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真相

(……え?)


 訳が分からなかった。

 切り裂かれた首も、辺りに飛び散った鮮血も。切られた首から噴水のように溢れだす実の母親の血液も。 ――目の前で起きた出来事を、拓真は理解することが出来なかった。

 母さんの首を――頸動脈をナイフで掻っ切ったのは、目の前に立つ唯だ。唯は突然母親の背後に現れると、その首にナイフを押し当て、自身に笑いかけた後、躊躇うことなくナイフを横に引いた。

 血の気の引いていく死体の体を手放した唯は、畳へと落ちていく拓真の母親の体を冷めた目で見下す。そして、顔に付いた血飛沫にも、血に濡れた淡いピンクのチュニックにも気をかけることなく顔を上げ、拓真に微笑んだ。

 訳が分からず、呆然とする彼に向かって。


「もう大丈夫ですよ。願いは叶えられました」


 頬に血を伝わせながら、そう言った。


『……もう、大丈夫ですよ』


 その刹那。頭の中で何かが蘇る。

 以前にも、こんな光景を見たことがある。そんな感覚に囚われてしまう。しかしそれがいつなのか、どこでなのかは、上手く思い出せない。それに、なんだか……。


(……気持ち、悪い……)


 むせ返るような鉄の――血の匂いに当てられ、視界がグラリと歪む。


「……拓真さん?」


 目を細めた拓真を不思議に思ったのか、唯が俺の顔を覗きこむも、その顔さえ歪んでしまい、よく分からなくなる。


(……ダメだ。意識が、遠のい、て……)


「拓真さん? ――っ! 拓真さん、しっかりして下さい!!」


 重くなり、耐えきれなくなった体は倒れ込み、唯の腕の中に納まる。彼女の切羽詰まった声が聞こえるはずなのに、その声はどこか遠くに感じてしまう。

 閉じようとする瞼の重みに逆らうことなく、拓真は唯の腕の中で意識を手放した。




 昼間は姿を潜めている月が、夜の訪れと共に姿をはっきりと現し始めるように、それは徐々に確かなものとなりつつあった。

 そして思い出す。――父親が死んだ、あの日の真実を。


『母さん、ただいまー』


 あの日。バイト先の飲食店から帰宅した自分を迎えたのは、灯りのついていない廊下とリビングに通じるドアの隙間から差し込む僅かな光だった。

 返事をしなかった母親の存在と、微かに聞こえた父親の声。そして、ガタンと家具が倒れたであろう物音に肩を跳ね上げ、嫌な予感が襲う。慌てて靴を脱ぎ捨て廊下をかけ、その僅かな光が差し込むドアの隙間からリビングの中を覗き、息を呑んだ。


『――っ!? 母さん……?』


 そこにはダイニングテーブルの椅子と共に、フローリングの床に倒れ込み、父親に腹部を蹴られ続けながらぐったりとした母親の姿がった。拓真は考える間もなくリビングに飛び込み、母親を蹴り続ける父親を突き飛ばして、彼女に駆け寄った。


『母さん、しっかりしろ! 母さん……母さん!!』


 母親の体を抱きかかえるも、意識はない。息はあるようだから、どうやら気を失っているだけのようだ。おそらく、床に倒れた際に頭部を強く打ちつけたのだろう。

 拓真はその原因をつくったであろう男を睨みつけ、憎悪を露わにする。


『何してんだよ、てめぇ……母さんを殺す気かよ?!』

『フン。そんなへまを俺がするわけないだろう。ちゃんと生かしておくさ、体裁の為にもな』

『……んだと……!』

『なんだ、拓真。その目は。……まぁいい。第一、俺がいなければお前達は生きていけないんだ。分かったら大人しく、サンドバック代わりになっているんだな、役立たずの脳なしでも、そのぐらいは出来るだろう』


 男は悪びれた素振りも見せず、そう言って立ち上がり、自分と気を失った母親をまるでゴミでも見るかのような目で見下した。そう、この男は俺達を人として見ていないのだ。

 ある時は物のように使い、ある時はゴミのように見下す。――この男にとって、自分達はその程度の存在なのだ。


『にしても、サンドバックの分際で反抗するとは……まったく、使えない奴らだ』

『――!?』

 父親が使えないと言葉を吐き捨てた瞬間。拓真の中で、何かが吹っ切れた気がした。今まで堪えてきたものが、耐えてきたものが、憎悪と共に今、溢れだそうとしている。

 彼は思った。この男がいる限り、自分と大切な人は人としての道を歩めないと。生きていけないと。この男が生きている限り、自分達は永遠に不幸で、幸せにはなれないと。

 だから、だから……。


『……そっか、てめぇがいるから、か……』

『ん? 今何か言った――』

『てめぇがいるから、俺や母さんは幸せになれないんだ。ずっと不幸のままなんだ……』

『拓真、お前何が言いたいんだ』


 何が言いたい?

 言いたいことはただ一つ。一つだけだ。

 この憎い男に吐き捨てる言葉なんて、これ以外にあるわけがない……。


『……死ねよ』

『は?』


 聞き返す父親に対しての憎悪が溢れた瞬間、拓真はこう言ったんだ。


『死ねよ……死ねよ……てめぇなんか、とっとと死んじまえっ!!』


 強く、強く、そう願って、拓真はそう叫んだ。

 感情を――怒りを露わにして叫んだ。相手を睨みつけ、呼吸を荒くした俺に向かって、父親は冷たい眼差しを向けて見下した。


『……くだらない。そんなに俺に死んでほしいのなら、お前が自分の手で殺してみるんだな。まぁ、そんな度胸お前には――っ!?』


 途端、父親が言葉を発することをやめた。浮かべていた余裕のある笑みも消え失せ、その目は見開かれ、口は噤まれた。 

 それは何故か、理由は分からなかった。

 拓真は気を失っている母親の体を抱きかかえたまま、その場を動くことなく、黙ってただ父親の奇妙な行動を見つめる。

 ――と、そこで気が付く。

 父親が来ていたワイシャツの胸部が、徐々に赤いシミを作っていくことに。

 それに気が付いた父親が小さく声を漏らし、振り返った直後、何かから逃げるように身をよじったことに。男は口をパクパクと動かしていると再度口を噤み、ビクリと体を跳ね上がらせた。

 その時は何が起きているのか、拓真には分からなかった。父親の腹部にも赤いシミが滲みだして、服を赤いシミで濡らした男の体が膝をつき、前方に倒れ込んでいく。

 ――そして拓真は気づいた。大きな父親の背後に、一人の女の子が立っていたことを。

 彼女の顔に表情はなかった。何事にも動じない彼女は床に倒れ込んだ父親を見下す。赤く染まった淡いピンク色のチュニックと、色が変色したデニムのショートパンツといった服装の女の子の姿が、拓真の目に入る。

 彼女は膝をつき、手に持っていた銀色に輝く鋭いナイフを握り直すと、勢い良く振り上げ、


『――ぐあっ!?』


 父親の体めがけて振り下ろし、その体に突き刺した。躊躇うことなくナイフを抜き取った彼女は、溢れだした血飛沫で自身のシャンパンゴールドの髪を濡らすも、それを気にすることなく何度もナイフを振り上げ、父親の体に突き刺した。

 それも何度も、何度も。返り血を浴び、全身を真っ赤な鮮血で染めることになっても、彼女は刺すという行為をやめようとはしなかった。

 ――目の前で行われていることは殺人だ。

 人の体をナイフでめった刺しにして、死んだ今もその死体を必要以上に傷つけて、原形をとどめない肉塊へとしてしまう。

 無残で悲惨な惨状を彼女は創り上げているというのに、拓真はそれを止めることが出来なかった。恐怖で体が動かなかったというのもあるがそれ以上に思ってしまったからだ。

 ――彼女の行いは、自分の憎悪の表れだと……。

 だから彼は、彼女の殺人を止めることが出来ず、ただその一部始終を見届ける形となった。フローリングの床に大きな血溜まりが生み出され、父親が無残な肉塊となって果てたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 彼女は自身を血で染めつつも立ち上がり、ゆっくりと拓真に向き直る。

ツインテールを結ぶ白いレースの付いた黒色のリボンを揺らしながら、彼女は血溜まりを抜け出し、距離を詰めた。

 怖いはずなのに……自然と怖くはない。

 拓真は抱えていた母親の体をゆっくりと床に下ろし、自分も彼女同様立ち上がり目線を合わせる。

 戸惑う拓真に対し、彼女はまた笑った。


『フフッ。これで、いいんですよね』

『え……?』

『拓真さんの願い、これで叶いましたよね?』

『俺の、願い……?』


 彼女は俺の拓真という名前を呼んで、そう聞いてきた。


(これが、俺の望み……?)


 確かに自分は、父親の死を願った。だけど、この血塗れの世界を、無残な死体を、自分が願ったというのか?

 徐々に冷静になっていく頭でもう一度あの男の死体を見た時、拓真はあまりの惨さに吐き気をもよおし、口を両手で覆った。湧き上がりそうになるものを堪えたかったからだ。


(これが、俺の願い? ……違う! 俺はこんなことを願ってはいない! 俺は、俺はただ……ただ……!!)


 受け入れられない現実に、視界が歪んでいく。意識が遠のき始め、体を支えるバランスが取れなくなる。

 気持ち悪い。頭が回る。苦しい。

 耐えるに堪え切れなくなった拓真は意識を手放し、闇へと意識を落としていった。


「……もう、大丈夫ですよ」


 まるでなだめるかのようそう言った彼女は、口元に弧を描き笑うのだった……。

 自己防衛の為の偽りの記憶の中で聞いた彼女の声に聞き覚えがあったのは、実際に起こった現実で彼女の声を聞いたからだ。透き通る、この声を。自身の耳で、確かに聞いたからだ。


(……あぁ、そうか。そうだったのか……)


 父親を殺した犯人が――“彼女”の正体が今、ようやく分かった。

 綺麗なシャンパンゴールドのツインテールに、大切にされたレースの付いた黒いリボン。すらっと伸びた白い肌の脚に、デニムのショートパンツ。赤い滴を伝わせながらも鋭く光る銀色のナイフ。

 ――そして。血に塗れた、淡いピンク色のチュニック。

 全てを思い出した時、拓真は乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。それほどまでに現実は受け入れがたくて、今思うと訳が分からなかったからだ。

 あの時の女の子の正体。それは――。


(……お前だったのか、唯……)


 それが分かった瞬間。真っ暗だった世界は光に包まれ、真っ白な世界へと変わっていった。


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