奪われた額飾り
工房では、いつ堕天翼のバシオンと対決するのかを話し合っていた。
法師ウレンも加わり、リジャンは喋翅空間で会話に参加している。
ルードラン、マティマナ、エヴラール、ディアート、メリッサは大卓の周囲に、それぞれ椅子を持ち寄って座った形だ。バザックスとギノバマリサは、大卓近くの安楽長椅子に並んでいる。
関係者は、すべて揃っていた。
「――――――! あっ、ああ、そんなウソです! 額飾りがありませんん!」
マティマナは不意に叫んで、額に手を触れる。
前髪に隠れるようにして額に貼り付いていた飾りはない。
「ええっ!」
「なんだと!」
「なんですって?」
「何の気配もありませんでした!」
皆、慌てたように立ち上がり、口々に声を出し、侵入者の痕跡を求めてあちこち確認する。
「マティマナ、額飾りは今どこにある?」
恐慌しそうなマティマナの手を握り、ルードランは訊く。
マティマナの造った触媒細工の魔法具であれば、意識すれば場所がわかるとルードランは知っている。
「……工房から一階へ、主城からも出て、城門も……そこで転移されてしまっています」
軌跡は途中まで追えたが、ぷつり、と途絶えた。転移だろう。そして、たぶん、ルルジェの都の外だ。ルルジェ内であれば、たぶん、分かる。
どういうことなの? わたし、難攻不落のライセル主城にいて、守りは完璧なのに……。
城の敷地からの出入りに転移は禁止されている。だから、盗んだ主も、城の敷地を出てから転移している。
城壁の門は閉ざしていないが門番は魔法的な力も使う。
何より魔法の防御が張り巡らされた城の敷地をどうやって?
それに、主城に忍び込んだだけでなく、この工房に来た。
わたしが身に付けている魔法具である額飾りを奪って逃げるなんて……どうやって?
目眩がする。
額飾りを奪われた驚きのせい、とかではない。
「敵は、この工房に来たのですか?」
ディアートは珍しく驚愕した表情で訊いている。
「額飾りが堕天翼の手に渡ると、たいへん拙いです」
鑑定士のダウゼが少し離れた自席から困惑の声で呟く。
「どんな風に拙いんだろう?」
ルードランはダウゼに訊くが、マティマナの様子に気を取られているようだ。
……ダメ、ダメよ……。しっかりしなくちゃ……。
ぐらぐらと身体は揺れ、闇にまとわりつかれるような、嫌な感覚にマティマナは襲われていた。
「聖なる魔気を注がず放置するだけで、乗っ取られる危険がある品です。直接、堕天翼の手に入れば王妃様の夢の中に自由に入れてしまいます!」
ダウゼの叫ぶような声が聞こえてくる。
「マティマナ! 眠っちゃだめだ!」
ルードランの声が耳元で聞こえた。身体が揺さぶられている。いつの間にか、椅子から床へと頽れていたようだ。
「はい。分かっているのですが……額飾り……もう……バシオンの手に……ぁっ……くっ、ぅぅぅっ」
眠りへと引きずられている。強烈な催眠が夢に滲みこんできている。
ああ、夢の空間にかけた鍵を外しておかなくちゃ。皆が入れない。
眩む意識のなか辛うじてマティマナはディアートの空間から、夢の空間へと繋がる扉の鍵を開けることができた。
「マティマナ!」「王妃様!」「マティさま」「マティお義姉さま!」……――
皆の声が遠くなって行く。
自分の夢に入るだけよ。額飾りは奪われたけど、弾き出した、わたしの夢なのよ……。
必ず、みんな来てくれる。
額飾りからマティマナの夢の空間へと入り込んだバシオンは、聖なる魔気に満ちた夢の空間へと、闇と催眠を撒き散らしているに違いない。
みんな来てくれる……
「……待ってる……」
眠りへと落ちるマティマナの掠れ声。皆に聞こえたかどうか、もう確かめる術はなかった。
「随分と手間取らせやがって」
眠りに落ちたとたんに怒鳴るような咆吼めいた声が聞こえた。
今は、バシオンの手のひらに握られた夢の空間……。真っ暗闇に近いのは、バシオンの闇の焔と、催眠の力に踏み躙られたせいだろう。それでも、マティマナの夢の一部だ。堕天翼の転移城の広間に咲く花にも繋がっている。
「オレの城を滅茶苦茶にしやがって。どうすればこの憂さ晴らしができるだろうな?」
嗾けられた闇は、雑用魔法の光に包まれたマティマナに弾かれた。何度も嗾け、弾かれる度に、バシオンの形相が変わる。美麗な貌だというのに、どうしてそこまで鬼神であるかのような表情になれるのか。
黒い髪は、背から拡がる大きな闇の翼と混じる。青い眼には、凍てつくような怒り。
怖いけど。闇が取り巻いているけど、闇は、まだ、わたしに届いてない。刻を……稼がなくちゃ。
夢のなかで意識を失ったらどうなるのだろう?
今は、聖なる光をダダ漏れさせて空間に満たす他に打つ手がない。
「なぜ、ライセル城に入れたのです? 誰も、侵入などできるはずないのに」
後のほうの言葉は、独り言ちるよう。
「クッ。気づかねぇとは、情けねぇ奴等だぜ。追跡者は影だ」
悪意と怒りと嘲笑とを剥き出しにした表情。静かに呟く声なのに、叫びようにバシオンの声は響き渡った。
影に同化して忍び込んだということだろうか?
でも、何の感触もなく、額飾りを奪うなんて、絶対無理だと思う。
あの時、みなの視線は、少なくとも誰かの視線は、マティマナに注がれていたはずだ。
「影に同化して、気配を消したとしても、わたしに近づけるわけない……」
マティマナは聖なる雑用魔法に塗れているし、額飾りも聖なる品だ。不浄と判断される存在でないなら、触れることは可能だろう。だが、誰も、マティマナ自身も、気づかないなんて有り得ない。集っていたのは、皆、なんらかの魔法を扱う者ばかり。
何より、ウレンさんの結界をすり抜けて気づかれないなんて。どんな方法があるっていうの?
マティマナの心に渦巻く疑問が聞こえたのかもしれない。バシオンは愉しげな嗤い声を轟音のようにたてた。
「刻の操作は、見たことねぇんだな」
もう勝利を確信しているのか、手の内を明かすような言動だ。
もっともバシオンの技ではなく、追跡者ならではの技なのかもしれない。
「刻を――止めたのね?」
マティマナは独り言ちるが、声になって響いていた。ただ刻を止める大技は、使用する者への障りが大きい。
「額飾りを盗む程度なら、ほんのわずかで済む」
影と同化してライセルの敷地に入り、主城に入るときに刻を止めたのだろう。それならば、誰も気づけなかったことに納得できる。
マティマナは、少しだけ安堵する。それならば、皆の会議を聞かれてはいない。刻が止まれば、会話も止まる。
「そんな風に手の内を明かすなんて。よほど自信があるのね」
バシオンはルードラン以外の者も、夢の空間に入れるようになっていることは知らないだろう。
どのくらいの刻が経過しているのか、この夢のなかでは全く分からない。
マティマナひとりでは、聖なる魔気を満たすのにも限界がある。あの工房の状態から、皆が即座に夢の空間に入って来られるとは思えなかった。
バシオンからの闇の焔を弾き、催眠やらの効果に触れないように。
意識を手放してしまわないように。
マティマナは、心に言いきかせる。刻を稼ぐためにも、皆が来たときに戦いやすいようにするためにも、バシオンの闇に蹂躙されている夢の空間を、聖なる光で満たすことに専念することにした。






