夢へと侵入するバシオンからの攻撃
眠るのが怖い。そう思っていても、ルードランの身体の温もりは確実に眠りをもたらした。
夢の中では、マティマナはひとりだ。
抱きしめられて眠っていても、目覚めて抱きしめられているときのような心が溶けあう感覚はない。
腕の中にいるのに。
夢の中でも、一緒にいたい。
そう願うのに、マティマナの夢へと忍び込んでくるのは堕天翼のバシオンだ。逃れようもない、が、今のところ、声と表情で脅すだけで接触はなかった。
「出て行って! わたしの夢に干渉しないで!」
マティマナは泣きたいのを堪え、ひとり立ち向かうように叫ぶ。
バシオンからの猛攻撃めき、眠りに落ちたとたんに夢へと引っ張り込まれる感じだ。夢も見ずに朝まで眠ることができれば、どんなに良いか。
だが、堕天翼の転移城広間に咲く聖なる花から、苦痛をものともせずにバシオンはマティマナの夢へと侵入することを日々繰り返していた。
「いつまで、ひとりきりで抵抗できると思っている?」
轟音のようにバシオンの嗤う声が響く。マティマナの夢は、日々侵入を繰り返すバシオンが放つ闇に少しずつ覆われている。煌びやかなものは、皆、輝きを失い徐々に闇に飲まれていた。
「わたしは、貴方の思うようにはならない」
バシオンはマティマナを夢で攻撃し、闇の焔で捉えて洗脳したいのだ。ライセル城のなか、王妃を洗脳できれば何もかも思い通りになるとでも思っているのだろうか?
せっかく領地から転移でいなくなったと思ったのに。何の術か魔法を手にいれたか分からないが、バシオンはマティマナの夢を手がかりにするように戻ってきている。堕天翼の転移城は、まだ東に居るらしい。
バシオンとて完全なる接触にはなっていないから、マティマナから情報を得ることはできないと思う。
「夢から引っ張りだしてやる。身体ごと引き寄せ、洗脳し奴隷として扱うのがいいな」
直接的な攻撃はできないらしく、バシオンは、マティマナの夢のなかで言葉と表情と闇の焔で脅してくる。
奴隷と化すような忌まわしい映像を、無理矢理視せようと展開させるが、マティマナは突っぱねた。
だが、闇の焔はマティマナを抱きしめて眠っているルードランの意識へと、徐々に干渉しているように思えた。
これ、なんとかしないと、ルーさまが危ない……。
マティマナは焦っていた。
夢の中……って、魔法使えるの? 夢の中、ルーさまと逢えたこともないのに。
そう思うと悔しくて辛くて悲しい。
バシオンなんかじゃなくて、ルーさまと一緒にいたい!
と、泣き叫ぶような心の動きに、雑用魔法が閃いた。
夢の中から洩れいでて、耳縁飾りから対のルードランの耳縁飾りへと注がれている。そして、雑用魔法のきらきらの光は一緒に眠っているルードランを包み込んだ。
「助けて、ルーさま!」
「……マティマナ? ……ここは?」
泣きながら撒き散らす雑用魔法の煌めきと、心で叫ぶ声に、ルードランが反応してくれている。
たったひとり、闇のようなバシオンに対峙していたマティマナは、傍にルードランの気配が現れるのを感じた。夢の中、ルードランは徐々に実体を持ち始める。
「ああ、ルーさま! ずっとひとりで怖かったです」
実体を伴ったルードランの首に、マティマナは腕を絡めてしがみついた。
ルードランの腕の感触が腰に絡みつく。
「マティマナの夢の中?」
ルードランは少し瞠目しながら、マティマナの顔を認識すると笑みを浮かべた。
「そうです。夢の中だけど、夢みたいです! ルーさまが一緒にいてくださるなんて!」
闇の中に潜むバシオンの暗く青い眼が、ぎらついて睨んでいる。だが、そんなことなど、どうでも良くなるほど嬉しさで心は満ちた。
ちゃんとルードランだと、わかる。
「すごいね! マティマナの夢に招いてもらえるなんて、最高だよ!」
状況は最悪かもしれないが、ルードランが一緒なら絶対乗り換えられる!
マティマナは確信していた。
怖さのあまりマティマナは幻を視ているのだと、バシオンは考えているかもしれない。
でも、マティマナにはわかる。姿を見せているバシオン以上に、傍にいるのは、ちゃんとルードランなのだ。
夢の中でも、変わらず麗しく頼もしい。
「頼もしいのはマティマナの方だよ」と、耳元で囁く声。
幸福感が拡がり、闇に侵食されつつあったマティマナの夢に聖なる光が拡がって行った。同時に消されていた美しい光景が戻ってくる。
助けてくれたライセル家の精霊や光の竜、そういった存在の分身が駆けつけてくれさえした。
「なんなのだ、これは!」
怒りに我を忘れたように、バシオンは闇の焔を嗾ける。
マティマナの聖なる魔気は、光の竜の分身から華やかな光輝となって闇を祓った。
ライセル家の精霊も、煌びやかな光を放ってバシオンの闇を蹴散らす。
聖女の杖は、叛逆の粉をきらきらとばら撒いた。
夢の中に、ルードランがいてくれる。
その喜びに、マティマナの雑用魔法は目覚めているときよりも遥かに自在に、思いのままの働きでバシオンに迫る。
侵食されていた部分が狭まり、どんどん押しやることができている。
「ちっ、おぼえていやがれ」
バシオンの美しい貌は怒りに歪み、声は獣の吠えるものに似ていた。
侵蝕していた闇は、収縮されバシオンの気配と共に堕天翼の転移城広間の花から放り出されたようだ。
「ルーさま! ああ、ルーさま!」
夢の中から覚めることなく、マティマナはルードランにしがみつき直す。
「ずっと、ひとりで戦っていたのだね。早く、駆けつけてあげられたら良かったのに済まない」
抱きしめ返しながらルードランは申し訳なさそうな声で囁く。
「……いつでも、夢の中でもルーさまに逢えそうです!」
互いの耳縁飾りが反応してくれたお陰で、マティマナま夢の裡へとルードランを招くことが可能になっていた。もう、今までひとりきりで戦っていたことなど、どうでも良くなっている。ルードランはいつでも夢に招くことが可能だ。
「一緒の夢を辿れるのかな? それは、とても素晴らしいよ。抱きしめて眠るのに、同じ夢に入れないことが寂しかった」
ルードランは歓喜する声と共に、切なそうな響きの言葉を足す。
「わたしも。ずっと同じ夢を共有したかったです」
夢での逢瀬を、どんなにか願ったことか。
ずっと一緒にいる刻は増えたのに、贅沢な話なのかもしれないが。そして、ルードランが同じ思いでいてくれたことが何よりも嬉しい。
「バシオンは……許しがたいな。マティマナを独占したりして……」
ぼそりと呟くルードランの声は、ちょっとぞくりとする響きを含んでいた。
何日も、夢でマティマナが魘されていたのをルードランは知っている。それがどんな状況だったのかも、知られてしまった。
マティマナはルードランと手を繋ぎ、光の戻った美しい光景の夢を案内しはじめる。共に視る夢は、どこまで甘美だ。
堕天翼からの攻撃の矛先は確実に、天空城からライセル城へと向かっていることを胸に刻み。今ひとときは、ふたり休息のときを満喫することになっていた。






