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能力

 

「んっ。……ここ、は?」


 眩しい電灯の光に目を細めながら、下ろされていた瞼を上げる。衝撃的な過去の記憶の海に沈んでいた拓真を出迎えてくれたのは、他の誰でもない。


「拓真さん、気がつきましたか?」


 その記憶を創り上げた張本人である女の子――織原唯だ。

 唯は不安そうな表情で彼の顔を覗きこみ、意識があることを確認するとホッと安堵の息を漏らし、微笑した。その仕草も、優しさも、微笑んだ時の綺麗さも昼間とは変わらないのに、その姿に違和感を覚えるのはきっと、


「……拓真さん?」


 彼女の姿が、血飛沫によって赤く染まっているからだろう。

 拓真は不思議そうに首を傾げた唯から目線を逸らすと、倒れこんでいた上半身を起こして、自分の置かれている状況を確認した。

 自分が気を失っていたのはリビングのソファーの上。現在時刻は午前一時を過ぎた頃だった。自分の手を見つめ、体のいたる所を確認したところで、大した変化はない。五体満足だし、外傷もない。それなのに、自身の服のいたる個所が赤く染まっているのは、おそらく唯の返り血が付着したのだろう。


(そして、この返り血の正体は……っ!)


 顔を歪め、拓真は横になっていたソファーから和室のある方向を見つめた。襖は閉められているものの、その奥にはきっと、首を切られた自分の母親の死体があるのだろう。

 そう考えただけで胸の奥から吐き気が湧きあがり、拓真は見たくない現実から目を背けた。


「あの、拓真さん大丈夫ですか? あんまり顔色がよくないですけど……」

「……そりゃそうだろ。あんな大量の血を見たんだ。平然としていられる方がおかしいだろ」


 今のお前みたいにな。という言葉は、最後の理性を頼りに呑みこんだ。この言葉を告げれば唯が傷つくと、残された善意がそう囁いたからだ。


「拓真さん、あの――」

「悪いけど! ……あんまり顔、近づけないで。付着した血、見たくないから」

「あっ。ごめん、なさい……」


 その後の沈黙に拓真は居心地の悪さを感じた。昼間とは違い、唯に対する言葉遣いが厳しくなるのは、唯が自分の両親を殺したという現実を見てしまったからなのだろう。

 確かに拓真は両親の――父親と母親の二人の死を願った。例えそれが感情を暴走させ、怒りに身を任せた上に願ってしまったことだったとしても、確かに彼は二人の死を願い、そして暴言を吐いた。

 だがしかし、その死の瞬間を間近で見るというのは心を抉られ、何よりそれを本当に自分が願ったことなのかと疑いたくなってしまう。

 父親の件はともかくとして、死んでしまえと暴言を吐いたものの、相手は今までずっと大切に思ってきた母親だ。彼女の死は嫌な形で胸に響き、その返り血は見たくないと拒絶してしまう。

 拓真は現実から目を背けるように目を伏せ、膝を抱えて蹲った。


「……そうですか。それが拓真さんの、願いとあれば……」

「え?」


 ポツリと呟かれた唯の言葉を耳にし、拓真は伏せていた目を開き、顔を上げる。

 唯は悲しそうな顔で相手を見つめると、視線を自身の血に塗れたピンク色のチュニックにソッと手を添え、胸から腹部へと撫で下ろした。


「……なん、で……?」


 刹那。あり得ない現実が彼の目に飛び込む。――服に染み込んでいたはずの大量の血液が、姿を消したのだ。真っ赤に染まっていたはずのチュニックは本来の淡いピンク色を取り戻し、シミ一つない服となった。その後に撫でられたデニムのショートパンツも、作られた変色した模様は消え去り、本来の姿へと戻っていった。

 ……これは、現実なのだろうか?

 事の真相を尋ねようと、視線を唯の服から彼女の顔に向けてみる。すると、どうだ。彼女の頬や髪に付着していた血液は、何事もなかったかのように消え失せていたのだ。


「……なんで、ありえない。……これ、唯が、やったのか……?」


 受け入れがたい現実にうろたえる拓真に対し、唯は静かに首を横に振った。


「いいえ。私の力じゃありませんよ。全ては、拓真さんが望んだから。――拓真さんの能力です」


(俺の、能力……?)


 血が消えたのは自分が望んだから。そうなったのは自分の能力だから。

 そんな理解が出来ない内容を告げた唯はにっこりと微笑み、口を開いた。拓真に事情を説明する為に。


「その能力に、名前はありません。なぜならその力は、長い間眠り続けていたからです。そして誰も、その存在に気付いていませんでした。……能力の所有者である能力者の願いを叶える特別な力――それがこの能力なんです」


 真剣な眼差しで、唯はそう告げた。彼女は事を簡潔に言ったつもりなのだろうが、拓真はその言葉によって更に頭を混乱させることとなる。

 名前のない能力? 眠り続け、誰も気付かなかった特別な力? 一体唯は何を言っているのだろう。訳が分からない。

 受け入れがたい内容に混乱する拓真に対し、唯は苦笑して、一言こう言った。


「すごく簡単に言えば、拓真さんには自分の願いを叶える能力があるんですよ」


 唯はさらりと言ってのけたが、それは衝撃の発言だった。

 自分の願いを叶える、だって? そんな都合のいい力が、自分の能力だというのだろうか。……そんなことはあり得ないし、言われても信じられない。自分は普通の男子高校生で、一般人だ。そんな超能力者みたいな能力、持っているわけがない。

 怪訝そうな顔をした拓真が何を考えたのか、唯は察したのだろう。彼女は、


「確かに信じがたいないようですね。でも、本当ですよ」


 と、念を押して、説明を続けた。


「だけど、全ての願いが叶うわけではありません。拓真さんの能力はまだ完全には開花しきってはいない為、能力の発動はまばらです。今のところ確認できた範囲での能力の開花は、担任の矢頭先生に関する一件で、ですね」

「鬼頭の、一件……」


 鬼頭――担任の矢頭の名前を出される事件と言えば、一つしかない。月曜日に暴言を吐き、火曜日に再会した時には鬼頭の声が出なくなったあの一件だ。

 唯はそのことを言っているのかと尋ねようと彼女と目を合わせれば、唯はコクリと頷いた。


「そうです。矢頭先生の姿が、拓真さんが憎んでいたお父さんに酷似したあの時です。あの時拓真さんは、矢頭先生が黙ることを望んだ。そして、二度と自分の前で喋るなと、そう願った。……心当たり、ありますよね?」

「……あぁ」

「それが、拓真さんの能力なんですよ」


 これで納得していただけましたか?

 と尋ねる唯に顔を覗きこまれ、拓真は考える。

 確かにあの一件が俺の能力――望みが叶う能力だとすれば、何故あのような事態が起こってしまったのかは納得出来る。病院で異常がなかったという話も当然のことだし、拓真の姿が見える教室内では声が出なかったことは、その発動した能力の効果なのだろう。だから自分の姿が見えない家庭や職員室で声が出たのは理に適っているのかもしれない。

 しかし、この能力に関して納得いかない点が一つあった。

 拓真は「どうですか?」と再度尋ねる唯の言葉に口を挟んだ。


「……でも待った。あの男や――父親や母さんの死を望んだ時、その能力は発動しなかった。だとしたら、俺にはそんな能力ないんじゃないのか?」

「どうしてそう思うんですか?」


 理解が出来ない、といった顔で首を傾げる唯にこの言葉を告げるのは残酷かもしれないが、それでもありのままの事実を、俺は告げる。


「だって、手を下したのは――お前だろ、唯。俺にそんな能力があるんだったら、わざわざ唯が手を下す必要なんて――」

「あったんですよ。現状、不完全な拓真さんの能力を補う為にも。能力が開花していない貴方の願いを叶える為にも。私には手を下さなければいけない義務があるんです」

「義務?」


 拓真の言葉を遮り、手を下すことは自分の義務だと確かに言い切った唯の表情はどこか嬉しそうで、彼女はにっこりと笑ってこう言った。


「はい、拓真さん。何故なら私は――貴方の願いから生まれた産物なのですから」

「……え?」


 そう言って誇らしげに微笑む唯の笑みに、俺は驚きを隠しきれなった。

 唯が、自分の願いが生んだ産物? 

 唯は、俺の望みから作られた存在だというのか?

 彼女がこの世に生きるただ人間ではないと悟った時、拓真の頭は真っ白になり、理解を拒み始めた。それでも目の前の唯は嬉々とした表情で話を続ける。


「拓真さんの望みを現実のものへと変えていく。その願いを叶える役割として、私が生まれたんです。貴方が願ってくれたから」


 嬉しそうに話す唯の心情を、拓真は理解出来なかった。

 自分が生み出した産物であることを誇らしげに話す彼女は、拓真に疑いがかからないようにと、人を殺す為には第三者の存在が必要だと考え、自分が手を下したと話した。

 能力が完璧に開花すれば事実を捻じ曲げることは簡単だが、現状はそれが難しいから唯自らが手を下したんだと理由を説明する。その表情はとても誇らしげで、満足気で、拓真はますます理解が出来なかった。


(つまり唯は、俺の為に父親と母さんを殺したっていうのか……?)


 自分が望んだから、彼女は手を下した。なんの憎悪も抱いていない相手を、自分の為にという理由で殺したのだ。彼女は、拓真が生み出した産物だからと自慢げに話して……。


「あの、拓真さん!」

 唯は話を終えると改まって向き直り、口元に笑みを浮かべてこう言った。


「私はこれからも拓真さんの願いを叶える為に頑張るつもりです。だから、これからもどんどん自分の願うように生きてください。幸せを望んでください。なんでも言ってください。私はそれを叶えるお手伝いをしますかから。ね?」


 にこやかに、まるで問題は何もないかのように拓真に笑いかけた彼女は、そのまま俺の右手を取り、優しく両手で包み込む。

 その仕草は愛らしく、きっと昼間の唯なら――彼女の真実を知る前の自分なら、その手に空いた左手を重ねるのだろうが、今はもうそんなことは出来ない。

 現実離れした内容に、理解出来ない事実。

 現状に混乱する自分でも確かに分かったのは、自分が望んだのは、こんな世界じゃないということ。自分はこんな世界を、こんな人並み外れた能力を……願ってはいない。


「……離せ」

「え?」

「俺に、触るなっ!」


 拓真は唯の手を振り払い、彼女を拒んだ。目を見開く唯から体を背け、強く望んだ。強く、強く――この願いを叶えるなんて能力が、消えてなくなれと。


「あ、あの、拓真さん。能力だけは望んだとしても貴方の元から消えることはありませんよ。だから、その、その望みだけは叶えられないんです……」


 自身の産物というだけあって、唯は心の中が読めるのだろうか。拓真が能力を消えろと望んでいると、彼女は申し訳なさそうに声をかけ、様子を窺った。


(……なんだよ、それ。願いが叶う能力なのに、この望みは叶えられないのかよ)


 必要ない、持ちたくもない能力が消えないことを告げられた瞬間。彼の中で何かが音を立てて崩れ出し、感情が溢れ始める。

 能力が消えない以上、自分はどうすればいい。この血塗れであり得ない現実を受け入れて、生きていけというのだろうか。自分を救ってくれた女の子は俺が生んだただの産物であって、人殺しで、これからも願いを叶えると宣言した。

 だとすれば唯は、これからも人を殺すのか? 自分が感情に流されて人に死んでほしいと願ったら、彼女は次々と殺していくのか? その度に自分は血塗れの世界を見なければいけないのか? 大切な母親を失った、あの時のように……。


(そんな現実、耐えられるわけがない。……俺は、俺は……)


 ――もう全てが、嫌になった。

 自分が望んだ世界? 両親の死が? この血塗れの世界が? ……確かに願った。望んだ。だけど、違う! 自分が本当に望んだことは、ただ……ただ……幸せになりたかっただけなんだ。こんな現実じゃない。こんな現実、受け入れられるわけがない。

 全て、全て――。


「――なくなればいいんだ……」


 無意識にポツリと、言葉が漏れた。


「――っ! 拓真さん、ダメです!!」


 その瞬間、唯は大声で叫ぶももう遅い。拓真の中で何かが暴れ始める。――いや、確かに感じる。これは、拓真の願いの能力だ。……自分の能力が、暴走を始めた。


「拓真さん落ち着いて、冷静になってください! 拓真さん! 拓真さん!!」


 唯が何度も名を叫ぶも、その声は流れて、心には届かない。彼女が自分の体を抱きしめて冷静を促すも、その姿に拓真は笑ってしまった。


(冷静になれ、だって? ――俺はいたって冷静だ。だからこそ、願うんだ)


 拓真はこの現実世界全てを拒絶する。何もなかったことになればいいと。全てが狂う前の世界に戻りたいと、彼は強く願った。

 そしてこの狂った世界を創り上げた唯自身も消えてしまえと、彼女の存在を拒む。


「そんな……拓真さんっ!」


 体を抱きしめていた唯の体が、徐々に薄くなり、消えていく。触れられていた温もりも同時に消えていき、感触もなくなっていく。

 それでも唯は消えゆく体で拓真を抱きしめ続け、悲痛な叫びと共に涙を流し、彼の肩に顔を埋めた。


「拓真さん。私は貴方の願いを叶えただけなのにどうして消えなきゃいけないんですか? これが、貴方の望みじゃなかったんですか?」

「……俺の、望み……?」


 そんなもの、もう……分からない。何も、分からない。


「拓真さん。私は、私は……貴方の側にいたかった。これからずっと、貴方が望む限り寄り添って生きていたかった」


(……そうだな。俺だって、一時はそれを望んだよ。俺を救ってくれて、幸せな時間をくれた唯と一緒にいたいと、願った時も確かにあった)


 その望みは――今はない。一体どこに消えたんだろうな?

 唯の体が次第に消えゆくと同時に、拓真の頭も真っ白になっていき、視界が歪む。何も考えられない。何も見えない。何も……想えなくなっていく。


「……でも、いいの。私は貴方の産物。貴方が望むのなら消える。そして貴方が願えば、また会えるのだから」


 望めば、消える。願えば、出会える。

 それが、拓真が生んだ産物であり、織原唯の存在意義。


「……また会いましょう。拓真さん」


 離れていく声に、消えていく温もり。最後に耳元で囁いた彼女の言葉だけが、薄れゆく拓真の意識の中に刻まれる。


(……世界が、消えてゆく)


 真っ白な光に包まれる世界。遠のいていく意識を逆らうことなく手放し、拓真は真っ白な世界へと身を委ねた。それが世界の終りだと、確かに感じながら……。


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