藤原純友は反乱を起こしたい
東国で将門が反乱を起こすと、純友も瀬戸内海で海賊を率いて反乱を起こした。純友は天慶二年(九三九年)、部下を集めて、今後の方針を話し合った。
「今こそ、決起する時だ。まずは伊予を出る必要がある」
純友は部下達に告げた。
「承知しました」
部下達が同意した。
「それから、他の連中とも協力する必要がある」
純友は配下の者達に声をかけた。
「はい。分かりました」
「ところで、どこへ行きますか?」
「摂津国へ向かうことにしよう」
純友は部下を引き連れて、摂津国に向かった。純友が瀬戸内海を渡って摂津国に上陸した。摂津国須岐駅で備前介の藤原子高を待ち構えた。
「待っていたぞ、子高」
「貴様は……?なぜ、ここにいる?」
「冤罪を晴らすためだ」
「そうか……。ならば、戦うしかないな」
二人は戦闘態勢に入った。
純友は刀を抜いて構えると、斬りかかった。
「くたばれっ!」
純友は刀を振り下ろしたが、子高は余裕でかわす。子高は刀で反撃した。
「うぐぅ……。なかなかやるではないか」
純友は後退りした。
「当たり前だ。伊和大神の御加護があるからな」
「何を訳の分からないことを……。神がこんなところにいるはずがなかろう」
純友は嘲笑した。
「それはどうかな?」
子高は刀を構え、一気に間合いを詰めてきた。
「死ねぇーっ!」
子高は渾身の力で突き刺そうとした。しかし、子高は攻撃を外してしまった。
「しまった……」
子高は体勢を崩してしまう。
「隙ありだ!」
純友は好機を逃すまいと攻めかかり、遂に子高を殺害した。
「やったぜ!」
純友達は歓喜の声を上げた。
将門と純友が共謀して反乱を起こしたのか、別々に反乱を起こしたかは議論が分かれる。
共謀説は将門と純友は比叡山で「将門は王孫なれば帝王となるべし、純友は藤原氏なれば関白とならむ」と盟約したとする。比叡山には「将門岩」と呼ばれる岩が存在する。但し、将門を王として純友を関白とする国を作ることは現実的ではない。東国は将門、西国は純友が支配するという分割の協約になるだろう。
これに対して共謀はなかったとする説が有力である。将門は計画的に反乱を起こそうとしておらず、反乱に追い込まれた形であった。幸田露伴『平将門』は以下のように指摘する。
「将門の方は私闘――即ち常陸大掾国香や前常陸大掾源護一族と闘つたことから引つゞいて、終に天慶二年に至つて始めて私闘から乱賊に変じたのである。其間に将門は一旦上京して上申し、私闘の罪を赦されたことがある位である、それは承平七年の四月七日である。さすれば純友と将門と合謀の事は無い」
しかし、共謀がなかったということは別々に反乱を起こし、たまたま同時期に重なったということを意味しない。純友は将門の反乱を好機として反乱を起こした。