藤原純友は海賊になりたい
純友は地元民の苦しい生活を聞いた。当時の民衆は国司からの重税や労役に苦しめられていた。
「わたしは自由になりたいだけなのよ。だって、いまのままじゃ、とても不自由ですもの」
この言葉が印象的であった。この台詞には本音が包み隠さず表れている。権力や権威など糞喰らえと思っている人は大勢いるだろうし、その気持ちはよくわかる。だが、それを口にすると非難される。
純友は伊予国日振島を拠点に瀬戸内海の海賊の棟梁となった。純友は配下に呼びかけた。
「これからは海の時代が来るぞ!俺と一緒に天下を取ってみないか!」
部下達は大いに奮い立った。しかし、純友に反感を持つ者もいた。
「俺は純友さんのような乱暴者は嫌いだ。今のうちに始末してしまおうか……」
そのようなことを言っている者がいた。純友の部下の中には、純友の強引なやり方に反発する者もいた。純友はそれに気がついて、部下達の不満を取り除こうとした。
「君達は私のことを嫌ってもいい。だが、私に従っていれば、必ず良いことがあるだ。私は君たちに悪いようにはしない」
しかし、純友の言葉を信じなかった者も多かった。そんな彼らに対して、純友は次のような言葉を残している。
「私は自分の言葉を曲げない。もし、それでも信じないというなら、勝手にするがいいさ」
この言葉の通り、純友は自分の信念を貫き通すことになる。
純友は承平六年(九三六年)には千艘を組織する海賊の頭領となっていた。純友のように中央の貴族社会から脱落し、朝廷のあり方に不満を抱いていた官人層が次々と海賊に合流していった。純友は瀬戸内海一帯の海賊達を束ねる存在となっていった。純友は瀬戸内一帯を支配して、莫大な財力を有するに至った。
純友が勢力を持つと朝廷は弱腰になった。
「何!? 純友を捕まえろと言うんですか?」
「『純友は瀬戸内海で暴れているので、早く捕まえないと大変なことになる』と訴えています」
「馬鹿を言うな。あれは純友の仕業ではない。純友の配下の者がやったことだ」
「それでは純友は無実ではないか。なぜ、捕まえる必要がある?」
「それがですね……。純友の配下の一人が『純友の命令でやった』と言っているそうなのです。別の純友の部下は『自分は純友の配下ではなく、純友の弟である』と名乗っています。ですから、弟さんが純友の代わりに罪を被ろうとしているのではないかと……」
「どういうことなんだ?」
「とにかく、純友は危険人物なので、早く捕まえる必要があります」
「そう言われても困る。私にはどうすることもできない。私は純友の処分について何も聞かされていない。純友が本当に犯人かどうかもわからない。だから、純友の罪については知らないとしか言えない。純友の罪状がはっきりするまでは手出しはできない」
「しかし、純友を放置しておくと大変ですよ」