表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Love with me as I am

作者: 夕城ありあ

「別れよう、俺達」

 それは――

 私にとって死刑にも似た言葉で

「どうして」とか「嫌だ」とか

 言おうとした想い、言葉はあったのに

 私は……

「―――…相川君がそう望むなら……それでもいいよ…」

 ――と

 必死に普通を取り繕ってそう答えた






 夕暮れ時、私は誰もいなくなった学校近くの公園に一人、ひっそりとそこにいた。

 今となってはすっかり遊ばなくなった玩具の一つであるブランコに座り、キィキィと小さな音を立てて軽く揺すりながら地面だけを見つめ続ける。

 いや、実際には地面など見ていなかった。

 ただひたすらに一つのことを考え続けていた。

「………ばかじゃん、私……」

 呟きは風に攫われるように消えていく。

 一つのこと――それは、今日の昼の出来事。

 たった今の出来事であったかのように鮮明に思い出せるその出来事は、忘れようと思っても忘れられないほどに頭に刻み込まれてしまっている。

 ぽたり、ぽたり、と。

 制服のスカートに小さな染みが広がる。

「…………なんで…あんなコト…言っちゃった…のかなぁ…」

 私は―――泣いていた。

 人がいないことをいいことに、ひたすら涙を流し続けていた。

 悲しくて。

 哀しくて。

 ……自分の馬鹿さ加減に嫌気がさして。

「………今だって……好き…なのに…なぁ……」

 空を仰ぐように上を見上げる。

 だが涙で歪んだ視界には何も映ることはなく、広がるのはただの無色の世界。

 つつぅ…と涙が頬を伝い、滴り落ちるのを感じながら私は両腕で目を覆い隠した。服の袖が涙を吸って濡れていくが、そんなことは気にすることではなかった。

「………なん…で……こんなコトに……なっちゃったんだろ…」

 止まらない涙。

 溢れる感情。

 今の自分の状況を人に見られたくなくて、昼休みを終えるとともに授業をサボって学校から離れてこの公園まできた。日も暮れてきたことから考えるとここに来てから随分と時間が経っていることになるのだろう。

 授業はすでに終わっているはずである。授業もサボり、部活もサボってしまったことになる。

 家で帰りを待っている母のことを考えるとそろそろ戻らなければいけないと思いつつも、まだ心の踏ん切りをつけることができず、私は目を覆った状態のまま、少しブランコを足で揺らした。

 当然といえば当然の結果で、手で鎖を掴んでいない状態でそんなことをしてしまえばバランスは崩れてしまうというものである。

 あ、と思った時には遅く――私の体は後ろへ倒れるように傾いていた。

 少しだけ腕を目から浮かし、視界を外の世界へと向ける。

 ぼやけた視界が傾いていくのを感じながら、このまま頭から落ちたら記憶喪失にでもなるのか、はたまた重症で病院行きなどになるのかと思い、皆に知られたら笑い話だなぁ…などとくだらないことを考える。

 下半身がブランコの椅子からずれ、無様な姿で落ちるのだろうと思ったその矢先――

「あ……っぶねーことしてんじゃねェよ…ッ!!」

 ――力強い腕が、落ちそうになった私の体を支えていた。

 と同時に大声で怒鳴られる。

「…………」

 私はぼーっとしながら視線を後ろへと向けた。

 そこにいたのは一人の男子生徒、それも私のよく知っている人物であることは歪んだ視界の中でもしっかりと理解することができた。

 しばらくの間、ぼーっとしたままだった私だが、相手の方が痺れを切らしたらしい。

「さっさと座れ!」

 そう言って、私の体をしっかりとブランコの椅子に座らせ直す。

 後ろに顔をそらしながら私はその人物を見上げる。

「馬鹿なコトやってんじゃねェよ、高瀬」

 コツン、と額に温かい何かが当てられる。

「…………」

「あん? まだ意識とばしてんのかよ、お前?」

「…………んー、そうなのかも」

「そっから落ちて笑い者にでもなりたかったのかよ? 高瀬は間抜けにもブランコから落ちて病院行きになりましたってな」

 人を小馬鹿にするような口調で相手は私に言う。

「…………あははははー」

「落ちて何か起こってほしかったとか?」

「………記憶喪失になっちゃってても良かったかもねー」

「アホ」

 簡潔に一言。

 きっぱりはっきりと言い切って。

 ゴツン、と今度は先ほどよりも力を入れて温かい何かを私の額にぶつけた。

 これはさすがに痛く、私は仰け反っていた体を戻して俯き加減になりながら額を押さえる。先ほどとは違った理由で涙が瞳に浮かぶ。この時、涙が少しの間だけだが止まっていたということにようやく私は気づいた。

「ほらよ。それでも飲んどけ」

 ぶっきらぼうにそう言って、手渡されたのは私の額に当てたれた物。

 私はそれを受け取り、両手で軽く握り締めた。

 冷たくなっていた手にじんわりと温かさが広がる。

「…………ありがと、長瀬」

 私は相手の――長瀬の顔を見ないまま、それ――缶コーヒーを握る手に力を入れた。

 ぽたり、と。

 また溢れだした涙が、再度スカートに染みを作った。





「――で、どうかしたのか?」

 泣き止んだ私を見計らって、長瀬は声をかけてきた。

 いつの間に移動したのか、長瀬は私の後ろではなく、ブランコを他と区切るようにしてある小さな柵の所に、ブランコに座る私と向かい合うように座っていた。

 その手には私に先ほど渡したのと同じ缶コーヒーがあったが、私と違って既に飲んでしまったのか、空になった缶を手で弄ぶようにしていた。

 私はすっかり冷たくなってしまった缶コーヒーのプルタブを開け、それを一口ほど飲んでから長瀬ではなく地面を見てゆっくりと口を開いた。

「………ちょっと失恋の痛手に耐え切れなくて、か弱い乙女は一人でひっそりと泣いていたのよ」

 馬鹿にするならすればいいというようなぞんざいな口調で私は答える。

 そうすればきっと長瀬は私をいつもみたいに馬鹿にしたようにからかうだろうと予想していたからこそ、そんな態度をとった。長瀬と私は所謂家の近い幼馴染みで、物心つく頃から一緒にいる相手だ。性別の差はあっても現在でもその仲は良好で、お互いの性格を知り尽くしていっているといってもよい。

 だが、長瀬から返ってきた反応は私の予想外のもので。

「はぁ!? 失恋だって!?」

 本当に私の返答に驚いたように、ぎょっと目を見開いて声を荒げた。

 私が付き合っていた相手は相川君。

 優等生である為に顔を知る者も多く、その優しい性格からかモテ男の一人でもある。

 長瀬と相川君は親友であるのでもう私と別れたという話は聞いているものだと思った私は、予想外の反応に戸惑いを少なからず驚いた。

「……お前…、相川と別れたのか…?」

 信じられない、と呟いて長瀬は尋ねる。

 ――別れる。

 その言葉に過敏に反応して顔を引きつらせながらも、それでも顔に笑顔を無理やり取り繕って私はきっぱりと答えた。

「そうよ。私、相川君に振られたの」

 自分で言っておきながら、その言葉に自分自身で傷つくのを感じた。

 止まった涙がまた溢れそうになるのをぐっと堪え、私は笑顔のまま長瀬に空笑いをしてみせた。

「長瀬には色々と付き合う為に手助けしてもらったのに、早々と別れちゃって悪かったわよ」

 相川君に惚れたのは私。

 幸いにも長瀬と仲は良かったので、なんだかんだいいながらも付き合えるようにお膳立てまでしてもらった。そして付き合い始めたのが夏だったというのに二季節過ぎた冬の今、こうした結末に陥っている。こうした結末――失恋という結末に。

「てっきり相川君から聞いてると思ったんだけど?」

「……聞いてねェよ」

 ああ、でも――と。

 その後、長瀬が一人で呟いた言葉を私は聞き逃さなかった。

 ――だから高瀬が授業と部活さぼってるっていうのに相川は動こうとしなかったのか、と。

 確かに長瀬はそう呟いた。

 聞き逃せばよかったのに聞いてしまった言葉に、涙腺が緩む。

 姿をくらませた私を追いかけることをしなかったのは、既に相川君と私の関係が終わってしまったことを意味することに、胸が痛くなった。

 そして同時に、振った相手を追いかけることが私にとって失礼だという相川君の優しさも理解できたことに、どうしようもない想いが体中を駆け巡った。

 ……だめだ。

 そう思った瞬間、涙がまた溢れてきて私は慌てて顔を俯かせる。

 既に長瀬には泣いている姿を見られてしまっているが、これ以上自分の弱さを暴露することはしたくないと思ったのだ。

 だが―――


「泣きたいなら我慢せずに泣いとけ。どうせそんな遠慮する仲じゃねェだろうが、今更」


 その、長瀬のぶっきらぼうな言葉に。

 その、ぶっきらぼうのくせに優しさを含んだその言葉に。

「……ぅ……、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん…っ…!」

 私は―――思い切り声を上げて泣きだしていた。

 声を上げて子供みたいに泣くのだけはしたくないと思っていた。

 それなのに、その長瀬の言葉が鍵となったかのように、私は思い切り泣き出していた。

「………なんで……なのかなぁ………?」

「…………」

「………こんな…に……好きな…のに……」

「…………」

「……こんなに……まだ…、好き……なの…に……」

「…………」

「………わた…しの…どこ…が…いけなかった……んだろ……?」

「…………」

 長瀬は何も言わない。

 泣きながらのその問いは、長瀬に問いかけているようで本当は私自身に問いかけている言葉だということを理解しているからこそ、長瀬は何も言わなかった。

 ただ、静かに私の言葉を聞き続ける。

 ただ、傍に居続けてくれた。

「………なんでよぅ……っ」

 どうして、という思いが消えない。

 私は本当に相川君が好きだった。――否、今でも大好きだ。

 相川君に好きになってもらえるように、素敵な女の子になれるように努力だってした。

 相川君と付き合えるようになってからは、相川君と並んでいても不釣合いだと言われないようにもっともっと素敵な女の子でいられるように努力だってした。

 相川君が好きだという気持ちだけは絶対だったから、どんなことだって頑張ることができた。

 それなのに、それなのに―――。

 ――私にとっての死刑宣告のその言葉は前触れも何もなくやってきて、私を暗闇へと落とした。

「………なんで……私……あんな思ってもいないコト…言っちゃったんだろ……」

 そして――別れの時の自分の行動に嫌気をささずにはいられない。

 別れるのが嫌なら嫌だと言えば良かったのだ。

 どうしてだと今のように思い続けるのならその場で問い返せば良かったのだ。

 でも、できなかった。

「……もう…、自分…がばかすぎて……泣けてくるわよ……」

 暫くして、無言で私の言葉を聞き続けてきた長瀬が口を開いた。

「……ホントにお前、馬鹿だよ」

「………」

「なんでそこで嫌だとかって言い返さなかったんだよ?」

「………」

「もし言ってたらこんな事にはならなかったかもしれねェだろうが」

 長瀬の言うことは最もで、私自身そう考えなかったわけじゃない。でも――

「………………言えるわけないじゃない…」

 そんな事をして余計に嫌われてしまったら、と。

 相川君の前でみっともない自分を曝けだしたくなくて、自分を偽って無理やり普通を装った自分がそこにいた。

 最後の最後まで、相川君に呆れられないような素敵な女の子でいようとした自分。

 これ以上相川君を困らせたくなかったから。

「………」

「………」

 沈黙が流れる。

 キィキィと、ブランコの軋む音だけが静かに響き渡る。

 私のその様子から、長瀬は私の考えていることなどお見通しなのだろう。いつもいつだって恋愛の相談にのってもらっていたから当然といえば当然なのかもしれないけれど。

 流れる沈黙を破るようにして長瀬は立ち上がった。

 その動作を視界の端で捕らえながら、私は涙を拭う。

「………高瀬。お前、馬鹿すぎ」

 きっぱりと言い切る長瀬。

 同時に痛いほど突き刺さる視線。

 馬鹿にするような口調に、むっとする思いもあったものの言い返すことなどできず、私はただ顔を上げて長瀬を睨み返そうとし――

「………本当に馬鹿だよ、お前…」

 そこにあった瞳に優しい色が浮かんでいることに気付き、睨み返すことはできなかった。

 優しい色をよみとれたのは一瞬。

 その後すぐに長瀬はいつもの人を小馬鹿にするような笑みを浮かべていて、私の方に近づいてきたかと思えば軽く頭を叩いた。

「うら。そろそろ門限もあるし戻るぞ」

「………」

「お前の親うるせーから、門限破ることになったらうるさく言われそうだからな」

「………それは長瀬がいつも門限破って勝手に外出してるってうちの親が知ってるからじゃないの?」

「……高瀬…。てめェ、折角お前の様子を見に来てやった俺に向かってそんな口聞いていいのかよ」

「誰も見に来て下さいなんて言ってないし」

「………おい、コラ…」

「しかも何よ、その態度。何様のつもりよ?」

「そんなの決まってるだろうが」

「は?」

「俺様は俺様だろうが」

「………ぷっ」

 唯我独尊な態度に、思わず私は吹き出してしまった。

 そして吹き出した私を見逃すはずもなく、長瀬は力を入れて私の頭を叩いた。後輩の少年よくしているのと同じように。

「~~ったー! 何すんのよ、長瀬!」

「自業自得だろーが。ほら、さっさと帰るぞ」

「分かってるわよ、そんなの!!」

 仕返しだ、とばかりに私は目の前に立つ長瀬の足を蹴飛ばし、長瀬が顔を一瞬顰めて声を上げて、蹴飛ばされた脛を抱えてその場に蹲るのを見ながら私は立ち上がり、舌を出してやった。

「てめー、サッカー選手の足を何だと思ってやがんだ!?」

「えー、ただの足じゃん、そんなの」

「ふざけんな!」

「きゃー。長瀬が怒ったー」

 怒って追いかけてくる長瀬から逃げるように、私は走り出す。

 そして、ふざけあいながら家に帰宅したのだが、結局門限に間に合わずに母にお叱りを受けるはめになったのは後の話である。ちなみに何故か、長瀬も一緒に怒られてしまい、解せぬ…という表情を浮かべていたようだった。





 なんだかんだと長瀬のおかげで気分は上昇したものの、いざ相川君と顔を合わせることになると気まずいものがある。というよりも失恋した次の日に笑顔など浮かべられるはずもなく、朝教室で顔をあわせた途端、私は体が凍りつくのを感じた。

 その微妙な私の様子に気付き、困った表情を浮かべる相川君。

「あ……その……」

 何か言わなければと思い、私は口を開こうとするが言葉にならず、意味不明の一文字ずつの言葉しかでてこない。

 ……ああ、やばい。

 おさまったはずの涙がまた零れ落ちそうだと思ったその矢先――

「よぉ、相川。俺を置いてさっさと行くなんて失礼じゃねェかよ」

 相川君の後ろからひょっこりと長瀬が現れた。

「悪い、長瀬。でもお前が女生徒に捕まっていたから長くなるかと思って先に教室に来たんだ」

「ちっ。まあ、そういう理由なら俺も悪いし仕方ねェよな」

「相変わらずだな、長瀬は」

「何言ってんだ、お前も同じだろうが。………って、お、高瀬じゃねェか」

 さも今気付いたとばかりに私に視線を向ける長瀬。

 でも私は気づいていた。

 相川君の後ろに現れた時、ちらりと私に視線を向けたことを。

 失恋したての私を気遣い、相川君との間に入ってくれたのだということはすぐに分かった。

「よぉ、高瀬」

 片手を軽くあげて挨拶をしながら、長瀬はツカツカと私の傍に近づく。

「おはよう、なが……」

 私も挨拶を返そうと思ったその時、


 ――ドカッ。


 と、大きな音を立てて。

 長瀬は手に持っていた鞄で私の頭を潰すように叩き、にやりと笑いいながら言った。

「相変わらずぶっさいくな面してんなー、お前」

 意地悪げに鼻で笑うのも忘れない。

 その瞬間、私の中で、先ほどの場の空気を読んで助けてくれてありがとうという気持ちは一瞬にして消え、長瀬のその行為は苛立ちを奮起した。

「なんですって――ッ!!」

 がばぁっ、と頭の上に置かれたままの鞄を手で思い切り弾き飛ばし、私は仕返しに長瀬の足を思い切り踏みつけてやった。

「…ったー! って、お前、何度言ったら分かるんだ。サッカー選手の足をなんだと思ってんだよ!」

「それはこっちの台詞よ! あんたこそ何度言ったら私に暴力振うのをやめるのよ! こっちはか弱い女の子なのよ!」

「ほー。誰がか弱いんだか…」

「な~が~せ~? 何か言ったかしらー?」

「あん? 聞こえなかったのならもう一回言ってやってもいいけど? どこにか弱い女がいるのかって言ったんだよ、お・れ・は」

「ここにいるでしょうが! 目でも腐ってんじゃないの、あんた!」

「あほか。お前がか弱かったら世界中の女は皆か弱いってことになるってーの」

「長瀬!!」

「おー、こわこわ」

 始まった口喧嘩。

 当然ながらその間の手や足での攻撃のやり取りもある。

 そんな私と長瀬のやり取りはいつもの日常の一コマなので、クラスメイトの誰も止める人などいるはずがなく、「またやってるよ、あいつら」とばかりに苦笑する。

「逃げるな、長瀬ー!!」

「お前なんかに捕まってたまるかよ」

 その場から駆け出した長瀬を追いかけて、私も教室を後にする。

 すでにもうすぐ朝のショートホームルームが始まるなんてことは頭にはなく、ただこの怒りを消化するためにも長瀬に一撃を食らわせることだけしか私の頭にはなかった。

 だから、気付かなかった。

 だから、気付くはずもなかった。

 そんな私と長瀬の馬鹿みたいな追いかけっこを、相川君が少し悲しそうに見ていることに。

 そして気付かない私とは違い、長瀬はそんな相川君の様子に気付いているということにも当然ながら気付けるはずがなかった。





 そんなこんなで日は過ぎて、気がつけば数週間過ぎていた。

 始めは相川君と顔をあわせるのすら辛かったけれど、何とか感情が落ち着いてきたみたいで、ようやく顔を見ても涙が零れそうにはならなくなっていた。まだ話したりすることはできなかったけれど、だいぶ失恋の痛手が消えてきていたのかもしれない。

「ねえ、あんたって長瀬と付き合っていたんだっけ?」

 と、お昼の給食の時に唐突に質問したのは親友の一人で。

「ぶっ!」

 それに対し、私は年頃の女の子としては相応しくない行為なのだが、飲んでいたジュースを吹き出すに至った。

「うわっ、汚っ! 何すんのよー」

 手前にいた質問をした親友が慌てて椅子から立ち上がり、その場を離れようとするものの私が吹き出す方が早かったようで、見事なほどに吹き出したジュースを浴びていた。

 確かに私もそんなことをされれば嫌だ。だから親友の反応と怒りは分かる。

 が――

「だって、あんたがそんな馬鹿なコト言うからじゃない! そんなわけないって。なんで私があんなヤツなんかと付き合わなきゃいけないのよ!!」

 勘違いされて寒気まで感じてしまった私の立場からすれば、それくらいは許されるものじゃないかとも思えてしまう。

「冗談でもそんなコト言わないでよね……」

「え、違うの? でもてっきり私、あんたは長瀬と付き合ってるもんだと…」

 私の否定に対して納得できないとばかりの親友。

 その会話に横から口を挟んだのは、もう一人の親友で。

「でも私、麻耶ちゃんが元気になってくれて嬉しいよ。失恋したって聞いた時は自分のことのように悲しかったから」

 ――失恋。

 その言葉に思わず過敏に反応し、表情を強張らせる私だったが、すぐに笑顔を浮かべて軽く笑って誤魔化した。

「ああ、そういえばそうよね。あんた達が別れたって聞いた時はびっくりしたけど……」

「あははは。まあ、そんな人の古傷えぐるようなコトは横に置いといてよね」

「はいはい、分かってるわよ」

 物分りのいい親友達は、私の気持ちをわかってくれてすぐにその話題から離れてくれた。

 恋愛の話から日常の世間話へと変わった話題。

 馬鹿笑いしながら私もその会話に加わっていたのだが、頭では別のことを考えていた。

 別のこと――失恋した後の自分のこと、を。

 これでもかというくらいに悲しかったはずの失恋。

 でも、今こうして普通に笑っている自分がここにいる。

 そして、相川君を見てもある程度平気でいられる自分がここにいる。

 ……どうしてこんなにも立ち直りが早いんだろう…?

 自問自答。

 その後に、すぐに頭に浮かんだのは悪友ともいえる長瀬の顔。

「………ああ、そっか…」

 一人、呟いた声は親友達には聞こえなかったらしい。

「………長瀬がいつも間に入ってちゃかしてくれたからなんだ…」

 私が相川君と顔を合わせる時は決まって長瀬が何処からともなく現れていた。そして私を馬鹿にしてそのまま子供じみた喧嘩が発展するのがいつものパターン。思い返せばいつだって長瀬がフォローに回ってくれていたのだということに、今更ながらに気付いた。

 その長瀬の行為に救われていたのだと。

 だからこそ今、こうしていられるのだと、今更ながらに気付いた。

「…………感謝しなきゃいけないかなぁ…」

 一人、呟く。

 これもまた親友達には聞こえていなかったのだが、

「誰に感謝するんだって?」

 ――どうやら親友以外の人物にはっきりと聞かれていたらしい。

 突然の声に驚きつつ後ろを振り返れば、噂をすれば何とやらでその張本人の長瀬がそこに立っていた。

 面白そうに顔に笑みを浮かべている。

 ……もしかして始めっから私の呟き聞いてなかったわよね…?

 ふと思い浮かんだ疑問は、そうあってほしくないという思いから自分で否定して却下することにした。

「あんた、何でこんなトコにいるのよ?」

「自分の教室にいて何が悪いんだよ」

「だってさっきまでいなかったじゃない。しかも人の後ろに唐突に現れて…。…………もしかしてストーカー…?」

「あほか」

 ガツンッと頭に拳を振り落とされ、軽い衝撃が走る。

「…ったー…ッ。何すんのよ、人の頭に!!」

「お前がアホなこと言うから自業自得だろうが」

 ふふんっと鼻で笑う長瀬。

 そして、何処かで何かが切れる音を聞いた私。

 当然ながらこうなればいつもの日常の一コマが繰り返されるというもので。

「……あ、また始めたよ、あの二人…」

「仲いいよね、本当に…」

 しみじみと語り合う親友達を横目で見ながら、私は椅子から立ち上がった。すでにその時遅く、長瀬は廊下に出て行ってしまった後である。

「こらー、待てって言ってんでしょうが!!」

「追いつけるもんなら追いついてみなー」

「くぅぅぅぅーっ!!」

 拳を高く掲げ、私は長瀬を追いかけて廊下を走る。

 そして始まる追いかけっこ。

 いつも私達のやりとりを止めるのは先生達だったりするのだが、今日はいつもとは違った展開となった。

 長瀬を追いかけて廊下の角を曲がった所で、


「うわ…っ!?」

「え…? きゃあ…ッ!」


 ドンッ、という大きな音とともに私は出会い頭に人と衝突してしまい、弾き飛ばされるようにして廊下に尻餅をつくはめになった。

 ぶつかった衝撃に続き、尻餅をついた衝撃のダブル攻撃に走っていた自分が悪いのだという認識は吹き飛び、相手につっかかろうとする私。

「ちょっと、何処見て歩いてんの……よ……!?」

 ――だったのだが、

「―――ッ!?」

 相手が誰であるかを理解した途端、その怒りは瞬時にして消えさった。

 同時に血の気が引いていくのを感じる。

 ぶつかった相手は私のように吹き飛ばされて尻餅をつくまでには至らなかったようで、すぐに倒れた私を助けるべく手を差し伸べてきてくれた。

「大丈夫か、高瀬さん?」

「………相川…く…ん……」

 差し出された手に、手を出す余裕すらなかった。

 硬直――まさにその一言につきた。

 言葉すら発することができず、私は半ば呆然と彼を見上げ続けた。

「高瀬さん…?」

 そんな私を心配して声をかけてくる相川君。

 だがその声すら私には届かない。

「おい、何やってんだよ、高瀬…」

 追いかけてこなくなった私を不審に思い、駆けつけてきた長瀬。

 座り込んでいる私と、向かい合っている相川君を見て眉を顰める。

「……どうかしたのか?」

「いや、ちょっとぶつかってしまって…な」

「…ったく、ガキみてェに追いかけてくるからだぜ」

「そういう長瀬こそ逃げて走り回ってるじゃないか」

 私を馬鹿にする長瀬に、苦笑しながら言葉を返す相川君。

 だがこの会話もまた私に届くことはなかった。

 私の頭の中ではたった一つのことがぐるぐると回り続けていたのだ。

 ……今、私…何をした…?

 と。

 思い返すのは自分の行動。

 ………今、私……彼に向かって何を言った……?

 と。

 思い返すのは自分の言葉。

 私はたった今、相川君にぶつかった。

 それだけでも恥ずべき行為だというのに、それなのに―――こともあろうに、自分の所業を棚にあげて、被害者である相川君を怒鳴りつけた。

 その事実を把握した途端、私の顔は青から赤へと変化した。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 ―――この場から消えてしまいたい。

 ―――相川君に合わせる顔などない。

「ご…、ごめんなさ………―――つ…っ!」

 慌ててこの場を離れようとして立ち上がり、背を向けて走り出そうとしたが、左足に走った痛みによって再びその場に蹲る。どうやら倒れた時に捻るか何かをしでかしてしまったようで。

「! 怪我したのか…!?」

 私の様子に気付き、慌ててその場に膝をつく相川君。

「!? あ、大丈夫だから、私…! 相川君が心配するほどのものじゃないから…!」

 必死で相川君から離れようとするものの、足が動かない以上どうにもならない。

 でも、これ以上失態を相川君に曝すのだけは避けたかった。

 咄嗟に長瀬を見上げ、言葉には出さないものの目で訴える。

 聡い長瀬はその私の訴えに気づき、相川君同様に膝をついて私の傍に座り込んで相川君に向かって言った。

「相川。もとはといえば俺にも原因があるし、俺がこいつを保健室におぶってく。だからお前は先に教室に戻ってろ」

 ナイスフォロー、長瀬。

 そう心の中で呟いた私。

 相川君の性格上、長瀬がこういえば渋々だとしても教室に戻るだろうと私は思った。

 ……思った…のに――


「いや、俺がおぶっていくよ」


 そう――相川君は言った。

 一瞬、その言葉を疑った。そしてその言葉の意味を理解するとともに凍りつく私。

 再度長瀬に助けを求める。

 だが、長瀬は相川君と視線で何か会話を交わした後――否、相川君の視線によって何かを言いくるめられてしまったかのように、ただ私に「悪い」という謝罪の視線を一度だけ向けて「それじゃあ頼むわ」と一言残して、この場を立ち去った。

 呆然と座り込む私。

「……それじゃあ保健室に行こう…」

 相川君に静かに言葉をかけられて、我に返る。

 どうしようもないこの状況で、遠慮できるはずもない。

「………お願い…します……」

 小声で言葉を返し、私は大人しく相川君に負ぶさられることとなった。

 広い広い背中。

 相川君の体温を感じ、私に振動が伝わらないようにとゆっくりと歩いてくれるその心遣いを感じ、どうしようもなく泣きたい感情に駆られる。

 私と相川君を冷やかす生徒はいなかった。

 もうすぐ授業開始で廊下に人が少なかったというのも理由の一つかもしれないが、それ以上に私達の周りの雰囲気が冷やかすことをできなくさせていたのだろう。

 相川君の優しさは温かい。

 それなのに、私達の間には気まずさしか広がっていなかった。

 保健室までの道のりはそれほどなかったはずである。

 だが、その道のりはとてつもなく長い距離に感じられた。

 互いに何も話さない。

 静かに、静かに。

 ただ、相川君の足音だけが静かに廊下に響き渡る。

 バタバタと慌しく走っているわけではないのに、その足音はやけに大きな音に聞こえて、私は思わず耳を塞いでしまいたい衝動に駆られた。……もっとも、負ぶってくれている相川君に掴まっているのでそうすることはできなかったのだけれども。

「失礼します」

 相川君は丁寧な口調でそう言う。

 カラリと静かに開けられた保健室の扉。

 しかしそこに保険医の教師はいなく、誰の存在すらなかった。

 ……なんでこういう時に限っていてくれないのよ…。

 心の中で毒づいていた私だったが、ふとあることに気付く。

「………相川…君…?」

 どうしてかは分からない。

 だけど、相川君は保健室に足を踏み入れようとしなかった。

 私を負ぶったまま、動かない。

「……あいかわ……く…ん……?」

 もう一度名前を呼ぶものの、相川君が反応することはなかった。

 嫌な予感が頭を過ぎる。

 早く降ろしてもらわなければ、と。

 早く彼から離れなければ、と。

 直感的にそう思った。

 でも、相川君が私を背負う手を離すことはなく―――しばらくして相川君は静かな口調で言葉を発した。


「………俺は……高瀬さんのことが…好きだよ…」


 ドクン、と心臓が大きくはねるのが分かった。

 頭でその言葉を理解するよりも先に、心が反応する。

「………俺は……高瀬さんに告白されるよりも先に……君のことを好きになったんだ…」

「え……」

「………だから本当に、高瀬さんに告白された時は嬉しかった…。ずっと…、ずっと高瀬さんを見てきていたから…」

 相川君の告白は、私の全く知り得なかったことだった。

 驚愕で固まる私。

 その私に気づいているのかどうかはしらないけれど、相川君はぽつり、ぽつり、と言葉を続けた。

「………長瀬に協力してもらおうとしてるのも知ってた…」

「………」

「………それに、俺の方も長瀬に協力してもらってたんだ…」

「………」

 その告白は、実に予想もしなかったもので。

「………未練がましいけれど……、本当は今も…高瀬さんのことが……好きなんだ……」

「―――ッ!!」

 息を、飲みこむ。

 頭の中で今の言葉を繰り返した。

 ……今でも…私のことが好き…?

 ……未練がましい…?

 これは―――一体どういうことなのか。

 振ったのは相川君。

 振られたのは私。

 今のその言葉は、私にとっては矛盾しまくりの言葉でしかない。

「なん…で……? だって……振ったのは…、振られたのは………っ」

 聞きたい事は上手く言葉にならなかった。

 ただただ、感情だけが先走って言葉に表すことができない。

 でも、相川君は私の言葉にしたい事を分かっていた。

「……ああ。振ったのは俺の方なんだけど…な」

「どうして…、どうして……っ」

 ――今になってそんな事を言うの…?

 言葉に、それすらもならず飲み込んでしまう私。

 もしも今でも相川君が私のことを好きでいてくれるというのなら―――私が振られた理由はどこにあるというのか。

 私にはとてもじゃないけれど分かるはずがなかった。

 触れる背中から、相川君がゆっくりと呼吸をするのが伝わる。


「……俺は……高瀬さんには俺と同じ立場で恋愛をしてほしかったんだ…」


 その言葉による衝撃をどう表せばいいのか分からない。

 でも、相川君の言葉は―――私の心を貫いた。

「………それ…は……どういう……」

 それでも初め、その言葉の意味が分からなかった。

 いや、本当は分かっていたのかもしれない。……ただ、頭でそれを認めたくなかっただけで。

「……高瀬さんが俺のことを好きでいてくれるのは分かってたし、嬉しかった…」

「………」

「……でも…いつも君は無理ばかりしてたから………」

「………」

 無理をしていたつもりはない。

 好きだから、相川君のためなら何だってできると思っていたから。

 ――でも、相応しくあろうといつもの私以上の私であろうとしたのは事実。

 否定することは……できなかった…。

「……だから…そんな高瀬さんを見てるのは正直辛かったし…」

「………」

「………悲しかった…」

 思いもよらなかった。

 そんなふうに相川君が思っていただなんて。

 ただ、私は相川君に迷惑をかけないように、不釣合いだと思われないように。

 そう思ったからこそ、素敵な女の子でいたいと思っていただけなのに………―――まさか、それが逆に相川君を悲しませていただなんて。

「………俺は……いつもの元気な高瀬さんを好きになったから…」

「………」

「………ありのままの君を好きになったから…」

「………」

「………正直のところ…、俺は長瀬が羨ましかった……」

「………」

 だから、これ以上付き合うことはできなかったのだ――と。

 相川君はそう言葉を続けた。

 何も、言うことができなかった。

 言える……はずもなかった。

 沈黙が私達の間に流れる。

 一歩、相川君はゆっくりと保健室の中へと足を踏み出す。

 ゆっくり、ゆっくりとした足取りで歩き、そして私を使われていないベッドに座らせるようにして背中から降ろした。

 離れてしまった体に。

 消えてしまった温かさに。

 胸が痛くなるのを感じながら私は相川君を見上げる。

 相川君は私の方を振り返らなかった。

 大きくて広い背中が、私の前に広がる………それだけ。

「………すまない…。今、ちょっと高瀬さんに顔を見られたくないんだ…」

「……ぁ………」

「………先生を呼んでくるよ…」

「…! ………待っ…」

 て――というよりも先に、相川君は開けっ放しでいた扉を走りぬけるようにして、部屋から出て行く。

 追いかけることはできなかった。

 足が云々という問題ではなく、追いかけることは私にはできなかった。

 駆け出した相川君。

 私は見てしまった。

 この保健室に置かれている鏡に映った彼の顔を。

 悲しげに顔を歪めた……彼の顔を。

 開けられたままの扉の向こうを見つめ続け、私は動けなかった。

 何も言うことができなかった。

「………高瀬」

 と。

 掛けられた声は聞き覚えのあるもので。

 いつの間にここに来たのか、傍に長瀬が佇んでいた。

 顔をそちらに向けるものの、どうしてか長瀬の顔が見えない。

「……あ……あれ……?」

 突然、長瀬の胸に顔を埋めるようにして抱きしめられる。

 抱きしめられ、当てられた長瀬の袖が冷たいと感じた。

「泣きたきゃ思いきり泣いとけ」

 袖の冷たさと。

 長瀬のその言葉に。

 私は自分が涙を流しているのだということに気づく。

 そして、私は泣いた。

 顔をぐちゃぐちゃにしながら、思い切り泣いた。

 正直、長瀬の優しさが嬉しかった。

 その温かさに、救われたのかもしれない。

 どうしてまた自分は長瀬なんかの前で泣いたりしているんだろう、とか思わなかったわけでもないけれど、とにかく思い切り泣き続けた。

 泣いて、泣いて。

 泣き疲れて眠ってしまうほどに。

 だから、知らない。

 泣き疲れて眠ってしまった私を見て、その瞳に残る涙を長瀬がそっとすくいとったことも。

 私を見守る優しい眼差しも。

 そして――

「………馬鹿だよ、お前ら…。俺がどんな気持ちでいたと思ってやがんだ……」

 ――――静かに呟かれたその言葉も、私が知ることはない。





 その日を境に変わったこと。

 一つは、私の相川君に対する態度。

 失恋後から普通に接することができないでいたものの、それに輪をかけたように極力彼に近づかないようにしていた。

 顔をあわせることも、その姿を視界におさめることすらできないでいた。

 そしてもう一つ。

「ちょっと、人の頭叩かないでって言ってんじゃない!!」

「ああ? 悪ぃ悪ぃ」

「………長瀬、どうかしたの…? あんたらしくないわよ、最近」

「別に何もないぜ。細かいこと気にしてんじゃねェよ」

 こつん、と私の頭をもう一度叩く長瀬。だがそれは叩くというには弱すぎる衝撃。

 他愛もない日常とかした私と長瀬の喧嘩。

 それが――微妙に変化していた。

 いうなれば、長瀬の私に対する態度が変わったとでもいうべきなのか。

 からかうのはそのままだというのに、その後発展していた喧嘩が発展することがなくなったのだ。口喧嘩はするが、遊びの叩きあい、蹴飛ばしあい、追いかけっこなどに発展しなくなった。

 そう―――長瀬が優しくなったというべきなのかもしれない。

 気にするなと言われても気になってしまうのが私の性格というもので、何度も長瀬に突っかかるように問いかけた。しかし長瀬がその問いに正直に答えることはなく、はぐらかされて毎回終わってしまう。それを繰り返している内に、問いかけるのも馬鹿らしくなって、次第に私はその長瀬の態度の変化の理由を気にすることはなくなっていた。

 そして、それが新たな日常の一コマにすりかわっていた。……意識しない間に。

「なんかさぁ、麻耶と長瀬、いい感じになったよね」

 久々の問題発言をしたのはやはり親友の一人で。

 その言葉に、私はそれを初めて意識した。

「は? 何言ってんのよ」

 ジュースを飲んではいたものの、吹き出すことなくさらりと受け流す私。

 その私の様子に、何故か親友二人の動きがぴたりと止まった。

 二人、何故か顔を見合わせて頷きあい、意味ありげな視線を私へと向ける。

「……麻耶…、変わったね、あんた…」

「どこがどう変わったのよ?」

「……前はそう言われるとすっごく嫌がってたくせに、今は全然嫌がってないし」

「そうそう。それに……ちょっと顔が赤い気がする…」

 二人にそう言われ、私は眉を顰める。

 表情には出さなかったが、二人に言われることは一理あった。

「失恋から立ち直った女は生まれ変わるもんなのよ」

 さらりとそう言ってのけて誤魔化して、私は思い切りジュースを飲み干した。

 ずずずっとうるさい音をたててジュースを飲み干したのを見計らうようにして、頭に軽い衝撃を感じる私。

 見上げたその先には、予想通りの顔があって。

「……何よ、長瀬…?」

 嫌そうな顔を向ける私のおでこに軽くデコピンを食らわせて、長瀬が苦笑する。

「いや、特に用事はねェよ」

「…ならそんなコトしないでよね」

「あまりにも女らしくない行儀悪さだったからつい、だな」

「! なんですってー!?」

「どうどう、落ち着けって」

 まるで馬を宥めるようにして宥められる私。その人を小馬鹿にしたような態度にむかつきはしたものの、一方でそれほどのむかつきでもないような気がしていたのも事実だった。

 ふうっと大きく一度深呼吸をして心を落ち着かせる。

「……まあ、いいわ。いちいちからかわれて気にしてたらきりがないし」

「へェ…。ちったー成長したってことか、お前も?」

「…その言い方は微妙にむかつきはするけど、いいわ、今日は気分がいいから許してあげる」

「へいへい――っと。ありがたき幸せー」

「……感情篭ってないわね…」

「当たり前だろ」

 軽く言い合って、視線を合わせて沈黙すること数秒間。

 その後で長瀬と私はほぼ同時に吹き出していた。

 ……ああ、なんというか、こういうことを気が合うとか言うのかもしれないなぁ…。

 などということを思いながら、私は長瀬と会話をした。

「………やっぱりあんた、変わったって…」

 ぼそりと親友が呟いたが、私にはそれは聞こえなかった。





 もともと口喧嘩という悪態のつきあいの付き合いではあったけれど、冗談まじりでの付き合いだったからか、長瀬と私の仲は良かったと言えば良かった。悪友という言葉がしっくりきていた前の関係。

 そしてあれ以来、長瀬の方が丸くなり、私も自然と丸くなっていたからお互いの関係が柔らかくなった。

 私自身は全く気にもしていなかったのだが、それは第三者から見れば「いい雰囲気だ」という状態であったらしい。親友がそれに似たことを言って私をからかうことはあったものの、からかわれているだけなのだと全く気にも止めずにいた日々。

 ――が、その日は訪れた。

「ちょっと、高瀬さん」

「ん、何よ?」

 放課後、部活に行こうとしていた私を引き止めたのは同じクラスメイトの女子数人。本当にただのクラスメイトでしかなく、会話と言う会話は事務的なものか挨拶くらいしかしたことのないような、付き合いの薄い女子達。

 何事かと思ったものの、大した用事ではないだろうと思い適当にあしらっていた私だったのに

「…………」

 ―――何故か、気がつけば声を掛けられた時の倍はいるだろうという人数で囲まれてしまった後だった。

 人気のない裏庭などに連行されたわけではない。

 しかし放課後ということでクラスメイトの大半が教室からいなくなったこの場所もまた、人気のない場所であると断言できてしまうほどの場所といえて。

 ………これはいわゆる呼び出しというものなのかも…。

 頭の中でそう考えるに至った時、既に遅く。

「あんたさー、何のつもりよ、ホントに」

「そうそう。長瀬君とどういう関係のつもり?」

「ただの異性として見られてないヤツだと思ってて放っておいてやったのに、ちゃっかりそのポジションについちゃってるしー」

「相川君だけでは飽き足らず、長瀬君まで毒牙にかけるつもりなわけ?」

 四方八方――否、壁際に追い込まれているので後ろは違うので四方八方ではないのかもしれないが――から口々に文句を言われる状態となっていた。

 はっきりいえば、相川君と付き合い始めた頃も同じ目にあったことがある。

 相川君はモテる男だった。

 そして今思い出したが、長瀬もまた顔がいいという事からモテる男だった。……近くに居すぎてよく忘れてしまうのだけど。

 初めての経験ではないので怯えることにはならなかったものの、こうも大勢で囲まれて、口々にあれこれ言われるのは不快でしかない。しかも人の古傷を抉るだけでなく、見に覚えのないことで文句を言われるのは迷惑千万極まりなしというものだろう。

 私は――こんな嫌がらせでやられるような可愛い女の子ではない自覚はしっかりある。

 ………五。

 心の中でカウントダウン開始。

「だいたい、もともとあんたなんか相川君なんかとつりあわなかったくせに」

 ………四。

 自分を落ち着かせるための数数え。

「っていうか、あんた男勝りなんだから今更女気取ってんじゃないって感じー?」

 ………三。

 相手に対する猶予を与える数数え。

「振られたのも当然の結果なのにねー」

 ………二。

「大人しく悪友やってればいいのよ、あんたなんか」

 ………一。

「これ以上相川君と長瀬君に色目使わないでくれるかしら?」

 ……………ゼロ。

 数え終えると同時に思い切り息を吸い込む。

 睨み付ける先は、とりあえず正面の女子生徒。

 そして――


「女の僻みほど醜いものなんてないわよ、あんたら!!」


 私の罵声が教室に響き渡った。

 私が怯んでいるとでも思っていたのか――まあ、文句聞いている間、ずっと俯いていたからそう勘違いしてても無理ないかもしれないけれど――、突然の私の大声に目を大きく開かせる女子達。

 それをいい事とし、私は言葉を続けた。

 自分で女らしくないとか口が悪いとか自覚しているだけはあり、次から次へとぽんぽんと出てくる自分の言葉に思わず拍手せずにはいられない気分に駆られる。

 そんな私に対抗する手段を持っていなかった女子達は、ただただ唖然とするしかないようだたった。

 ……喧嘩売る相手を間違えたわね、あんたら。

 そんなことを思いながら、言いたいことを言ってすっきりした私は最後に一言しめくくるべく、


「うざいのよ、あんたら」

「うぜェよ、お前ら」


 びしっと一言、言い切った。

 気が合うのか、何故か同じような言葉が重なられ、思わずやっぱりそう思うわよね、と納得しそうになり――

「…………はい…?」

 ―――はたっ、と私はそれに気づいた。

 ………なんで言葉が重なるわけ…?

 ここにいるのは集中攻撃を受ける――はずだった、もしくは受けていた――私と、集中攻撃をする――もとい、していた――女子達のはずで、私の味方はいなかったはずである。言葉が重なることなんて、私と同意する女子がいるなんてとてもじゃないけど思えない。

 ……………っていうか、今の声ってもしかしなくても…。

 聞き覚えのある声だった。

 はっとして、目の前にいる女子達を見れば、私ではなく違う方向に視線を向けたまま硬直している。

 私はその女子達の視線を追うように、教室の前側にある扉へと視線を向けた。

「うぜェって言ってんの、聞こえなかったか、お前ら?」

 もう一度発せられる言葉。

 その言葉に、女子達の体が目に分かるほど震えた。顔を一瞬にして青褪める子まで表れている。

 私もこの展開は予想していなかった。

 彼女達もまた、この展開を予想していなかった。

 ……ああ、でも。

 噂をすれば何とやらというし、こういう展開は容易に考えられたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はその人物の名前を呼ぼうとし―――知らず知らずのうちに息を飲み込んでいた。

口を開けたものの言葉を発することができない。

「………」

 空気が重い――とでもいうのだろうか、こういう状況を。

「お前ら、一体何やってんの?」

 その人物は、カツンッ、と音を立てて教室に足を踏み入れる。

 一歩、また一歩、とゆっくりとした足取りでこちらへと近づいてくる。

 顔を青褪めることにはならなかったものの、女子達と同じように体が震える自分がいた。

「…………な…」

 声が、出ない。

 声が――出せない。

 どうしてかなんて、理由はよく分からない。

 ただ、その人物の纏う空気が恐いと思った。

 よく知る人であるはずなのに、全く知らない人に思えてしまう。

 こんな彼は知らない。

 こんな様子の彼は見たことがない。

「………なが…せ……?」

 ようやく発せられた声は震えを含んだもので。

 私はその人の――長瀬の名前を呼んだ。

「お前らが何勘違いしてるか知らねェけどな、高瀬は別に俺達に色目とかそんなん使ってなんかいねェんだよ」

 近づく長瀬に怯えるように、一歩後退する女子達。

 逃げるようにして動いた女子達のおかげで、私と長瀬の間を邪魔する存在がいなくなる。

 はっきりと、その表情が伺えるようになった。

 ―――怒ってる。

 誰が見てもわかるほどに、長瀬は怒りを露わにしていた。

 ゆっくりと、しかし力強い足取りで私の傍まで歩み寄った長瀬は、私に触れれるか触れれないかという位置でようやく歩みを止めた。

 瞬間、ぐいっと体が引き寄せられる。

「うわ…っ!?」

 バランスを崩し、そのまま長瀬の胸元に埋まるようになってしまった私の頭の上で、


「だいたい色目使ってんのは俺の方だし? 今、俺はこいつ以外眼中にねェからな」


 と、長瀬が言った。

 それは―――とてつもないくらいの問題発言だった。

 その後のことはよく覚えていない。ただ目の前の女子達の中で泣きそうな子がいたとか、長瀬に一言二言言われて走り去っていた子がいたとか、そういったうろ覚えの記憶しかない。

 その問題発言を理解するのに時間がかかり、且、理解して思考回路が停止してしまったために、その後のことはよく覚えていない。

 覚えているのは、一つのことだけ。

 先ほどの真剣に怒ったときと同じで、私の見たことのないような真摯な眼差しが、まっすぐに私に向けられていたこと。

 その眼差しに射抜かれたように捕らわれてしまった私は、その時長瀬の口から発せられた言葉を聞き取ることができなかった。

 聞き逃してはいけない言葉だと思ったのに、私はその言葉を聞き逃してしまっていて。

 足にすら力が入らずにその場に座り込んでしまった私は、それから数分後に親友が忘れ物を取りにやって来るまでそのままの状態でい続けたようで。

「……麻耶…、あんたそんなトコに座り込んで何やってんの…?」

「………へ…?」

「……熱でもあるわけ? 顔、真っ赤よ、あんた」

「――――ッ!!?」

 ようやく我に返った私は、瞬時にしてもともと赤かったらしい顔をさらに真っ赤にさせた。

 その後、親友に一部始終の出来事を告白するはめになったのは後の話である。





 次の日の放課後、私は相川君に声をかけられた。

 昨日のあの出来事以来、長瀬と会話をしていない。いや、視線すら合わせていない。一方的に私が避けていたということもあったが、長瀬自身も私を見ないようにしていた素振りがあるように見えた。

 正直、相川君に声を掛けられた時は驚き、固まりそうになる自分がいたものの、「話をしたい」という言葉に了解した。

 人気のない場所に行き、二人っきりになる。

 二人きりというシチュエーションに、ありありと失恋した時のことや、相川君の心の内を聞いた時のことなどが思い出され、胸に痛みが走った。

「……長瀬のことなんだが…」

 話を切り出したのは相川君。

 その名前に過敏に反応しそうになる自身を私は抑えた。

「……高瀬さん、昨日あいつから告白されたんじゃないか…?」

「…え…、どうし……て………」

「二人のことを見てたら何となくそんな感じがしたんだ」

 ははっと相川君は苦笑するように笑ってみせる。

 そして――

「……それに、俺はあいつの気持ちを知っていたから…な………」

 私にとっては爆弾発言といえる言葉を、彼は言った。

「知って…いた……?」

「………あいつの気持ちを知っていて、自分のための協力をさせた自分は卑怯だと思ったが…」

 今だからこそ語られるその事実に、驚かずにはいられない。

 知っていて協力させた――これはつまり私が相川君と付き合えるように長瀬に協力してもらっていた時に、すでに長瀬の気持ちが今と同じだったということに他ならない。

 全く気付かなかった。

 あれほどまでに傍にいたのに……

「私……全然気づかなかった………、気づいて…なか……った……」

 ――なんて、自分は鈍いんだろう。

 ――なんて、自分は罪なことばかりしているんだろう。

 相川君と別れるに至った原因も、他ならぬ私自身で。

 それですら自分が嫌で嫌で仕方がなかったというのに………―――私は、相川君だけでなく長瀬までもずっと苦しめ続けてきてたのだ。

 頭の中に蘇ってきたのは、昨日の女子達の言葉。


 ――相川君だけでは飽き足らず、長瀬君まで毒牙にかけるつもりなわけ?


 …ああ、本当にその通りだ。

 自分の厭らしさに、涙が出そうになる。

 酷い顔をしているのだろう、今の自分は。

 だから相川君に見られたくなくて俯いて視線を足元へと向ける。

「……高瀬さんは長瀬のことをどう思っているんだ…?」

 相川君の言葉を頭の中で繰り返し、自問自答する。

 私は長瀬のことをどう思っているんだろうか?

 初めは友達、冗談の言い合える悪友みたいなものだと思っていた。

 それが、私達の関係だとずっと信じて疑わなかった。

 でも今はそうじゃないと言い切れてしまう自分がここにいる。

 少なくとも、長瀬は『友達』としてだけじゃない眼差しで私を見続けていてくれたのだ。

「………分から…ない……」

 ……私はどうなんだろう…?

 何度頭の中で考えても、心に問いかけても答えがでてこない。

「嫌いじゃないだろう?」

「………」

 言葉を返す代わりに頷く私。

「……それに…長瀬といて幸せだって思っているだろう…?」

 幸せってどういう気持ちなんだろうか。

 幸せかどうかは分からない。でも――

「……分からない…。でも……一緒にいると楽しい…し……、嬉しい……って思ってるんだと…思う……」

 ありのままでいられる自分。

 何気ないやりとりが楽しいと思える。

「……長瀬に告白されてどう思った…?」

「………わた…し…は……」

 思うよりも先に体が反応して動けなくなった。

 驚きが大きかったのは事実。でも――それだけじゃなかったはず。

 嫌だったのか。

 それとも嬉しかったのか。

 ……私の気持ちは何…?

「…? ……あ、……あれ……?」

 気がついたら、視界がぼやけていた。

 頬をつたう温かいものを感じる。

 俯いていた顔をあげて、広がったぼやけた視界の中で、相川君が笑ったような気がした。

「ほら、高瀬さんの中ではしっかりと答えが出てる」

 悔しいけど、長瀬なら仕方ないな。

 そう言葉を続けて、自分の気持ちを誤魔化すようにして苦笑してみせて。

「その涙が答えだよ」

 相川君は、優しい口調でそう言った。

 その言葉をきっかけに、ぶわっと溢れだす涙。

 かっこわるくて、ばかみたいで、必死になって私はその涙を拭おうとする。しかし拭うよりも涙が溢れるほうが大きくてどうにもならず、泣き続けることになる私。

「相川君のこと…、ホント…に……好き…だったの……」

「………ああ」

「ホントのホントに好き…だったの……っ」

「………ああ。…ありがとう」

「…………っ」

 勝手でしかない私なんかにお礼を言ってくれる相川君の優しさが切なくて、涙がさらに溢れだす。

 声が、聞こえた。

 私のよく知る声が、聞こえた。

 ……私の大好きな声が、聞こえた。

「ばぁか。お前、また何を泣いてんだよ」

 からかうような、それでいて優しい言葉。

 いつの間にか相川君の姿はなく、私の傍には長瀬の姿があって――あとで初めから長瀬が傍に隠れるようにしていたのだと知ることになる――。

「……長瀬のせい…なんだから…ね………っ」

 泣きながら、私は言う。

 言いたいこと、言わなければならないことはたくさんあるはずなのに、言葉にならなくて可愛くないいつもの売り言葉に買い言葉しか出てこない。

 でも、長瀬は笑った。

 意地悪そうな笑みではなく、包み込んでくれるような優しい笑み。

 そっと感じたのは人の温かさ。

「………だったら責任とらねェとな」

 広い胸に頭を埋めるようにしてその背中に腕を回す。

 泣いているはずなのに、自然と私の顔にも笑みが広がる。

 そして、長瀬を見上げるようにして私は言った。

「当ったり前でしょ」

 と。


二十年くらい前に書いた物です。

たぶん、中学か高校生くらいの設定のはず。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ