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幸せ

 午後五時半。周囲に立つビルが夕焼け色に染まり始めた頃、拓真と唯は地下鉄大葉駅西口への帰路を歩んでいた。

 遊び疲れた体を伸ばす拓真の横では、唯が巨大なゆるい顔の猫のぬいぐるみを体いっぱい抱きしめており、そんな彼女の歩幅に合わせながら足を進めた。


「……びっくりしました。拓真さん、クレーンゲームお上手なんですね。こんな大きいのを取っちゃうんですから、凄いです!」

「ハハッ、まぁね。これでも鍛えられましたから」

「鍛えられた?」


 不思議そうな顔で首を傾げ、ぬいぐるみの頭に顔を埋めた唯の聞き返しに、過去を思い出しながら返答する。


「翔太と里香、三人一緒にいた頃にさ。よくゲームセンター行って、クレーンゲームで勝負していたんだよ。誰がより多く景品を取れるかでな」

「あっ……」


 拓真の話を聞いて言葉を漏らした唯が何を思ったのかは察しがつく。彼は「大丈夫」と笑いかけ、歩く先を見つめた。

 唯と一緒にいる今も楽しいけど、翔太と里香、三人で一緒にいた頃も楽しかった。

 ゲームセンターに通っていたあの頃は、よく翔太と景品の数で競い合った。どっちが多く取れるかと。そんな二人の激闘を里香は傍らで楽しそうに見守り、応援してくれた。

 拓真はあまり意識していなかったが、翔太は里香に可愛いぬいぐるみをプレゼントしてやろうと躍起になって、闘争心を露わにしていた気がする。……今となっては、いい思い出だ。


(少しだけ、寂しい気もするけどな……)


 過去ばかり見ていては何も始まらないと分かっているが、つい過去を思い返して干渉に浸ってしまう。そんな自分をダメだと思いながらも、消すことは出来ない。

 拓真は頭の中の記憶を振り払い、前を向いた。――と、その時だった。


「やっぱりこれ、大きすぎない? 拓真の新居、マンションだったよね? 邪魔にならないかな……」

「でも家具しかないって言っていたしいいんじゃないか? それに、大きいやつの方が存在感あるし」


 聞き慣れた声が、自身の名前を呼んだ。

 声の主を探そうと視線を泳がせれば、二人の姿はすぐに発見することが出来た。時計塔の下で見た時と変わらない服装で、二人は笑いながらこちらに向かって――いや、正確には駅に向かって歩いていた。

 一人は周囲の男の視線を集めながらも、両手に可愛らしいピンク色と水色の小さなイルカのぬいぐるみを持って。一人はラッピングがされた巨大な袋を右手に、違う意味で周囲の視線を集めて歩いていた。幸せそうに笑い、楽しそうに話しながら。

 ――間違いない。里香と翔太だ。

 それが分かった瞬間。拓真の足は止まり、その場に立ち尽くす。二人を見送る覚悟はしていたが次に会い、笑って接する覚悟まではまだしていなかったからだ。

 目の前の二人はまだ距離があるせいか自身の存在に気付いておらず、互いに話ながら歩みを進める。その幸せそうな姿に、拓真はやっぱりかと確信した。

 自分が決めた判断は、背中を押したことは、間違いじゃなかったんだと。二人の幸せそうな姿を見て、彼は思った。


(……よかった。二人とも幸せそうで)


 しかし、そう思うのもつかの間。このままでは二人に出会ってしまう。そうなった時、自分はどんな顔をすればいいのだろう。まだ、考えがつかない。

 そう判断した時、拓真はとっさに唯の手を引き、物陰に隠れそうとした。が、


「――拓真?」


 拓真の姿を発見した里香の呟きによって、その足は止まることとなった。


「え? 拓真? ――おぉ、拓真じゃん!」


 翔太の弾んだ声が耳に入ると同時に二人はこちらに駆け寄り、自分達は偶然の再会を果たしてしまった。拓真はとっさに手に取った唯の手を離し、ぎこちない動きで二人に向き直る。


「……よ、よぉ」

「う、うん……」


 だが、互いの間に流れたのは気まずい沈黙だった。向き合ったものの、何を話していいか分からない拓真と里香の口から洩れたのは、中身のない言葉だけ。拓真はどうしていいか分からず視線を泳がせ、里香も同様に視線を外す。

 更に気まずくなるこの場の空気。それを壊したのは、


「たーくまっ!」

「な、なんだよ、しょう……――ふべっ!」


 翔太が拓真に向けてに、手に持っていた巨大な袋を顔面に投げつけるという奇想天外の行動だった。

顔面に柔らかな謎の袋をぶつけられながらも、拓真は落下していくそれを手でつかみ取り、奇想天外の行動をした翔太を怒鳴りつけた。


「な、何すんだよ! この馬鹿翔太!」

「いやー、この場の空気が重かったからさ、つい」

「つい、じゃねぇよ! ついで人様に物投げつけんな!」


 だいたい、ついで人に物を投げるのであれば、これが鈍器のようなものだったらこいつはどうするつもりだったのだろう。自分も怒るだけでは済ます気はない。


(……って、さすがの翔太もこの中身を理解した上で投げつけたんだよな、多分)


 拓真は手に持った巨大な柔らかい中身の袋に目を向け、次いで愉快そうに笑う翔太に目を向けた。


「……で。なんだよ、これ」

「あぁ、それ? 拓真へのプレゼント」

「俺に?」


 今まで誕生日以外にプレゼントしてこなかった翔太が、急になんだというのだろう。

拓真は不思議に思いながらも再度袋に目を向け、その自分の顔より大きいサイズのそれをまじまじと見つめた。


「あ、そうだ! ちょうどいい機会だからこの場で開けてみろよ」

「はぁ? ここで、か?」

「そうそう。早く、早く!」


 翔太はそう言って急かすものの、ここは歩道のど真ん中。しかも人混みの中だ。そんなところで袋を開けて中身を確認しろっていうのだろうか。こんな巨大な代物を。

 それは自分に周囲の視線を集めろと言っているようなもので――って、唯と里香が居る時点で周囲の視線は集めている。それなら袋を開けても、周囲の目は大差ないか。

 渋々納得した拓真は、せめて邪魔にならないようにと歩道の端により、赤いリボンで口の塞がれた袋の封を開けた。

 姿を見せたのは――灰色のイルカのぬいぐるみだった。


「あ、これって……」

「そっ。里香が持っているやつのサイズ違いで色違いだけど、俺達三人、お揃いだぜ!」


 そう言うと翔太は里香から自分用といって水色のイルカのぬいぐるみを受け取り、顔を横に並べて笑ってみせた。

 自分達三人。翔太の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのが分かる。

 翔太と里香は互いに顔を合わせると笑い合い、再度俺に向き直った。そして深々と頭を下げて、こう言った。


「本当にありがとな、拓真」

「拓真、ありがとう」


 突然のことに戸惑う拓真を前に二人は顔を上げ、笑った。


「えーっと、あんな手紙渡してきた拓真なら想像つくと思うけど、俺達、付き合うことになりました!」

「あ、あぁ。それは、おめでとう」

「へへっ、ありがとな!」


 嬉しそうに白い歯を見せて笑う翔太の傍らで、里香も嬉しそうに笑う。二人の幸せそうな笑顔と、似合いのカップルの姿に、心が満たされるのを感じた。

 この笑顔を見られたのだから、これから一人になる孤独も耐えられると、拓真はそう思った。そう思って、覚悟を決めたつもりだったのだが……。


「――だけど、俺達三人はずっと一緒だから」

「えっ?」


 しかし、拓真の心が本当に満たされることとなるのは、翔太の言葉だった。


「確かに拓真が思っている通り、三人でいる時間は今よりは減るかもしれない。だけど、だからといって三人の絆が壊れるわけじゃないし、俺達は今まで通り三人でいる時間を大切にするつもりだから」

「――っ!?」

「つーわけで、拓真が遠慮しても側にいるつもりだから、これからもよろしくな!」

「フフッ。そう言うわけだから、今まで通りよろしくね。拓真!」


 にっこりと笑いかける翔太と里香の姿に、胸が熱くなる。目尻も熱くなる。心が幸せで満たされ、また泣いてしまいそうになる。

 失うものだと思っていた。離れてしまうと思っていた。二人と過ごす時間も、二人の心も。だからそれが悲しくて、辛くて、二人を祝福する時に覚悟しなければとばかり思っていた。

 しかし、そんな必要はなかった。二人は側にいる、三人での時間は失われない。そんな現実がたまらなく嬉しくて、拓真は溢れそうになる涙をグッと堪えた。


「翔太、里香……ありがとな」

「なーにお礼言ってんだよ。当然のことだろ?」

「そうだよ拓真。寧ろお礼を言いたいのはこっちというか……とにかく、そんな顔しないで。ね?」


 二人に肩を叩かれて慰められ、拓真はますます泣きたくなってしまった。らしくないということは二人も、自身も充分に分かっている。だからこそ拓真は涙を堪えて、二人の前で笑ってみせた。

 翔太と里香が側で微笑みかけてくれて、傍らで唯が見守ってくれているという、本当の幸せを手にして……――。


「あー、でもな。男の俺にこの巨大なぬいぐるみを持たせるとかどんな羞恥プレイだよ。二人とも」


 涙を堪えていつも通り話した拓真の言葉に、翔太と里香は「えー?」と不満の声を漏らすも、ふと何かを思いついたのか二人で顔を見合わせ、にやりと笑う。その笑顔はいやに意味深で、拓真はしまったと思うも、もう遅い。


「いいじゃん、いいじゃん! 大きなぬいぐるみを二人で持つ。唯ちゃんとお揃いだぜー?」

「お揃いっていいよねー。拓真と唯さん、お似合いだよー」

「なっ⁈」


(二人が企んだのは、このからかいか!)


 目の前でにやにやと笑い、わざとらしく声を強めて言った二人は、頬に熱をもった拓真の反応に満足げな笑みを浮かべ、攻撃の手を緩めなかった。


「ところで拓真。唯ちゃんとはどこで出会ったんだよ?」

「そうだよ。詳しい話、教えてよー」


 どこでと聞かれても、自然公園で、と答える以外に答えはない。

 詳しい話をと求められても、話せるのは現実に起こった当たり障りのない普通の話。しかし焦っている人間の脳というのは冷静さに欠け、無駄に慌てふためいてしまう。唯にヘルプを求めて目線を向けるも、唯もどうしていいのか分からないのか「アハハ……」と照れ笑いを浮かべる。そんな表情も可愛いと思うが、それではこの場を乗り切ることは出来ない。

 この場を乗り切る為の術。それは……、


「――逃げるぞ、唯っ!」

「は、はいっ! 拓真さん!」


 左手にイルカのぬいぐるみを、右手に唯の左手を掴み、拓真と唯は二人に背を向けて走り出した。後ろでは翔太と里香の二人が何かを言っていたが、それは気にしない。

 拓真は唯の温かな手を握りしめ、人の波に逆らって走る。にやける顔が止められないのは、得られた幸せを噛みしめているからだろう。


「なぁ、唯!」

「はいっ! なんですか、拓真さん!」


 走りながらも、俺は後をついてくる唯に声をかける。浅く息を乱しながら、それでも言いたいことがあって、拓真は口を開いた。


「――俺今、最高に幸せだ!!」


 この言葉に唯が嬉しそうに微笑み返してくれたのは、言うまでもない。

 拓真は今までにない幸福感を身に受けながら、雑踏の中を駆けていった。

 世界が夕焼け色の世界から宵闇に覆われる。

その世界で噛みしめる幸せは満ちたもので、笑顔が止まらない。これが得られた幸福なのだと、拓真は満足した。

 もう怖くない。何が起こっても、この幸せがある限り大丈夫だと。


 ――いつか消える脆い幸せだと、拓真は疑うこともなかった……。


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