届けられた文
朔がもといた部屋に戻って紙を広げると、『お方さま』の言う通り、そこにはひとつの歌が書かれていた。
『ひさかたの夢のあいまに見る影の
月にあまぎるまぼろしの君』
大きく、ところどころ角ばった文字で、流麗とは言い難いが、気持ちのこもった歌であることは不思議と伝わってくる。
戻ってくるなり俯いている朔を不審がって、小萩も一緒に紙を覗き込むと、おどろいた声で言った。
「もう恋文をもらったの? いったい誰に? お方さまは男の人だったの?」
矢継ぎ早に質問する小萩を前に、今度は朔が仰天して言った。
「女の人だったわ。でもなぜか、これを渡されたの。姫君に渡すようにって」
言われたことの仔細を説明すると、小萩は思わず声をひそめて言った。
「アヤメさんに見つかったら大事ね。でもこれを書いたのが誰なのかは気になる。だってここの人に文を渡したのなら、もうすでに朔のことを知っている人がいるってことだもの。
昔御所にいた時、朔を知る人が書いたものなのじゃない?」
「全然思いだせないけど、そうなのかな」
朔は紙に書いてある文字のひとつひとつを目で追ってみるが、そこから何も浮かんではこなかった。
だが、自分を知っている人がこの歌を書いたのだと思うと、その人を知りたいという気持ちが僅かに湧いてくる。
朔は、今しばらく文の歌を見つめたまま言った。
「私、この人が誰なのかを知りたい。どうしてこれを書いたのか、尋ねてみたい」
声が、知らず熱を帯びてくる。
ーー歌は、姫君のこと。
彼女はそう、はっきりと朔に告げた。
「私、もう一度『お方さま』に会って話してくる。そうしてもかまわない?」
小萩は、その勢いに気圧されたようだった。
「アヤメさんが御所で朔を迎える手筈を整えているなら、もうしばらく時間がかかるだろうし、今さら私が対面するのもおかしいものね。私も、それを書いた人が、どんな人なのかは気になるし」
そこで朔は、誰かから歌を贈られたことが一度としてなく、これが初めてだということに気がついた。
ーー夢のあいまに見る影の
月にあまぎるまぼろしの君
まぼろしの君、とは私のことだろうか。
朔にとっては、この歌の書き手こそがまぼろしそのものだった。
自分の知らない、でも夢のなかで、この人はわたしを見たと言っている。
ーー姫君の侍女としてなら会えるかもしれない。
大胆にも、ふとそう思った。
彼の探している『まぼろしの君』ではなく、姫君の侍女としてなら。
できればアヤメが帰ってくる前に。
そう思い、
朔は文字の流れを指先でそっとなぞった。




