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クレープ


 ――グゥ~……


(……ん?)


 不意に近くから聞こえた、聞き慣れたグゥという音に拓真は首を傾げた。

直後、目の前の彼女が今以上に――まるで顔に火がついたかのように真っ赤になり、頬に一筋の冷や汗が流れていた。


「えっと、今のって……」

「ち、違うんです! 昨日から何も食べていないとか、そういうことじゃなくて、その、えーっと……」


 ――グゥ~~……


「……あっ」

「えーっと?」


 徐々に口ごもり俯いた彼女の言葉に重なるように、再度お腹の音が鳴った。

 自分の、じゃない。彼女の、だ。

 発言から察するに、どうやら彼女は昨日から何も食べていないらしい。無理なダイエットかどういう理由かは知らないが、お腹が鳴った原因はそこにあるようだ。

 少女は恥ずかしさから俯き、拓真と視線を合わすのが嫌なのか、そこから顔を上げようとはしなかった。

そんな女の子らしい、可愛い姿には彼はつい笑ってしまった。だがいつまでも笑っていては失礼にあたる為早々に笑いを堪え、彼女の頭を髪が乱れない程度に優しく撫でた。


「チョコと苺」

「……えっ?」

「チョコと苺、どっちが好き?」

「えっと、苺が好き、です……」

「了解。じゃあ、ここでちょっと待ってて」


 それだけ言い残し、拓真は少女の頭から手を放し、ベンチから立ち上がる。側に置いてあった鞄の中から黒の長財布を取り出すと、それを手に彼はこの場を離れた。

 キョトンと不思議そうな顔をする彼女をベンチに残し、小走りで向かう先はクレープの移動販売を行っている車が停められている場所だ。先程見かけたカップルが来た方向を逆走しながら、拓真は少し離れたその場所に向かう。

 運よく今のところ他の客の姿はなく、拓真は少しだけ足を速めて車に近づき、顔を覗かせる女性店員に声をかけた。


「お姉さん。苺のクレープとツナのクレープ、ありますか?」

「はい、ありますよ。苺デラックスクレープと、ツナサラダクレープになります。一つずつでいいんですか?」

「お願いします」


 にっこりと営業スマイルを見せる二十代後半の女性店員に笑顔で返すと、店員は素早くクレープの生地を焼き始めた。その間に会計を終え、出来上がるのをしばし待つ。

 その際、さっきの少女が座るベンチに目を向ければ、そこには拓真が突然ベンチを離れたことを疑問に思った彼女が席を立ち、オロオロとした態度でこちらの様子を伺い、彼が戻るのを待っている姿が窺えた。


(ちょっと待っていてって、言ったんだけどな……)


 とは言っても、不安になる彼女の気持ちが分らないわけじゃない。拓真は軽く手を振って自分はここにいること、そして心配いらないことを彼女に伝える。


「可愛い子ですね。彼女さんですか?」

「……そう見えます?」

「はい。貴方が戻るのを心配そうに待っているように見えますけど……違うんですか?」

「さっき偶然会ったばっかりの子なんですよ」

「へー。出会ったばっかりの子の為にクレープなんて、優しいですね」

「……そう、ですか?」


 別に誰にでも優しいわけじゃないし、フェミニストってわけでもない。

ただ、女の子には優しくしたいと思ってしまう、それだけだ。

 特別女好きというわけじゃないが、何故か昔から女の子には優しくしてしまう。無意識に、いつの間にか気を遣っている。

 何故かを問われれば、それは……今は答えたくないと、返すのだろう。

 拓真自身、その答えはもうすでに出ている。しかしそれを、口にしたくはない。答えてしまえばそれは、他の事まで認めてしまうことになるから。……その“他の事”に、今の自分は蓋をしてしまいたいのだと思い知らされる。

 ――自分はあの男とは違って、女性を傷つけるような真似はしない、と……。


「はい。苺デラックスクレープとツナサラダクレープ。お待たせしました!」

「あ、ありがとうございます」


 浸りかけていた意識を元に戻し、拓真は女性店員から可愛らしい包装紙に包まれた二つのクレープを受け取り、背を向けて早足でベンチに向かった。

 クレープを落とさないようにと気を遣い、それでも彼女が待つ元に少しでも早く辿り着けるように、拓真は小走りでベンチを目指す。

 近づけば近づくほど、眉を八の字にしてこちらを見つめる彼女の姿が目に入り、拓真は多少の申し訳なさを感じた。


「ごめん、遅くなった。――はい、これ。君の苺クレープ」

「え? あの……」

「俺の奢り。一緒に食べよ」


 右手に持っていた苺たっぷりのクレープを、戸惑う彼女に差し出す。少女は眉を顰めたまま苺クレープを受け取り、拓真とクレープを交互に見つめた。そして、


「あの……」

「ん? 何?」

「これって、ナンパ、ですか?」

「――ぶっ!」


 なんとも言えない爆弾発言を投下した。

 が、言われてみればそう思われても仕方がない行動を拓真はとっている。

先程の発言でナンパのような態度には気をつけなければと思っていたはずなのに、いつの間にか疑われてもおかしくない行動を無意識にとってしまっている。

 そういえば以前里香に、


『拓真って優しいけど、その態度と発言、気をつけた方がいいよ?』


 と言われたことを今になって思い出すが、まさしくその通りだ。

 だが、弁解できるのであれば一言言わせてほしい。『俺に他意はない』と。

 ただ単に彼女がお腹を空かせている姿が放っておけなくて、自分も小腹が空いていたからクレープでも食べればいいか、と思っただけでそれ以外に、クレープを買った理由はない。

 別に、彼女と仲良くなれたらな、といったナンパな精神はこれっぽっちも持ち合わせてはいない。


(多分、だけどな……)


 ここでないと言い切れないあたり、多少なりとも男としての欲求が働いてしまったのではないかと考えてしまうと、なんだか悲しくなり項垂れてしまった。


「えっと、違うんですか?」

「違う、違う。俺は、ただ単に君にクレープをあげたかった、それだけだよ」

「……本当、ですか?」

「本当に。なんだったら、別々に食べる?」

「え?」

「俺が『一緒に食べよう』なんて言ったから警戒したんだろ? なら、俺はどこか別の場所で食べるから、君はここでソレ、食べていていいからさ」


 奢った相手に怪しまれたのは悲しいが、それもすべて自分の発言が問題なのがいけないことだ。

拓真はベンチに置いたままだった鞄に財布を無造作に投げ入れて、そのまま鞄を手にする。


「じゃあ、俺行くわ。……理由は聞かないけど、ご飯はちゃんと食べたほうがいいよ」


 毎日コンビニ弁当の自分が言えたことじゃないけど。

 そう付け加えて言うと、拓真は彼女に背を向けて歩き出す。可愛い子に出会えた上に、クレープも買えたし、よしとしよう。

 そう心に言い聞かせながら、拓真は自然公園の歩道を歩いた。


「――あ、あのっ!」


 彼女に後ろから制服の裾を掴まれる、その時までは。


「えっ? な、何?」

「ごめんなさいっ!」

「へ?」


 振り返った矢先、突然頭を下げた少女の姿に拓真は目を丸くするしかなかった。


「貴方を疑うようなことを言って、また厚意を踏みにじるような真似をして……本当にごめんなさい!」

「……えーっと?」


 それはつまりどういう意味だと首を傾げれば、彼女は申し訳なさそうに頭を上げ、こちらの様子を窺いながら言葉を紡いだ。


「その、貴方が優しくしてくれるのは厚意からの行動だって分かってはいたんです。だけど私は、今まで色んな人に声をかけられてきたからそれが信じられなくて、貴方の厚意を疑って踏みにじろうとしてしまったんです……」


「……なるほどね」

「だけど貴方は、そんな私にまで気を遣ってくれて、尚優しくしてくれて……それなのに私、私……」

「あー、いいよ、いいよ。もう謝らなくても」

「で、でも……!」


 目の前の彼女は、今にでも泣き出しそうな顔をしていた。

 あげた苺のクレープを優しい手つきで持ちながらも、その手は今にでも強く握られそうで、俺はその姿を見た時もう何も言ってほしくはなかった。


「別に俺、気にしていないから」

「で、でも、私……」


 それでも尚言葉を続けようとするのを制し、拓真は少女の頭を優しく撫でた。ビクリと彼女の体が跳ね上がったのは、自分が怒っているとでも思っている現れなのだろうか。


「……大丈夫だよ。俺、怒ってないから」


 そう言いな宥めても、彼女の曇った表情が晴れることはない。


「ま、まぁ。怒ってはないけど、悲しかったかな? 君に疑われたのは。けど、それは俺の言動が招いたことだから気にしてないよ。これは、本当の話」

「だけど、私が貴方を傷つけたのは事実です……」

「けどさ、今時の女の子はそれくらいの警戒心持っていた方がいいって俺は思うよ? 最近の男は下心があったり、野蛮だったりするからね。――あ、誤解がないようにもう一回言っとくけど俺は別だから!」

「……フフッ。分かっていますよ」


 そこでようやく彼女が微かに笑みを浮かべ、拓真は安心した。やっぱり女の子には笑顔が似合うと、改めて思う瞬間でもあった。


「まっ、そういうわけだからさ。さっきの発言はお互い気にしなかったことにして、水に流そう。ね?」

「……はい、ありがとうございます!」


 おしとやかに、だけど綺麗に笑った彼女の笑顔に一瞬見惚れるも、拓真はハッと我に返り笑顔を返した。美少女の笑顔っていうのは、やっぱり見慣れない限り、いつ見ても見惚れるものなんだなと、しみじみ思う。


(里香に見惚れる翔太の気持ち、今なら分かる気がするな……)

「……拓真さんは、本当に優しいな……」

「え?」


 彼女が何か呟いたように聞こえたが、その発言の内容は彼の耳に届かなかった。


「えっと、今何か言った?」


そう少女に聞き返しても、彼女は首を横に振り、


「なんでもないです。――そうだ! 私が言えたことじゃないんですが、さっきのクレープ、よければ一緒に食べませんか?」


 と、笑顔で流した。その笑顔に流され、拓真もそれ以上の追及は避け、同意を示すように彼女と一緒に元いたベンチに腰を下した。


「――あっ。名前」

「名前が、どうかしたんですか?」

「いや、まだ聞いていなかったと思ってさ。君の名前、なんていうの?」


 それは互いにクレープを食べ続け、彼女の鼻先に生クリームが付いた時だった。

まるで漫画のようなベタな状況を彼女に伝えようと口を開いた時、拓真はふと言葉を詰まらせた。

 これだけ言葉を交わし関わってきた彼女の名前を、拓真は知らないのだ。

 彼女はエメラルドに輝く瞳をキョトンとさせ「そうでしたか?」と告げるように首を傾げ、シャンパンゴールドの金髪を揺らす。だがしばらくの間考え、やがて、


「確かに、そうでしたね」


 と、傾けていた首を戻し、改まるかのように拓真に向き直った。

そして、


「私は織原唯です。唯って呼んでください」


 鼻先に生クリームをつけたまま、彼女――唯は大輪の華の様な笑顔を向けてくれた。

鼻に生クリームなんて間抜けなことをしていても、彼女は可愛いと思えるのだから、美少女とは本当に恐ろしい。


「俺は斎藤拓真。拓真でいいよ、みんなそう呼んでいるし」

「はい。じゃあ、拓真さん!」

「……ん?」


 そこで何故“さん”付けなのか。

 理由を問おうと唯に声をかけようとしたが、その口は噤むこととなった。何故なら目の前で唯が自身の名前をさん付けで復唱し、記憶にインプットしていたからだ。


「拓真さん、拓真さん……よし! 覚えました!」


 なんて言ってにっこり微笑まれたら、返す言葉もない。


(ほんと、なんていうか……可愛いな)


 一目惚れしたわけではないが、彼女の一喜一憂や些細な行動はとても可愛く見える。それは飾り気のない純粋さからくるものなのか、それとも自身の好みからそう思うことなのか。

 何故さん付けなのか。言いかけた言葉を呑みこんだ拓真は、代わりに「そっか」と笑うことしか出来なかったが、それでいいのだと思った。


「……ところでさ、唯」

「はい! なんですか? 拓真さん」

「鼻先にクリーム、付いているよ」

「……えっ⁉」


 直後。恥ずかしさから赤面した唯の姿に、彼は思わず声を上げて笑ってしまった。


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