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朔姫  作者: 星 雪花
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梧桐


——大后さま。


その途方もない言葉に、朔は愕然とした。

本当に自分が、先の帝と母——白珠の更衣——との子であるのなら、血の繋がりがまったくないわけでもない。

しかし朔にはまるで、現実のこととは思えなかった。


何かの間違いに違いない、という気がどうしてもするのだ。

雲の上を歩いているような頼りない足取りで、朔は前にしつらえられた畳の薄縁(うすべり)に座った。


すると、それを待っていたように中から声がした。



「よくここまで成長されましたね」



重々しく、気品の備わった声だった。

目線を少し上げて御簾を見たが、様子はうかがえない。その人は再び言った。


「そなたが来るのを、ずっと待っていました。本当に美しくなられましたね。裳着をすませたら、さぞ見栄えがすることでしょう」



聞きたいことが、たくさん頭の内をかすめたが、こちらから言うのは失礼になる気がして、朔は何も言わず聞いていた。



「本当はここでお育ちになるはずが、母君のこともあり、ずいぶん長いこと離れてしまいましたね。でもいずれ会えることは、初めから分かっていました。

積もる話もたくさんあるのですが、どうにも長く話すと疲れてしまうようです。

あとは、そこの梧桐(あおぎり)から直接お聞きなさい。今日は顔を見られて、本当に良かったこと」



それだけ言うと、

その人は満足したように言葉を途切らせた。


御簾のなかが静かになり、大炊君が目配せするのを見て、朔は退出した。

もといた場所に戻ると、朔は初めて緊張していたことを自覚した。


人払いをしたのか、大炊君のほかには誰もいない。

ここに来てからは、小萩の他にたくさんの女房が何かと世話を焼いてくれるのだが、今は誰の姿も見あたらなかった。



「さっき言われた、梧桐という方は……」


朔が聞くと、大炊君は柔らかく微笑んだ。


「それは私のこと。ここで私は男装しているため、周囲から梧桐と呼ばれているのです。

大炊というのは、私がまだあの方の女房として仕えていた頃の名です」



では、先ほど大后が梧桐と言ったのは、大炊君のことを指したのだ。

朔が見つめると、大炊君はさらに続けて言った。



「大后さまのご意向を叶えるため、私は男装して周囲に悟られぬよう、今までずっと政務をこなしてきました。でもあの方もおいたわしい状態が続くため、それももう最後になりそうです。

朱雀帝が世を治められた時に五人いた『月読』も、今では私とアヤメの二人だけになってしまいました」


「あなたも『月読』のひとりだったの?」


「私はあの方の願いを叶える歯車に過ぎません。そしてその願いとは——そなたの身を清らかに改めること」


「清らかに……?」


朔がつぶやくと、大炊君はふいに強い口吻(こうふん)で言った。


「姫君には、忌まわしい物の怪が取り憑いているのです。それはご存知ですか」



朔は、

いきなり秘密を言い当てられた気がした。

いたたまれなさに身をすくめると、大炊君はいささか口調をゆるめた。



「亡き母君も、里下りをきっかけに物の怪の力が強まり、とうとう亡くなられました。

その力は強く、並大抵のことではお祓いできません。そのため大后さまは、陰陽師の勧めもあり、姫君を斎宮にとお考えなのです。清浄な地で潔斎を続ければ、悪しきものもやがて退散し、姫君には一番いいだろうと」



語り聞かせるように大炊君は言った。

だが、朔には思いもよらない話だった。

そんな大役を、自分が務めることができるとも思えない。

呆然とする朔を前に、大炊君は言った。



「急な話に聞こえるかもしれませんが、亡き母君が倒れた時から、大后さまはそのようにお考えでした。それで、あえて姫君を京から移し、大切にお世話するよう申しつけられたのです。

今上帝は、遠く離れた伊勢にやることを残念に思われるかもしれませんが、御代が変われば、またこちらにお戻りになることもきっとあるでしょう。

それまでに身を清められるよう、最大限のことはするつもりです」



あの蛇が——生け捕られると言ったのはこういうことだったのだ。

朔は、どこかでかなしくなりながら思った。


一番意外なのは、自分にとってあの蛇が、それほど悪しきものに思えないことだった。


もしもあの蛇を親しく思うなら、きっと自分も同類なのだろう。



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