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クラスメイト

 チャイムが鳴ると同時に、秋元はスポーツドリンクの缶を片手に自分の席へと戻った。同時に教室前方のドアから如月先生が現れ、拓真は一旦席に着いた。

 如月先生は数学のプリント自習の内容を告げ、教科書の参考ページ番号を黒板に書き、問題がびっしりと詰まったプリントを配っていく。

 途中、拓真の隣の通路を歩いた如月先生は翔太と里香の不在を彼に尋ねてきたが、拓真は「体調不良です」と誤魔化し、その場を流した。

 本当の事なんて、言えるわけがない。


「では、三時限目終了のチャイムが鳴るまで、各自問題を進めてください。分からない問題があったら先生に聞くか、もしくは互いに教えあっても構いません。――ただし、隣の教室に迷惑がかからない程度の話し声でお願いします」


 凛々しい教師の顔をつくる如月先生の説明を聞き終えると、拓真は机の引き出しから数学の教科書を取り出し、開く。

 が、視線はすぐに他所へと逸れる。

 前を向けば空いた席。横を向けば、無開封の缶の側面を滴が伝い落ちる。人がいないその場所はあまりにも物悲しくて、彼は目を逸らし、プリントに向き直った。

 しかし、姿勢はプリントに向けられても意識だけは向くことはなかった。

 あの時、自分はとっさに二人の誤解を解くことを躊躇ってしまった。二人の関係がこのままだと壊れる、良くないことは分かっている。仮に形を保ったとしても、自分が学校に登校してきた時のようなぎこちない関係になってしまうのだろう。そのことは頭では理解している。

 だがしかし、誤解を解けば関係は今とは変わってしまう。二人は結ばれ、三人でいる時間は次第に消えていくだろう。


(そうなれば、俺は……――っ!)


 ようやく悪夢から解放され、手に入ろうとしている幸せな世界。だがその幸せは今、崩れ去ろうとしている。どんな道を選んでも、だ。

 だとすれば自分はどの道を選べばいいのか、どうすれば幸せになれるのだろうか。分からない、分からない……。

 受け入れがたい現実に、取り出し握っていたシャーペンへ強く力が込められた。

 そんな時、不意に頭上から声が降ってくる。


「斎藤ー。これ教えて?」

「……まだ問題すら見ていないだろ、秋元」


 頭上から降ってきた声の主――自分の目の前に現れたのは秋元だった。

 秋元は右手に持ったプリントを拓真の目の前に持ってくると、左手に持ったシャーペンで一問目の基礎問題を示し、そう告げた。


「見なくても分かるって。難しい。解けない」

「はぁ。お前なぁ……」

「だって俺、翔太の補習仲間だし」


 秋元はきっぱり自分が補習組だと告げると、先程同様里香の席に横向きで座り、机の上にプリントを広げる。

 授業開始直後に席を移動したせいか、教壇で様子を見ていた如月先生に軽く睨まれるも自分と秋元の組み合わせが珍しかったのか、特に何も言わずそのまま落ち着いた顔つきで別の方向に視線を向けた。

 しょうがないと溜息を吐き、拓真はプリントの再度向き直った。

 以前やった問題は分かるとして、ここ最近習った公式を使う問題は教科書を読まなければ解けない為、彼は黒板に書かれたページを開く。

 目の前の秋元は半分だけ体をこちらに向けた状態で、横目でプリントを眺め、左手に握ったシャーペンを動かしていた。


「……で、なんだよ?」

「んー。何が?」

「何か話があるんだろ? だからこの席に来た」

「なんでそう思うわけ?」


 互いに問題に目線を向け、シャーペンを動かしながら声をひそめて話す。

 一瞬その手を止め、拓真は持っていた青色のシャーペンで秋元のプリントの問題を示した。


「――解いてある。秋元お前、答え分かっているだろ?」

「……まぁ、ね」


 秋元は顔を上げ、フッと口元に笑みを浮かべると再度問題を解き進めていく。

 そんな秋元の余裕のある態度を見ながら、拓真は以前、ある先生が影で愚痴っていたことを思い出す。秋元は授業中眠っているから補習を受けるのであって、頭は良く成績も悪くはない、と。


「じゃあ、本題入るよ」

「……あぁ」

「早速だけど――あの二人、どうするつもり?」


 まどろっこしいのは抜き。直球で切り込んできた秋元の言葉は、問われた彼の胸に深く突き刺さる。今の心を抉り痛めるには、充分過ぎる言葉だ。


「どうするつもりって、どういう意味だよ?」

「意味はそのまんまだけど?」


 動かしていたシャーペンを止め、秋元は俺に向き直る。


「斎藤だって、分かっているんじゃないの? 二人をこのままにしていたら必ず別れるって。恋心が崩れるのもそうだけど、友達としても……多分、終わっちゃうと俺は思う」

「……かもな」

「それと止める為には斎藤が動かなくちゃいけない。……って、それは本人が一番よく分かっている」

「……あぁ、分かっているよ」


 秋元に言われなくても分かっている。自分が二人の仲を取り持たないと、あの二人は別れてしまうことぐらい。止める為に、動かなきゃいけないことぐらい。

 そんな分かりきったことなど、言われなくても……。


「――本当に?」

「は?」

「本当に分かっているの? 理解しているの? 動かなくちゃいけないって」

「……何が言いたい?」


 さっきまではまどろっこしさ抜きで聞いていた秋元が、遠回しに拓真に何かを尋ねてくる。その何かに察しがついて、彼の声は微かに怒気を帯び始める。


「だってさ。さっき斎藤、動かなかったじゃん」

「――っ!」

「翔太が出て行った時はしょうがないと目を瞑っても、東雲さんの時は違うよね? 二人の誤解を解く為にも、声をかけてあげる必要があった。それなのに斎藤は動かなかった。ねぇ、なんで?」

「なんでって、それはっ!」

「それは、何?」

「……それ、は……」


 言いかけて、言葉が詰まって、そして、


「…………」


 思うところがあり、拓真は話そうとすることをやめた。

 彼は今、自分の気持ちを――本音を話してしまいそうになっていた。さっきまで考えていた自分悩みを、思いを、秋元に喋ってしまうところだった。

 だが拓真は、口を噤むことにした。

 話すわけにはいかない、自分の本音を。聞かれるわけにはいかない、自分の思いを。たかがクラスメイトの秋元には。大切にしていた翔太と里香の二人にも言えなかった、自分の本当の気持ちを。


「……斎藤?」


 黙り込んだ彼の姿を不思議に思い、秋元は首を傾げ、しばらくの間は喋らなかった。その間拓真は俯き、同じように言葉を発することはなかった。

 気まずい沈黙が、二人の間に流れた。


「……悩んでいるんだ、斎藤も。どうしたらいいのか」

「は? お前、何言って――」

「翔太と東雲さんと一緒で、斎藤も今の状況をどうしたらいいのか分からない。だから悩み、苦しんでいる。……大変だね。大切なものが多いと」

「……悪いかよ」

「さぁ? こればっかりは善し悪しで分けられるものじゃないからね」


 ゆるい口調でそう言った秋元は苦笑し、拓真の顔を見た。らしくもなく真剣で、真っ直ぐな眼差しで、秋元はこう言った。


「漫画だとさ『みんなが幸せになれる方法が必ずある』って言う奴がいるけど、現実どうなんだろうね。……斎藤は、一体何を幸せと思う?」


 それは、意味深に告げられた言葉だった。

 秋元はそれだけ言うと視線を背け、静かに目を伏せたが、言葉を聞いた拓真としては意味が分からず、頭の中に疑問符を浮かべるだけだ。


「は? それって一体どういう――」

「……意味と答えは、自分で考えなよ。――じゃあね」

「じゃあって、おいっ!」


 秋元は意味深な言葉を言い残すと席を立ち、シャーペンとプリントを手に、自分の席に戻ろうとする。そんな秋元を呼び止めた拓真の大きめの声は、徐々に騒がしくなりつつある教室の騒音にまぎれ、目立つことはなかった。

 しかしそれをいいことに、秋元は聞こえないふりをして席を離れ、歩き出す。こうなればもうしょうがない。拓真は振り返り去りゆく秋元を睨みながら、彼の後ろ姿を見送る。


「――あ。そうだ」


 が、秋元は足を止めて振り返り、拓真に声をかける。


「そう言えば、言い忘れていたことが一つ」

「ん? 言い忘れていたこと?」

「そう」


 騒がしい教室の中。疑問に思い秋元の声に耳を傾けてみる。秋元はしばし考える素振りを見せていたが、やがて小さく「まぁ、いいか」と声を漏らす。

 そして、こう言った。


「あの女の子。リボンが風に飛ばされる前からさ、斎藤のこと見ていたよ」


 それは拓真にとって、衝撃的な一言だった。

 言葉を聞いた直後。彼の思考は停止し、動きがピタリと止まる。しばらくした後、ようっやく出た言葉は、


「……はい?」


 それだけだった。


「ちょ、ちょっと待て。それってどういう――」

「どういうって……斎藤、さっきからそればっかり。少しは自分で考えたらどう?」

「いや、それはそうだけど……でもっ!」

「だいたい俺、なんであの子が斎藤を見ていたかなんて理由知らないし、聞かれても困るからさ。今度本人に会ったら聞いてみれば?」

「あ、あぁ。そう、だよな」


 言われてみれば、秋元の言う通りだ。彼に聞いたところで、明確な答えが出るわけではない。

 秋元はそれだけ言い残すと背を向け、自分の席に戻った。一人窓側の席に残された拓真はどうしていいのか分からず、とりあえずは前を向き意味もなくプリントに向き直った。

 しかし、問題を解くことはなく、頭は別の事を考える。


(唯が、俺のことを見ていた……?)


 告げられた言葉に、彼はただ驚くしかなかった。

 別に、秋元の言葉を疑っているわけではない。彼が嘘をつく理由がないし、第一拓真にそんなことをする意味はない。だがそれでも、告げられた事実を素直に受け入れることは難しかった。

 リボンが風に飛ぶ前から唯が自分のことを見ていたのだとしたら、その理由は一体なんなのだろう?

 自分は里香みたいに人の目を引くような容姿ではないし、翔太みたいに間の抜けた行動をして人の視線を集めるような人間でもない。

 だとすれば唯は何故、こんな凡人の自分のことをみていたのだろう。一人でベンチに座る男子高校生が珍しかったのか、それともただ単に目を向けただけなのか。その真意は拓真には分からない。

 再び唯に会ってその理由を聞けば解決するのだろうが、彼女との出会いは偶然のものだし、再び会えるかどうかなんて分からない。つまりこの疑問は、当分解決することはないのだ。


(なんか、悩むことがまた一つ増えた気がする……)


 この事実を何故今、秋元が拓真に告げたのかは分からないが、そのせいで悩みが増えたのは確かだ。拓真は秋元のことを多少恨みながらも気疲れから机に突っ伏し、深い溜息をついた。

 目に映ったプリントの問題を前に、彼は青いシャーペンを手の内で回し、やる気がないものの、仕方なしに問題に向き合った。一問も解かずに提出すれば、後で如月先生からお怒りの言葉を貰うからだ。


「……ハァ。だりぃ……」


 机に突っ伏していた上半身を起こし、拓真は仕方なく問題を解き始めたのだった。



「拓真、大変だなー」


 そんな彼の姿を、教室後方の席に座る秋元が見ていたとも知らずに。


「翔太と東雲さんの問題といい、織原唯の問題といい、後は……とにかく、本当に山積みで大変そう」


 他人事のように――しかし何かを知ったような口ぶりで独り言を呟く秋元は、頬杖を突きながら目の前の人物を遠くから眺め、そして彼と似たように溜息を吐いた。


「……あの子がワザとリボンを飛ばしたことは、黙っていてあげようかな」


 秋元が呟いた言葉は、教室の騒音の中へと消えていった。


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