朝霧の女房
返事が来た日の晩、
真雪は月影をたよりに、教えられた屋敷へと足を運んだ。
馬で駆けようかとも思ったが、聞けば徒で行っても差し支えない距離であったため、指貫の裾を持ち上げて行くことにした。
都大路を南へ抜けていくと、程なくここかと思える築地塀が見え、中から和琴を奏でる音が聞こえてくる。
十六夜の月が山の稜線にかかり、いっそう情緒漂う雰囲気が醸し出されていた。
普段、無風流な真雪も、しばし動きをとめる見事な音色だった。
照臣がここに通ったのも、情報収集のためばかりではなかったのかもしれない。
そう思いながら、
透垣の隙間から庭先に降り立つと、
巻き上げられた御簾の内側に、琴を奏でる人の姿があった。
几帳で隔てられているためハッキリと見えないが、長く垂れた髪に、紫苑で重ねた袿がのぞいている。
真雪が見つめていると、その人は手をとめた。
鳴りやむのが惜しい調べだった。
「消えた姫君について、知りたいそうですね」
照臣から、すでに真雪のことを聞いているのか、前置きもなく朝霧は切りだした。
もちろん真雪にとっても、その方がありがたい。
面倒な口上を言う手間が省けるからだ。
「私はそんなに多くを知りませんが、少しのことならお教えできるでしょう」
真雪の沈黙を肯定と受け取ったのか、朝霧は語り始めた。
「私が覚えているのは、白珠の更衣さまが、病の床に伏せられた時のこと。姫君は五つになったばかりでした」
真雪は、
夢で見た少女を思い浮かべた。
ーーおそらくあれは、今探している姫君なのだろう。
今まで半信半疑のままでいたが、朝霧の語る言葉を聞いていると、そう確信できるような気がした。
朝霧は当時の様子を思いだしているのか、御簾の内側で、目の端に浮かんだ涙をそっと拭きとった。
「とうとう白珠の更衣さまが亡くなられた日の晩、姫君は行方不明になったのです。私たちは総出であちこちを探しました。でも、どうしても見つけることはできなかった。本当に、胸がつぶれる思いでした」
「それからどうなったか、聞いたことはあるか」
「少将さまが話すのを聞きました。誰かにさらわれたと。でも私は、あの姫君が消えてしまったのは、何か理由があるように思えるのです」
真雪が黙って先をうながすと、朝霧は静かに続けた。
「白珠の更衣さまは、帝のご寵愛を一身に受けたことで、多くの女御や更衣たちに憎まれていました。その迫害を恐れて、しかるべき人が、残された姫君をお隠しになったのではと」
宮仕えに慣れている女房らしい意見だと真雪は思った。
実際、姫君が御所に残っていれば、帝の加護はあっても、余計そのことで憎まれただろう。
朝霧は重ねて言った。
「というのも、その日、姫君に仕えていた数人の乳母や侍女たちも同時に消えたのです。私は、前々からの謀があったのだと、そう思いました。そうでなければ、示し合わせたように皆いなくなるはずもありません」
朝霧が語る間、
真雪はふたたび、夢のなかの少女を思い返していた。
ーーまにあわなかった、と少女は言っていた。
「その姫君に、何か不思議なところはあったか」
真雪の問いは、いささか突然だった。
朝霧は戸惑いながらも、それに応えた。
「白珠の更衣さまは、もともと神に仕える血筋であったのを、縁あって入内されたと聞いています。そう考えると、あの姫君にも巫女めいたところがあったやもしれません。いなくなられた時は、神隠しにあったのではと、皆が騒いでました」
「何でも白珠という名は、社の玉かずらからきているとか」
朝霧は、わずかに頷いたようだった。
「当時、帝はそれを所望されたのです。白珠の更衣さまは、やむなく献上しましたが、その玉かずらには、奇御魂が宿るという言い伝えが昔からあったそうです」
「奇御魂?」
それは、神霊のことではないかと真雪が推し量ると、朝霧は首肯した。
「そうです。奇御魂。またの名を、月代の大蛇と」




