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笑顔で

 人の目を惹く美しさだった。周囲の視線を集めながら唯は二人に近づき、同じように人の視線を集めていた里香と隣に立つ翔太の前に現れた。

 にっこりと微笑んで会釈をする唯の姿に、二人は驚きながら顔を合わせ会釈を返した。


「柏木翔太さんと、東雲里香さん、ですよね? 初めまして、織原唯です。よろしくお願いします」

「は、はぁ……」

「よ、よろしく……?」


 突然現れた唯の存在に動揺を隠しきれない二人はぎこちなく言葉を返し、不安と疑心が入り混じった瞳で 目の前に立つ美少女を見つめた。そんな二人の思いを感じとってか、唯は二人の警戒心を解こうと再度微笑み、弧を描いた口元でこう言った。


「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、私、斎藤拓真さんの知り合いですから」

「えっ? 拓真の?」

「はい、そうです。拓真さんには随分お世話になっているんですよ」

「拓真が女の子に優しいのは分かっていたけど、まさかこんなに可愛い女の子にも声をかけて仲良くなっていたなんて。驚いたかも」


 自身の名前が出たことにより、張りつめていた場の空気が解け始める。不安そうな表情から一変、笑顔で唯の言葉を聞き入れる翔太と、拓真らしいと言って口元に手を添えクスクスと笑う里香。つかみは、大丈夫そうだ。

 笑って、二言三言話した三人。自身の話題で話を進めていた三人だったが、一区切りついたところで唯はショルダーバッグの中から白い封筒の手紙を取り出した。


「実は、今日お二人に声をかけたのはこれを渡す為だったんです」

「これって……手紙だよな?」

「はい、そうです」

「えっと、どっち宛て、なのかな?」

「お二人に渡してくれ、と、拓真さんは言っていましたよ」

「拓真から? ……そっか」


 一通の手紙からラブレターを思い出したのか、一瞬里香の動きがぎこちなくなるも、唯の不安を取り除くように向けられた笑みと、彼女の『拓真から二人へ』という言葉に安心したのか、ホッと胸を撫で下ろし、唯から手紙を受け取る翔太の手元を見つめた。

 手紙を受け取った翔太は「なんだろうな?」と小言を漏らしながらも、未開封の手紙を一度里香に見せ、そして封を切った。


「えっと、これって……」


 白い封筒の手紙の中に入っていたのは、二枚の水族館のチケット。そして二つ折りにされた一通の手紙。

 翔太は二枚の水族館のチケットを里香に手渡すと、二つ折りの手紙を広げ、書かれた内容を読み上げた。


「『今日は二人で出かけてこい。……で、お互いに正直になって帰ってこい』……?」


 内容は――昨日の夜、拓真が書いたとおりだった。

 言葉に他意はない。そのままの意味だ。

 翔太と里香の二人は手紙の文字を覗きこむと顔を合わせた。

 多分、自分が書いた意味深な言葉が、何を言いたいか察しがついたんだろう。だけど戸惑う素振りを見せた二人は顔を上げて唯を見つめるも、彼女はきょとんとおどけた表情を浮かべるだけだ。

 確かに、戸惑う気持ちも分かる。翔太にとっては完全に勝ち目がないと思い込んでいる戦いに臨めと言っているのだ、迷う気持ちは分かる。里香にとっては、自分に託してくれた後輩の気持ちを裏切る行為となるのだ、躊躇う気持ちは分かる。

 だが二人がここで踏み出さなければ関係は壊れてしまうし、もう二度とその機会はなくなってしまうだろう。

 その為にも……頼むから二人で出かけてくれ。そして伝えてくれ、互いの想いを……。

 だが、そんな拓真の思いとは裏腹に二人は口を噤み、話さなくなってしまった。互いに俯き、目線を合わせないように背け合う。


(……やっぱり、俺が動くのが遅かったから、もうダメなのか……?)


 自分の不甲斐なさが悔しくて、拳を握った時だった。スマートフォンの電話口から唯の深い溜息が聞こえ、目先の彼女は眉を顰めた。


「拓真さん、気にしていましたよ。二人が誤解からすれ違っている今を。どうやったら二人が元の関係に戻れるかを」

「え? 拓真が?」

「はい。とても思い悩んで、そして二人のことを心配していました」

「……そっか」


 拓真の名前が出たことにより二人に僅かな反応が出るも、里香は俯き、そして左右に首を振った。


「……拓真が気にかけてくれたのは申し訳ないけど、やっぱり今日は気分じゃないから、私帰るよ」


 里香はやはり、あと一歩が踏み出せないのか手紙から目を逸らし、翔太と唯に背を向けて、来た道を戻ろうとした。

 その姿に拓真はもうダメだと思ってしまった。

 二人の関係はもう戻らない。二人が幸せになる未来も、三人で笑い合える未来もなくなってしまう。あるのは三人がバラバラになる、最悪の未来だけだと……そう思っていた。


「――待てよ、里香」


 だがそれは、翔太が里香の腕を掴んだことによってかき消される。

 翔太は迷うことなく里香の腕を掴むとその場に留め、いつもは見ることがない真剣な眼差しで里香を見つめ、その視線を唯に向けた。


「ねぇ、唯ちゃん。……拓真、“知っている”のか? 何もかも」

「……はい、知っています。知った上で、二人の背中を押そうとしています」


 具体的な何か、は言わない。しかし唯のその言葉で全てを悟った翔太は「そうか」と言葉を漏らし、しばし目を伏せる。そして、


「――里香、行こう」


 彼女の手を引いて、水族館がある西の方角を目指して歩き出そうとした。覚悟を決め、一歩前に踏み出そうとする翔太を、里香は慌てて止める。


「え!? ま、待って!!」

「ん?」


 里香の声に翔太は足を止め、傍らでその様子を見ていた唯も首を傾げる。事は強引にだが着実に前に進もうとしている。それを里香が拒むのは、やはりあの後輩への罪悪感からなのだろうか。不安に駆られながらも状況を見守る俺の目先で、里香は胸に手を当て言葉を紡いだ。


「ねぇ、唯さん。拓真は本当に、この結末を望んでいるの? これでいいって、納得してくれたの? 私、翔太と一緒にいていいの?」

「はい。拓真さんはこの結末を望んでいますよ。……話は聞いています。後輩の女の子に対する罪悪感から里香さんが苦しむのは分かっていますが、でも、今この機を逃したら里香さんはもっと苦しんで――」

「違う! そうじゃないの!」

「……え?」


 自身の言葉を否定された唯が声を漏らすと同時に、拓真も電話口で同じように声を漏らしてしまった。


(違う、って一体どういうことだ……?)


 拓真は電話口に一層耳を当て、里香の声に耳を傾けた。


「あの後輩の女の子のことは確かに気になるけど……でも、今一番私が気にしているのは拓真のことなの」

「拓真さんの、こと……?」


 聞き返す唯の言葉に、里香は今にも泣き出しそうな顔で言葉を紡いだ。


「……私、知っているの。拓真が私と翔太、三人でいる時間をすごく大切にしていることを。一緒の時間を、幸せに思っていることを」

「それは――!」

「だけど、今この手を取ったらもう、元には戻れない。拓真のことは今でも大切だけど、翔太のことの方がもっと大切なの。だから私はこれから翔太と一緒に居られる時間を優先する。そうしたら、拓真が大切にしていた三人の時間、壊しちゃうかもしれないんだよ? ……拓真はそれを認めてくれる? 許してくれるのかな?」


 里香の深く胸に響く言葉に、拓真は胸を痛めた。

 二人の仲を取り持つと決めた時、こうなることは分かっていたのに、いざ里香の口から聞くこととなると訳が違う。胸が抉られるような感覚が彼を襲い、緩めていた拳を強く握った。

 彼女の問いかけに、唯はなんと答えるのだろう。手紙を渡す以外はレクチャーしていない唯はどんな言葉を告げるのか。

 不安と緊張が、その場の空気を包む。

 唯は真っ直ぐ、泣き出しそうな里香を見つめると眉を顰め、言葉を発した。


「……正直な話をすればきっと、拓真さんは複雑な心境であなた達を見守ることになると思います」

「……っ!」

「今まで手にしていた幸せを手放すんです。それは当然のことだと思います」

「やっぱり……」


 迷いのない唯の言葉が、里香の胸に深く突き刺さり、彼女は苦しそうな表情を浮かべ、溢れた涙を頬に伝わせる。

 だが、言葉を告げた唯は里香の側に歩み寄ると、俯き気味の彼女に目線を合わせ、こう言った。


「――だけど、後悔はしないと思いますよ」

「えっ……?」

「翔太さんと里香さん、大切な二人が笑顔でいてくれたら。……少なくとも、あなた達が笑顔で居続ける限り、拓真さんは幸せだと私は思います」

「……ほん、とうに……? 本当に拓真は、それで幸せなの……?」

「えぇ、きっと。――だって拓真さんは、とっても心の優しい人ですから」


 にっこりと微笑み、唯は里香の不安を拭った。きちんと拓真自身の思いを代弁した上、彼女は自分の見解を里香に伝える。溢れんばかりの涙を流しながら里香はその言葉を一句、一句耳にして、そしてまた涙を流した。


(……里香は、知っていたんだ。俺の思っていたことを……)


 伊達に幼馴染じゃないってこと、なのだろう。拓真は彼女に気を遣わせてしまい、心を痛めるような思いをさせてしまったことで自分を責めながら、それでもそんな彼女の肩を抱き寄せ慰める翔太の姿を見て、里香は大丈夫だと思った。もちろん、今後の二人の未来も……。

 人の目線を集めながらも、しばらく涙を流した里香は唯から差し出されたハンカチで涙を拭い、ようやく落ち着きを取り戻す。


「あり、がとう……」

「いえ、どういたしまして」


 太陽のように温かな笑顔を浮かべた唯は、里香から濡れたハンカチを受け取るとショルダーバッグの中に仕舞った。


「……ねぇ唯さん。拓真に伝えてくれるかな?」

「はい、なんですか?」

「ありがとう、って、伝えてほしいの」

「……はい。必ず、お伝えします」


 託された言葉を深く胸に刻み、唯はこくりと頷いた。


「――じゃあ、俺達はこれで。……唯ちゃん、拓真によろしくな」

「よろしくね、唯さん」

「はい、もちろんです。――二人とも、いってらっしゃい」


 その後、泣きやんだ里香は翔太に手を引かれ、雑踏の中へ姿を消した。自分の書いた手紙と、渡したチケットを手に、二人は笑顔で――人波の中に消えていった。

 二人の後ろ姿が見えなくなるまで見守った拓真は、心の中で自分に言い聞かせる。

 ――これでよかったんだ、と。

 二人の仲が元に戻って――いや、それ以上のものとなって、大切な親友と幼馴染が笑顔でいてくれる今の状態が、最良の選択で、自身の幸せなんだ。満たされる心を確かに感じながら、俺は静かに目を伏せた。


(なのに……心は正直だな)


 心の奥底が叫んでいる。行かないでと、俺を置いて二人で行かないでと。強く、強く、叫んでいる。拓真はその叫びに耳を塞ぎ、幸せを掴んだ大切な二人を胸の内で祝福する。

 ありがちだけど、おめでとう、と……。


「――拓真さん。終わりましたね」

「うん。そうだな」


 そう言ったのを最後に、拓真と雑貨屋の物陰に戻ってきた唯の間に沈黙が生まれる。

 ここまで協力してくれて頑張ってくれた唯には申し訳ないが、今は言葉をかけることが出来ない。ちゃんと彼女に言わなくちゃいけない。「ありがとう」と「お疲れ様」と。それなのに口は動いてはくれず、拓真は唇を噛みしめた。

 ――気を抜けば、泣いてしまいそうだからだ。


「……拓真さん」


 不意に俺の背中を、温かな温もりが包み込む。唯が抱きしめてくれているのだと分かるのにそう時間はかからなかった。

俺は腰に回された唯の手に自分の手を重ね、空を仰いだ。

 真っ白な雲が流れる、真っ青な空が滲んでみえる。泣きそうな思いを必死に堪えているのに、なぜ視界が歪むのだろう。

 これじゃあまるで――泣いているみたいじゃないか。


「……後悔は、ないよ? 寧ろ、すっきりしたっての……」


 誰に言うわけでもなく呟いた言葉は、街の騒音がかき消してくれた。


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