竜宮船の人魚
エヴラールの声が断片的に空間に聞こえていた。
特に危険な気配ではないのだが、何か揉めてる? 言い争うでもないのだが、何事だろう?
工房にいたルードランとマティマナは、顔を見合わせる。
「大丈夫でしょうか? エヴラール博士……」
「怪異関係で何かあったろうか?」
魔法具や素材の整頓をしているメリッサも、空間に入っているので心配そうな表情だ。
(分かった、分かったから……っ)
誰かに向けるらしきエヴラールのヒソヒソ声が更に聞こえていた。
「人魚が、聖女に会わせろと言っている」
続いてエヴラールの声が、ディアートの喋翅空間に響き渡った。
「は? 人魚さんですか?」
マティマナは思わず声を返す。エヴラールは、怪異を見たようだが、小さい蛸や烏賊系の怪物だと言っていた。
「そうだ。竜宮船から来たそうだ。どうしても聖女に逢わせろと強行だっ」
「あああっ、ご無事ですか?」
強行らしき、人魚さんがまさか暴力を? と、マティマナは心配になって訊く。
「もちろん無事だ。要望を通そうとして人魚がくっついて離れないだけだ」
どんな状況なのか全く想像できないのだが、エヴラールと人魚という組み合わせは不思議としっくりくる。
「どこに行けば良い?」
ルードランが訊く。即座に行くつもりだろう。マティマナは素材を入れた籠を持ち、飾りと化している触媒を身につけた。
「浜辺にある帆を飾っている宿屋を知っているか?」
「知ってるよ。その近くで良いのかな? それならマティマナを連れて直ぐに行くよ」
「宿屋の海側だ」
「了解した」
ルードランは、話の途中からマティマナの身体を捕らえて抱きしめている。そのままルードランは、浜辺の宿屋近くへと転移していた。
潮風と、見覚えのある華やかに帆で飾られた岩礁の上の建物。マティマナはルードランに抱きしめられたまま、宿屋を見上げる砂浜にいた。何とか籠は手にできている。
「エヴラール殿は、波打ち際に居るようだね」
腕を解いて手を繋ぐと、ルードランはマティマナの手を引いて一緒に歩き出した。
エヴラールと、猟師が数人。濡れた砂浜に座り込んでいる。エヴラールの足を、半分海水に浸かった人魚が掴んでいた。
「エヴラール博士、人魚さんがお呼びだとか?」
「おおっ、王さまに聖女さま!」
エヴラールと一緒に波打ち際に座り込んでいたジルガが慌てて立ち上がって礼をする。
腕には、マティマナの魔法具。そのためか、波打ち際に座っていても着衣は濡れていないようだ。
「ああ、正しく聖女さま!」
人魚が波打ち際でジタバタしている。魚の尻尾が暴れて水飛沫をあげていた。
マティマナに近寄りたいのだろう。しかし、陸には上がれなさそうだ。マティマナは慌てて駆け寄り、手を繋いでいるルードランも駆ける。
女性の人魚で、癖のある長い黒髪は水に濡れているはずなのに、ふわふわと風に靡いていた。
「どうか、竜宮をお救いください!」
人魚は切羽詰まった響きで言う。エヴラールから聞いていたとおり、ちゃんと言葉は通じそうだ。
「竜宮船? 何か起こっているのですか?」
マティマナは、吃驚して訊いた。何かあったからこそ、海辺まできて聖女を呼びつけたのだろう。
「皆さんが付けている腕輪で、この陸地近くに聖女さまがいると知りました! 竜宮船は内戦状態です。宰相が姫を裏切ったのです」
人魚は慌てた様子で早口だ。
「何をすれば助けられるのかしら?」
マティマナは、思わず訊いた。このまま竜宮船に行けば済む、というのとは、ちょっと違う気がする。
「まずは、宰相側の怪異と戦うための武器と防具をお造りください! この皆さまの魔法具が造れるのでしたら、簡単なはずです」
「素材は? 何を使えば良いのかしら?」
「魚が良いです」
人魚は、するっと言った。
「ええっ! お仲間さんじゃないの?」
マティマナは、思わず声をあげる。人魚と魚とは、仲間のように思う。魚を素材にする、ということは、死んでいる魚を使うということだ。
「わたくしたちも、時に魚、食べますよ? さすがに化身しているものは、食べませんけど」
海の中で生きるものは、海のものを食べるらしい。
「魚……丸ごとがいいの?」
「いえ? 鱗とか、鰭とか、頭とか、尻尾、骨、飛び魚なら羽も良いですね。食べない部分を乾かすのが良いです」
小魚なら乾燥させて丸ごとでも良いですが、大きな魚ほど良いですよ、と、言葉が足された。
「ルードラン殿は、いつの間に転移ができるようになったのだね?」
隣でエヴラールがルードランとヒソヒソ話をしている。
「マティマナが一緒ならだよ」
「抱きしめないとダメなのかね?」
「そうそう」
上機嫌そうなルードランの声とは裏腹に、微妙そうなエヴラールの声。
「宰相さん側と、姫さま側って、味方の怪異が違うのかしら?」
もしパラバラに味方になっているのだとしたら、どの怪異が好意的なのか分からない。
「寝返って宰相側についているのは蛸型に、烏賊型、鮫型……あまり対話のできないものたちです。姫には、わたくしたち人魚型と魚たちですね。亀もいます」
うわぁ、対話のできないものたちのほうが戦闘力がありそうね!
マティマナは、戦々恐々だ。
「双方、海の魔法を使います。防具は海の魔法を弾くものが良いです。素材は魚。あ、これをどうぞ! 竜の鱗のように、聖女の杖に入れて触媒みたいに使えます!」
人魚は、そう言って、きらきら光る綺麗で大きな鱗状のものを差しだした。
「まぁ、すごく綺麗……! これは?」
「海竜の鱗です! たまに竜宮にお客さまとしていらっしゃいます」
「ありがとうございます! さっそく造ってみますね」
マティマナが応えると、ずっと切羽詰まった表情だった人魚は嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
「早く戻るといい。残りの打ち合わせは、私たちが引き受けよう」
エヴラールは、ルードランとマティマナを急がせている。たぶん、急を要するのだろう。マティマナとルードランが駆けつけるまでにも、色々と会話が交わされているはずだ。
「報告、宜しく頼むよ?」
ルードランはエヴラールへと念を押すように告げる。
当然だろう? と、エヴラールは応え、早く行くように手の動きで急かした。
ルードランはマティマナと手を繋いで歩き出し、途中で抱きしめながら転移した。






