第一話 ヒロイン役から逃げたい私
「嘘でしょ……」
思わず呟いてしまった。
目の前には見覚えのある立派な屋敷が立っている……高校の世界史の教科書に載っていたような、雰囲気はまるで中世ヨーロッパの建築物のよう。
大きいお屋敷だな……と呑気に考えていたところで、ふと記憶が流れ込んできたのだ。 実はこの世界が、乙女ゲームの世界である事を。そして根拠はないが、何故か「ここは乙女ゲームの世界だ」と確信していたのだ。なにゆえそんなにも自信があるのか……正直なところ分からないけれども。
私は今日ムーア男爵に引き取られ、レクシー・ムーア男爵令嬢となった。
……そう、確か『僕と君の青春を』という乙女ゲームの主人公の名前だ。ある日その身に膨大な魔力を宿していることを貴族から認知された孤児院暮らしの主人公が、男爵家に養子として縁組され、貴族の学園に通うというよくある乙女ゲーム。そして学園では素敵な男性、つまり攻略対象と恋に落ち、ハッピーエンドになるストーリの、主人公。
もう一度言う。主人公だ。
愕然とした。
それと同時になんて面倒臭い役に宛てがわれてしまったのだろうか、と頭を抱えたくなる。だからだろう、思わず口から言葉が漏れていたらしい。
「本気ですか……?」
「どうか致しましたか?お嬢様」
いつになっても馬車から降りない私を不思議に思ったのだろう。いつの間にか侍女のゾーイが目の前で不思議そうな顔をしている。そして言葉が口から出ていた事に気づき、ゾーイには「何でもありません」と答え、動揺を隠すように笑みを貼り付け、一呼吸置く事で冷静になれた私。
そのまま馬車を降り門を過ぎると、この家の使用人たちが両脇に控えている。
「レクシー様、ようこそおいで下さいました」
私が一歩門に足を踏み入れると、右手前に控えていた執事さん……この家の使用人のトップだと思われる、が代表して私に声をかける事になっていたのだろう。一斉に並んでいた使用人たちが頭を下げた。
と言っても、執事っぽい男性は二人、料理人らしき男性も二人、そしてゾーイも含めた侍女は五人。この人数が男爵家では多いのかどうかも分からないが、そこまで大人数ではないようだ。
「皆様、今日から半年間お世話になるレクシーです。よろしくお願いします」
礼儀作法は分からないけれど、お世話になるのだからと軽く頭を下げると、一瞬騒つく周囲。それを諫めたのは先程代表して声をかけてくれた執事さんだった。
「お嬢様、顔を上げてくださいませ。精一杯お嬢様に御仕えさせて頂きますので、よろしくお願い致します。本日は先に部屋に案内致します。部屋の案内はそこにおりますゾーイが引き続き担当させていただきます。また、私たちの紹介はまた改めてさせていただきますが、宜しいでしょうか」
承知した旨を伝えると、執事さんの一声で集合していた使用人たちが一斉に動き始め、目の前にはゾーイだけが残った。そこでふと思う。
「あら?男爵様はいらっしゃらないのね」
その考えが言葉に出ていたのか、ゾーイは困惑した顔でこちらを見ている。貴族に仕えている侍女は感情を表情に出してはいけないと思うのだけれど……まぁ、男爵家の侍女だからそこまで考えなくても良いのかもしれない。
「申し訳ございません。旦那様は……」
「いえ、大丈夫ですよ。養子に迎えて頂けるとは言え、私は平民ですから……何となく予想はしていました」
そう言えば、ゲームのオープニングも使用人だけが入り口に並んでいた事を思い出す。客観的に見ると、やはりここはゲームの世界か、ゲームの世界に似た世界なのだろう。
気不味そうに眉を寄せていたゾーイだったが、部屋に案内してもらえるように声をかけると慌てて先を歩き始めた。その後ろを歩きながら私は表情を顔に出さないよう細心の注意を払う。
考えなくてはならない事は多い。まずは思い出した記憶を整理して今後の事を決めなくては。
一人になるまでボロを出さないように気を遣い、部屋に入って一人になるとすぐに、私はこれからの事について考え始めた。
--私が仮に主人公だとして、これから学園での恋愛ゲームに参戦するか?と言えば、NOだ。
確かに私はライトノベルや乙女ゲームで遊んでいたけれど、それらに夢中になった理由は現実ではないから。現実逃避に最適で、ライトノベルを読んだり乙女ゲームで遊んでいる時だけは全てを忘れて楽しむ事が出来ていた。
だが、現在置かれている状況は乙女ゲームとは異なる。乙女ゲームのように第三者目線で見るなら一興となるだろうが……主人公になるのは嫌だ。
まず第一に、決められた婚約者がいるのに、他に目移りする……浮気である。人としてどうなの?と今の私だと思ってしまうのだ。何度も言うが、架空の物語だから許せるのである。この王国の常識が一夫多妻制なら受け入れるだろうが……この王国では、そんな話は聞いた事がない。もしかしたら国王陛下は側妃を娶るという形で許されている可能性もあるが。
そんな私なので「真実の愛を見つけたのだ!」というライトノベルでも婚約破棄モノによくある発言についても、実際の場面に立ち会ったら眉間にシワを寄せるだろう。
政略結婚には意味があり、それが貴族としての責務の一つであるはずだ。貴族としての生活を享受しているくせに、義務を疎かにするのは違うと思う。
そして第二に王妃になったとして……その後が大変であると言う事だ。乙女ゲームは学園の卒業式でゲームは終わるが、この世界は卒業式後も続くのだ。結婚してはい終わり、という訳ではない。もし王妃になったとして、それ相応の勉強が必要になるだろうし、その後も王妃として振る舞いを求められる……これは、王妃だけでなく宰相や大将の令息と結婚した場合にも当てはまるだろう。
第三に。前の二つに当てはまらないのが保健室の教師であるシュニッツなのだが、私個人の感情で彼と恋愛をしたいかと言ったら……拒否したい。彼は包容力のある落ち着いた紳士……と見せかけて、本性は独占欲が強い束縛系男子なのだ。自由気ままに人生を謳歌したい私とは、相性が合わないと思っている。
最後のシュニッツについては余談ではあったが……
まぁ、一番はバッドエンドになった時の主人公の処遇が、国外追放だったり、牢屋行きだったり……結構悲惨な目にあうからもあって、私が乙女ゲームのヒロインとして立ち振る舞おうという馬鹿らしい考えを持たない理由である。
もし現実世界でヒロインになろうとする人は、頭がお花畑なのではないか、と思ってしまう。自分の命を懸けてまで、ゲームと同じように攻略対象に没頭する理由はない。
それに今私の立ち位置としては主人公なのであろうが、記憶が流れ込んだ事で性格も変わってしまっている。ゲームの主人公は引き取られるまでは孤児だったため、日々の暮らしを生きるのに精一杯だったこともあり、自ら考えることをせず受け身な性格をしていた。
しかしゲームを進めて主人公と攻略対象が仲良くなると、受け身だった主人公が相手のことを考えて、能動的に動けるようになっていく……という主人公の成長も描かれているのが、私でも感じ取れたゲームだ。
私からすれば「健気だなー」と感じる主人公だが、残念ながら今の私にはその面影はない。記憶にある私の自我が強過ぎたらしく、今の私は記憶の性格に引きずられている事がはっきりと分かる。つまり、乙女ゲームの主人公とは異なる現実主義の私が今ここにいるのだ。
……結局何が言いたいかと言うと、色々面倒だから私は平穏平凡な人生を歩みたい、それが私がたどり着いた答えである。
だから高望みせず宮廷の魔道士になるか、どこかの子爵・伯爵家辺りで嫁入りするか……が無難だろうと思っている。
むしろその願いも分不相応なのかもしれないが、養子とは言え男爵令嬢で魔力量が通常の貴族より多いのならば、その望みも努力すれば叶う可能性も高いだろう。
まぁ、結婚と宮廷魔道士のどちらが良いか、と言われれば……夫人となってお茶会や社交界に足を運ぶよりは、魔法研究や魔物討伐に参加する方が性に合っている気がするが。それは追々考えていけば良いだろう。
本日はもう一話更新します。