雑用魔法が止まらない
ライセル家の保養所という邸は、海に面していた。
邸の中から広い廊下と広間を通り抜け、ルードランが両開きのような扉を開ける。張りだしになり、そこから階段で、海に繋がる砂浜へと降りて行ける形だった。
低い岩場が城壁のように砂浜を囲っている。他からは遮られた、内密な空間だ。とはいえ海側から船であれば簡単に砂浜へと入り込める。
「すごいです! 邸から、海に入れてしまうのですね!」
「そう。砂浜から余り離れなければ泳ぐのに良い場所だよ」
小さい頃は来ていたらしいから、ルードランはそれで泳げるのだろう。
廊下も広間も、意外に綺麗。うっすら埃があるかどうか、といった程度だ。
「泳ぐのではなく、海深くに潜るのですよね?」
泳いだこともないのに、マティマナはいきなり海中に行くことになっている。だが、不思議と怖い感じはしなかった。本当は怖いと感じたほうが良いのかもしれないが。
「マティマナの海の魔法具があれば、大丈夫。海中でも呼吸ができるなら、それほど怖くはないと思うよ?」
ここの海は、途中から急に深くなるから驚くかもしれないけど、と、言葉が足された。
「上階も確認して良いですか? 十年も放っておいたとは思えない綺麗さですよね」
それでも掃除は必要そうなので、楽しい気分だ。一応、全部確認してから取りかかろうと思う。
「上は、色々散乱しているだろうね。広間は物も少ないし散らかりようもないかな」
ルードランは手を繋ぎ、階段のあるほうへと案内してくれる。広い邸だが、階段は一箇所のようだ。ただ下へと向かう階段もある。
厨房や食堂は、広間の隣。
そっちも気にかかるが、まずは上からの景色を確認し、エヴラールや猟師たちがいる宿屋との位置関係を知りたかった。
邸は四階建てて、二階、三階は、小規模な寝室が複数ある。小規模といってもライセル城に比べればの話であり、通常の邸と比すれば広いし何より、この個数の寝室は不要だろう。
「あ、確かに、二階や三階の寝室は、片づけも掃除も必要ですね」
マティマナは歩くたびに無意識に魔法をまいているらしく、移動してきた軌跡は掃除された状態だ。歩く手前を掃除し、少し綺麗になった場所をルードランと歩いている。
「この勢いだと、あっという間に終わりそうだけど。本当に無理は駄目だよ」
ルードランは楽しそうに言ってくれるので安堵しながら進む。
「階段は四階までですね」
四階は広間風。何に使っていたのだろう?
「良く、ここで踊りの練習をしていたよ。バザックスとディアートと、ディアートの姉の四人で」
マティマナの心を読んだかのように、ルードランは応えてくれている。
「ディア先生、お姉さまがいらっしゃったのですね」
四階も、両開きの扉を開けると張り出しにでる。
広い張りだしで、踊れそうな広さだ。
「ほら。帆のある宿屋が見えている」
低い岩壁に遮られた向こうに拡がる砂浜に、見覚えのある岩礁がある。帆が派手に飾られた宿屋だ。
「本当、近いですね! もしかして海から泳いでいったら直ぐなのですね」
泳いだことはないけれど、距離的には近く感じた。
正面はずっと遠くまで海が続く。幽霊船は、沖にでているらしく確認できなかった。
「壊れていなければ、小舟も浜からあがった軒下にあるはずだよ」
「ルーさま、小舟を操ることできるのですか?」
「小さい頃は、よく乗って遊んでいたかな」
ルードランは懐かしそうに呟く。
一階から下に降りる階段は、浜からの広い軒下に繋がっているそうだ。
風雨に晒されていれば、小舟の状態は微妙かもしれない。
ただ、もしかして雑用魔法の修繕か復元でなんとかなるかも?
そう思い到れば、小舟を見るのも愉しみになる。
「片づけが済んだら、ぜひ小舟も見せてください!」
「もちろん。あ、二階と三階の寝室なんかは、全部済ませなくても大丈夫だからね?」
ルードランは、一旦、食料庫の確認に降りて行った。
この邸にも、魔法の掛かった貯蔵庫や、食料保管庫があるらしい。時の止められた食材庫には十年前の料理が、そのままの形で残っているとのことだ。
マティマナは、いそいそと四階から雑用魔法での掃除を始めた。丁度張りだしに居たから、まずそこから。
「そんなに汚れていないから、軽く魔法かけるだけで良さそうね」
ふわわっと、張りだしを包み込むように雑用魔法の掃除をまいてみる。以前より進化したのか掃除の魔法のなかに、随分と複数の細かい魔法が纏められていた。
「あら、なんて綺麗なんでしょう!」
魔法で掃除するまでもない、と、思えていた張りだし。だが、雑用魔法が包み込んだ後に現れたのは、別物のような真新しさ。建てられた当初は、随分と派手な外装だったようだ。
魔法で護られていても、海風に晒され摩耗したり汚れが染みついたり。それはそれで風情のある風格めいた素敵さはあった。だが、吃驚するような新品さになってしまうと、張りだしと室内を比較したときに慌ててしまう。
「ああ、これ、急いで、全部、お掃除しなくっちゃ!」
マティマナは不意に焦りを感じ、どんどん雑用魔法を撒き始めた。
踊りの練習をしていたという四階の広間を、雑用魔法は一気に包み込む。天井から、壁、柱、床、きらきらと光が目映く乱舞して纏いつく。備えつけの調度類、目立たない扉の向こうの物入れのなか。雑用魔法はどんどん入り込んで片づけ始めている。
四階には、目的の分からない小部屋も幾つかあった。それを一気に綺麗にすると、階段の柵や手すりを磨き、踏み板、蹴込み、接する壁、掃除しながら三階へと降りる。三階の廊下、たくさんの寝室、覗き込みながらどんどん魔法を放り込んだ。
「あれ、随分と、張り切って掃除したのだね」
二階から降りる階段を雑用魔法の光で包みながら降りて行くと、ルードランが吃驚顔で見上げている。
「なんだか、急がないといけない気がして」
「一休みしたほうが良さそうに思うけど?」
「あ、一階はわりあい綺麗でしたね」
そう言いながら、一階の広間に入って行く。雑用魔法は会話しながらも止まらない。やはり実際に綺麗にした上階と比べると一階も掃除が必要だ。
「食材関係は、全部無事だった。さすがに魔法が効いている領域は片づけも掃除も不要みたいだよ」
ルードランは、雑用魔法に塗れたマティマナの手を取る。
きらきらの魔法の光が、ルードランも包み込んだ。
「あっ、あゎゎ、雑用魔法が止まりませんっ!」
「わぁ、綺麗だね。それに、とても心地好いよ!」
驚いた表情ながら、ルードランは笑みを深めてマティマナを抱きしめる。
ルードランは、魔法を止めようとしたのか、勢いをつけさせたのか。
(魔気を使い過ぎているよ?)
ルードランが心に囁きかけてくる。
躍起になって掃除していたマティマナの心は、安堵する感覚で落ちついたが、ルードランの腕のなかで魔法が止まらないのは、なんだか別の幸福感だ。
笑みながら、ルードランは保管してくれている魔気を、マティマナへと流し込んでくれている。
なので、ますますふたりを巻き込みながら雑用魔法はあふれ続けた。
雑用魔法は一階だけでなく邸全体に拡がって行く。マティマナが急ぎすぎて見落としていたあちこちを包み込み、勝手に掃除を済ませてくれるようだった。






