牛車のなかで
そうと決まると、
ふたりは置いてあった榻を踏み台にして、網代車の御簾のなかに入ると、お互いの着ているものを順番に取り替えた。
朔はここに来る途中、裾を盛大に汚してしまったのではと危惧したが、調べてみると、すぐ見て分かるほどには汚れていない。
小萩は、朔の着ていた小袖と単衣に、紅梅色の袿を身にまとった。
対する朔は、髪を後ろで束ね、動きやすく仕立ててある袴に萌黄色の袙を重ねると、すっかり身が軽く感じられた。
普段、たくさんの衣を重ねて着ているせいで、いかに思うまま動かないでいるかが身に沁みるようでもあった。
そうしているうちに、
夜明けは刻一刻と近づいていた。
朔と小萩が、今後の方針を声をひそめて相談している途中、
外から物音がして、狩衣を着たひとりの牛飼童が、一頭の牛を連れてやって来た。
ふたりが物見の窓から固唾を呑んで様子を伺っていると、幸運にも、その牛はふたりが既に乗り込んでいる車の前でとまった。
黒い牛は、牛飼童に先導されながらゆっくりと位置を変え、前にある二本の轅におさまると、やがて後ろを軛で繋がれた。
こうなると、もう声も発することができない。
牛を繋ぐ時、少し揺れたため、牛車に慣れない小萩は危うく小さな悲鳴をあげそうになったが、間近で朔が落ち着いているさまを見て、平静さを取り戻すことができた。
朔は牛が定まったのを見計らい、そっと立ち上がると、物見窓から離れ、小萩の影に隠れるように座った。
そこでひとつ、小萩に目配せすると、
小萩も心得たように扇をひろげ、俯き加減の姿勢でじっとしたまま、朔とともにその時が来るのを待った。
どれくらいの時が経っただろう。
果たして、
牛車の外、背後の簾から、ささやき声が聞こえた。
「姫さま、そこにいますか」
牛飼童がいるため、アヤメも無闇に御簾を上げるのをためらっているのだろう。
切迫した問いかけに、朔は言った。
「寝ていられなくて、乗り込んでしまったの」
それを聞いて、アヤメは安堵のため息をついたのち、呆れたように言った。
「お部屋まで、明け方お迎えに行くと言ったでしょう。まさか、小萩もそこにいるのですか」
侍女の部屋につめていないのを見咎められたのだろう。
小萩が答えようとするのを制して、朔は言った。
「小萩を責めないで。私が無理に誘いだしたことなの」
「でも、姫さま」
アヤメが言いかけるのを、朔はさえぎった。
「お願い。小萩には、どうしてもいてほしいの。また戻ってくるなら、かまわないでしょう」
アヤメは逡巡している様子だったが、それ以上何か言うのを諦めたようだった。
やがて吐息の混ざる声で言った。
「致し方ないですね。では、車副には私がつきましょう」
それきり会話が途切れてしまったため、小萩はそっと、朔に耳打ちした。
「アヤメさんを歩かせるなんて、悪いことをしちゃった」
朔は前簾の隙間から、アヤメを窺った。
「でも、今日は狩衣姿だから、初めから歩くつもりだったと思う。そうでなければ、袿でもいいはずだもの」
縹色の狩衣を身につけたアヤメは太刀を佩いており、朔の目から見ても、凛々しく、従者そのものだった。
同乗しないでいれば、余計なことを喋らなくてもすむため、アヤメにとっても好都合なのだろう。
白い蛇が口にした言葉が、脳裏にひらめいた。
ーー君は、まさに生け捕られようとしている。
この先どうするかは、まだ分からない。
でも、いずれ分かる時が来る。
そのために、小萩と成り代わることにしたのだ。
少しの間、欺くことができれば、それでいい。
東の空がだんだん白んでいくのと同時に、
車は、前へ進み始めていた。




