訪い
午前中の公務が終わった後、ふいに朝霧の屋敷を訪ねることにしたのは、何か思惑があってのことではなかった。
ただひたすら垣間見の機会を伺う照臣のようではなく、朔姫を知る人の話を聞きたかったのだ。
もう既にいないと分かっていても、侍女に取り次ぎだけでもお願いできないかと期待する気持ちもあった。
大路を抜け、見慣れた築地塀を横目に透垣の戸を開けると、なかから和琴の音が響いている。
それは前に、朝霧が爪弾いていた調べと同じものだった。
もしこれが朔姫の手によるものなら、どんなに覗き見のかいがあるだろうと思いつつ、ぼうっとしていると、それを見咎める小さな声がした。
「お姫さまなら、もういませんよ」
ふりむくと、
前に案内してくれた女童が、紅の袙姿で賢しげに佇んでいる。
こんな小さな女の子にすら、自分の心の内を見透かされていると思うと、真雪はおかしくなった。
「今、なかにいる人と話をしたくてやってきたんだよ。通してくれるかい」
前にも一度、見たことがあるからだろう。
女童は頷いて先導してくれた。
東の庇の間に朝霧は座っていたが、いつもと同じように扇をたずさえており、和琴は脇に押しやったようだった。
差し出された円座に落ち着くと、ますます姫君の不在が身に沁みるようだった。
あの夜、居場所に招いてもらった有り難さから何もしないでいたことを悔いていると、朝霧は口元を隠したまま言った。
「あなたが探していた姫君は、突然行方不明になってから、生死も分からない状態だったのに、今では本当に手も届かない高貴なお方だということが思い知らされますね」
朝霧がちょうどそう思っていたことをしみじみとつぶやくのを聞いて、やはりあの時無理にでも対面しておけばよかったと思いつつ、その思いは口には出さなかった。
「姫君は、果たして入内するのでしょうか。もう御所に移られたそうですね」
一番恐れていることを、真雪はさりげなく言った。
その可能性は、まったくないわけではない。
先の帝にとっていくら大切な形見の姫君だと言っても、主上がお望みになれば、宮仕えにあがることは充分にあり得る話だ。
そうなれば、今にも増して会うこともかなわない。
一度だけ夢のなかで会った姫君が、どうしてこんなに気になるのか、真雪も分からなかった。
ただ、
今度こそ手を差しのべたいと想う気持ちと、今どうされているかという危惧が織り混ざって、何としても一目、様子を見たかった。
「実は私もそれが気になって、御所からの迎えが来た日、ひそかに水泡——先ほどの女童に後をつけさせたのです。
どうやら姫君は、左兵衛府か東雅院の辺りに身をひそめていらっしゃるようですね」
真雪は、その言葉に思わず腰を浮かせた。
左兵衛府だと、真雪のいる右兵衛府からは真逆の方向だが、場所が分かれば目と鼻の先だ。
もう内裏の殿舎に住まわれると思った真雪は、そんな場所にいるのを意外に思った。
しかし、本当に今もそこにいるのなら、なんとかして会う機会がつくれるかもしれない。
ほのかな期待が胸にきざしたが、朝霧はそれを制するように言った。
「一時は、あなたがあまりにも熱心なので、姫君と結ばれればと思いましたが、姫君の身分の高さを思いやると、身を慎まれた方がいいのかもしれません」
確かに、
亡き母が更衣といっても、内親王という姫君の立場では、右兵衛佐でしかない自分の身分は不釣り合いだろう。
それは初めから分かっていたことだ。
そもそも真雪も、最初は主上のためを思って探していたに過ぎない。
身分不相応と言われれば、不服でもその通りだと答えるしかない。
言葉を返さない真雪を、腹を立てたのかと思ったのか、案じるように朝霧は言葉を継いだ。
「というのも、もしかしたらその姫君は、かねてから依頼のある斎宮さまになられるのではないかと思ったのです。
私の浅はかな考えに間違いがなければ、今の帝が立たれてから、新しい宮さまは選ばれていないはず。
何でも、先の帝の時代の斎宮は迦具姫という方で、もうお年を召され、辞退したいという催促もあるでしょう。
そのため、もし姫君が斎宮になられるのなら、華やかな場所に移らないでいることも、人目につかないよう隠されているのにも合点がいきますから」




