表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

開眼

彼は元々、ホルン王国の政府機関である、『グン』の一員だった。


世間に公にされることはなかった、政府公認の暗殺者を育成する機関である。


彼には、幼い頃の記憶がなかった。

気が付いたら、『グン』の施設で訓練を受けていた、という感じだった。


機関から与えられた名前は、ゲーデ。

本名は知らない。

顔立ちからして、レオスガリア人かボノアスラン人だろうとは言われていた。


おそらくは、戦災孤児かなにかが、人身売買をする商人の手で機関に売られでもしたのだろう。


苛烈な戦闘訓練を受けた。

危険な人体実験の被験者にもなった。

幼いゲーデは、それを疑問にも思わなかった。


記憶喪失である他国の子供は、機関にとって実に使い捨てにしやすい人材だっただろう。


娯楽がまったくないわけでもなかった。

幼いゲーデは、ダーツやビリヤードには関心を持たなかった。


彼が夢中になったのは、絵本だった。


『警部補ゲードウッド』。

だらしない格好をした、猫背で中年太りの、一見冴えないという設定の警部補ゲードウッドが、珍事件や難事件を解決していく様を、ユーモラスに描いた作品である。


ゲーデは、初めて見た時から、この絵本を気に入った。

なぜか無性に惹かれてしまう。

記憶を失う前の自分は、きっとこの絵本を読んでいたのだろうとゲーデは思った。


『警部補ゲードウッド』の原作が小説だったことを知ったのは、十代半ばの頃である。


シリーズ物で、十七作まで発表されていた。


作者は十年以上前に病のため死去しており、所謂未完の作品だった。


機関から与えられる少ない金で、ゲーデは小説『警部補ゲードウッド』を買い揃えた。


そして、わずかな自由時間を使い、貪るように読んだ。


絵本とは違い、暴力的なシーンが所々見られるようになった。


解決するのは、珍事件ではなく殺人事件である。


内容に違いはあっても、ゲーデには魅力的な作品だった。


何度も何度も読み返した。

ゲードウッドの台詞を暗記してしまうほどに。

ふとした時に、その言い回しを真似てしまうこともある。


ホルン王国の現在の王であるムーディンは、即位の際に『グン』を解体した。


それを期に、ゲーデはホルン王国を離れ、ニウレ大河を渡った。


どうやら自分は、 レオスガリア人かボノアスラン人らしい。

ただそれだけを理由に。


男と知り合ったのは、レオスガリア王国のとある街にある、小さな酒場でのことだった。


クロイツと名乗ったその男は、ゲーデの素性を知りながら、恐れる様子もなく話しかけてきた。


『警部補ゲードウッド』は、私も読んだことがある。


なかなか面白い作品だ。

登場人物が個性的であり、なによりも素晴らしいのは話の構成力。

伏線の回収の仕方には感心させられたものだ。

クロイツという男は、そう言った。


その日の夜は、酒を片手に『警部補ゲードウッド』の魅力を語り合った。


そして、朝になったところで、クロイツはゲーデのことを『コミュニティ』に勧誘したのである。


『コミュニティ』は、世界中の国々に裏側から干渉するような、巨大な組織だった。


全ての国の政府に、構成員を潜り込ませている。


特に目的もなく流浪していたゲーデは、クロイツの勧誘に乗った。


『悪魔憑き』という実験を受けて欲しい、と依頼された。


素質がある、かなりの確率で成功するだろう。

もちろん、ただとは言わない。

成功した暁には、金だろうと地位だろうと、望むものを与えよう、とクロイツは言った。


ゲーデは、一つだけ要求した。


金などいらない。

特別な地位にも興味はない。


ゲーデが欲するのは、ただ一つ。

警察の、警部補という位だった。


遠慮しなくても、警視正の位までならすぐにでも用意できる、クロイツは言った。


だが、それでは意味がない。

警部補でなければならないのだ。

警部補になれば、ゲードウッドのようになれるかもしれない。


希望通り、ゲーデはイディオンの街の警部補となった。


物語のように珍事件や難事件に巡り会うことはそうそうなかったが、ゲーデは満足していた。

自分は、警部補として生きている。


定時で帰宅したゲーデは、灯を付けずに居室で待った。


間もなく、来客があるはずだ。

わざわざ報告を受けるために。


『コミュニティ』を支配するクロイツと肩を並べる、『死神』と呼ばれる女。


ソフィアの計画を、実行する時がきた。


これから起きるのは、珍事件でも難事件でもない。

だが、珍しくもあり、難しくもあることにはなるのかもしれない。


部屋の暗がりは、この体によく馴染んだ。


元々は、闇に生きる暗殺者として、ホルン王国に育てられたのだ。


それでもゲーデは、自分が警部補だということを忘れたことはなかった。


署長と面談する時のような心地で、ゲーデはソフィアの到着を待った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


笑うのか、怒鳴るのか、頭を撫でてくるのか、殴りかかってくるのか。


昔から、眼の前にいる者がなにをするのか、漠然とわかってしまう。


それを、予知能力などと大仰に言う者もいた。


ソフィア自身は、単に他人よりちょっとだけ勘が良いということなのだろうと思っていた。

ただ、この勘の良さは使える。

まず、自衛の手段として役に立った。


護身術を習ったのは、興味本意からだった。


そしてソフィアは、百人以上が通うその道場で、最も優秀な門下生となった。


なにしろ、相手が次になにをするのか、なんとなくわかってしまうのだから。


その才能を認められ、ある人物のボディーガードを務めることになった。


どんな殺し屋が相手だろうと、怖くはない。


手にしたナイフでどう斬りかかってくるかわかる。


どのタイミングで引き金を引くかわかる。


一級のボディーガードとして、ソフィアの名は一部の者たちに知られるようになった。


十年は生活に困らないだろうという位のオファーを受けたのは、二十歳の頃である。


娘の護衛を頼みたい、とある科学者に雇われた。


その科学者は、俗にいう天才という部類の人間だった。


ついでに、かなりの変人とも認識されていた。


それを受け入れることに、ソフィアはまったく苦労しなかったが。


科学者とは天才であり変人である、偏見にも似た思い込みが、ソフィアの中にはあった。


天才科学者の娘もまた、天才科学者だった。

そしてやはり、変人でもあった。


自分よりも若いその天才科学者は言った。


あなたはきっと、他者の脳波を信号として受信して、解析しているのよ。

だから、相手が次になにをするのかわかる。


したり顔で説明されても、ソフィアは困るだけだった。


努力して得たものではない。

特別な訓練を受けたわけでもない。

理由もなく、生まれつきあった力なのだから。


若い女科学者には格好の研究材料になるかもしれないが、ソフィアにとっては常に自身の中にあった、当たり前の感覚に過ぎない。


それを解説されても、曖昧な表情で相槌を打つしかない。


ただ、彼女の言葉に、少しだけソフィアは興味を持った。


曰く、その能力には、もっと先があるのかもしれない。


例えば、相手の数秒先の未来を、鮮明に視ることができるようになるのかもしれない。


他人の脳波を信号として受信できる力が強まれば、逆に自分の脳波を相手に送信できるようになるかもしれない。


それは、相手の脳に干渉するということ。

相手の感覚を支配するということ。


相手の視野の中央に立っていても、認識さえされない。


そんなことも、可能になるかもしれない。


それができるようになったら、あなたは無敵よ。

彼女はそう言った。


大統領だろうと、どこぞの国の皇帝だろうと、好きに殺すことができる。


ソフィアは、苦笑した。


ソフィアの様子を見て、彼女も笑った。

そうね、あなたは殺し屋じゃなくて、わたしのボディーガードなのだから。

そう言って、笑った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


変人の娘は変人。

ソフィアは何度も、彼女にそれを思い知らされた。


短い休暇が終わり、数日ぶりに彼女と会った時のことだった。


護衛対象者の変貌に、ソフィアは眼を丸くした。


ソフィアたちの国は、世界中から移住してきた者で溢れている。

よって、国民の容姿は様々だった。


肌が白い者もいれば、黒い者も黄色味がかった者もいる。


髪や瞳の色も、生まれにより違いがある。


彼女は、金髪碧眼だった。

ソフィアたちの国では、極在り来たりな髪と瞳の色だった。


その彼女の髪の毛が、緑色になっている。


ソフィアを見て、彼女は親指を立てると、実験成功と言った。


ソフィアの休暇中、銅の成分を混ぜた水で、髪を洗っていたとのことだった。


銅が酸化することで、髪色が変化するらしい。


なぜそんなことをしたのか問うと、彼女は、ソフィアをびっくりさせようと思って、と答えた。


あと、面白そうだったから、興味があったから、とも言った。


彼女の目論見通り、驚かされた。

驚かされたのだが。


わざわざ体を張るだけのことなのだろうか。


髪は女の命、そんな格言は、彼女には通用しないらしい。


なんとなく溜息を吐いたソフィアを尻目に、彼女は鼻歌混じりで自分の髪の先を弄っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「神様って、なんだと思う?」


彼女の言葉に、思わずソフィアは思考を停止させてしまった。


唐突な問い掛けをしてくるのはいつものことだが、これはいつも以上に唐突だった。


「……いきなり、なによ?」


「だから、質問しているのよ。ソフィアは、神様ってなんだと思う?」


「……」


祖父と両親は、神を信じていた。

祖母は、宗教に無関心だったように思える。


幼い頃は、両親に従いソフィアも教会に通っていた。


神の声を聞いたことがあるような気もする。

ただの幻聴である可能性もあるが。


大人に近付くにつれ多忙になり、祈る時間がめっきり減ってしまった。


そんな曖昧な信仰心しか持たないソフィアにとって、先の問いに対する答えはこうだった。


「……さあ?」


肩を竦めるソフィアに、彼女はくすりと微笑んだ。


「わたしはね、こう思っているの。神様は存在する。だけど神は、人を創造しなかった」


「……つまりあなたは、創造論ではなく進化論を支持するということかしら? でも、進化論には穴があるって言われているわね。中間の生物が発見されていないって」


「それは、穴とは言えないわ。まだ、見つかっていないだけ。何十億という星の歴史に比べて、人類が進化について研究している時間なんて、瞬きする時間にも満たないわ。見つかっていない部分があるのが、当然なのよ」


「……創造論を否定し、進化論を肯定して、結局あなたはなにを言いたいのよ?」


「わたしは、創造論を否定していないし、進化論を肯定しているわけでもないわ」


彼女は、きっぱりと言い放った。


「……と言うと?」


「偶然進化したにしては、人間は、人間にとって都合良くできすぎているのよ。他の生物に比べ、知能も創造力も、あまりに突出し過ぎている」


「だから、神様が人を創造したってなってるんでしょ。……創造論ではね。でもあなたは、さっきそれを否定した」


「わたしは、こう考えているの、ソフィア。神は、人を創造はしなかった。神が創造したのは、人の設計図だった」


「……設計図?」


「つまり、生物が人に進化する過程よ。偶然進化したんじゃない。神が定めた通り、人に進化した。だからわたしは、創造論も進化論も、完全に肯定しないし、完全に否定もしない」


「……」


結局、なにを言いたいのか。

先程と同じことを言いそうになっていることに気付き、ソフィアは沈黙した。


「人だけじゃない。天も地も、同じことよ。神は、天も地も創造しなかった。ただ、天と地ができあがるまでの過程を創造した。それはつまり、宇宙の法則。だからわたしは、こう考える」


そして、緑色の頭をした変な女は、天井を、天を指した。


「神とは、宇宙そのものである」


「……」


なんとなく、甘い物が食べたくなった。

ケーキでいい。

あとは紅茶。

コーヒーは、あまり好きではなかった。


「大事なことなのよ、ソフィア。神が、生物が人に進化する過程を創造したのだとしたら。次にわたしは、こう考えるの。それ以上は創造しなかったのか、ってね」


「……それ以上?」


「つまり、人が人以上に進化するまでの、過程よ」


「……」


「その設計図があるのならば、必ず創れるはずなのよ。人以上の存在を」


「なんて言うか……」


「すでに、例外は生まれ始めているわ。それも顕著にね。今、わたしの眼の前にもいる」


ソフィアは、自分の顔を指した。


「……わたし?」


「あなたには、他の人にはない力がある。それは、人が突然変異したということじゃないかしら。あなたの存在は、人が人以上に進化できるという証明に繋がると、わたしには思えてならないの」


「と言われても……」


「創造論では、困るのよ。人以上の存在も、神様が創造することになる。神様が創造したのは、きっと過程だけ。それなら、設計図通り進めることにより、必ず人の手で、人以上の存在を創造できる」


彼女の表情に、熱が帯びる。

吸い込まれそうな気分にソフィアはなっていた。


扉をノックされただけで体が震えてしまった理由は、それだろう。


「入っていいわ」


来客に、彼女が告げる。

扉が開く。


「人以上の存在証明のために」


彼女の呟き。


「今日はね、ソフィアに『彼』のことを紹介したかったの。『彼』と知り合ったのは……」


『彼』。来客は、男性だった。


「『彼』の名前はね……」


彼女の言葉を、なぜかソフィアは聞き流してしまった。


ソフィアは、『彼』のことを見つめていた。


赤い髪をしている。

それは、彼女の緑の髪と、あまりに対称的にソフィアの眼には映った。


◇◆◇◆◇◆◇◆


薄く眼を開く。

霞む視界にぼんやりと現れたのは、天井だろうか。

寝かされているようだ。


なにがあったのか、ソフィアは思い出そうとした。

途端に、猛烈な眠気に襲われる。

緩慢な思考の中で、それでもソフィアは記憶を辿った。


帰り道のことだ。

特別講師として、ある大学に彼女が招かれた。


いつもの通り、ソフィアも護衛として、彼女に付き添った。


一時間ほどの講義を彼女が終えた、その帰り道。


襲撃があった。

狙われたのは、間違いなく彼女だろう。


軍事兵器の開発にも協力する、彼女のことだ。

国内外問わず、敵は多い。


(……わたしは、撃たれた……)


どうしようもないことだ。

襲撃者は、何人もいた。

それぞれ武装もしていた。


ソフィアにいくら先を感じる能力があったとしても、四方から撃たれては防ぎようがない。


右か左か忘れたが、まず太股を撃ち抜かれた。


それでも、我ながらよく反撃した。

襲撃者の半分近くを、ソフィアは一人で撃ち殺していた。


他にも護衛がいたが、ソフィア以外はあっさり殺されていた。


足だけでなく、肩も撃たれた。

腹や胸、もう片方の足も撃たれた。


それでも、彼女のことだけは守れたと思う。


意識を失う直前、駆け付けた警官たちの姿を、ソフィアは見ていた。


撃たれ過ぎた。

そして、血を失い過ぎた。

間もなく死ぬことになるだろう。

護衛の仕事は、成し遂げたはずだ。


声がしたような気がした。

体に残るわずかな力で、声が聞こえてきたと思われる方向に、顔を向ける。


隣のベッドで寝ている者がいる。

視界は霞んでいる。

それでも、緑色だけはわかる。

彼女も、撃たれたのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ