1 白い絵の具
あるところに、ひとりの画家がおりました。
彼は売れない画家でしたが、自分の絵のうつくしさには、絶対の自信をもっておりました。
娘は愛らしく、風景はあざやかに、動物はいきいきと。
目の前にある主題がどんなものであったとしても、彼の画布にうるわしく描かれれば、それはまるで楽園の住人であるかのようにしあわせそうに笑いさざめくのでした。
さて、彼にはひとりの友人がおりました。
友人はかつて、画家とともに絵を学んでおりましたが、今は絵を描くことをやめました。その代わり、画家のために絵の具を作る絵の具職人になりました。
かろうじて風をさえぎるだけの工房で、二人は互いを支え合いながら、絵を描いておりました。
夏の昼には大汗を流し、冬の夜には凍える指先を太ももで温め、何とか絵を描き続けました。
画布に天国を生み出すのが画家ならば、画家の調色板に虹を描くのは絵の具職人の技でした。
茜色、朱色、雄黄、緑青。
孔雀緑、瑠璃青、象牙炭。
時に植物の根を、時に宝石を顔料にして、くだきすりつぶし油とまぜて作られる絵の具は、それは明るく画布に映えるのでした。
絵の具職人は、画家の絵を見るたびに言います。
「あんたの絵はすばらしい。もっと描いてくれ」
優しい光を瞳に宿す、普段は口数の少ない友人の、これだけは欠かすことのないほめことばでした。画家は、その手に乗せて差し出された絵の具とともに、ありがたく受け取ります。
「君の絵の具こそ、最高だ。こんな色は君にしか出せやしない。僕らの絵には、君の絵の具が欠かせないよ」
画家の返事を聞いて、絵の具職人もまた笑顔をうかべ、画家のかたわらで絵の具の調合を続けるのでした。
ある日、画家の元に一通の手紙が届きました。
おやしきの富豪が娘の肖像画を画家に依頼したいとのこと。画家にとっては初めての依頼です。突然の呼び出しも晴れがましく、画家は手紙をていねいにたたんで懐へしまいました。
作ったばかりの絵の具が固まってしまわないよう、絵の具職人の作った色を一つずつ皮袋に詰め込んで、画家は富豪の元へと出発しました。
おやしきでは、富豪に大歓迎され、晩さんにまで招かれました。
聞けば、富豪の娘は年頃で、婚約者に贈るための絵をもとめているとのこと。
画家の描いた絵を偶然に市で見かけた富豪が、娘の絵もこの画家に描かせたいと思ったという話でした。
画家は大はりきりで画布に向かい、娘のすがたをながめます。
娘は慣れた様子で遠くをみつめ、画家の方をちらりとも見はしませんでした。画布に下塗りし、何度も下絵を直して構図を決めたころには、娘はすっかりあきた様子であくびをしておりました。
画家にとってはそんなことは大した問題ではありません。
入念に準備をしてから、さあ、塗り始めようと絵の具を乗せたところで、はっと気が付きました。
大切に育てられ外の埃を知らない娘の肌は、それはそれはうつくしく、かがやくばかりの白さでありました。窓越しに肌にあたる光を白く塗り重ねたいのですが、持ってきた白をどんなに乗せても、思う色になりません。
絵の具職人の持たせてくれた白では、欲しい色にならないのです。
そのことを告げても、富豪はきょとんとした顔をするだけでした。
「絵の中の娘は、十分美しい肌をしているように見えるぞ。これならば、領主さまもご子息も、こたびの結婚を喜んでお受けになるだろう」
「いえ、お嬢さまの肌はこんなものではございません。もっともっと力強い、光を跳ね返すような白が必要なのです。一度、工房に戻って、ふさわしい色を探したいと思います」
画家は肩を落として富豪のおやしきを後にしました。
近いうちに必ず、完成した絵をお持ちする、と約束をして。
一週間ほどの滞在の後、戻ってきた画家を、絵の具職人が出迎えます。
行きとはうってかわって落ち込んだ画家の様子に、少し慌てたように声をかけました。
「おい、どうした」
「お嬢さんが」
「娘がどうした」
「お嬢さんの肌が、どうしても描けなかった」
そうして泣きながら、お嬢さんの肌がどんなに美しかったか、どんなに輝いていたかをくりかえし語ると、そのまま寝台に入り込んでしまいました。
どこか傷ついたような、行き場をなくしたような友の表情には気付いていましたが、それが何を意味するものなのかは分からないままでした。
分からないまま、画家は涙とともに寝ついてしまい、そうして朝、目覚めたときにはもう、絵の具職人はすでに工房にはおりませんでした。
ただ一つ、置き手紙を残して。
『俺達の白を探しに行ってくる』
絵の具職人の字で書き残された手紙を、画家は黙って見つめるばかりでした。