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崇徳院は恨みたい

崇徳院は保元三年(一一五八年)に鼓岡木ノ丸御所に移った。鼓岡という名前は、丘の頂上辺りで地面を叩くと、コツコツという鼓のような音がしたことが由来である。木ノ丸は木の丸太で造った御所との意味である。御所としては粗末な造りであった。崇徳院はここで六年間過ごした。


ホトトギスが鳴いていた。崇徳院はホトトギスの鳴き声から京を思い出して和歌を詠んだ。

「鳴けば聞く 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ 山ほととぎず」


崇徳院は後世菩薩の為に指から流した血で『法華経』『華厳経』『涅槃経』『大集経』『大品般若経』の五部大乗経を書写し、寺社に納める事を願った。ところが、後白河院の反対で願いが叶えられなかった。

「呪詛が込められているかもしれない」

後白河院は悪意に解釈して、崇徳院の五部大乗経を突き返した。

「日本国には仏罰が下るだろう」

崇徳院は後白河を恨んで叫んだ。

「この経を魔道に回向する」

崇徳院は血で書き記した。


崇徳院は流人生活で身を持ち崩していく。流人の辛い暮らしの中で恨みを募らせていった。爪や髪を伸ばし続けて夜叉のような姿になった。

「私は怨霊になるつもりはない。しかし、怨霊になったとしても、それを咎める者はいないだろう」

崇徳院は怨霊になることを決意した。しかし、自分の意志だけで怨霊になれるわけではない。誰かの協力が必要だ。

「誰か協力してくれる人はいないか」

崇徳院は協力者を探したが、誰も名乗りを上げなかった。

「仕方がない。自分でやるしかない」

崇徳院は一人で怨霊になるための儀式を行った。儀式には大量の血が必要だった。崇徳院は自らの舌を噛み切った。

「これくらいの血があれば、怨霊になれよう」

崇徳院は自らの血で誓状を書き付けた。

「日本国の大魔縁となり、永久に悪業を為すであろう。皇を取って民となし、民を皇となさん」

崇徳院は池に自らの首を落とした。その瞬間、雷鳴が轟き、雨が降り出した。


崇徳院が亡くなると讃岐国は葬儀をどうするか都の支持を仰いだ。その間に遺体は、湧き水につけられていた。遺体は腐ることもなく、まるで生きているようであった。その湧き水は「八十場やそばの霊泉」としてパワースポットになっている。


後白河は崇徳院の死を無視し、国司が葬礼を行った。遺体の帰京を許さず、遺体は白峯で荼毘に付された。焼かれた遺体からは紫色の煙が立ち上り、京の都へ向かって流れていった。白峰は五色台と呼ばれる山塊の一つ。陰陽五行説に基づいて紅ノ峰、黄ノ峰、青峰、黒峰、白峰がある。崇徳院は讃岐院と呼ばれ、上皇としてのまともな号も贈られなかった。


崇徳院は後白河の前に現れた。後白河は驚いていた。

「崇徳院よ。なぜ、ここにいるのだ?」

「私は怨霊となって、この世に戻ってきたのです。今や、この身は怨霊そのものなのです」

「何と恐ろしいことだ。これは大変なことになった」


安元三年(一一七七年)に安元の大火が起き、京の三分の一を灰にした。同じ年には延暦寺の強訴や鹿ケ谷の陰謀も起き、崇徳院の怨霊の祟りと考えられるようになった。朝廷は讃岐院の院号を崇徳院に改めた。山城国愛宕郡粟田郷に崇徳院御影堂を建立した。



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