく並べられている。
飲み物も豊富で、酒類も振る舞われていた。
今回の夜会は、複数の令嬢たちが料理に群がって黙々と食べているような姿が目につく。
「ルードランさま……っ、どうして婚約なんてっ」
「下級貴族で良いなら、私だって……」
「……ルードラン様! ああ、なんてこと!」
時々、発される言葉の切れ端から、ルードランを狙っていた貴族の令嬢たちが、落胆して食欲に走っているらしいと分かった。
マティマナの姿を見掛けると、恨めしそうな視線を突き刺してくる。
今日の夜会では、ルードランが旅から戻ることは知らされていたから、当然、ルードラン狙いの令嬢が大挙して押しかけてきていた。婚約者を連れてくるなどとは情報のなかった者たちだ。
いつもザクレスに連れられて夜会に来ても放置されるから、マティマナはひっそりと料理を堪能していたものだが、こんな風にたくさんの令嬢たちが食べまくっているのは珍しい。
とはいえ会場にいれば、ルードランの元へと引っ切りなしに挨拶が訪れるし、マティマナには常に視線が向けられているし、今回はとても食べている余裕などなさそうだ。
婚約者同士で来ている者たちは、踊っている。
品のない貴族達は、酔っ払っている。
それでも、ライセル家の夜会が全体として品位を失わないのは、目を光らせている当主マルゲーツ・ライセルの存在感故だろう。睨まれ目をつけられては面倒なことになる。