崇徳院は林田郷に落ち着きたい
藤原頼長は白河殿から脱出するが、敵兵の放った矢が刺さり、重症を負った。奈良にいた父の忠実のところに逃げるが、拒否された。
「父上。どうして、こんなことになったのでしょうか?」
「それはお前が関白になれなかったからだ。関白として君臨できなかったからだ。あの憎き信西め!」
「しかし、私は関白になるつもりだったのです。そのための努力もしました。なのに、結局なれなかったのです。それどころか、逆に失脚してしまったではありませんか?」
「確かにそうだな。だが、それがどうしたというのだ? お前は運がなかっただけだ」
「それにしても、このままでは済まされないな。そうだ! 怨霊に呪い殺してもらうというのはどうかな?」
「えっ!?」
「そうだよ。怨霊に呪い殺してもらえばいいんだよ。そうすれば、お前の無念さも少しは晴れるのではないか?」
「そうだよ。怨霊に呪い殺してもらえばいいんだよ。そうすれば、お前の無念さも少しは晴れるのではないか?」
「いや、ちょっと待ってください。そんなことをしたら大変です」
「何を言っているんだ? 怨霊なんだから、当たり前だろう」
「いや、怨霊といっても色々ありますからね」
「たとえばどんな怨霊がいるというのか?」
「菅原道真とか平将門とかですか」
「なるほど。そういう手があったか」
「私が死んだら、この世はどうなってしまうのか。この世が乱れるのは私のせいなのか」
頼長は傷が悪化して絶命した。
白河殿から逃れた崇徳院は投降を決意し、剃髪した。
「これで私も安心して出家できますよ」
「私も同じ気持ちだよ」
「これからどうします? また、政治に関わりたいと思いませんか?」
「いや、もういいかなあ。私は権力争いから身を引くことにする」
「私も賛成ですね。これ以上、面倒事に巻き込まれるのは嫌です」
「では、そういうことにしよう」
薬子の変で敗れた平城上皇は出家することで、平城京に隠棲して手厚い待遇を受けて余生を送ることができた。崇徳院は、その先例に倣おうとした。しかし、後白河天皇や信西の崇徳院への警戒心は強かった。崇徳院は讃岐国に配流となった。天皇の地位にあった人物の流罪は約四百年ぶりであった。
「朕は前世において、讃岐守であった。だから、讃岐への配流など恐れることはない」
崇徳院は言った。
崇徳院は七月二三日に鳥羽から讃岐国司藤原季行の用意した船で淀川を下って海に出た。播磨国や備前国の海岸沿いに瀬戸内海を西へ進み、讃岐国阿野郡の松山の津に到着した。
讃岐国では御所の準備ができておらず、林田郷にあった国府役人の綾高遠の館を仮の御所とした。
「ああ、やっと静かに暮らせる」
崇徳院は都を懐かしんで歌を詠んだ。
「ここもまた あらぬ雲井となりにけり 空行く月の影にまかせて」
この歌から仮の御所は雲井御所と名付けられた。雲井御所近くに流れる綾川を鴨川と呼んだ。現在でも綾川は鴨川と呼ばれる。崇徳院は雲井御所に三年間過ごした。
「朕の前世は讃岐守であったから、讃岐で死ぬことになるのだろうか」