第十一話 ヒロイン役から逃げたい私は、悪役令嬢と対面する②
ほんの一瞬、体が強張る。
まさか直球で来るとは思わなかった。心の準備ができておらず、頭が真っ白になる。
「……」
無言ではマズい。そう感じた私だが、咄嗟にどう返答すれば良いのか頭に思い浮かばず、沈黙してしまう。これでは記憶がある事を肯定しているようにしか見えないだろう。
それ以上に驚いたのは、グレース様自身が「乙女ゲーム」と言う言葉を使っている事だ。記憶がなければ、このような言葉が出るはずもない。
まさか、ミリアに続けて グレース様までもが記憶保持者なんて……
……口をあんぐりと開けている私の様子を見てニコニコと笑みを絶やさないグレース様。私が黙るのはウォール様にとって、予想の範囲内の態度だったようだ。
「まぁ、いきなり言われても困るわよね。でも、ここに来ている時点で貴女は乙女ゲームの記憶があると確信しているの。ふふ……実はここだけの話、私心が読めるから」
「え?!嘘!?」
「……冗談よ。カマかけてみたけれど、こんな古典的な方法で引っかかるなんてね」
クスクスと笑うグレース様。やっとここで私が誘導尋問に引っかかってしまったことに気づく。思わず声に出てしまった。アドリブに弱い私、残念。
「貴女がこの誘導尋問に引っ掛からなくても、ここに来た時点で確定なの。あの手紙、気づかなかったかしら?日本語で書かれていたでしょう?」
言われてはっと気づく。そうだ、手紙は日本語で書かれていた。普段も日本語を使って文字を書くことが多かったので、失念していた。なんと間抜けな。私は頭を垂れることしかできない。
そんな意気消沈している私に、グレース様の追撃が。
「あともう一つ。先に謝っておくけれど……貴女が学園に入学してからの行動は、私の影の者に監視させていたの。貴女、独り言が多いのね。お陰ですぐに乙女ゲームの記憶保持者だって分かったわ」
「あ、そうですか……ハイ」
あの日の独り言やあの時の独り言も全て聞かれていたんですね、はい。グレース様に知られているんですね、はい。恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だ。一方でグレース様はうふふふ、と上品な笑みを浮かべお付きの侍女が置いていった紅茶を優雅に飲んでいる。
「まぁ、そのことは置いておきましょう。今日貴女を呼んだ理由は、一つ。お願いがあるのよ」
「え?」
私は驚きのあまり目を見開く。今なんて言った?グレース様が私にお願い……?
「貴女、ヒロイン役をやって貰えないかしら?」
その瞬間、私の時が止まった。
言葉は飲み込めても、頭で理解する事ができなかったのだ。しかも、今まで私は一生懸命ヒロイン役を避けてきたのに、ヒロイン役を熟せと……
「あの、私。平和に暮らしたいので乙女ゲームに関わる気はないのですが……」
至る所から汗が噴き出るのではないか、と言うくらい緊張していた。四人の攻略対象に関しては、先日ミリアから忠告を受けている。彼らを横から攻略しろ!という事なのだろうか。
どうにかして避けたい役割だ、と思い言葉を紡ごうとすると、グレース様は笑顔でお答えになる。
「ちなみにあのお花畑四人のヒロイン役ではなく、隠しキャラのヒロイン役をやってほしいの」
鷹の前の雀のように、有無を言わせない無言の圧力が私にのし掛かる。私としては隠しキャラ攻略なんて平穏に生きたいから、やりたくないなぁ……とやっぱり思うのだが、グレース様はそのことを理解しているのか「話を聞いてくださる?」と同性の私すらも見惚れる笑みで私に問う。その笑顔に釣られて思わず私は首を縦に振っていた。
グレース様の話によると。第二王子との婚約が決まったパーティで乙女ゲームの記憶を思い出したとのこと。婚約者になってからというものの、第二王子はグレース様という婚約者がありながら、婚約者など居ないように振る舞っているらしい。最低限のエスコートのみで、贈り物などは全く無く。これには父であるウォール公爵も憤慨していて、国王陛下に苦言を呈しているのだが、一向に改善される気配が見られないらしい。
その上問題事ばかり起こすため、グレース様が火消しに回る事もしばしば。何度も婚約解消を願うも、むしろ国王陛下や王妃からは「第二王子を支えてやってくれ」という発言。第二王子が問題児でも、グレース様がいれば問題ないと思われているらしく、国王陛下たちは頑なに自身たちの教育の失敗を認めずグレース様に全てを押し付けているのだ。ちなみに第二王子に嫌われるのがいやなのか、諌めることもしない。為政者としては凡王……と評価されている国王陛下だが、親としては最低だ。
「お父様も非常に困惑されておられますの。貴女、この現状どう思う?」
「最悪じゃないですか」
言葉は悪いが、最低の一言に尽きる。「フレンドリーに話して欲しいの」と仰られたので、二人だけの時なら……と言葉を崩す事にした。
グレース様は「そうよねぇ、そうはっきりと言って貰えて嬉しいわ」と仰られながら、王子を思い出したのか眉を少し顰める。この国を脱出する未来が見えてきた……その思考が顔に出ていたからか、グレース様は私を安心させるように微笑む。
「そうなのよねぇ。現状、お花畑四人はミリア嬢に懸想しているから……あれを引き剥がすのは難しいでしょうし。むしろ貴女が引き離してくれるのなら……」
「お断りします」
「でしょうね。だから第二王子を王太子候補から……ね。その方が国のためでもある気がしませんこと?ちなみに貴女には隠しキャラのシナリオを進めて欲しいのよ。隠しキャラは第一王子のルーベン殿下なのは知っているかしら?」
「か、隠しキャラ……?!隠しキャラは第一王子なのですか?」
彼が隠しキャラだったことは初めて知った。記憶にないだけなのか……だが、第一王子が通っているという話をメアリ先生から聞いた時点で、隠しキャラかも……と想像することはできたはずだ。見落としていた……
明後日の方向を向いている私にグレース様は、扇を口元に当て「知らないならそれでも良いわ」と言いながらにこりと笑う。
その姿を見た私は不安に苛まれた。何故ヒロイン役を私に求めるのかが分からない。そもそも隠しキャラのイベントを進めて大丈夫なのか……?まさか第一王子の婚約者になれとか?……でも私が第一王子の婚約者になったところで、何も解決はしないと思うけれど。
「ちなみに、第一王子の婚約者になれ……という話ではありませんよね?」
「ええ、勿論。ルーベン殿下までミリア嬢の取り巻きにならないように『保険』として貴女にイベントを進めてもらいたいの。貴女はゲームで言う『普通エンド』を目指す事を目標に動いてほしいのよ」
何故このような事を保険として行って欲しいのか、グレース様の作戦はこうだった。
最初は彼女がイベントを起こすのを止めようと考えたが、イベントは不可抗力なのか、発生を防ぐ事ができなかったらしい。そのため四人の攻略対象たちを順調に攻略しており、イベントも半分程こなしている状況にまで進んでいるそうだ。
なので作戦を変更し、このまま彼らには彼女に懸想しててもらい、ゲームの通りに婚約破棄を引き起こす。そして第二王子を王太子候補から外し、第一王子を王太子にと考えているようだ。え、こんな話を男爵令嬢の私が聞いて良かったのだろうか。今気づいたが、先ほどの引きずり落とすという発言といい……これはもう引き受けなければいけない、崖っぷちまで追い込まれている気がする。
「王太子候補から外すための手はもう打ってあるので問題ないと思うのだけど、そのためにはルーベン殿下がミリア嬢に懸想しないようにする必要があるのよね……そのために貴女が動いてもらいたいの。彼女はそもそもルーベン殿下との出会いイベントをこなしていないから大丈夫かと思うけれど、念には念を入れて……ってところね。もしお願いを聞いてもらえるのなら、貴女の将来は保証しますわ。もし宮廷魔道士になりたいのなら口利きを……」
「やります!」
食い気味で声をあげてしまった。だって、私の将来を王家に次いで権力を持つ公爵令嬢が保証してくれるなんて!願ったりかなったりである。グレース様には作戦があるようなので、それに乗っかれば良いだけだ。
それに第二王子を蹴落と……げふんげふん。色々とグレース様から話を聞いてしまったのだから、拒否するという選択をすることは、私にはできない。
第一王子に懸想される懸念もあるけれど、そこはグレース様がどう話せば良いのか指示してくれるようだ。普通エンド=友情エンドを目指すために。
まぁ、ミリアたちに関わるよりはグレース様に関わっていた方が安心だろうと思う。
「貴女って本当に現金なのね……まぁ、それなら話は早いわ。報酬は安定した生活ね。もし何かしらの希望があれば仰ってね」
と、仰るグレース様はとても頼もしい。
ちなみに後々グレース様から聞いた話によると、第一王子の隠しルートイベントを発生させるには、入学初日に図書室に行き、魔導書や礼儀作法の本を借りるのが条件なのだが……そう、私はイベントを回避しようとしていたにも関わらず、隠しルートを開いていたようだ。第一王子も含めた逆ハーレムを達成するには、図書室で本を借りた後そのまま寮に帰るのが正しい。
今回は彼女が第二王子たちのルートを、私が第一王子の隠しルートを開いてしまったので、もしかしたら彼女が第一王子ルートに気づいて乗っ取るのではないか……それを防ぐための私ということだ。
「まぁ、あの方は多分隠しルートの存在を知らないと思うわ。知っていれば一緒に図書室に来ているはずだものね」
「そうですよね。私もまさか隠しルートを開いているとは思いませんでした……」
「私も最初は貴女が隠しルートの存在を知っているのかと警戒していたのだけれど……ね。貴女があちら側でなくて良かったわ」
自然と顔が引き攣るのを感じた。グレース様は笑顔だが、その笑みが怖い。ゲームでは悪役令嬢らしくないグレース様も、乙女ゲームの記憶がある今の彼女は悪役令嬢に近づいている気がした。上手く言えないけれど、彼女は遣り手な気がする。
私は今までの選択をした過去の私と、そして男爵家に引き取られた時に記憶を思い出したことに感謝した。グレース様を敵にまわすと後が怖そ……
「どうか致しました?」
「いえ、何でもございません」
「あら、そう……ならルーベン殿下の件はお願いね」
こうして悪役令嬢と元ヒロインの協定が結ばれたのだった。