第1章 召喚されたら全裸でした(俺以外)
安心してください。履いてますよ。(今は)
子供の頃に集めていた大事なものはいつの間にか擦り切れて小さくなっていて、空いた隙間に何かを詰めて誤魔化していく。そうやって人は大人になっていくんだな、なんて考えながら。でもこのときの俺はまさかそんなものを無くす日が来るだなんて全然想像もしてなくて。無くしてしまえば意外とこんなもんだな、なんて星空の下大きく伸びをしてみたら冷たい風が全身を撫でていく。
さて、とこから説明したものか。
これは俺が大事なものを失うまでの物語だ。
■第1章 召喚されたら全裸でした(俺以外)
コンビニバイトの夜勤を明け、眼をしょぼしょぼさせながらいい加減くたびれてきたボア地のパーカーのポケットに手を突っ込んだままレジ袋を腕に引っ掛けてトボトボと歩いていた。
不意に何かを踏み抜く感触がして、気づいた時にはどことも知れない真っ暗闇の中を真っ逆さまに落ちていた。
徹夜明けの頭はまともに動いていなくて、ぶら下げていたアルコール度数お高めの酒が入ったレジ袋を思わず胸元に抱き寄せていた。
ただあわあわと慌てながら落ちるに任せていると、落下感は唐突に終わった。丁度エレベータが目的地に着いたみたいな感覚だった。
しばらく呆然としていたが、後ろから声を掛けられ慌てて振り返る。
「何で全裸」
無意識で口から出てきてしまったが責めないでもらいたい。誰だって突然全裸の女が後ろに立っていたらそう言っちゃうだろう?
「い、いかにも私はこの辺境を治めるラ族の族長、フィアナ・ゼン・ラ・ハイテナイです。どこかでお会いしましたか?」
裸の女、ちなみに俺より若い、ちょっと幼く、そうだな、だいたい高校生ぐらいの、女の子は驚いた顔でそう言った。
「いや会ったことないです。初めてだと思います」
化粧気もなくおとなしい感じではあるが控えめに言って俺の感覚からすれば美人と言っていい少女の裸が目の前にあるので、思いっきりしどろもどろになりながら目を泳がせることしかできなかった。
そうして視線を彷徨わせると、俺が置かれた状況が少しだけ分かった。いや、嘘だ。よくわからない。
魔法陣のようなところに立つ俺、脇に置かれた謎の祭壇、そして魔法陣を取り囲むようにずらっと並んだ全裸の男女約十名。
あ!これ漫画とかで見たやつだ!全裸ではなかったけど。
「族長様、これは成功なのでしょうか」
周りを取り囲む一人の全裸が進み出て言った。自己紹介の通り族長と呼ばれた全裸の女は小さく首を傾げながらちょっと困ったような様子で俺の方を見ている。
「肌の色も妙に灰色がかった妙な模様になっていますし、我々とは違う種族の人間であることは間違いないと思うのですが」
別の全裸がそう進言する。
「とりあえず彼の話を聞いてみましょう。幸い言葉は通じるようですから」
小さく咳払いをすると全裸の女(俺以外全裸なんで分かりにくいが最初に俺の目に入ったやつだ)が俺の手を取る。すべすべだった。
「そうですね。まずはお名前をお聞かせ願えますか?先程も名乗りましたが私はこの部族を率いるフィアナと申します」
ぺこりと優雅に頭を下げれば長い髪がサラサラと谷間を滑ってたらりと落ちる。いや、余裕ぶってそんなふうに考えているフリをしているが俺の目線はそんな所にはない。先っちょ、そう、先っちょだ。白い肌に浮いたそれにどうしても目が行く。これがアニメだったら謎の光でも眩しくて何も見えなかったところだがそんなことないんだな。
「勇者様?」
慌てて視線を上げると、少女、フィアナは不思議そうな顔をこちらに向けていた。
「え?勇者って俺のこと?」
マジで漫画とかで見たシチュエーションてことなの?これは夢?二十歳にもなって恥ずかしくない?夢なら早く覚めて!いや、でも全裸はもうちょっと拝んでおきたい気も…
「はい。お名前をお聞かせ願えますか?」
「あ、ああ、はい。寝息緋色です」
「ネイキヒイロさま」
「あ、ああ、ネイキと呼んでください」
とりあえずもう少し付き合っても問題はないだろう。男たるものこうどっしりと落ち着いて受け止めなければならぬ。
「俺は、なぜここに?」
「ああ、そうですね。まずはそれを説明させていただきます。今、私達の国は大変な危機に晒されているのです」
困った顔もかわいいな。
「危機、ですか」
「はい。この国の東には仇敵である『世界の敵』が何千年も居を構えているのですが、最近は特に勢力を強めていて、先日ついに国境を守る砦がひとつ、陥落してしまったのです」
女の子、フィアナちゃんが手を挙げると、奥から女性が地図を持って歩いてきた。広げられた地図を見ると、少なくとも地球では無さそうな地形だな、とは思ったが距離感とかは全くわからない。地球のどっかの島かもしれない。そんなことよりも地図を持ってきてくれた人も当然のように全裸だった。
「大変ですね」
要は戦争状態にあるということだな。それだけは理解した。
「ええ。この危機に際し、我が家に伝わる書庫を調べていると、かつて女神さまによって異世界から呼ばれた勇者が精霊様に授かった【ヨロイ】を【キ】て戦い、世界の敵を退けた、という記述が見つかりました。解読できていない部分も多いのですが、記述の中から勇者を召喚する術を復元できましたのでダメ元で試してみたのです」
「ダメ元って、こっちにも生活があるんですけどね?」
「そこは申し訳ありません」
そんな全裸でしょんぼりされたらこっちがめちゃくちゃ詰めてるみたいで逆に申し訳なくなってくるんだけど。ああ、そういえば週末にライブのチケット取ってあるんだけどそれまでに帰れるんだろうか?
「帰還する手段は?前任者?はどうなったのか古文書には?」
「書いてありません。前任者は世界の敵と相打ちになって亡くなったとあります」
むう、思ったより危険度が高い。召喚勇者のチート能力で楽勝ってパターンじゃないの?帰れるかどうかもわからないっていうのはなかなか厳しい条件だな。
「…ちなみ、召喚ってどういう風にやるの?」
「はい。祭壇に贄となる特別な酒と果物を捧げ、呪文を唱えるのです。【女神様、女神様、勇者を一人よこして下さい】と」
なんだかすごい投げやりな感じの呪文だなぁ。
「古文書にほかの呪文は?」
「いくつかありますが、贄とする供物との組み合わせが重要だと我々は考えています。呪文自体は女神さまに起こしてほしい奇跡を直接お願いするような感じです。ですが、我々が再現できたのは勇者召喚の呪文だけです」
「なるほどね」
俺はふと、抱きしめたままになっていたレジ袋を思い出した。家に帰ってからの俺の一日の締めくくり、頼れるストロングなやつと、ポテチ。
その二つを横にあった祭壇に置いてみる。祭壇には小さな魔方陣が描かれていて、酒を置いたら淡く光った。
全裸の一団がざわついている。
「す、すごい。古文書で解読できた勇者召喚に用いる特級位階供物以外には全く反応しなかった魔方陣が…!」
なんとなくこの女神様とやらが酒瓶抱えて完全に出来上がている姿を幻視するんだが気のせいだろうか?女神様とやらは水の女神じゃないだろうな?
「試してみても?」
「え、ええ。古文書によるとその青白い光は第四位階、女神様が直接力を揮うことはできませんが、神託を受けることができるとされています」
「神託、ね。質問に答えてくれるってことかな」
「恐らくは。」
少し考える。たまたま手持ちのストゼ〇とポテチが供物認定されたが、今後こんな機会はもうないかもしれない。ここは慎重に質問を選ばなければ。
……よし。
「【女神様、女神様、勇者をもとの世界に返す方法を教えてください】」
「女神様の言葉がわかるのですか!!?」
フィアナちゃんが驚いている。正直何のことかわからないがそんなにアクティブに動かれるとプルンプルンして気になっちゃうんだけど…。
「呪文は女神様の言葉で伝えなければならないのです。私も専門家ではありませんが少しは齧った身、今の勇者様のお言葉は女神様の言葉になっていたように思います」
フィアナちゃんが目配せした初老の男(もちろん全裸)も、何やら重々しく頷いている。女神語とやらの専門家だろうか。これはあれだ。召喚物でよくある「なぜか言葉が通じる」ってやつの応用だ。俺は深く考えないことにした。
ややあって、ぱかんっ、と勝手に500ml缶のプルトップが開く。じっと見守っていたので全員でビクッとしてしまった。
続いてポテチが勝手にパーティー開けになって、もりもり減っていく。結構シュールな見た目だ。
ポテチが全部がなくなったころ、ぴらり、と紙が一枚、部屋中央の大きな魔方陣に舞い降りた。
それをフィアナが拾い上げる。おしりを突き出したそのポーズはまずい。全裸なんだぞ。どうなっても知らんぞ?(俺が)
そんな俺の葛藤と孤独な戦いはさておいて、紙は先ほどの初老の男に手渡され、吟味される。
「神託が出ました。【勇者の務めを果たし、ハイボールと唐揚げを捧げよ】。…何か特別な供物が必要なようですね。【ハイボール】、【唐揚げ】、こちらについては我々が調べておきましょう」
うーん、これは、どうやら神託の内容が女神語で、この人たちの言葉にはない語彙ということなんだろうか。俺には爺さんが読み上げた神託の内容が理解できている。
「ウィスキーって手に入る?あと炭酸水。鳥の肉とか食べる文化あるかな?主食は小麦?芋?」
「え?ウィスキーはあります。【炭酸水】はわかりません。鳥の肉はよく食べます。主食は小麦を食べますね」
なんとなくだが女神様とやらの思考が見えてきた。こいつ、俺を使ってこの世界にないカクテルや料理をお供え物にさせるつもりなんじゃないだろうか。あと、帰せると明言されていないのも地味にポイントが高い。邪神感がある。帰せるとは言ってませーん、とか、次々といろんなカクテルと料理を要求されたりとかするパターンだ。とはいえ俺にはやらないという選択肢がないわけだが。
「あ、もう一枚神託が出ましたね。これは私にも読めます。レモンも捧げよ、だそうです」
唐揚げにレモンかける派か。どうやら仲良くできそうにないな。
しかし何の因果か、異世界に呼び出されてしまった俺はどうやら世界の敵とやらを倒し、ハイボールと唐揚げを作らなければならないようだ。この脈略のなさ、まだ「夢である」説を捨てきれない自分がいるが、ちょっとワクワクしている自分もいる。
神のお告げに従ってやるかやらないかで言えば、今のところ俺はやる気だ。裸の女の子に頼まれたからじゃない。本当だよ。
「世界の敵とやらとの戦いを始める前に、最後に一つ教えてくれ。こんなことを聞いていいのかわからないんだが…」
「はい、なんでしょう?」
ざっと周りを見回して。
「なんで服着てないんですか?儀式に必要なのかと思えばそうでもないみたいだし」
そして、その答えは俺の予想とは全然違うもので――
「【フク】って何ですか」
フィアナちゃんはそう言って首を傾げるのだった。