マティマナの夢への接触
「やめて、バシオン……」
マティマナは魘されていたようだ。ルードランが心配して抱きしめてくる感触で目覚めた。薄ら目蓋を開くと心配そうなルードランの顔が間近だ。
「夢だよ……?」
耳元で囁くルードランの声音に、夢への侵入を許してしまうなんて、と、マティマナはぼんやりとしながら悔しく思う。
「バシオンが、ライセル城に災いを……。でも、そう。ただの夢です」
そんなこと、させません、と、弱々しくマティマナは呟き足した。また、いつ、襲撃されるか分からない。堕天翼の追跡者は、ライセル城へと入り込める。特殊な能力を持っていると思う。
「夢でも許せないな。マティマナを困らせるなんて……」
ギュッと抱きしめる腕に力を込めながらルードランは呟く。
堕天翼の転移城では、バシオンからの接触は何も許さなかったのに。でも、花を咲かせて置いてきてしまったから、こちらが情報を得られるかわりに向こうからも接触が可能なのかもしれない。
「……花を置いてきてしまったから、手がかりを与えてしまうかもしれません……」
床に突きささるように咲いた触媒細工の花――。元より触媒細工するつもりなどなかった。雑用魔法が勝手に反応したようなものだ。そういうとき、雑用魔法がマティマナに不利に働くことは有り得ない。多分。
「それでも、堕天翼の様子が分かるのだから、益の方が大きいと思うよ?」
ルードランの声は優しい。
バシオンは催眠の魔法を使う。眠りの関係の魔法であるから関連で、マティマナの夢に干渉できるのだろう。ライセル城で、ルードランの腕の中なのに。枷は弾いて消したし、雑用魔法に包まれていたから仕掛けられる魔法の影響は受けていないと思っていた。
やはり残してきた触媒細工の花。そこから接触できるのだろう。ただ接触されるのは夢であり、微々たるだ。堕天翼からの害悪を阻止するための一手となったほうが確かに大きいと、マティマナは頷いた。
追跡者の他に、存在する仲間だった者で知りうることを堕天翼から助け出したソーチェは教えてくれる。
浄化の最中だったり、会食の場であったり。
「マティマナさまを拐ったのは、恐らく、沈黙の追跡者ギギガンデです。夜の闇に紛れるように、昼間でも影に潜むことができる厄介な相手です」
天空人を拐うこともあります。猟り人のひとりです。と言葉が足された。
「ジュノエレさんを襲ったのとは別の方ですよね? わたしは魔法は仕掛けられていないです」
マティマナは首を傾げて訊く。逆に魔法を仕掛けられたなら、雑用魔法がなんらか反応してくれたろう。
雑用魔法でも聖なる魔気でも護られているはずなのに、抱きつかれ一瞬で転移されてしまった。影に紛れてライセル城に入ることができるのだろう。
「ハンターには、射手が多いのです。特に空から降りてくる天空人は、地上から魔法の矢で狙い撃ちにされます」
天空城を取り巻き包囲していたのは、射手ではなく魔法集団のような印象だった。かなりの人数の空を飛べる者たちだ。その他に、天空人を狙う射手たちがいる。ソーチェもかつて、射手の魔法の矢で捕らえられたのだろう。
「天空城を取り巻いていた者たちは、魔法を使っていますよね? 空を飛んでいますし」
でも、近くで戦う様子を見ていたが、天空人から変異した者たちではなさそうな感じだ。
「飛べる者たちは、風の魔法師たちです。疑似翼の魔法です。バシオンに操られて媚薬や催眠混じりの魔法を与えられています」
疑似翼の魔法があるのね、と、マティマナは納得した。バシオンの催眠は強いのだろう。バザックスの聖なる魔気を含んだ空鏡の弾や、法師ウレンの攻撃、ルードランの聖なる防御に弾かれる、などしても我に返ることはなさそうで、再び浮かび上がっては天空城に魔法を掛けつづけていた。
「配下が随分とたくさんいるのね?」
大きな天空城を取り巻いて動きを鈍らせ籠城させるほどの魔法師の数。更には地上で射手や追跡者が、天空人が落ちてくるのを待ち構えている。
「堕天翼は大きな組織です。転移城は主な根城ではありますが」
各地を城ごと転移して回り、支配力を見せつけ賭けの場を開催する。それは、堕天翼の大きな資金源のようだ。
「賭け……というのは?」
ソーチェを浄化するマティマナへと歩み寄ってきたルードランが訊く。
「堕天になるか、ならないか。後は翼色の予想です。翼が無くなることも含めて」
そんなに直ぐに変化するわけではないだろうから気長な賭けだ。少しずつの段階でも、細かい賭けの種類が存在しているのかもしれない。ソーチェも賭けの対象にされていた時期があったのだろう。
「賭けに参加しているのは?」
ルードランは続けて訊く。
「各地の裕福な悪徳貴族や、富豪商人です。王都から遠く離れた辺境では、法など通用しませんし奴隷売買も盛んです。賭けは、極上の娯楽らしいです。莫大な金が動きます」
転移城にいたときに、ソーチェはユグナルガ列島の各地に赴いたことがあるようだ。辺境の状況は推し量りようもないが、戦が続く場も多いと聞く。
「ソーチェさんは、よくバシオンの催眠で操られずにいられたわね」
マティマナは、転移城でしがみついてきたときのソーチェが催眠に掛かっていなかったことを思いだし訊く。
「堕天だと判断すると、バシオンからの催眠は緩みます。でも、枷は外れませんし、逃亡したら売られてしまう。おとなしく従っていましたから、催眠は徐々に解けていきました」
魔気を使い切らないように、ソーチェの浄化は毎日一定にしている。大抵はルードランが一緒にいるので、その際は、聖なる魔気の補給を受けながらタップリと浄化し、暗黒の森へと補充に向かう。
ルードランが多忙な際は、メリッサが見ていてくれる。メリッサは、マティマナの使う一定量の魔気を把握できている。
「マティ王妃、そろそろ今日の分量です」
メリッサが的確な量を見極めてくれていた。
水色の瞳に戻ったソーチェは、まだまだ翼は黒寄りではあるが、だいぶ濃い灰色、という程度に黒は褪せてきている。
「とても、身体が軽くなりました。本当にありがとうございます……。毎回、こんなに聖なる魔気を注いでいただいて。一体、どうやってご恩に報いればよいのか見当もつきません」
元に戻れるのだという喜びと、そのために必要な膨大な聖なる魔気を思うと、ソーチェは、素直には喜べないようで、しおしおとした気配で呟く。
「気にすることないですよ? いずれ、捕まってしまった天空人の方々、全員、浄化しますからね?」
マティマナは、なんてことないように告げる。
実際、マティマナに実感できる疲労があるわけでもないし、暗黒の森へ行くためにルードランの公務の手を止める可能性はあるが、それでも素材になりうる拾得物が手に入る。
今後の堕天翼との対応では不可欠な素材だ。
「ああ、なんて有り難いことでしょう! 聖女さま、皆を宜しくお願いします」
ソーチェは、希望に満ちながらも涙を浮かべ縋りつく視線をマティマナに向けていた。






