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過去と今


 今は十一時半を過ぎたところだから店が混む前に、と思い動いたのだが、どうやら考えることは皆同じなようだ。すでに混みあいつつある店舗を目にしながら、二人はどこの店に入ろうかと店の外観を見つめながら歩き始める。

 和食に洋食に、中華にイタリアン、インドカレーなんてのもある。これだけ数が多いと目移りしてしまう中、唯がある店を指差す。


「――あ。あそこのカフェなんてどうですか? ピザやパスタ、色んなメニューがあるみたいですし」

「うん、いいんじゃないか?」


 彼女が指差した店に目を向ければすでにお客の入りは多いものの、二席ぐらいは空いているだろう。それにそろそろお腹がすいてきて、どこかに座りたいと思っていた頃だ。拓真は唯と共にカフェに近づき、入口の女性店員に声をかけた。


「すみません。二人入りたいんですけど、席って空いていますか?」

「申し訳ありません。ただ今禁煙席が満席で、喫煙席でしたらご用意出来るのですが」


 申し訳なさそうに話す三十代の店員の後ろに目を向け店内を覗いてみれば、この店は入り口から左右に分かれての分煙方式をとっているみたいだった。

 向かって左の禁煙スペースを見れば確かに席は満席で、反対の喫煙スペースを見ればまばらではあるが空席がある。そこには喫煙者を含む女性の団体が座っていたり、父親が煙草を吸う家族連れがいたりと、座っている人は多い。

 そしてその中に――その人達はいた。


「いかがなさいますか?」

「うーん、そうですね。拓真さん、どうしますか? ……拓真、さん?」


 席には男が座っていた、三人だ。会社員なのだろうか、グレーのスーツの上着を脱ぎ、椅子の背もたれにかけた男は、ワイシャツにネクタイといった姿で席に座り、右手で煙草を吸っていた。かけていた眼鏡を時折指で上げ、煙草を吸い、灰を灰皿に落とす。


(似て、いる……)


 その姿は、とてもよく似ていた。あの男に。あの悪夢を生み出した男に。

 男は眉間に皺をよせ、不機嫌そうな顔で煙草を吸っていた。定期的に灰皿に灰を落として、煙を吐く。そして、火の付いた煙草はゆっくりと俺に近づく。腕を掴まれた自分はなす術がなく、されるがままで、火を持った煙草はそのまま自身の腕に……――。


「――っ!!」


 フラッシュバックする過去に、拓真は目を背けた。今にも震えだしそうな体を押さえこみ、悪夢は過ぎ去ったんだ、大丈夫だと、何度も自分に言い聞かせる。

 しかし恐怖心が去ることはなく、彼は強く拳を握り、その場に留まることしか出来なかった。どうする、どうすればいい……?


「あ、あの、お客様……? 一体――」


 拓真の態度を不審に思った店員が声をかけた時だった。


「――すみません。やっぱりいいです」


 唯の凛とした声が発せられ、彼女は拓真の手をとりその場から離れ出した。

動けなかった拓真はなすがまま唯に手を引かれ、その場を離れる。その姿は、まるで幼い子供のようだ。

 目の前の唯は人波をかき分け、ずんずんと先へ進み、さっきのカフェを離れて行く。拓真自身はというと、自分達が離れた今もおどおどしている店員を尻目に足を進め、珍しく強引な彼女に付いて行く。いや、付いていくことしか出来なかった。


「唯、あの……」

「どこか違うお店に入りましょう。――拓真さん、顔色悪いですから」

「……あぁ。そう、だな」


 女の子に引っ張ってもらうなんて情けないと思いながらも、どうすることも出来ない俺は唯に続いて歩き、人混みの中を歩いた。

 そんな二人が辿り着いたのは、角にあったオムライスの専門店だった。

 そこの店は、ランチタイムは禁煙という制度をとっており、唯は迷わずその店に入る。

清潔感のある白と緑を基準とした店内に男性店員によって席に案内された二人は、周りを気にしなくていい壁側の席に促され、ショルダーバッグを肩から下ろし、席に座った。

 運ばれてきた氷入りのお冷に口をつけて、ようやく一息ついた拓真は改まるように唯を見つめて頭を下げた。


「えっと……情けないところ見せてごめん」

「いえ、謝らないでください。誰にだって、苦手な物ぐらいあるものですから」

「……そう言ってもらえると、助かる」


 立てかけてあった二つ折りのメニュー表に手を伸ばした唯は、もう一つ置いてあったメニュー表を向かいの席に座る拓真に手渡し、左右に開いた。書かれたメニューを眺め、食べるオムライスの種類を決めた二人は店員に声をかけ、ケチャップとデミグラスソースのかかったオムライスを一つずつ注文し、食後にとアイスコーヒーとアイスティーを注文した。

 注文したオムライスが届いたのはそれから十分後ぐらいで、拓真と唯は互いに両手を合わせ、湯気の立つオムライスを口にした。その間は互いに他愛の話をした。拓真はアルバイトのことや学校での出来事、唯は大好きな甘い物の美味しい店を話し合った。

 食後のアイスコーヒーとアイスティーが運ばれてきたのは、二人がオムライスを食べ終えてしばらくした後のことだった。

拓真のアイスコーヒーはストレートで、唯はガムシロップとミルクをアイスティーに入れ、カランと氷の音を立てながらストローでかき混ぜる。

 聞こえる綺麗な音色に嬉しそうに笑う唯を見つめながら、拓真の口はふと動き出した。


「……煙草、ダメなんだ」

「えっ?」

「煙が苦手だっていうのもあるんだけど……昔さ、押し当てられたんだよ。父親に。火の点いた煙草を俺の腕に。何度も、何度も」


 今では薄くなったものの残る火傷の痕。彼はテーブルの上に置いていた腕を、服の上からさすりながら過去を思い出す。

幼い頃の記憶だ。仕事でトラブルがあったのか、不機嫌そうな顔で帰ってきた父親は、リビングで煙草を吸い、煙を吐いた。

 リビングに充満する煙の臭いが嫌で、幼い拓真は顔しかめながら父親に関わらないようにと距離を置いていた。そんな子供の顔が、父親は気に入らなかったのだろう。

 父親はソファーから立ち上がると拓真の側に来て、急に腕を掴み服の袖を捲くった。父親の手に握られた煙草を見て、何が起きるのか分かった拓真は必死に抵抗するも、幼い子供の力ではなす術がなく、されるがままとなる。

 そして、火の点いた煙草は彼の腕に押し当てられて、焼き付けるようにねじ込まれた。

 今思い出すだけでも痛みの感覚が蘇り、拓真は腕を強く握った。


「……それが今でもトラウマでさ、煙草だけはどうしてもダメなんだ」

「でも拓真さん飲食店でアルバイトしているんですよね? お店の方はどうしていたんですか?」

「うちの店は老夫婦が営んでいるから、健康を考えて終日禁煙なんだよ。だから大丈夫なんだけど」


 驚きから声が微かに揺れる唯の声を聞きながら、拓真は苦笑する。

 今のアルバイト先を選んだのも、飲食店を営む老夫婦と近所付き合いがあったからというのもあったが、一番の理由は煙草に関わることなくアルバイトが出来るとおう利点からだった。

 拓真はアイスコーヒーのグラスを手にし、一口飲み、


「――俺の父親さ、DV男なんだよ」


 自虐から笑いながら、話を始めた。


「家族に手ぇ上げて痛めつける、最低な奴」

「……えっと、拓真さんのお父さんというと、確か公務員の――」

「そっ、エリート公務員の自分が一番だと思っている男。なんでもかんでも『俺のおかげでお前らは生きているんだぞー』って怒鳴り散らして、機嫌が悪いと俺や母さんに手を上げた、俺がこの世で最も嫌った奴」


 父親――いや、あの男のせいで何度傷を負ったかもう覚えてはいない。暴力を振るわれ体面的な傷もあれば、理不尽に罵倒され精神的に負った傷もある。

 自分だけならまだしも、あの男は大切な母親にまで手を上げていた。そのことがすごく憎くて、何度もあの男を睨む度に腹部を蹴られた記憶がある。しかし耐えなければ生きていけない自分と母親は懸命に堪え、今日まで生きてきた。

 何度恨み、何度死んでほしいと願ったかなんて、思い出すだけ無駄だ。それは常に抱いた感情だったし、一生消えることのない憎悪だった。


「……まぁ。そんな父親も、もう死んだんだけどな」

「死んだ?」

「そっ。もう二週間以上前になるかな。強盗に殺されたんだよ」

「そう、なんですか……」


 グラスにささったストローで氷をかき混ぜながら、唯は僅かに俯いた。

 唯にはこんな暗い話を聞かせて申し訳ないと思う。だが、喋る口を止めることが出来ないのだ。

 何故唯に話しているのかなんて分からない。どうして話したいと思ったかなんて分からない。

 ただ無意識のうちに、口が動いていた。唯に話をしたかった、俺の気持ちを知ってほしかった。――そしてそれは、今も変わらない。


「不謹慎かも知れないけどさ。俺、これで良かったんだって安心しているんだ」

「安心?」

「そっ。父親が死んで喜んでいる。これで俺も母さんも、怯えずに生きていけるって。平穏な暮らしが出来るって、安心している。……他人から見たら、最低な人間だな。俺」


 そう言って、自虐めいた笑みが止まらない。人が死んで喜ぶなんて最低な感情を抱いた自分自身を嘲り笑い、見下す。


(こんな俺を、唯はどう思うだろうか……?)


「暗い話をして、ごめんな。だけどなんか、急に唯に話したくなったんだ。俺の過去を、気持ちを。……なんでかは、分かんないんだけど」

「……拓真さん」

「……軽蔑した? 俺のこと。それとも、こんな場所でこんなことを話し出すからドン引いた?」


 自虐的になっているせいだろうか。それとも、こんな話をした後だからだろうか。今なら唯に嫌われても、しょうがないと笑っている自分がいる。だから、聞いてみた。

 今の唯が、自分をどう思っているのかを。

 唯はストローを回していた手を止め、俯き気味だった顔を上げて、拓真の目を真っ直ぐ見つめる。揺らぎない眼差しで、真剣な表情で。顔を逸らすことなく、彼女は見つめた。

 ――そして、にっこりと微笑んだ。


「いいえ。軽蔑なんて、しませんよ」


 予想外の言葉が、彼女の口から発せられた。


「で、でも……」

「確かに、急に拓真さんの辛い過去のお話を聞いてしまったので、驚きはしましたよ? だけど、引いてもいませんし、軽蔑もしていません」

「……本当に?」

「本当です。寧ろ、このお話を聞けて良かったとさえ思います」

「……なん、で?」


 またも予想外の言葉を唯は発し、そして少しの間目を伏せた。


「自然公園で拓真さんの相談を受けた時、思ったんです。何故拓真さんは翔太さんと里香さんの三人でいる時間に、そこまでこだわったのか。何故、そこまで幸せに執着していたのか。その理由が今、分かった気がします」


 唯はテーブルの上に置いていた拓真の腕に手を伸ばし、ソッと自身の手を添えた。まるで大切な物を慈しむかのように優しい手つきに、彼は戸惑う。


「……ねぇ、拓真さん。拓真さんは今、幸せですか?」

「え……?」

「どうですか? 拓真さんは今、幸せですか?」


 再度唯に尋ねられ、拓真は発する言葉に困った。

 だけどもう、問いかけの答えは出ている。――答えは、一つだ。


「……幸せだよ。すごく、幸せだ」


 それが自分の、答えだ。

 拓真の言葉を聞くと唯は静かに頷き、そして優しく微笑んだ。


「なら良かった。拓真さんが幸せなら、私も幸せです」


 その言葉を彼に告げた時の唯の表情は、とても幸せそうだった。

 しかし、ワッフルを一緒に食べた時や、拓真が選んであげたワンピースを買った時とは違う気がする。とても温かくて、心底その事実に喜んでいて、彼の幸せを祝福してくれているようだった。

唯が何故、自分の幸せをそこまで純粋に――心の底から喜んでくれるのか分からない。

 唯とは出会って間もないし、お互いの事は知らないに等しい。それなのに唯は何故、そこまで自分のことを思ってくれるのだろう。どうしてこうも、優しく受け入れてくれるのだろう。

理由は分からないが、この心地よさは……悪くない。

 拓真は添えられた唯の手に自分の手を重ね、彼女の温もりを確かに感じとり、手放したくないと思った。出来ることならずっと、触れていたいとさえ思う。


「……本当にありがとな、唯」


 また泣きそうになってしまったということは、彼女には内緒にしておこう。

 出なければきっと優しい彼女は心配して、眉を八の字に顰めてしまうのだろう。笑顔の似合う顔を、困り顔にはさせたくない。

 拓真はそう思いながら精いっぱい笑みを作り、彼女に応えた。


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