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終幕

 朝を迎えた。

 早朝の六時に俺の仕事は終わり、こうして帰り支度を済ます事が出来る。

 以前は午前九時までのロングが多かったが、今では深夜が四人に増えた。昨今の人手不足が此処では無事に解決しているのは嬉しいものの、内の一人は辞める日が既に決まっている。

 就職先が無事に見つかったのだ。正社員としての一歩を進むのだから、それを祝うのは必然だろう。

 突然居なくなるのであれば文句の一つでも吐きたくなるが、最初から予定内なのだ。素直におめでとうと出て来た言葉に、深夜の女性は照れ臭そうな顔をしていた。

 

 コンビニの夜勤が底辺職であるのは言うまでもない。

 職に貴賤は無いとしても、それでも上下という区別は存在するのだ。その中でコンビニのバイトが格下であるのは言うまでもなく、それを違うというのは単に現実逃避をしているだけに過ぎない。

 そこから這い上がれるかどうかは人それぞれ。夢を叶えて離れる者も居るし、俺以上にコンビニバイトの経歴が長い者もまた居る。

 そして俺はきっとずっと後者のままなのだろう。夢など無く、悲観しかしていないのだから。

 ロッカーを開けて着替え、朝食の廃棄をいただく。食費を少しでも節約したい俺にとって廃棄というのは非常に魅力的なものだ。

 お昼までは寝ないだろうから朝食と昼食の分を入手し、最後に緑茶を買ってコンビニを出た。

 

 季節は冬。寒さで身が震えるのを耐えつつ、歩を進める。

 今日は休みだ。暇な時間が多くなる貴重な日であるからこそ、趣味に没頭する事が出来る。

 何を作ろうか。やってみたい事は多くあるが、それをするには資金が足りない。

 自分の給料はほぼ二十万。食費を節約したり仕送りする必要が無いので生活を送るだけならそこまで日々に困る事は無い。

 夕飯だけはスーパーに行く事になるから、大出費はそこだけだ。それでも精々二千円程度。

 一ヵ月程度で休みのみスーパーに利用するのであればそこまで重くは無い。勿論閉店ギリギリの身きり品を狙うのも忘れずにだ。


 実に主婦じみた真似もしているなとしみじみ思いつつ、家に到着。

 そしてノブを回そうとして、その下の郵便受けに一枚の白い封筒が挟まっている事に気付いた。

 差出人の名前は我が祖父である須藤・高虎。

 昨日の今日である。流石に関連性があるだろうと手に持ち、朝食の弁当をレンジに突っ込んでから封を開けた。

 中にあるのは一枚の紙と鍵だ。

 シンプルな金色の鍵には別段何かがあるとは思えず、恐らく本題は手紙なのだろうと畳まれた紙を開いた。

 

『拝啓我が孫へ。椿より話は聞いた。此度の件を辞退するという事と理由を聞き、やはりかと思っている』


 そんな一文からスタートした手紙は、しかしどうにも不穏な方向へと話が傾いている。

 祖父も祖母もあのメイドから要件を聞き、そして理解した。確かにと首を縦にも振ったそうで、その辺りに関してはやはり祖父も理解が進んでいる。

 しかし、だからこそ継いでほしいという文面に目を見開いた。

 どういうことかと更に読み進めていく。

 親戚一同は祖父の遺産を虎視眈々と狙い今も牙を研ぎ澄ませているそうで、その様は飢えた狼と何も変わらないらしい。

 

 まぁ、少なくとも祖父の家はそれなりに大きかった。一般的な一戸建ての範囲ではあれど、それを一括で支払って仕事もせずに暮らしている以上確かに預金はかなりあるのだろう。

 その甘い匂いに釣られた者達が結構な頻度で家に尋ねるようであり、自分の価値を説いているのだとか。

 実に迷惑な話だ。露骨に祖父に早く死ねと言っているようで、その親戚達には吐き気を催す。

 この前は俺の両親まで来ていたそうだ。内容はやはり遺産関連であったが、俺の存在にはまるで触れてはこなかったらしい。

 祖父が指摘して漸く思い出したとばかりに話し、しかし不機嫌さを隠しもしていなかったそうだ。

 

 最早親戚も自分の息子達も信じる事は出来ない。

 下種のような親戚達の子息にも期待は出来そうになく、信頼を寄せられるのは昔から遊びに来ていた俺だけだと手紙には力強く書かれていた。

 同時に、祖父お抱えのメイドも懇願したらしい。しかもどうやら一人ではないようで、あのメイドを含めても実に三十人が俺を指名したそうだ。当然ながら俺は会ったこともないし、写真の一つだって見た事はない。

 初対面でありながらもどうしてそうしたのかは理解出来ないが、それでも祖父がとても強く俺を呼んでいる事だけは伝わった。

 

 封筒には切手が無い。つまりあの後にもう一回来たということだ。それだけ急いでいたと解れば俺がしなければならないことも定まって来る。

 鳴ったレンジから弁当を取り出し、PC台に置いて携帯を取り出す。

 掛けるのはやはり祖父母の家だ。この話を無事に着陸させる為にはやはり会話を重ねる他にない。

 即座に番号を押して耳に当てれば、俺の行動パターンを予測していたのかワンコールで誰かが出る。


『お早うございます、須藤・拓也様』


「誰ですか。昨日のメイドではないですね」


『ええ、椿の同僚に当たります。東堂・要です』


「……良いんですか、祖父の家には貴方達のような人物は居ない事になっていると思うのですが?」


『勿論そうです。ですので、貴方様の番号であると確信してから受話器を取りました』


 祖父母の家にある電話は名前を読み上げるタイプ。だが俺の名前は登録していない筈だから、昨日の段階で祖母辺りが登録したのだろう。

 これから何度も電話をする必要が出る。祖母はそう考えて設定したのかもしれない。

 だとすればよく此方を見ていると思わざるをえないと思いつつ、祖父を出してもらうように頼んだ。

 待った時間はおよそ五分。

 ゆっくりと誰かが近付く音がして、受話器の取る音と共に皺がれた男の声がした。


『ようよう、久し振りだなぁ拓也』


「久し振り、爺ちゃん」


 あの家で男性と言えば祖父のみだ。

 上機嫌な声で語り掛けてくるのを見るに、やはり祖父も予測していた。手紙が俺の心を乱すと確信して、そうなるように誘導する姿は普段の祖父とはまるで別人だ。

 あの何も考えずに笑っていたような顔は嘘だったとは考えたくは無い。オンとオフは切り替えているそうだし、恐らくあの時はオフだったのだろう。

 兎に角。随分と呆気なく繋がったのだ。つまりは話し合いの余地は十分にある。

 特に祖父の声色は普通そのもの。であれば、案外簡単に済むかもしれない。

 唾を飲み込む。これが最初で最後になるかもしれないと自然と携帯を掴む手も強くなった。

 

「爺ちゃん、あの話は断るよ。俺には荷が重い」


『そんな事は無い。お前は悲観的に物事を見ているだけだ。お前をサポートする者達は優秀で、それにお前自身そこまで欲をかかないだろう』


「欲はかかないというか欲を持っても仕様が無いから捨ててるだけだよ。それにサポートをしてくれるとしても、やはり最終決定は俺になるんだろう?そんな重圧には耐えきれないさ」


 会長という役職は決して名誉職である訳ではない。

 社長に会社内部を任せ、会長は子会社等を含めた全グループの舵取りをしなければならないのだ。そこには政治的な意図が含まれる場合も出て来るだろうし、先見の明も必要となる。

 迂闊な経営が何千億という損害を出すと思えば、誰だってそう素直に引き受けようとはしない筈だ。

 親戚一同や両親にはその話を伏せているが、もしも相続の話になれば大多数の人間は退くだろう。それだけの重圧があるのが会長だ。

 決して良い面だけがある訳ではない。寧ろ悪い面ばかりが目立ち、とてもではないが魅力的には映らない。

 もしも俺が大損害を出したら?

 それで会社を潰してしまったら?

 そこに在籍している全ての者は路頭に迷う。比喩表現でも何でもなく、本当に大規模な人数が死にかねないのだ。

 

 その責任が果たせるとはとても思えない。

 こんなあっさり寄越す時点でも既に頭がおかしいとすら感じるのだ。もっと取締役会などで確り選定をすべきだと役員達も声を大にして言うべきなのである。

 止められるのは俺だけだ。これを無事に止め、ただの祖父と孫に戻らねばならない。

 この一件を悪い夢だったのだと笑い合える話にするのが俺の役目だと言えよう。

 そう思い、そう決意し、故に動く口は熱くなる。久方振りの必死さに、思わず手汗も浮かべてしまう。

 外は寒い。気温は恐らく十度前後といったところだろう。

 天気予報も終始一貫して寒冷が続くと報道されている。しかし今この部屋には多大な熱気があった。


「――だから爺ちゃん、駄目なんだ。俺はその役職には就けられないし、そもそも就きたいとも思えない」


『何故だ拓也。会長職は大変な事もあるが、それに見合った名誉も手に入る。俗な内容だが、酒池肉林を望む事もやりたい事をやるだけの力も手に入る。……今お前が注力している趣味をより大きくする事とて出来るのだぞ』


「止めてくれよ爺ちゃん。俺がそんな理由で動く筈が無いって解ってるだろ」


『ああそうだ、解っている。だがお前はどうしたのだ。昔はあんなにも希望に満ち溢れたことばかり話していて眩しかったというのに……』


「高校を卒業して、もう二十歳だ。現実を知ったんだよ、自分は小物だってな。いや、小物以下だと自分ではそう思ってる。あのメイドから今の場所をよく聞いただろ。もう俺は、夢も希望も無いんだ(・・・・・・・・・)


 最後だけは絞り出すようになってしまったのは、今一度自分の惨めさを客観視したからだ。

 自分は馬鹿で、呆れる程愚物で、誰かに役に立つなんて事は出来ない。脱却をせずに停滞を続けている以上、会社の更なる飛躍が行えるとも考え辛い。

 最悪、生きていける程度の資金があれば良いのだ。それだけでもう十分。

 好いてくれる女は要らないし、信頼してくれる誰かも要らない。ただ一人で静かに暮らせればそれで良い。所謂悟り系男子に近い性質だ。

 

 自己否定の極致である自殺にまでは至っていないが、何かしらの切っ掛けさえあればそうなる可能性もある。だから、この状況を安定化させる事が俺にとって望ましいことだった。

 だが祖父は違うのだろう。手紙の部分が全て本音だとするならば、託せる人間は後は外部だけになる。

 そうなった時、考えられるのは派閥争いだ。

 祖父の幹部は友人ばかりだとメイドは語っていた。しかしそれは、祖父が絶対的な利権を持っていたからこそ友人付きあいが成立していた面も可能性として浮上する。

 こうして体力も衰え、後継者を探し始めたのならば、自分の子息や子女を推す事も十分想定出来る筈だ。

 

『拓也……どうしても無理か』


「ああ、俺にはそんな事は出来ない。申し訳ないけど、他の親戚を候補者にしておいてくれ。そっちの方がきっと皆立候補してくれるだろうさ」


『馬鹿者め。お前以外に務まる者などおりはせん。あの親戚連中は総じて屑だ。目的の為ならば毒をも仕込み殺しかねない程に、既に腐っておる。そんな者達ではミクランを崩壊させる事は必至だ』


「俺だって屑だし腐ってるよ。それじゃあ、この話は無かったことにしておいてくれ」


 祖父の返事を聞く前に、俺は携帯の通話を切った。

 布団に投げ捨て、PC台の前に座る。――――気付けば、温めていたカツ丼は冷めきっていた。

 



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