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知らぬが凶

 年齢二十歳。高校卒業後には就職するも、人間関係の不和により退職。

 以降は正社員という身分そのものにトラウマを持ち、二十歳を迎えた現在においてはコンビニで働く一フリーター。

 友人知人は軒並み結婚や出世をしている中で己だけが取り残され、アパートの一室でコンビニ飯を食べる姿はあまりにも憐れに思うかもしれない。

 両親は健在。しかし関係はそれほど良好ではなく、向こうは此方の事を疎んでいるだろう。

 逆に祖父祖母とはそれなりに仲は良い。休日に様子を確認し、一緒に飯を食べる程度には良好だ。

 偶に小遣いをあげようとするが、それを受け取ってはただの子供だと断り続けている。

 典型的な社会不適合者。――それが俺だと自覚するのにそれほど時間は掛からなかった。


 集団的行動に苦痛を覚え、一人になる事にこの上無い喜びを感じている。

 接客業が出来る程度には本音を隠せるが、逆に言えばその程度。帰ってきてからは表情禁が死んでいる場合が多く、殆ど笑わない日も多い。

 誰かと一緒に飯に行くのは祖父母を除いて嫌いであるし、面倒だ。そもそも、他人の都合を考慮するという真似自体が苦痛でしかない。

 それ故に他人との関わり合いは浅く、高校を卒業してからの友人は皆無に近い。

 その高校の友人とて一年以上前からはまったく連絡をとっていないのだ。このまま老人になったとして、まず自分の最後は孤独死となるだろう。


 それ自体は別にどうでも良い。アパートの管理人には迷惑な話であろうが、俺は一人で適当に暮らして適当な年齢でこの部屋で死ぬのだ。

 まともな趣味は物作り程度。所詮は趣味の範疇にあるように、大した物は作れない。

 通販の格安セールで入手したパソコンが最も高価であり、それ以外の家電製品は中古品ばかりだ。

 部屋は三つ。一つは作業部屋のようになっており、完成した品物や工具がある。

 二つ目は自分の部屋。紺の布団を敷きっぱなしにし、服や下着などは作った木製の小さな箪笥にしまっている。

 カーテンは焦げ茶色だ。貰い物の中で言えば恐らく最も有難い部類だろう。

 

 そんな一室を特に何とは無しに眺めるのが最近の日課だ。

 働いて寝て働いて寝て、時々趣味に興じる。そんな一週間を続けるばかりの俺の一生は、さぞや無駄でつまらなく映るだろうと客観的に感じていた。

 両親は仕事優先の人間だ。そんな二人が俺を疎むのは納得出来る話で、縁切りの話が出たとしても不思議ではない。

 それでも縁切りされないのは、単に面倒だと向こうも感じているからか。

 俺が学生の頃から中々家に帰らなかった人達だ。それもあり得ると伽藍洞の心で呟き、時間を確認する。

 

 時刻はおよそ午後六時。

 夕飯を食べねばならない時間だ。この四時間後にはコンビニの夜勤があるのだから、さっさと食べて仕事前の仮眠を取らなければなるまい。

 立ち上がって、さて今日は何があっただろうかと休日に買っておいた缶詰を思い出す。

 鮮魚系が好きな俺にとって、魚の缶詰というのは時間的にスーパーに行けない俺にとっては有難い存在だ。

 百円で買える物もあるにはあれど、それでは満腹にはなれない。

 必然的に五百円程の高いが量のある方を選び、御飯はコンビニで買った物をレンジで温めた。

 食費は一日千円まで。節約を心掛け、少しでも金を貯めておくのは案外自分は生きたいと思っているからなのだろうと思う。

 所詮は雀の涙でしかないというのに、それでも無駄に我慢するのだ。――昔から色々な意味で我慢強いのが現在にまで続いているのだろう。


――――――――♪


「――ん?何か頼んでたっけかな」


 レンジで温めている最中、玄関から呼び鈴の音がした。

 俺が働いているコンビニは随分田舎にある。アパートはそのコンビニに近く、よってまともに物が揃う事はバスを使わなければ出来ない。

 免許を取る程の経済的余裕の無い自分には通販に頼る他無く、呼び鈴が鳴るのは有り触れた日常の一つだ。

 だから今回もそうなのだろうと確信し、俺は躊躇も無く扉を開けた。

 何時もの青い宅急便屋か、それとも緑帽子の宅急便屋か。そう思って口を開こうとして、されど目の前に立っている人物を見つめて目を見開いた。

 

「――此方は須藤・拓也様のご自宅でよろしいでしょうか?」


 鋭く、されど冷たさは感じない声。

 俺と年齢が近いのだろうか。長い黒髪をシュシュでポニーテールのように纏め、服は世間一般で最早絶滅危惧種に指定されるメイド服だ。

 胸元のリボンには赤い宝石が嵌められ、佇まいには品がある。己の語彙力が無いので的確な表現かどうかは解らないが、まるで本物のメイドがやって来たように感じるのだ。

 勿論俺は彼女の事を知らない。理知的な黒い瞳は今まで見た女性の誰よりも綺麗であるし、両手を前で重ねてブレずに立っている様はモデルが如しだ。

 だが、彼女は俺の名前を言っていた。俺は彼女を知らないし、彼女の言い方からして向こうも俺の事は知らないのだろう。


「……いえ、それは違う自宅でしょうね」


 怪し過ぎた。彼女の無表情というのも、余計に怪しさを加速させた。

 ここは無難に回避するのが安定だろう。不審者として警察に連絡する事も念頭に入れて発言すれば、彼女の瞳は僅かに細められた。


「嘘ですね。貴方様の顔がそう仰っています」


 不味い、と反射的に口を手で押さえた。

 それが嘘だと見破られたという証拠になると解っていたのに、それでも俺はそうしてしまった。

 彼女は薄く、本当に薄く笑う。儚げさを感じる笑みはしかし、まるで獲物を見つけた肉食獣のような雰囲気も感じずにはいられない。

 本能が告げた、扉を閉めろと。

 今直ぐ彼女を突き飛ばし、扉を閉めて警察に連絡するのだ。

 恐らく逃げられて警察には嘘だと思われるだろうが、それでも構わない。重要なのは今無事に逃げ切る事なのだから。

 

 咄嗟に彼女を扉の範囲から突飛ばそうと肩に向かって勢いよく手を伸ばす。

 突然の行動に普通の女性ならば困惑するか危機感を覚えるだろうが、彼女は俺の腕をあっさり掴んだ。

 そしてどこか陶酔したかのように俺の掌を頬に当て、目を閉じる。

 まるで長い間離れていた恋人と再会したかのような顔だが、俺からすれば恐ろしいことだ。

 彼女は容易に俺を制圧する事が出来る。このたった一回の行動だけでそれを理解させられた。

 嘘であるとも見破られた以上、この状況では会話を続けるしかない。その上で何事もないようにお帰りいただくのが最善の筈だ。


「あの……貴方は誰なんでしょうか」


「はい、私は安藤・椿と申します。本日は貴方様を御迎えに参りました」


「迎え?一体それは何処から……」


「高虎様で御座います」


 彼女の話はまったく理解出来るようなものではなかったが、最後の一つだけは理解出来るものだった。

 須藤・高虎。その名前は俺の祖父のものだ。

 何時も優し気な笑みを湛え、幼少の頃より遊んでもらい、今現在は腰痛で療養中である。

 祖父の家はそれなりに広い和の仕様であるが、彼女のような人間は居なかった筈だ。

 それに経済的な余裕も無いと祖父から話は聞いている。節約云々も元々は祖父の真似をしているのだから、彼女を雇って通わせるというのも難しいだろう。

 

 よって断じるのであれば、彼女と祖父の間には何も無い。

 しかし彼女は当たり前のような祖父の名前と俺の名前を出した。これはつまるところ、我が祖父が何かしらを隠していた事になってしまう。

 隠し事など出来ないような好々爺だと思っていただけに、その事実は俺を驚愕させた。

 彼女に少し待ってもらうよう頼みながら携帯で祖父の家に慌てて電話をする程度には、内心は焦り続けていたのだ。

 

『あら拓也。こんな時間に電話なんて珍しいわね。どうかしたの?』


「ああ婆ちゃん。ちょっと今家にメイド服姿の変な人が居るんだけどさ、なんでか爺ちゃんと俺の名前を知ってるんだ。何か爺ちゃん隠してないかな」


 この場合、即座に祖父に代わってもらうのが普通であろう。 

 それにも関わらずに祖母に話したのは、単に慌てているだけだ。それでも祖母は俺の言葉に答えず、暫くの間静寂が流れ続けていた。

 そして、その静寂があるからこそ強制的に悟らされる。

 祖父だけでなく祖母までも、何かを隠しているのだということに。

 それが何であるのかは解らない。解らないがしかし、俺に関係するのであれば確り全てを明かしてほしいと思う。

 何も知らないというのは恐ろしいものだ。恐ろしいからこそ、両親に続いて祖父母とも距離を取らねばならなくなる。

 暖かい雰囲気と離れねばならないというのは、俺にとって歓迎すべき事ではなかった。


『拓也。その女の子について行きなさい。訳はその子が道すがら教えてくれるわ』


「今教えてくれ。そうじゃなきゃ、俺はこのまま彼女を帰す」


 今現在において、祖父母の言葉も信用出来るものではなくなっている。

 詐欺か何かではないかという確率は低いが、しかし決して無いとは言い切れない世の中だ。油断するような真似だけは断じて許すつもりはない。

 故に祖母から真相が明かされるまで、俺は黙った。

 携帯の通話代が勿体ないと頭の片隅で思いながら、それでも祖母が口を開くのを待ったのだ。

 

『解ったわ。取り敢えず詳しい話は後にして、重要な事だけを話すわ』


 五分が経過して、十分が経過して、そして根負けした祖母が溜息を吐きながらそう言った。

 詳しい話が必要という事は、どうやらこの話自体はそれなりに複雑らしい。そんなものに自分が知らない内に組み込まれていたと思うと、背筋に嫌な感触を覚えるものだ。


『良い?貴方は御爺さんの全てを引き継ぐのよ。地位も、資産も、何もかもよ』


 そして漸く語った祖母の言葉に、俺は時間が止まったような気分を味わった。

 祖母が呼びかける声が耳に響くが、今の俺はそんな事に欠片も意識を割けられない。すぐ近くにメイドの女が居るのも関わらず、それでも思考は急速に答えを導きだそうとしていた。

 祖父が何かを隠していた。そして祖母の話から察するに、それはきっと何等かの役職なのだろう。

 確かに祖父がどんな仕事をしていたのかは聞いていない。

 何かを守る大切な仕事だと自慢げに語っていたのは覚えているが、それだけだ。

 

 であれば、祖父はその役職をそのまま俺に引き継がせようとしているのだろう。

 地位も金も何もかも。あらゆる物を俺に任せようとするその思考から考え、きっと祖父はもう仕事が出来ないくらいに身体が弱ってしまった。

 これが正解かどうかは定かではなくとも今は構わない。重要なのは、俺が祖父の財産を引き継ぐ者であるということだ。

 

「引き継がせるってどんなのをだよ。それに、そういうのは親父に引き継がせるもんじゃないのか」


 遺産相続は必ずしも子だけとは限らない。孫にも出来るのは知っているが、しかしこの場合一番妥当なのはやはり俺の両親や祖父の親戚である。

 父も母も問題を起こすような人間ではない。精神性も悪ではなく善であり、確りとした姿は尊敬して然るべきものだ。

 俺が不出来な息子なのだから、そんな財産を受け継ぐ候補から落ちるのは当然だろう。

 にも関わらず、祖父が指名したのは俺だった。これは当然理解出来るものではない。


『健一では駄目だわ。あの人は嫁である恭子ばかりを見て、貴方の事はまったく視界に入れていなかった。恭子も恭子で貴方を愛していたのは中学まで。成績不振に陥った貴方を即座に見捨て、こうして離れさせることで無かった事にしようとしているのよ』


 現に恭子のお腹には貴方の弟が居るわ。

 祖母の言葉に、俺は何も言えなかった。言える程の余裕など無かった。

 祖母の言う事はつまり、俺は最早見捨てられたも同然ということだ。最初からある程度仲が悪かったとは確信していたが、そこまで悪かったのかというショックが襲っている。

 だがそれでも、財産の相続から脱落する理由にはならないと無理矢理に意識を立て直す。

 携帯に力が入っている事を意図的に無視し、俺は言葉を紡いだ。努めて何でもないように振る舞う為に、滲んだ視界を無視するように。


「俺が見捨てられてたのは解っていたことだよ。でも、それだけじゃ納得出来ない」


『……貴方は望まれて生まれてきたわ。生まれたばかりの赤子を見て、御爺さんは貴方に決めたの。きっとこの子ならば大丈夫だと』


「意味不明だよ。なんだそれ」


 祖母の言葉は少したりとも理解出来るようなものではなかった。

 そして理解出来ないからこそ、その財産がとても怪しく思ってしまう。――手は出さない方が良いのではないかと。

 祖父母自身は暖かい人間なのは知っている。だからその本人自体は信頼出来るものの、やはり詳細な内容が必要であると冷静な部分は告げていた。

 全てを判断するのはそれからだ。しかし、現段階でも既に決まりかけている。

 後は詳しい部分を別の誰かに聞くだけ。重要な内容だけしか話すつもりが無い以上、それ以外についてはメイドに尋ねる他に無い。


「……一先ず電話を切るよ。詳しい部分はメイドさんに聞くから、それじゃあね」


『ええ。後で御爺さんにも電話させるわ。今は腰痛が悪化したとかで病院に行ってるから』


「なんだよそれ」


 最後に苦笑して――――俺は待機していたメイドを中に入れた。

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