噴水での幻影
魔法を撒いていない別棟があるといけないので端から確認しようと、中庭を抜けて行こうとした。
ルードランを捜していた幽霊の居た噴水が視野に入る。
マティマナは、惹かれるように歩み寄って行った。
水の流れは今日もとても美しい。水は、石垣が積まれたような池に溜まり、少しずつ小さな水路へと流れて行く。水路には、お洒落な橋がかかり、心安らぐ景色になっていた。
宝飾品の化身だった幽霊はもう居ないのだが、マティマナはなんとなく、水面の揺らぐ池へと魔法を撒いた。
すると、水面は一箇所、動きを留めたような凪となる。鏡面のようだ。
人が言い争うような声が聞こえ、水面に映る人影がだんだん鮮明になってきた。
ザクレスさま?
言い争うというか、悪口雑言を受けているのはザクレスのようだ。そして、喚くような口調の女性は、イハナ家令嬢ケイチェル。呪いの品をライセル家に持ち込んだ人物だ。
『なぜマティマナと婚約破棄なんてしたんですの?』
ケイチェルが言い募っている。
え? わたしの話?
『いや、だって、ケイチェルと結婚したいから』
すっかり勢いに飲まれた様子のザクレスは必死の形相だ。
『き~っ! あんたがマティマナを手放さなければ、わたくしに勝機はあったのよ?』
富豪貴族の令嬢とはとても思えないような、荒い仕草と荒げた声。今にも、殴りかかりそうな気配だ。
『えぇ。でも、俺と結婚の約束だったよね?』
納得できない、という表情のザクレス。
『そうよ。最終的にはね。でも、それには、わたくしがルードラン様の婚約者になる必要があったのよ』
『順番なんてどうでもいいだろう?』
『いやです。ルードラン様の身体を手にいれてくれればこそ、あんたと婚姻でも良いって言ってるのよ』
『うううっ』
『まずは、ルードラン様とのキッカケを作ってくれるって約束だったでしょう?』
……なんですって?
途中から頭が混乱して声が後から追いかけてくるように、脳裡に響き渡っていた。
ルーさまの身体をザクレスさまが手にいれる? なんの話なの、これ?
マティマナの心が極度にざわつく頃には、水面は元の揺らぐ池に戻っていた。姿も見えなくなったし、声も消えている。
ケイチェルがルードランの婚約者となり、ザクレスはルードランの身体を手にいれ、ふたりは婚姻……という計画だったってこと?
池が見せてくれたものは妄想などではなく、どこかで交わされた会話を映し出してくれたのだと直感した。
マティマナは余程深刻な表情をしていたのだろう。合流したルードランは、心配した表情でマティマナの手を引き、人の来ない控えの間へと入った。
どう話して良いやら混乱しつつも、視たことをそのまま話すのが最善だとマティマナは覚悟し、つっかえつっかえではあるが、最初から細かく話をした。
「なるほどね。僕の身体を乗っ取るつもりだったのか」
延いては、ライセル家を乗っ取るという計画だ。
ケイチェルに惚れ込んだザクレスは、ルードランの身体を手にいれライセル家も手に入れる。なんという無謀な企みに関わってしまったものだろう。
ルードランは、マティマナの視たものを、カケラの疑いもなく信じてくれた。
飾りをくれた幽霊が居た噴水なので、ライセル家を守るための情報として信憑性があったようだ。
「とんでもないことです」
「だけど、それだと、ザクレス君は元より、ケイチェルが主犯でもないね」
「そうなんですか?」
マティマナは気が動転してしまっていて視たままを話すので精一杯だった。ルードランの身体を狙っているということだけが、とても嫌な呪いの気配と重なって心を震え上がらせている。
だが、ルードランは何か別のことに気づいたようだ。
「ふたりとも、詳細は知らされていないような気がするよ?」
言われてみれば、ライセル家に呪いを持ち込むことで、美味しい分け前が貰えると懐柔された者たちの会話だったように思う。
「確かに、呪いを画策している張本人の会話とは、ちょっと違う気がしますね」
ケイチェルはルードランとの婚姻が目当てだ。後々にルードランの身体を手にいれたザクレスと婚姻するのでも良いと思っている。
そして、誰かが、ザクレスにケイチェルの婚約者となったルードランの身体を与えると約束した。
そのためには、ケイチェルはルードランと婚約する必要がある。
「ふたりとも傀儡だろうね」
ルードランは呟き、更に言葉を続けた。
「前にも少し話したけど、ザクレス君のジェルキ家と、ケイチェルのイハナ家、それとパーブラ家、三家が組んで何やら不穏な気配があるようなんだ」
マティマナにとっては因縁の三家だ。マティマナの父は、どうしても富豪貴族と縁を結びたかった。ログス家の近隣の富豪貴族としては、ジェルキ家、イハナ家、パーブラ家だ。ただ、イハナ家は娘ふたり、パーブラ家は、丁度良い年頃の男子がおらず、ジェルキ家には、年頃の男子がふたりいたから縁が結びやすかった。そして、マティマナとザクレスは親の決めた婚約者同士となった。
「三家のなかに、呪いを扱う者が居るのでしょうか?」
ジェルキ家は悪徳ではあるが、呪いとは縁のなさそうな富豪貴族だった。マティマナが知る限りでではあるが。
「僕の婚約者になって、ケイチェルは城を自由に歩き回りたかったのだろうね。僕に呪いを仕掛けるのも楽になる」
今、ケイチェルは来客として呪いの品を侍女に手渡すくらいしか、取る手立てがない。
計画では、呪い騒ぎのライセル家へ婚約者として入り込み、ザクレスをルードランの身体に入れる機会をうかがうところだったのだろう。
「ルーさまの身体を、手にいれようとするなんて。酷すぎます」
ルードランがザクレスと入れ替わってしまうなど、考えたくもない。マティマナは泣きそうな顔で呟いた。
「心配しなくても、もう僕を乗っ取るのは無理じゃないかな?」
焦燥するマティマナとは真逆で、ルードランはのんびりした口調だ。
「そうなんですか?」
マティマナは瞠目し、ルードランを見詰めた。
「うん。ライセル家由来の飾り、これが邪悪な魔法を弾いてくれてる」
耳縁に付けた飾りを軽く指差しながら、ルードランは嬉しそうに囁いて笑む。
お揃いの飾りで、ご満悦なだけでなく、何か魔法の波動を感じているようだ。
「それに、マティマナが、呪いの品を感じ取ってくれてるからね。僕は安全だよ」
更にルードランは、そんな風に言葉を続けた。
気を引き締めるようにしながらマティマナは頷いた。
代わりに、誰かが狙われるのかもしれない。バザックスもディアートも呪いで酷い目に遭った。だが、ライセル家の者である限り、再び呪いが仕掛けられる可能性はある。






