海底迷宮の地図
保養所の邸に造った工房の一角からは、浜側の扉が開け放たれているので海が見える。
開けっ放しでも、邸はやはりライセル家の持ち物らしく魔法が働いていた。弱いながら障壁が存在し、強風や潮風は入ってこないようだ。
「ベリンダが来た」
不意に呟くと、エヴラールは立ち上がり張り出しから砂浜へと降りて行く。
ベリンダは人魚だから、砂浜からは上がってこられないだろう。
竜宮船の地図となる宝玉が、リアラリール姫のものでありベリンダの姉が護っていたのなら返却する必要がある。マティマナはほとんど無意識に宝玉を掴むとエヴラールを追って行く。
ルードランは、即座にマティマナについてきた。
「ああ、聖女さま! 姉を助けてくださってありがとうございます!」
水際で尾を揺らして水飛沫を立てながら、ベリンダは嬉しそうに声を張り上げた。
マティマナとルードラン、エヴラールは、人魚の直ぐ間際の波打ち際へと進む。
「ベリンダさん、お姉さまは? ご無事ですか?」
人魚なのだろうに、金魚の姿だった。
「ここに居ります!」
海水ごと金魚を掬い上げてベリンダは微笑する。鮮やかな赤い金魚が、ベリンダの手のひらで軽く跳ねた。
「ベリンダさんと合流できて良かったです」
マティマナはホッとして呟く。
「宝玉を護るために力を使い果たしてしまい、宝玉に吸い込まれていたのだそうです。朽ちたように偽装していたとか」
小舟は、それで余計に壊れたような印象だったのだろう。宝玉は見えなかったし、ずっと偽装に護られていたらしい。
「お姉さま、元の姿に戻れるのですか? あ! それと、これ、お返ししなくては!」
マティマナは、手にした宝玉を人魚のベリンダへと差しだした。
「姉に関しては、もう少し落ちついたら、どうか聖女さまのお力をお貸しください。それと、宝玉ですが、預かっていただけませんか?」
ベリンダは懇願する視線でマティマナへと向け、宝玉を受け取りはしない。
「竜宮船の地図なのだろう? 持ち帰らなくて良いのかね?」
エヴラールが不思議そうに訊く。
「今、持ち帰れば宰相に盗られてしまいます。私に護る力はありません」
力なくベリンダは呟いた。
「地図、使っても良いのかしら? いずれ竜宮船に姫さまを助けに行くつもりなのだけど」
マティマナはどうやって使うのかも分からないまま、訊いていた。
「はい! ぜひ、お使いください! 皆様がお使いの空間の主に展開していただければ、共有して使用できます」
ベリンダは、ディアートの喋翅空間を認識しているようだ。
「簡単に使えるものなのかい?」
ルードランが興味深げに訊いた。
「空間系の魔石と相性が良いのです。同時に手にすれば自動で展開します」
『では試してみましょう。お役に立てるのなら嬉しいです』
誰かがベリンダの声を空間へと中継してくれていたらしく、ディアートの声が響いてくる。
「じゃあ、ディア先生、『お届け』しますね!」
マティマナはルードランに視線を向けて確認する。ルードランが頷くので、マティマナは雑用魔法の「お届け」で手にした宝玉をディアートの手へと送り込んだ。
同じ空間のなかにいるので、「お届け」は確実で簡単だった。
『あら、これは美しいわね! あ……っ、魔石に吸い込まれました』
ディアートの声が空間越しに響くと、空間に入っている者たちの驚きの声が重なって聞こえてきた。
「まあ、すごい! 本当に地図だけれど、凄まじい迷路です!」
マティマナは、ディアートとの共有空間に立体的な地図を視ることができた。
『すごい! 拡大したり、なかに入る感じでみることもできるぞ』
歓喜したバザックスの声。
『こんな風に見えるなら、転移させてあげることが、きっと可能です』
ギノバマリサの声。
ひとつの地図なのに、みんなそれぞれに、違う見方ができている様子だ。
「うまく展開できたようですね」
ベリンダが嬉しそうに呟く。
「……これは。想像以上にすごい」
エヴラールの表情は、歓喜を超えている。ずっと竜宮船を追い続けてきたのだから、念願でもあるのだろう。
『宰相が……この宝玉を狙っているのですね?』
法師は深刻そうに呟く。
「気づかれれば……刺客なりが送り込まれる危険はあります。どうか、お気をつけて」
ベリンダは、申し訳なさそうな表情だ。
「地図を使わせて頂くのだから、必ず死守するよ。ライセル城なら、どこよりも安全だ」
ルードランは、ベリンダへと笑みを向けて約束するように告げた。
マティマナが小舟を復元しているときに出てきたガラクタのようなものは、ベリンダの姉のものだと聞いた。人魚の衣装、武器、若干、鱗や、化身として身体を構成していた残骸。などらしい。
ぜひ、触媒細工で使ってほしいとの事だった。朽ちる偽装のために使ったので、抜け殻に近いそうだ。
ベリンダが姉を連れて海へと潜って行くと、入れ違いに海からマティマナの装備を身につけた猟師たちが浜へと上がってきた。
「これは、本当に近い」
装備を着けた状態で海中を来たらしい。ジルガは感心したように呟いていた。
他の漁師たちと合わせて五人。
「砂浜から食堂へ入れますから、どうぞ?」
猟師たちも、砂浜、一階の張りだし、食堂は出入り自由ということなので、マティマナは階段を示して誘導する。
「食堂のものは、好きに食べていいよ。十年前のものでよければ」
ルードランは、悪戯っぽく告げた。
「じ、十年?」
ギョッとした顔の漁師たち。
「大丈夫。時の止められた貯蔵庫だから。新鮮そのもの。出来たてよ?」
マティマナは、笑みを向けて猟師たちに囁く。
とても美味しいのは、確認済みだ。
一息ついたら、海の魔法具に関しての改良点を教えてほしいと思う。
ディアートの空間には、人数制限があり猟師たちまでは入れられないようだ。なので、別途に会話する手段と、竜宮船に行く者には地図の共有が必要となる。
「なんだか、ディア先生の空間の中に、とても温かい感覚があるんですよね」
夜、ふたりきりになると、マティマナは、ルードランへと囁いた。
伴侶が二組、婚約者が一組、だから当然といえば当然なのだが、それらを除いて……すると、残りはディアートと法師ウレン。エヴラール。
ルードランは、一瞬、微妙そうな表情を浮かべた。
「エヴラール殿は、マティマナに気があるようだったからね」
ルードランは悩ましげにしながら白状するような響きで呟いた。だが過去形だ。
「まさか! そんなはずないですよ?」
マティマナは、瞠目しながらも笑って否定した。
「いや。本当に気づいてなかったのか。まぁ、今は宿近くで出逢いがあったようだからいいのだけどね」
縁談を勧める必要はなさそうだ、と、言葉が足された。その件には首を傾げつつ、マティマナの関心事はディアートとウレンだ。
「ディア先生だけじゃなくて……ウレンさんも、ディア先生を……」
互いに、たぶん、そうとは知らずに思い合っているように思う。そして、互いに諦めているのだ。恋心を。
「それは……あり得るね」
ルードランは、マティマナの心での言葉を拾ったように同意の呟きをこぼした。






