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青い瞳


 登校二日目。火曜日。

 拓真が都立杉波高校に辿り着いたのは、午前八時五分。昨日と似たような時間に着いたことに少々驚きながら、彼はすでに登校しているであろう翔太や里香のいる三階教室へ向かうべく、校舎の中へと足を踏み入れた。

 昨日同様。あの事件の事で興味の視線を向けられて鬱陶しさを感じるも、それも日が過ぎれば次第に減っていくだろう。それまでの辛抱だと思い、三階までの階段を上がりきって、教室後方のドアの前に立った。


「はよーっす」


 いつものように教室のドアを引きながら挨拶をすれば、室内のクラスメイトの視線が向けられる。

どうせ昨日みたいな驚きと憐れみの視線を向けられ、壊れ物注意な態度をとられるんだろうと思っていた。の、だが……。


「お。拓真おはよー」

「拓真くん、おはよう」

「お、おう……おはよう」


 今日は珍しく、翔太と里香以外のクラスメイトから挨拶が返ってきた。しかもその目に憐れみも驚きもない。

 考えてみれば、ドア付近の席に座っていたクラスメイトなのだから、挨拶が返ってきても特別驚くようなことじゃないのだろうが、昨日のざわついた雰囲気を感じた身として、いつも通りに挨拶が返ってきたことに拓真は驚いてしまった。

 今週ぐらいはまだクラスメイトのぎこちない態度を想定していた彼としては、この対応に驚くも、早くいつも通りの生活に戻れるのであればそれに越したことはないし、嬉しい誤算だ。

拓真は挨拶を返してくれたクラスメイトにすれ違いざま声をかけながら、窓際の自分の席へと向かった。

 そこにはすでに登校していた翔太と里香が、自分の席の隣と前に座って話をしていた。そんな二人に声をかける。


「翔太、里香。はよーっす」

「お、拓真! はよー」

「おはよう、拓真」

「ん? 二人とも、何話してたんだ?」


 少しだけ難しそうな顔をしながら話していた翔太と里香に声をかけながら、拓真は尋ねた。


「あ、うん……あのね」


 歯切れの悪い口調で里香が口を開き、言葉を紡ぐ。


「実は水瀬さんのお父さん、昨日から家に帰っていないんだって。遅くなることはあっても帰ってこないことは今までなかったから、心配してるんだって」

「へぇ……」


 水瀬。と言えばこのクラスで学級委員長をしている女の子だったと拓真は記憶し、ちらりと視線を彼女に向ければ、水瀬は数名の女子クラスメイトに囲まれ、心配そうな表情を向けられていた。


「拓真の家の事件もあった後だから、同一犯じゃないかって不安になってるみたいなの。……怖いよね。こんな不穏な事が続くと」

「なんか、この街も怪しくなってきたよな……。昔はもっと平穏な街だったのにな」

「……そう、だな」


 拓真は思った。

 自分の家の事と言い、平和だったこの街が徐々に崩れ始めている。事件が起こるだけなら、どこの街にでもある出来事なのかもしれない。

 だが、こうも立て続けに不穏な事件が起こるのであれば、少し疑いたくもなる。何か大きな事が起こる前触れなのではないか、と……。


「ま、あれだな。不穏な事は起こるけど、そればっかりじゃない! 楽しいことだって、笑顔になれることだってたくさんある! 俺達はそれを見て大人になろうぜ‼」

「翔太……」

「相変わらず元気だね、翔太は。――そうだね。暗い話はもうおしまい。明るい話もしようよ!」


 そう言うと、里香は制服のスカートポケットの中にしまい込んでいた四つ折りのチラシを広げ、それを拓真に広げて見せた。

 ポップでカラフルなレイアウトが施されたそのチラシには、リニューアルオープンの文字が大きく書かれ、その下には様々な街並みの写真が写っていた。


「あのね。前に翔太と話していたんだけど、繁華街のお店が次々リニューアルしていて、一度三人で遊びに行きたいねって話をしていたの。ねっ、翔太」

「お、おう! 大型のアミューズメントパークもショッピングモールも今週の土日にはリニューアルオープンするってチラシがこれでさ。行きたいよなーって話。あ、もちろん拓真も行くよな?」

「当たり前だろ」


 三人で出かけることを嬉しそうに話す里香と、どこかぎこちなく話す翔太。二人の顔を見比べながら、拓真は今朝自宅で鞄の中に投げ込んだウインナーが巻かれたロールパンを取り出し、袋の封を開けて一口かじる。


「それで、日にちはいつにするんだ?」

「えっとね。みんなの予定を合わせなきゃって思うんだけど、二人はアルバイトいつお休みかな?」


 そう言いながら里香は自分の鞄に手を伸ばし、水色の可愛らしい手帳と色ペンを取り出し、垂れ下がる右横の髪を耳にかける。次いで翔太が自分のアルバイトのシフトを確認しようと、シフトの書かれたメモ紙を鞄の中からガサゴソと探し始める。その横で拓真はパンを片手にスマートフォンに手を伸ばし、カレンダーを画面に表示させる。

 三人三様に動き出し、今度の外出に乗り気になった時だった。


「東雲さーん。いますかー?」

「あ、はーい!」


 小さいなりに声を張る数学教師・如月先生に里香が呼ばれたことにより、話は一時中断となる。

里香は何故呼ばれたのか分からず、首を傾げながらも「ごめんね」と拓真と翔太に謝りつつ、また後でと席を立った。そして早足で如月先生の元に駆け寄り、そのまま教室外の廊下に姿を消した。

 残された拓真と翔太の二人は軽く手を振って里香を見送る。

 そして、


「――翔太。お前、里香と二人きりで出かけたかっただろ?」


 見送りの笑みと姿勢を絶やさぬまま、拓真は翔太に爆弾発言を投下してやった。

 直後。翔太の体はビクリと大きく跳ね上がり、顔が一気に固まった。まるでロボットのようだなと固まった翔太を見ていれば、今度はギギギッとまるで油の差し忘れた機械のように動き出し、声をかけた主の方を向く。その顔は赤く、冷や汗が垂れていた。


(……図星か。分かりやすい)


 何故里香といる時は上手く自分の感情を隠しているのに、他ではボロを出しまくるのだろう。

 翔太の分かりやすい性格、隠し事が出来ない性分を多少憐れみながら、拓真は再度パンを食べ始めた。


「な、なな、な、なんのことですかな? タクマくん」

「お前、分かりやす過ぎ。後、口調変わって気持ち悪い」


 動揺を隠しきれない翔太をバッサリと切り捨て、拓真はまたパンをかじる。そんな彼の姿に観念したのか、翔太は深く溜息を吐いて項垂れた。


「……なんで分かったんだよ?」

「分かるだろ、見ていれば。里香と話している時のお前の表情を見れば一目瞭然。後は、日頃のお前の行いだな」

「……悪いかよ?」

「誰も悪いだなんて言っていないだろ? 好きな人が側にいたら、誰でも二人で出かけたいって、そう思うのが普通だろ?」


 今にも拗ねてしまいそうな翔太の想いを軽くだがフォローしつつ、未だにソワソワして落ち着かない相手をからかうように拓真はこう言葉を続けた。


「でもま。美人で人気のある里香に惚れるなんて、お前も大変だよなー」

「……まぁ、な」

「里香が笑うたびに見惚れているし、狙っているライバルは多いし」

「……そう、だな」

「今は側にいられて、他の奴より一歩リードしているけど、逆にそのせいで中々進展出来なくて生殺しくらって」

「…………」

「あー、大変だ。可哀想な翔太くん」

「だーっ! もううるせーよ! しょうがないだろ! 惚れちまったんだから!」

「だから、それが大変だなって言っているんだろ?」

「その俺をいじるような発言を、止めろって言っているんだよ! だいたい、里香はあんなに可愛くて優しくて……惚れない方がおかしいんだよ! なんで長い間一緒にいて惚れないんだよ! この幼馴染み!」


 顔を真っ赤にして逆ギレしだした翔太を面白可笑しく笑いながら、拓真は如月先生と共に教室を離れた里香のことを思い出す。

 確かに彼女は可愛くて、気立てがよくて、そして優しい。それは里香と接した誰もが知り得る事実だ。

――それこそ、血の繋がらない父親の為に気を遣い、体質的に合わないと言っていたカラーコンタクトをつけるぐらいに。

 彼女――東雲里香の瞳は青い。

 理由は簡単だ。アクアブルーのカラーコンタクトをつけているからだ。元は、綺麗な漆黒の瞳だった。

 そんな彼女が、体質に合わないと言って拒否していたカラーコンタクトをつけて拓真と翔太の前に現れたのは、高校一年の秋頃。連休が明けた月曜日のことだった。

 突然のことに驚く二人に対し、顔覗きこまれることに照れながらも『この色、似合うかな?』と笑った里香の表情を、その時の衝撃と共によく覚えている。

 彼女は最初、気恥ずかしそうに笑っていたが、やがて真剣な眼差しで二人に理由を話してくれた。


『似てないんだって。私とお父さん』


 悲しそうな笑顔で話を切り出して、里香は言葉を続けた。

 里香のお母さん――おばさんはシングルマザーだ。里香に父親はいない。

彼女自身が生まれているという以上父親となる人間は一応いたわけだが、そいつは二人を捨てて里香が赤ちゃんの頃に家を出ていったらしい。それ以上の詳しいことは聞いていない為知らないが、それから里香がこの歳になるまでおばさんは女手一つで彼女を立派に育て上げた。

 だが、つい半年前、おばさんは再婚した。相手は職場である飲食店のお客さんで、エリート会社勤務の日本在住のアメリカ人だ。

 最初のうちは友人である拓真の母親も含め周りが心配していたが、そのアメリカ人――里香の新しい父親は優しかった。

 会社が忙しい時でも必ず定時に上がれるように努力し、休日は仕事の疲れが溜まっていても家族三人で過ごす時間を大切にしていた。

 おばさんの離婚歴も、成長した里香の存在も受け入れた新しい父親の存在は大きく、おばさんとその人は幸せの内に結婚し、三人は新しい家族となった。

 父と呼べる存在が現れたことにより、里香は今以上に幸福を感じ、よく笑うようになった。昔よりも、ずっと。だからこそ、こうして悲しそうな顔を見せる里香は久しぶりで、二人は対応に困った。


『……お父さんがね、泣いていたの。ずっと笑顔だった、あのお父さんが……』


 事の起こりは先週の連休。里香の新しい父親――おじさんの、アメリカ人の友人が開いたホームパーティーに三人が招かれ、訪れた時だった。

 異なる文化と食に戸惑いながらも、おじさんの妻と娘と紹介された二人は照れながらも幸せな時を過ごしていたそうだ。

 あの言葉を、告げられるまでは……。


『お前の娘は美人だけど、やっぱり顔が似ていないよなー』


 おじさんの友人の言葉に、おばさんと里香は動きを止めたという。


『おいおい、当り前だろう? 俺達は再婚同士なんだ。それに、日本人とアメリカ人の顔が似ていたら、それこそ驚くだろ』


 友人は酒に酔った勢いで発言したということと、おじさんのフォローのおかげでその場は円満におさまり、後にパーティーはお開きとなった。だから問題はなく、里香は失言を吐かれた自分が我慢すればいいと、そう思っていたらしい。

 しかしその日の夜。里香は見てしまった。

 リビングのソファーで涙を流す、両親の姿を。いつも笑顔を絶やさなかったおじさんが顔に片手を添えて隠すように泣いているのを。


『……私達は家族だ。たとえ血が繋がっていなくても、その事実に変わりはない。だが、やはり言われるときついな。姿が似ていなければ家族には見えないのだろうか?』


 覚悟はしていたが、こうも苦しいとはな。

おじさんはそう言葉を続けて、おばさんの手を握り寄り添った。そしてその光景を見てしまった里香はある覚悟を決め、そして行動に移した。

 それがこの、アクアブルーのカラーコンタクトをしている理由だ。

 おじさんの澄んだブルーの瞳には負けるものの、同じ青色という瞳が家族の繋がりの証だと里香は笑って教えてくれた。

 ここまで思い出せばもう、里香の優しい心が分かるし、翔太がその優しい心を持った里香に惹かれる理由は拓真にもなんとなく分かる。

 だが、その話を聞いた時。拓真は里香がやったことに口を挿まなかったが、彼女の気持ちを理解してやることが出来なかった。

 自分は、父親の為にそこまで出来ないと思ったからだ。

 例え血が繋がっていようがなかろうが、父親という存在の為に何かをしてやりたいとは思えない。自分を大切に育ててくれた母親の為なら話は別だが。

 翔太はさき程言った。『なんで長い間一緒にいて惚れないんだよ』と。

 それは多分。拓真と里香の物事の見方、価値観の違いからなのだろう。

 小さい頃から“幼馴染”という存在として付き合ってきた為、一人の女の子として見られないのも理由の一つだが、価値観の違いが一番の理由なのかもしれない。

 里香は父親という存在に憧れ大切にしてきたが、彼はその真逆。父親という存在を嫌悪し、接したくないと思ってきた。その価値観の違いが、拓真と里香の間に僅かなズレを作っている。そのズレが、友達以上の好意を抱かない理由なんじゃないかと彼は思った。

 価値観が違う子と付き合っても、きっと長続きはしないであろう。


(でもまぁ、その点。翔太は違うよな)


 三年前に人を助けようとして亡くなった親父さんを今でも尊敬しているとよく笑い、父親という存在を大切に思う里香と価値観が同じである。この二人なら付き合っても互いの意思を傷つけることなく、いいカップルになることが出来るだろう。

 そんなことを考えながら、拓真は目の前で深い溜息をつく翔太を眺めた。


「はぁ……拓真はいいよな」

「は? なんでだよ」


 突然何を言い出したのかと思えば、翔太は恨めしそうな顔で拓真をじっとりとした目で軽く睨みつける。


「だってよー。小さい頃から里香のこと知っていて、幼馴染ポジションで、頭良くて、スポーツ出来て、イケメンで」


(コイツは急に何を言い出すんだ?)


 というのが、拓真の率直な感想だった。

 突然意味もなく褒められても嬉しくはないし、寧ろ普段言われ慣れないことを言い出されれば、ただ単に気持ち悪いだけだ。拓真は軽く引きながらも、翔太が続ける言葉に耳を傾けた。


「まぁ。料理は出来ないけどそこは逆に、料理上手な女の子の特技を引きたてられるいいポイントだろ?」

「……は?」

「あーあ。俺、拓真がライバルだったら勝ち目ねーかも」


 翔太の言葉に対し、拓真は素早く反論することが出来ず無言になってしまう。

 出来るのであれば否定したい。だから自分と里香には価値観にズレがある為、幼馴染として大切に思うことはあっても、好きになることはないのであって――と、頭の中では考えてみるも、今の翔太を目の前にすると説明するのも面倒くさい。

 だいたい、翔太は脈がないと思い込んでいるのかも知れないが、実際はそうではないと言ってもいいのなら説明してやりたい。

 ――里香は翔太に気があるのだ、と。

 里香のアクアブルーのカラーコンタクトが、口煩い教頭に見つかった後からだ。里香の翔太を見る目が変わり出し、それがやがて好意へと変わっていったのは。

 理由はおそらく、翔太の行動からだろう。

口煩い教頭が里香のカラーコンタクトを非難し、二度とつけるなと怒鳴りつけた時だ。翔太は里香の前に割って出ると教頭を睨みつけ、


『理由も知らないで文句言ってんじゃねーよ! ストレス溜まっているからって、生徒に八つ当たりすんなっ! このハゲ! カツラ外してから文句言いやがれっ!!』


 と、激怒し教頭相手に怒鳴ったのだ。

 普段はヘラヘラと笑い、怒ることがなかった翔太が激怒した。そのことでクラスメイト全員に加え、その場を通りすがった教職員も驚いた顔をしたのを、拓真は今でもよく覚えている。もちろん、里香を庇った翔太の勇姿も、だ。

 その後翔太は図星を突かれた教頭に叱られ、反省文を書かされたが、翔太はそのまま引き下がるような真似はしなかった。

 書き上げた反省文を、校長に直談判も兼ねて提出したのだ。

今回の発言、自分は言いすぎましたという内容の反省文を手に。だがしかし、里香が非難されるいわれはないと。

 彼女は義理の父親と家族という証の為にカラーコンタクトをしていることを、翔太は校長に説明した。もちろん、この内容は他の人には秘密で、どうか許してやってほしいと、頭を下げたと。

 後日、校長はその事実をこっそりと拓真と里香に教えてくれた。当然、それを了承したとにっこり笑って、この事件は幕を閉じた。

 あの事件を機に、里香が翔太を見る目は変わった。

 考えてみれば、身を呈して自分を庇ってくれ、尚且つ校長に直談判したのだ。そこまで自分のことに親身になってくれた人物への、見る目がが変わらない方がどうかしているだろう。

 とにかく、翔太と里香は結ばれる要素がある。脈がないわけじゃない。

 だから、翔太は拓真自身の存在を羨ましがらずとも、そのままの自分を貫けばいつか良い結果が出る時はくるだろうと拓真は思った。

 ……二人が一緒になるのは現状的に当分後の話になるだろうと思いつつ。

 そんな明るい未来を描きながら、拓真は中々進展を見せない親友と幼馴染の恋路に笑ってしまった。


(……けど、な)


 だがしかし、同時に思ってしまった。

 二人が一緒になったその時が、自分達三人の今までの関係が終わる時なのだと。拓真が望んでいる“三人で”の関係が終わってしまうのだと。


(その時俺は、ちゃんと笑っていられるのだろうか……?)


 押し寄せてくる不安から、拓真は疑問から目をそらして頭を横に振った。


「どうした?」


 と不思議そうに尋ねた翔太に「何もない」と告げ、拓真は苦笑し、二人は里香が戻ってくるのを待った。


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