第八話 ヒロイン役から逃げたい私は、イベントに遭遇しました
本日も一話更新です。
第二王子であるナルディスのイベントが終わった後から、ミリアに声を掛けられることがなくなったため、心が少し浮き足立っていたのかもしれない。「その油断が命取りだ」なんて言葉を今更思い出す。
昨日、お兄様から昼食時に一緒に食事をしないか、とお誘いをいただいたのだ。最近多忙だったお兄様に会えるのは嬉しい、と天にも昇る心地だったのは否めない。逸る気持ちが食堂への近道である庭園へと足を向かわせた。
そしてそこに居たのは、黒髪の男、ボリック・ルーゲンだった。
もし庭園をそのまま通り過ぎれば、彼と話すことなどなかったのかもしれない。
だが、所詮「もし」……IFである。
実際私は足を止め、初めて見る庭園を見回してしまった。そしてバッチリとボリックと目があってしまったのだ。
そこで私は気づく。好感度上げのイベントが始まったのではないか、と。
「君は……?」
ゲームであれば、「君は……確かレクシー嬢だね」と名前を呼ばれるはずだが、彼との出会いイベントを躱している。だから、彼は私の事など知らない……はずだった。
「ああ、ムーア男爵令嬢か」
名前を認識されている、その事実に鳥肌が立つ。私なんぞ単なる男爵令嬢だ。しかも元平民の。何故この人は名前を知っているのだろうか……
少し怖くなり一歩後ろに下がるが、ふと思い出す。これはボリックの二回目のイベントだと。
イベントの内容を思い出して無言でいる私の様子などお構いなしに、彼は次の言葉を紡いだ。
「私は令息や令嬢の顔と名前をほぼ覚えている。……そんな時に見たことのない君が現れた。つまり最近貴族になったと考えられる。ここ半年で貴族になったのは二名、一人はミリアだから……君がムーア男爵令嬢だと判断した。君は平民上がりの割りに、筋が良いと聞いている」
眼鏡に手を掛け、少し身体を斜めにし、顎を上げた状態で私を見下ろす。言葉よりも態度が既に私を見下しているように見える。それに聞いてもいないのに話し続ける彼は、何様……いや、宰相の令息様だった。
ドヤ顔の表情から、「俺凄いだろう?」という褒めてオーラがダダ漏れである。
確か、このイベントはミリアと二人で庭園に来た時のイベントだったはずだ。出会いイベントではミリアは少し遠くにいたので、彼ら攻略対象たちの目には留まらなかった。
だが、今回のイベントではミリアと主人公が食堂へ行くために、庭園を抜けようとしたところ、丁度本を読んでいたボリックと目が合うのである。そのボリックは、主人公に話しかけた後、主人公の隣にいたミリアの素性を当てるのだ。
先程のように何故彼女の素性を当てられたのかを語り、主人公は「勉強家ですね」と褒める。その褒めた時の偽りのない素直な感想が彼の心に響くのだ。
父にも母にも諭されていたこの行動と態度を受け入れられた、と彼は感じて。
「この上から目線の態度が好きなの!」という人も居たらしいが、ゲームの中だから許せるのであって……リアルでは(以下略
しかも放っておいてくれれば良いものの、彼は私の目の前に陣取った上に喋り続けており、一向に庭園を通らせてもらえる気配がない。どうしよう。
ボリックは残念ながらこちらを見る気配がない。此方が困惑している事にも気づかないようだ。ゲームで見たらそれ程気にならなかったけれど……言ってしまえば、空気の読めない男なのだろう。
いつ終わるか分からない話に当惑しつつも、無理やり笑顔を作るしかない私。そんな私の苦行は唐突に終わりを告げた。
「ボリック、話しているところ悪いけれど、妹を返してもらえないかな?」
後ろから声が掛り、私が左後ろを向くのと同時に左肩に手が置かれる。そこに居たのはお兄様だ。
「お兄様?」
「いつまで経っても来ないから、探しに来たよ」
肩に置かれた手はいつの間にか外され、代わりにお兄様は左手をボリックに向かって挙げていた。ボリックの目はまん丸に見開いており、口も半開きである。ちなみにお兄様はとても爽やかでいて、他の女性が見たら見惚れてしまうのではないかという妖艶さを隠した……そんな笑みを彼に向けていた。
「マーク先輩……」
「で、返してもらっても大丈夫かい?」
「は、はい……」
ボリックの顔は段々引き攣り始め、最終的には猫に追われた鼠のように縮こまっている。ちなみに私はその時、顔色が変化するボリックを見て、何故顔色が悪くなるのかが分からず首を傾げていた。
会話が終わるとすぐにボリックは、読んでいた本を持っていた鞄に仕舞い、逃げるように庭園を出て行った。これは好感度も何もあったものではない。だって、私は一言も喋っていないのだから……お兄様グッジョブ!
ありがとうの意も込めてお兄様に笑顔を見せると、お兄様も微笑み返してくれた。だが、「他の男にそんな可愛い笑みを見せちゃいけないよ」と言われたのは、何故だ。ヒロインだから外見は中の上くらいかもしれないけど、中身はコレだからなぁ……
「また何かあれば言うんだよ?さて、昼が終わってしまうから、食堂へ行こうか」
「はい、お兄様」
私たちは微笑み合いながら、少しだけ早歩きで食堂に向かう。私の心中では好感度上げイベントが多分回避されたであろう喜びと、今後は油断しないようにとの戒めを感じている。
だが、ここで私は気づけなかった。
ボリックとのイベント、それを一部始終見ていた彼女がいた事に。