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拒絶反応

「粗茶ですが……」


「有難う御座います」


 微妙な空気の中で、俺はそっと安い緑茶を出す。

 正座の姿勢で湯呑を傾ける様を見ながら、この目の前の女性が一体どんな人物であるのかを考えていた。

 彼女の服装から考えるに、やはり職業はメイド。日本で言えば家政婦だ。

 昨今ではメイド服姿の者は別の姿があったりするものだが、此処は現実。そういった諸々はまず無いと考えても別段問題にはなるまい。

 迎え云々においても強引に連れて行こうとはしなかった点から性格は凶暴ではないのだろう。

 とくれば、やはり重要になるのは財産相続そのもの。

 このメイドの話次第で俺の人生そのものが変わる可能性がある。

 ゆっくり慎重に物事を進めねばならないだろうと緑茶で渇いた喉を潤し、対面に居る彼女を見据えた。

 彼女も彼女で静かに此方を見やり、俺の言葉を待っている。

 

「まずそちらが知っている限りで構わないので、今回の一件について話をお聞きしたい」


 夜勤の時間は刻々と迫っている。

 準備程度は五分で出来るが、移動に十五分もかかる関係上早めに話を纏めたい。

 無断欠勤など論外だ。流石に遅刻野郎には店長もタダでは済まさないだろう。

 畏まりましたと小さく頭を下げたメイドは、少しの間沈黙する。あちらもあちらで言いたくない部分もあるのだろう。そういった取捨選択をしながら話さねばならないというのは大変だ。


「貴方様は高虎様に選ばれた財産相続者筆頭になります。これは貴方様が生まれた時点において決定されたことであり、覆す事は現状において極端に難しくなっております」


「それは何故。選択の自由程度はある筈ですが」


「確かに貴方様には選択の自由があります。これを断るも了承するも自由でありますし、それを邪魔するのも私共では難しい。……しかし、その自由を潰す手段はございます」


「それは――脅しかい?」


 はい。

 小さく頷いた彼女の表情に変化は無い。無表情を崩さないスタイルを長い間維持してきたからなのか、恐らく並の手段では表情を変える事は出来ないのだろう。

 脅迫という、やり方によっては警察沙汰にまで発展するかもしれない言葉を吐いてもそうなのだ。

 彼女の人生が決して平穏の中ではなかったと示すには十分であり、そんな彼女をメイドとして雇っているという事実に僅かに冷たい空気を感じた。

 祖父に関係している事柄なのは察するに余りある。これで何の関係も無いのだとしたら、それはそれで彼女の素性が余計怪しく思えてしまうだろう。

 今は努めて無視をする方向に硬め、話を進める事に決めた。


「それだけの内容だ。普通の内容ではないのは解っていますが、是非とも教えていただきたい」


「畏まりました。――まず最初に、高虎様はとある一つの大企業の会長をしています」


 大企業。その名前はミクランと呼称される。

 その企業を俺は知っているし、恐らく誰もが知っていることだろう。

 世界にまで進出した企業の中において最上位に輝く大企業だ。扱う商品も手広く、噂によれば軍需産業も行っていると言われている。

 俺も趣味の際には素材を購入する事が多く、一度企業の評価を見た時には中々に高評価だった。

 ホワイト企業の代名詞。多国籍企業においてその評価が付いているのはかなり珍しいだろう。

 ブラック企業の話題が持ち上がる世の中においてもそういった大企業の存在は希少であり、故に求人倍率も並では済まされない。

 当然就職に必要な各種条件も高いが、それでも入ろうと努力する者はかなり居る程だ。

 

「そのミクランの会長……にわかには信じ難いな」


「お気持ちは解ります。高虎様もONとOFFは切り替えていると仰っておりましたし、表には出ないよう常に代理を用いて活動していました」


「テレビで出て来るあの会長が代理か。かなり凄かった記憶があるぞ」


 代理と彼女が言う会長は、俺という素人目から見ても常に堂々とした佇まいを見せる紳士風の男だった。

 白髪の混じった髪には確かな老いを感じたし、報道陣と話す口調は優し目だったが、それでも目は確かに威圧していた。

 迂闊に探りを入れるようであればタダでは済まさない。そんな雰囲気を仄かに纏い、幹部陣を率いて歩いていた場面をテレビで見た際は似合い過ぎて別次元の人間に見えて仕方がなかった。

 そんな人間が、代理。

 勿論仕事もかなりしていたのだろう。代理であっても処理すべき仕事量は多岐に渡る筈だ。それを捌くのは容易な事ではないだろうし、同じ事を自分が出来るとは考えていない。

 しかし、そんな人物よりも我が祖父は上なのだ。言ってしまえば黒幕のような存在なのである。

 人生はどう転がるか解らないと言われるが、まさしくその通りの結果になってしまった。

 

「貴方様は高虎様の地位である会長を引き継ぐ立場にあります。勿論最初から全てを任せるおつもりでは御座いません。サポートは致しますし、あの代理――万丈にも手を貸していただくつもりです」


「……ゆくゆくは実権の全てを握ると。だがそれなら幼少の時点で教えてくれれば良いだろうに。それに俺以外にも知っている人間は居るのでしょう?」


「この事を知っているのは現時点では高虎様とその奥方様。そして貴方様のみです。親戚一同には何も通達しておりませんし、貴方様の両親もまた件の情報は伏せられています」


「何故だい?」


「――貴方様が全てを掌握してほしいと、高虎様や私達が思っているからです」

 

 とんでもない話だと、思わず天井に顔を移した。

 祖父がこんな大きな秘密を抱えているとは思わなくて、この話を知っている者がそんなに少ないのかと思って、祖父が自分に多大な期待をかけていると思って。

 頭の中は困惑ばかりだ。これでは夜勤を真面目に働けるのかも怪しい。

 だが、解る部分もあるにはあるのだ。俺が中学生になったばかりの頃から、確かに両親と祖父母はまったく会わなくなった。

 それには勿論仕事が忙しいという確固たる理由があったのだが、それでも明確な交流と呼べるような何かがあった事は殆ど絶無なのだ。

 

 家が近いという理由で祖父母の元に遊びに行っていたのは俺だけ。夏休みも冬休みも、それこそ春休みの時でさえ俺の家の中で家族が揃う事は稀だった。

 旅行だって祖父や祖母とだ。主な行先は中国やアメリカといった海外ばかりであったが、恐らくはミクランの仕事も平行して行っていたに違いない。

 俺に海外という場所を馴染ませたかったという理由も候補としてあるものの、やはり現時点では怪しいものだ。

 というよりかは、何故中学の段階で教えてくれなかったのか。


「また教育に関しましては、貴方様の御両親に気付かれると高虎様は思われたからです。それに高虎様も何も考えずに孫と遊びたかったと言っておりました」


「まぁ、あの祖父ならそんな風に考えてもおかしくはないですね。……それに中学の俺じゃあどうしたって秘密をバラしていたことでしょう」


「ご理解頂けたのでしたら何よりです」


 昔の俺はまだまだ子供同然だった。未来に希望が満ち溢れていると本気に思うくらいには、中々どうして単純な馬鹿だったのだ。

 そんな様を祖父に見せていれば、やはり隠したくなるのは道理だろう。俺だって祖父の立場になって考えれば同様の選択をする筈だ。まだ時期尚早であると。

 教育をする時間はこれから用意すれば良い。それだけの準備を既に向こうはしているのだろう。

 後は俺がこの件を了承し、正式に引き継ぐ書類を纏めるだけ。あの祖父のことだから、きっと名前を書くだけとかにしていそうだ。

 兎に角、これで大方の部分は把握した。

 更に細かい箇所については今突っ込んでも何も解らないだろう。やはり奥深くを知るには祖父に直接尋ねなければならなくなる。

 ――それに、今回の話をどうするのかはこれで決まった。


「……ではご了承いただけますでしょうか」


「それは勿論――お断りさせていただきます」


 期待が籠った眼差しに、されど俺は断頭台の刃を落とすように告げる。

 彼女の目が驚愕に見開いた。一体どうしてといった感情がありありと解り、身体が小刻みに震え始めているのが見える。

 確かに待遇は良い。仕事はハードを通り越しているが、サポートもついている。余程不味い事を言い出そうとすれば、まず間違いなく誰かが止めてくれるだろう。

 祖父も祖父でその辺の対策はさっさと講じている筈だ。可能な限り俺が無能にならないように考えてくれているだろう。

 しかし、そもそも前提条件が狂っていた。祖父も考慮していなかった部分があった。

 俺はそもそもにおいて、社会不適合者(・・・・・・)なのだ。

 

 他者と交流する事が生理的に不可能であり、協力するという真似があまり出来ない。

 自分本位で思考し、自分勝手に動き、迷惑を他者に与えても心の底から謝罪の念は出てこないのだ。

 どう贔屓目に見たとしても屑だ。間違ってもまともな人間には見えないことだろう。

 企業のトップは大体一正社員を道具として見るという風潮があるが、それをミクランにそのまま適用すれば評判が悪くなるのは必然。

 ミクランはホワイト企業なのだ。その前評判を崩す訳にはいかない。

 それに今更勉強に励んだところで限界は見えている。希望を捨てるなとはよく言われる内容であるが、それで希望持てるのは高校生までだ。

 大人になってしまえば、その限界を感じるようになってしまう。自分は大した器ではなかったのだと、そう認識出来るようになってしまうのだ。

 よって、今回の件は断る事に決めた。自分ではとてもではないがそんな大役を果たせるとは思えない。


「お話は解りましたが、私如きではその大役は果たせそうにありません。他の方と話を進めた方がより良い未来を見れるでしょう」


「何故ですかッ。確かに会長という立場には難しいものがあります。ですが表で動く必要のある部分には出ずに済みますし、貴方様のお好きなように方針を変える事も可能です。もしも反対する人間が出たとしても、それを抑え来む権力は有しています。極論ではありますが、方針だけ伝えて任せきりにしたとしても構いません!」


「それでは只の無能ですよ。それに社会は一枚岩ではないのは御存じでしょう。例え無理を通したとしても、後になって会長の座を落とそうとする者は出現する。権力は誰だって欲しいでしょうからね」


「そんな事にはなりません。幹部の殆どは高虎様のご友人です。厳しい言葉を使う者も居ますでしょうが、孫であらせる貴方様を否定する事は有り得ません。どうか、ご再考を」


「――それは祖父が会長であるから成り立っているだけです。トップが変われば、また彼等も変わらざるをえない。その変化が必ずしも良い方向に纏まるとは、私には思えません」


 何事にも変化はある。

 良くも悪くも人は変化するのだ。今は祖父がトップだからこそホワイト企業化に成功しているのであって、そうでなければ忽ちブラック化する可能性が発生してしまう。

 かといって祖父がずっと生き続けられる訳ではない。故に誰かに引き継ぐのは必要で、しかしそれは親戚の仲でも優秀な者にすべきだと俺は考えている。

 高校を卒業してから二年。これまでの間に俺がしていた事は何だ。

 人生に悲観し、惰性で働いていただけではないか。それが前を進む者の姿である訳も無いし、認めて良いものではない。

 俺は俺が好きではないのだから、前を進める筈も無し。

 進化が無ければ企業は後退するだけだ。そんな事をさせる訳にはいかないだろう。特に祖父には旅行に連れて行ってくれた事もあるし、欲しい物を買ってもらった事もある。

 

 小さな恩も積もれば大きな恩となるのだ。

 それに報いる為には、俺はただただ祖父の期待を裏切るしかなかった。

 自分はそこまで優秀な人間ではない。だからどうか、別の人間にしてくれと。それこそが、祖父が育てた大企業をそのままにする最善手である。

 正論を並べ立て、それを彼女に放つ。メイドである彼女はそれを寸分違わず祖父に伝えてくれるだろうと願って、泣きそうな顔を浮かべていても容赦無く言い続けた。

 一瞬だけ携帯を見れば、時刻は午後八時を回っている。そろそろ仮眠を取らねば仕事中に寝てしまうだろう。

 話の決着ももうついた。これで細かい部分についても聞く必要は無くなる。

 一瞬だけでも良い夢を見させてもらえた。その礼の為にも、彼女を傷付けるような言葉はこれ以上使わない。


「結論を変えるつもりはありません。この事を祖父に伝え、次の人物を選定してください。……では、お帰りください」


「お待ちください!……突然の話であったのは謝罪します。急過ぎるが為に時間を取らせなかった事も謝罪致しますッ。ですが、ですがお断りするということだけは――――」


「帰ってください」


 懇願の声を、俺は切って捨てた。

 彼女が何故そうまでして感情的に俺を引き留めようとしているのかは解らないが、それでも結論は変わらないのだ。

 絶対に引き継ぐ事は無い。その断固たる意志を瞳に乗せれば、彼女は頬に涙を流しながら立ち上がった。

 続けて俺も立ち上がり、玄関の前まで見送る。ポニーテールの美少女と話が出来るのはここだけだなと内心で呟き、尚も何かを言いたそうにしている彼女の表情を無視した。

 あまりにも俺の態度は失礼だったろう。嫌われてもおかしくない態度をして、しかし彼女は律儀に頭を下げて扉の外へと歩いて行った。

 鍵を閉めて自室の窓を覗き込む。カーテンの端から見える外には一台の高級車が見え、彼女がそこに乗り込んでいるのが見える。

 その車が道路に向かって走っていく様を見つめ、漸く事が終わったかと安堵の息を吐いた。

 

「さて、仮眠して今日も仕事をしますか」


 布団に寝転がり、そのまま目を瞑る。

 突然の事態故か、睡魔は一気に襲ってきていた。そして荷物を纏める頃には、既に遅刻寸前になっていたのだった。

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