第十八話 ヒロイン役から逃げたい私の、クライマックス
昼はクラスの友人と、放課後はグレース様と共に生徒会室に籠り仕事をする。そんな事を続けて数ヶ月。その頃にはグレース様がミリアを虐めていると言う噂も鳴りを潜め、束の間の平穏を取り戻していた。学年末試験も終わり、グレース様も私も学年で片手に入るほどの成績を修める。ちなみにミリアは赤点ギリギリだったようだ。
そして義兄様とルーベン殿下の卒業式が始まる。
最初は義兄様やルーベン殿下に手伝ってもらっていた生徒会だったが、後期も半分過ぎた頃に選定を行い、私とグレース様以外にも何人か生徒会に所属してもらう事になった。
私たちが生徒会で仕事をこなしている間、結局彼らは女性禁制のサロンでいつも遊び呆けていたらしい。いつの間にかシュニッツ先生もその仲間に加わったとのことだから、ミリアは逆ハーレム、ただしルーベン殿下除く、を成功させたようだ。彼女は毎日満面の笑みで過ごしており、周囲の娼婦を見るような目に気づいていない。
だから、在校生が卒業生を祝うための卒業式後のパーティで婚約破棄ができるのだ。
「グレース・ウォール公爵令嬢と婚約破棄をする」
準備も終わり、私たち在校生は卒業生が登場するまでの間、束の間の歓談を楽しんでいた。そんな中、第二王子が卒業生の皆様のための壇上でミリアと取り巻きを引き連れて婚約破棄をし出す。残念ながら、本当にゲームのように婚約破棄をするらしい。九割方婚約破棄があることは分かっていたのだが……もう少し時と場所を考えて欲しいものだと思う。私は生徒会のメンバーとグレース様の元にいたが、他のメンバーも頭を抱えそうになっていた。
第二王子に名指しされたグレース様は背筋を伸ばし堂々とした佇まいで、第二王子を見つめている。正直あの立場だとして断罪されると分かっていた状態だったとしても、私だったら手が震えるに違いない。グレース様は堂々と彼らに対峙しており、その姿がまた美しい。
一方で第二王子や彼の後ろに控えている取り巻きたちは、高慢ちき(に見える)グレース様を断罪するのが楽しみなのだろうか、意気揚々とした顔で彼女を見下している。
「婚約破棄……承知いたしました。ですが、このような場で大々的に話を進めるのは如何なものかと存じますが?」
グレース様の立場に私がいたら「この場で婚約破棄するなんて馬鹿じゃないの?」と言っていると思う。乙女ゲームでなら許せるけど、リアルで婚約破棄は……ため息しか出ない。
「ふん、グレース。お前が逃げられないように、彼女に対しての無礼を周知させようと思ってな。彼女は将来の王妃だ。謝罪してもらう」
第二王子は後ろに隠れていたミリアに目をやると、彼女は嬉しそうに頬を染める。その姿に第二王子以下取り巻きたちは、鼻の下を伸ばしていた。その姿に周囲の令息や令嬢たちは、呆れ顔だ。
「……そうですか。彼女が将来の王妃ですか……どちらの国の王妃になられるので?」
「「「は?」」」
グレース様の言葉に第二王子と取り巻き、そしてミリアが揃って声を上げた。その声を聞いて理解する。第二王子は王太子になる条件を知らないようだ。「第二王子の耳は都合の良い事しか聞こえないお耳ですからね」とグレース様は言っていたが、本当にその通りである。
「何を言っている?この国の王妃になるに決まっているだろう?」
「そうでございますか。ミリアさん、王妃になれると良いですね」
あくまで他人事だというスタンスを崩さないためか、笑顔で「頑張ってください」と話しかけるグレース様。勿論、その笑みの裏では「無駄でしょうけど」と一瞥しているに違いない。
頃合いを見計ったのか、「グレース様」と侍女が彼女を呼ぶ。侍女の手には、婚約破棄(解消)に必要な書類が用意されている。流石グレース様。仕事が早い……
「私の署名はもう既に記入しております。あとは殿下の署名があれば、婚約解消が可能です」
書類を奪い、すぐさま署名欄に記入する第二王子。書類には様々な記載があるのだが、彼は全く見ていない。婚約破棄をするのが先決だと思ったのだろうか。でも本当にそれで良いのかな?
「これでいいだろう?」
「はい、ありがとうございます。では」
グレース様は婚約解消の書類を手渡すと、グレース様付きの侍女はすぐに書類を持って会場の出口に向かっていく。王宮に勤めているウォール公爵になるべく早く渡すためだろう。
話は終わったと言わんばかりにグレース様は、彼らに背を向け楽団の指揮者に目配せをしようとしたところで--
「待て。まだミリアに対する無礼の謝罪が行われていないのだが」
「私が無礼を……でしょうか?」
「ああ、お前がレクシー・ムーア男爵令嬢を使ってミリアに嫌がらせをしていた事だ!していないとは言わせないぞ!ムーア嬢とともにミリアに謝罪しろ!」
……ん?私?私が彼女をいじめていたって?……そんな噂があったの?!
聞いたことがある噂は、「グレース様がミリアを虐めている」という噂だけだ。それもサリア侯爵令嬢たちとの会話の時に聞いただけである。もし何かあればグレース様だけでなく、クラスメートが私に言ってくるはずだし、義兄様も教えてくれるはずだ。
そう困惑していた私を、周囲の参加者たちが一斉に私を見る。その視線には軽蔑や興味など……様々だ。そんな目線に狼狽ていると、周囲の視線を遮るかのように、私の目の前には二人の人物が現れ、私を守ってくれたようだった。一人は勿論、グレース様。澄み渡る空のような綺麗な水色のドレスに身を包み、周囲の人間に鋭い視線を送る。そしてもう一人は--
「大丈夫かい?レクシー」
義兄様だ。
義兄様は顔に笑みを湛えている……湛えているのだが、目は笑っていない。絶対零度の冷たい目で周囲を見回していた。その目に野次馬でこちらを見ていた参加者は、必死に目をそらす。義兄様を敵に回してはいけないと悟ったのだろう。
周囲の目線で狼狽そうになった私も、すぐに目の前にいるグレース様、義兄様と目が合う。義兄様の目を見て、不思議と心が落ち着いた私は、「何の事でしょうか?」と首を傾げる。
「彼女も貶めるのですか……殿下、ではその証拠はおありで?」
グレース様は注目されてしまった私を第二王子たちから隠すように、私の前に陣取る。ちなみに反対側は義兄様が隠してくれた。二人のその背中はとても逞しい。
--義兄様、本当に格好良い。義兄様でなければ、私はきっと好きになっていたと思う。グレース様は正直女性にしておくのが勿体ない、と思ってしまったくらいときめいてしまった。やはりデキる女は素晴らしい。なんて場違いな事を考えていた。
一方でできない代表の男たちは……
「ミリアの証言だ。あと破かれたノートや壊れた時計なども証拠として取ってある!」
「後はミリアが嫌がらせをされた時、俺らがムーア男爵令嬢っぽい女性が去っていくのを見た」
「私がその時の事をノートに詳細に記しておきました」
「僕もミリア嬢が負傷して保健室に来た時のことを話せるよ」
ナルディス、ノーキン、ボリック、そしてシュニッツの言葉である。証拠と言ったら物的証拠でしょうに。物的証拠が無いと罪を暴けないことは、前世の記憶を思い出す前の平民だった時のレクシーだって知っているのだが……つまり状況証拠しかないと言うことだろう。
「そうですか。状況証拠と証言のみで罪に問おうとするとは、王族のして良い事だとは思いませんが……では、僭越ながら私からよろしいでしょうか」
グレース様を無視して話し出そうとする第二王子。その声を遮るように彼女は凛とした声をホールに響かせた。
「殿下、殿下に『王家の影』がついている事はご存知ですよね?」
グレース様から影について問われた第二王子の顔色が段々と悪くなっていく。……あれ?もしかして第二王子は影がついていることを忘れていたのか?本当にこの国の王族は大丈夫なのかしら?……ルーベン殿下以外。
第二王子は青い顔をしながら「も、勿論だ!」と言っているけれど、第三者から見ても慌てている様子だ。ミリアと関わってから表情筋も豊かになってしまったのですね……今の第二王子はまるで平民のよう。
第二王子が動転している様子など気にも留めないグレース様は、話を続ける。話を聞いている周囲の生徒の中には、グレース様が何をしたのか理解した人もいるのだろう。目を輝かせて感動している人もいる。
「実は私がレクシーさんと仲良くしていた頃に、国王陛下にお願いを致しまして、私とミリアさんとレクシーさんに王家の影を付けてもらったのですよ」
「なんだと……?」
王家の影は、国王陛下に絶対忠誠を誓っているため、国王陛下以外の貴族は彼らを動かす事ができない。国王陛下直属の部隊である。そのため影の報告は正しいものとして扱われていると以前習った事がある。しかし、私に付けているとは思わなかった……予想では、グレース様が私にヒロイン役を依頼した後からだろう。
「ミリアさんは、私の婚約者であった貴方と仲睦まじかったのですよ?何か裏でもあるのかと思いまして、陛下に進言して付けてもらいました。レクシーさんは私とルーベン殿下が懇意にしておりますので、彼女に悪意を持って近づく人間を把握したかったこともあって付けてもらったのです。そして私がミリアさんを害していると噂も立っていたので、潔白の証明のためにも陛下に依頼をしておりました」
私の場合は監視も大前提ではあるだろうが、確かにルーベン殿下と話すようになってから知らない貴族に話しかけられる事が多くなった。たまに強引な人もいたが、いつの間にか声をかけられなくなっていたが、まさかグレース様が対応してくださっていたとは。
「その影の報告には、レクシーさんがミリアさんをいじめていた、という記載はございませんよ。勿論、私もその事には関与していないとの記載もございます。……よろしければご覧になりますか?」
グレース様は近くにいた侍女の手から書類を受け取る。そしてグレース様が受け取った書類を、第二王子は血相を変えて強引に奪った。
その書類を素早く捲り、目を通す第二王子。その顔は真っ青を通り越して真っ白になっていく。様子を見ていた取り巻きの一人である大将の令息は思わず声をかける。
「殿下!何が書かれていたのです!?」
その問いには答えない第二王子。手や唇はわなわなと震え、目の前にいるグレース様を睨んでいる。その手にある報告書を今にも破りそうなほど動揺しているのが見て取れる。
「この報告は偽造だろう?!グレース……お前……」
予想ではミリアが自作自演だ、とでも書いてあるのだろう。いや、本当にその通りなんだけれど。明後日な方向に話を持っていこうとする第二王子に、グレース様は一つため息をついた。
「殿下、影が報告書を上げた際、一番最初にご覧になるのは陛下だと言う事はご存知ですわよね?」
「ああ、それくらい知っている!」
「その際、陛下がその報告を事実だと認めるサインを表紙に認めることもご存知ですわよね?」
その事は忘れていたのか、捲っていた書類の表紙を確認し始める第二王子。ミリアと付き合ってから、そんな落ちぶれたのか、それとも元々頭がよろしくないのか、王太子になるにはあまりにも浅はかすぎる気がするのは気のせいだろうか……ちなみに、その表紙には勿論国王陛下のサインも認められている。
「つまり、私とレクシーさんはミリアさんに危害を加えた事は無いと国王陛下が認めておりますの。そこにいる皆様はその決定を覆すおつもりで?」
その一言で第二王子側の人間は全員沈黙する。そして第二王子の後ろにいるミリアの顔色も悪い。
国王陛下の承認に異を述べる、つまり逆賊なのか? と問われているのと同じである。それは第二王子の立場があっても同じこと。それに気づいたのだろう。
きっと彼女は知らなかったのだ。婚約破棄エンドは五人の逆ハーレムを達成しなければクリアできないことを。四人ではバッドエンドになるんだけどな。彼女は多分そこまでやり込んでいないか、私のように記憶がないかの何方かなのかもしれない。ルーベン殿下はグレース様に懸想されているし、この展開が覆る事はないだろう。
無言になった第二王子を含めた五人は、ただただそこに佇んでいる。一番後ろにいるミリアは、「どうして」「なんで」と唇を噛んで悔しがっていた。