策謀
また、なにもない日々を過ごす。
フェレンツがサリヴァンのアパートを訪ねてから、四日は経過していた。
サリヴァンは、自殺したのではなく殺された。
フェレンツは、それをほとんど確信していた。
アパートの床下に隠された封筒。
あれは、自分やデニスに宛てた物だろう。
サリヴァンは、きっとなにかを知っていた。
そして、なにかをしようとしていた。
レオスガリア政府や『コミュニティ』に見張られながらも、同じボノアスランの騎士である自分たちに、なんとか伝えようとしていたのだ。
やはり、あの封筒である。
書かれていることを読むことはできないのか。
サリヴァンの死を調査していた警部補のゲーデに、封筒は押収されてしまった。
顎の下と下腹が弛んだゲーデの姿を思い出す。
フェレンツには、ゲーデがただの警察関係者とはとても思えなかった。
目線や雰囲気に、どこか刺があった。
疑いの眼ではない。
敵を見る眼である。
そして、立ち振る舞い。
訓練を受けているというのが伝わってきた。
警官が受ける、犯罪者を無力化し取り押さえるような訓練だけではない。
もっと好戦的な、相手を倒すような訓練。
デニスの喫茶店に立ち寄ることも減った。
サリヴァンの次に狙われるのは、デニスかもしれないのだ。
自分が密に会うことで、デニスに危機が訪れる可能性がある。
自宅に籠ることが多くなった。
食べて、寝る。
ただそれだけである。
剣を振っても、虚しさに襲われるだけだった。
来客があった。
ゲーデである。
不用意に玄関の扉を開いた自分自身を、フェレンツは内心で罵った。
剣は、寝室の壁に立て掛けたままである。
なんと迂闊なことを。
警戒するフェレンツにゲーデが手渡してきたのは、サリヴァンのアパートで見付かった、あの封筒だった。
「捜査のためとはいえ、先に読んでしまい申し訳ない。これは、あなた宛の物でしたよ。だから、あなたに渡すべきでしょう」
「……私に……?」
受け取りはしたが、フェレンツは警戒を緩めなかった。
引っ掛かる点が多すぎる。
用件はそれだけだと言い、ゲーデはそのまま立ち去った。
不審感を拭えないまま、フェレンツは玄関の扉を閉じた。
封筒の中の確認は、寝室に戻ってから行った。
剣は、手元に置いてある。
手紙が入っていた。
間違いなく、サリヴァンの筆跡である。
大したことは書いていなかった。
昔の思い出、現状への嘆き、そんなことが書き綴られていた。
一見すると、なんの変哲もない手紙に思える。
だが、なにかがあるのだ。
同じことを感じたからこそ、ゲーデは何日も手紙を渡さなかったのだろう。
読み返すと、すぐにおかしな点に気付いた。
サオト平原での戦いのことが、書かれている。
激戦だった。
あなたの指揮が良かったから、なんとか勝てることができたのだ。
そういう文面だった。
フェレンツがボノアスラン王国の騎士団の団長位にいたのは、四年。
その期間に実に三十二回、戦場で騎士団を率い戦った。
四年の間、騎士団は不敗を誇った。
戦場で執った全ての指揮を、フェレンツは覚えている。
もちろん、サオト平原の戦いのことも、はっきりと記憶している。
国の東部に於ける、異民族の平定戦だった。
騎士団は、異民族を圧倒した。
楽な戦だった。
苦戦などしていない。
サリヴァンは、嘘を書いている。
ボノアスランの騎士だった者ならば、すぐに気付ける嘘を。
指揮が良かった。
それが強調されているような気がする。
言葉を変え、何度も書かれているのだ。
(……指揮……指揮が、良かった……)
あの戦いを思い出す。
まず騎馬隊を三つに分け、それぞれサリヴァン、デニス、ヘニーに指揮を執らせた。
サリヴァンの騎馬隊は、密かに異民族の軍の背後に回らせる。
歩兵部隊は前軍と後軍に分け、フェレンツとフィリップが率いた。
突っ込んでくる異民族の軍を、フェレンツの歩兵部隊が堅陣で受け止める。
敵の勢いが削がれたところで、デニスとヘニーの騎馬隊が左右から突撃する。
そして、背後からサリヴァンの騎馬隊による奇襲。
最後は総攻撃を掛け、完全に敵を崩したのだ。
(……私の部隊で受け止め、デニスとヘニーで突撃……サリヴァンで奇襲……)
戦術には、それぞれ番号が付けられていた。
堅陣での防御は、十八。騎馬隊による突撃は、二。後方に回っての奇襲は、九。全軍での総攻撃は、八十。
(……私が、十八……デニスとヘニーが、二……サリヴァンが九……フィリップは後軍の指揮。総攻撃の時期を見極めさせていた……)
指揮が良かった。
何度も書かれていた。
いつも通り指揮を執っただけだ。
特別なことは、なにもしていない。
(……十八……二……九……八十……)
なにか、引っ掛かる。
知っている数字の並びである。
(……十八、二、九……)
はっとなり、フェレンツは机の引き出しから地図を取り出した。
目当ての頁を見付ける。
時間がある時、フェレンツがふと立ち寄ってしまう場所。
イディオン大聖堂。
住所は、アルル中央区一八二九。
剣を手に、立ち上がる。
サリヴァンが残した、一枚の手紙。
長い文面で記された、過去の出来事、栄光。
そして、現状の嘆き。
それらは、全て他者の眼を欺くためのもの。
ボノアスランの騎士だけに見える、暗号。
サリヴァンがフェレンツに伝えたかったことは、おそらくただ一つ。
イディオン大聖堂に、なにかがある。
◇◆◇◆◇◆◇◆
イディオン大聖堂。
レオスガリア王国の、観光名所の一つである。
門は高く、間近で見上げると、晴れる日が多いイディオンの街の空を、刺すように見える。
建築家の趣向なのか、建物の入口は門とは逆の位置にあった。
門を潜り、建物の周りを半周して、ようやく内部に入れるというわけである。
夕刻だった。
帰る者よりも、訪れる者の方が、まだ多い。
観光客の流れに乗り、フェレンツは進んだ。
チケットは安い。
それが、レオスガリア大聖堂に観光客が集まる理由の一つになっていた。
年間チケットを持っていれば、毎日でも中に入れる。
よく来る所だった。
だから、誰からも不審には思われないはずだ。
フェレンツは、ゲーデのことを思い浮かべていた。
今も、見張られているような気がする。
建物の内側を歩き回る。
神の再誕を現す巨大なモニュメントに、人だかりができていた。
ここに、なにかがあるのだ。
だが、なにがあるのだ。
フェレンツがここに来たことにより、なにかが起きるのか。
何度も訪れたことがある場所だ。
目新しい物などない。
誰かが、なにかを伝えに来てくれるのだろうか。
それとも、どこかにサリヴァンのメッセージでもあるのか。
どうやって、それを見付ければいいのか。
とにかく、あちこちを見て回る。
多くの観光客。土産物屋。食事を出す店。清掃員。いくつものモニュメント。ロッカー。トイレ。完成予想図。
イディオン大聖堂は、未だに未完成だった。
完成予定は、十年後である。
日々、少しずつ変わっていく。
観光客のほとんどが、それを知っている。
だから、また訪れたくなるのだ。
(……十八、二、九、八十……)
一八二九は、このイディオン大聖堂を指す。
では、八十はなにを意味するのか。
モニュメントは、数えれば百以上ありそうだ。
番号が振られているということはない。
それに、常に誰かの眼があり、警備員が付いている。
モニュメントになにかを仕掛けるというのは、難しい。
他に、八十以上ある物。
観光客は、八十どころではない。
荷物の持ち込みは、許されている。
観光客の誰かが、なにかを持っているのか。
荷物。
閃くものがあった。
サリヴァンは、ここに訪れたのではないか。
なにかを、荷物の中に紛れ込ませて。
荷物を隠せられる場所は。
預けられる所は。
ロッカー。
小走りになり掛ける。
なんとか平常心を保った。
まだ、なにも成し遂げていない。
ロッカーが並んでいる場所に辿り着いた。
おそらく、二百か三百はある。
他の所にも、ロッカーはあったはずだ。
なにか氷のような物の上を歩くような気分で、ロッカーの前を進んでいく。
八十の番号が振られたロッカーがあった。
硬貨を入れれば、鍵を掛けられるようになる仕組みのロッカーである。
鍵穴に、鍵は刺さっていない。
誰かが、使用中か。
何日も前から、使われたままなのではないか。
その誰かとは、サリヴァンなのではないか。
扉に手を掛ける。
当然、開かない。
懐にもう片方の手をやり、鍵を探す振りをした。
「……」
見張られているのではないか。
緊張した。
不思議と、躊躇いはなかった。
「……ギルズ・ダークネス」
扉の内側、おそらく錠がある所を狙い、指先ほどの暗黒球を発生させた。
汗が吹き出る。
魔力の放出は、ほとんど抑えられたはずだ。
自身の周囲の空気の温度を調整する魔法や、飲み物に浮かぶ汚れを浄化する魔法など、他にも魔力を放出している者はいる。
フェレンツが魔法を使ったことなど、それらに紛れてしまったはずだ。
それなのに、汗が止まらない。
誰かに凝視されているような気がした。
ここにいる全ての観光客が、職員が、フェレンツに注目している。
そんな錯覚があった。
鍵の破壊に成功していた。
扉が、開く。
封筒。サリヴァンのアパートに残されていた物と、おそらくは同じだろう。
確信がある。
これこそ、サリヴァンがフェレンツに伝えたかったメッセージ。
フェレンツは、素早く封筒を懐に捩じ込んだ。
夜になっていた。
酔っ払いたちの喧騒、客引きの声、犬の遠吠え、そんなものが耳に入る。
寄り道などしない。
フェレンツは、自宅に戻る道を真っ直ぐに進んでいた。
ビルとビルの間の、狭い道を通る。
風を切る音が聞こえたような気がした。
反射的に立ち止まり、身構える。
顔のすぐ前を、なにかが通り抜けた。
上から下。
音が響く。
身を竦ませたフェレンツの足下に転がるのは、砕けた植木鉢。
「誰だっ!?」
見上げるが、人影はない。
フェレンツの問い掛けは、酔っ払いたちの声に掻き消されてしまった。
偶然、ベランダの植木鉢が落下してきただけなのか。
それとも、作為的なものなのか。
見られている。
そんな気がする。
脇腹に手をやった。
封筒の感触。
今も、見られている。
脅しか、警告か。
それとも、事故に見せ掛けて殺そうとしたのか。
駆けた。
視線は、ずっと感じる。
全てが、敵のような気がする。
少なくとも、まともに味方する者はいないだろう。
祖国を捨てて、敵国に亡命した。
ボノアスラン王国の民は、フェレンツを嫌悪しているだろう。
レオスガリア王国の民は、フェレンツを警戒しているだろう。
フェレンツと同じ立場のデニスも、自分のことだけで日々精一杯のはずだ。
自宅に駆け込む。
魔法で、明かりを生み出した。
雑な造りだ。
気が逸っている。
封筒を開き、中身を取り出した。
三枚の便箋である。
一枚目には、ボノアスラン王国と書かれていた。
サリヴァンの筆跡である。
いくつかの人名が、署名活動の用紙のように連なり書かれていた。
二枚目には、レオスガリア王国。
一枚目と同じく、いくつかの人名が並ぶ。
三枚目は、リーザイ王国。
やはり、いくつかの人名。
最後に、『協力者』と書かれていた。
(……協力者?)
サリヴァンの字だった。
協力者ということは、便箋に書かれている者は、自分たちボノアスランの騎士の味方と考えていいのだろうか。
ボノアスラン王国と書かれた用紙には、知人の名前がいくつかあった。
国にいる間、自分たちに良くしてくれた者たちである。
会った記憶もない、現在の宰相の名前もある。
かなりの大物の名前は、レオスガリア王国と書かれた便箋にもあった。
国王と、宰相の名である。
本当に味方なのだとしたら、とてつもない後ろ楯ということになる。
そして、リーザイ王国。
真っ先に眼に付いた大物の名前は、二つ。
リーザイ王国特殊部隊『バーダ』第一部隊隊長ルトゥス。
もう一つ。
『バーダ』第八部隊隊長ストラーム・レイル。
協力者、味方なのか。
自分たちの目的はなにか。
生きる意味は。
フェレンツは、それを考えた。
国に帰りたいのか、姪を守りたいのか。
国を捨てた亡命者の汚名を返上し、騎士としての誇りを取り戻したいのか。
便箋に名前がある者たちは、それに力を貸してくれるのか。
夜の中で、便箋を握る。
記された名前全てを記憶するために。
八十の戦術全てを記憶し、自在に騎士団を操ってきたのだ。
人の名前くらい、一晩で完璧に覚えてみせる。
現状を変える道が見えたわけではない。
だが、きっと切っ掛けは掴んだのだと、フェレンツは思った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
そろそろか、と地下で呟く。
考えごとをする時は、地下が良い。
雨が降ることを、気にせずにすむ。
ザイアムが死んだ。
その事実はクロイツに大きな衝撃を与えたが、取り乱すほどではなかった。
ドラウ・パーターの死を報告された時の方が、動揺したような気がする。
ザイアムは、『コミュニティ』最強の存在だった。
同時に、ただの人間でもあった。
死んだということは、そういうことだ。
組織に与える影響も、計り知れない。
根本から揺るがす出来事かもしれない。
それでも、『コミュニティ』が倒れることはない。
クロイツも、平静さを完全に失うことはなかった。
それは、ソフィアがいるから。
もう一人の最強がいるから、潰れることはない。
そのソフィアから、連絡があった。
来年の一月、遅くても二月。
その頃には、レオスガリアとボノアスランの両国を押さえられる。
ということは、リーザイ王国に圧力を与えられるのは三月になってからか。
今から、四ヶ月後ということになる。
だから、そろそろなのである。
リーザイ王国に戦争を仕掛ける時が来る。
駒としては、ウェイン・ローシュと『百人部隊』を使う。
というよりも、他の選択肢がない。
本来ならザイアムを使う予定だったが、死んでしまったのではどうしようもない。
ザイアムを失った今、ノエルは制御できるはずがなかった。
パサラは、動かせない。
ウェイン・ローシュは、ザイアムと比べると小さい。
誰もがそう思うだろう。
だが、ウェイン・ローシュだから良いのだ。
ウェイン・ローシュの価値を、クロイツだけが知っている。
あれは、『ネクタス家の者』を殺せる、唯一の存在かもしれないのだ。
『システム』を破壊し、エスの存在を抹消する。
そのための戦争を、ウェイン・ローシュを先頭に行う。
『百人部隊』を集結させ、戦争の準備を整えるのに、やはり四ヶ月ほどは欲しいだろう。
連絡を入れる時期としては、今がちょうど良い。
(……ウェイン・ローシュか)
一流の剣士であり、一流の魔法使い。
能力者としても、まあ一流の域にあるといえる。
バランス型であり、万能型。
だが、決して最高にも最強にもなれない。
それが、一般的な評価だろう。
それは、ソフィアがいるから。
そして、ストラーム・レイルがいるから。
究極のバランス型で万能型の二人がいるから、ウェイン・ローシュは侮って見られる。
ソフィアは、魔法使いとして超一流だった。
戦闘技術も、傑出したものがある。
『邪眼』の力は、能力としては最高級のものだろう。
ウェイン・ローシュは、総合力だけならば、『コミュニティ』の中でもソフィアに次いで二位の位置にあるといえる。
だが、隔たりはあまりに大きい。
そして、ウェイン・ローシュには誰にも負けない武器というものがない。
ノエルの剣術には、説明できない異様なものがある。
だから、『コミュニティ』に所属する誰もが、ノエルのことを恐れる。
パサラにも、パサラだけの力がある。
だから、クロイツはパサラのことを重宝していた。
『コミュニティ』第二位の総合力。
バランス型、万能型として、かなりの完成度にある。
それでも、器用貧乏のレッテルを貼られる。
それが、ウェイン・ローシュ。
だが、クロイツだけが知っている、ウェイン・ローシュの真の価値。
イグニシャ・フラウという者を見出だしたのは、かなり昔のことだった。
素晴らしい素質を持った能力者だった。
その頃から『百人部隊』の構想はあったが、隊長を任せるならこの男だ、と思った。
発火能力の攻撃性は、当時から相当なものであった。
更に彼は、どの座標でも自在に炎を発生させることができた。
複合能力者でもあった。
読心の能力は大したことはなかったが、透視能力はそれなりだった。
なにより、発火能力との相性が良い。
どんな物陰に身を潜ませていようとも、イグニシャ・フラウは炎で捉えることができた。
ある意味、究極の初見殺しといえよう。
いきなり対応できる者は、極少数の者だけだった。
それに比べると、同時期に能力者として訓練を受けていたウェイン・ローシュ。
イグニシャ・フラウとは、比較の対象にもならなかった。
両の拳に破壊の力を込めるだけの、実につまらない能力。
確かに威力としては眼を瞠るものがあるが、それだけだった。
わざわざ能力として体現しなくても、魔法を使えば同程度の強度を出すことはできる。
ちょっとした武器で、敵を殺すことはできる。
解析する気にもならなかった。
最初のうちは。
だから、ウェイン・ローシュの価値に気付くのが遅れた。
『最初の魔法使い』に、よく似ている。
赤い髪も、顔立ちも、体付きも。
だが実は、似ているのは外見だけではなかった。
拳に破壊の力を込める能力者。
それが、ウェイン・ローシュの表向きの、能力者の姿。
真の姿、真の価値は、また別のところにあった。
ウェイン・ローシュは、イグニシャ・フラウと同じ、複合能力者だった。
そして、クロイツと出会った時にはすでに、その能力を使用していた。
無意識のうちに、無自覚なまま、彼は能力を使っていた。
おそらくは、非常に幼い理由で。
包丁やまな板、鍋が複数ある方が、料理は捗るだろう。
机は引き出しが複数ある方が、整理整頓はしやすい。
つまりは、そういうことだ。
真実を伝えてやればいい。
それだけで、ウェイン・ローシュの感性ならば、自在に能力を扱えるようになるはずだ。
『ネクタス家の者』を殺せる存在になる。
ウェイン・ローシュにあるもう一つの能力。
それは、過去に『最初の魔法使い』が盗み取られ、『ネクタス家の者』の基板となった力に、非常に酷似した能力だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
便箋は手にしたまま、寝台に寝転がる。
だが、眠れはしなかった。
サリヴァンが残した手紙、そこに記された名前。
フェレンツは、一つ一つを思い出していった。
大体は、頭の中に入ったようだ。
彼らは、味方と成り得る人物なのだろうか。
情報が少ない。
まだ、推測が多く含まれている段階だった。
実際に顔を合わせてみるまでは、完全に信用するのは危険である。
いずれも、国の高官や名の知れた軍人ばかり。
会うのは、容易ではない。
微かな物音がした。
玄関の方からだ。
普段なら、気付くのは難しかっただろう。
それくらい、微かな物音。
『コミュニティ』。
真っ先に、その組織の存在が頭に浮かんだ。
『コミュニティ』の刺客が、サリヴァンの残した便箋を求めて現れたのではないか。
どれだけの意味があるのか不明だが、気配を殺しつつ玄関へと向かう。
いつでも剣を抜ける心構えと、防御魔法を発動するための準備は怠らなかった。
玄関に着いたが、人の気配はない。
扉と床の隙間に、紙切れのような物が見える。
手紙だった。
差出人のところに、『以前の情報屋』とあった。
心当たりとして浮かんだのは、数日前にサリヴァンの死についての情報を売り付けにきた、帽子を被った面長の情報屋である。
また売りたい情報がある、とあった。
住所が記されている。
廃ビルの屋上、とも書かれていた。
来い、ということなのだろう。
ここから、そう離れていない。
明確な日時の指定はなかったが、できるだけ早く、とは書かれていた。
罠の香りもしたが、フェレンツは迷わず家を出た。
『コミュニティ』の刺客ならば、いつでもフェレンツに襲撃を掛けられるだろう。
ボノアスラン王国やレオスガリア王国の間諜も、また然り。
頬や顎が脂肪で弛んだゲーデの顔が、頭を過る。
あの男がただの警部補だとは、どうしても思えなかった。
『コミュニティ』の刺客か、はたまたどこかの国の間諜か。
実はやはりただの警部補で、サリヴァンの死について調べたいことがあり、フェレンツのことを揺さぶっているのかもしれない。
明け方が近いイディオンの街を駆ける。
懐に手をやり、便箋があることを何度も確かめた。
やがて、指定された場所に付いた。
東の空が明るくなるのはまだ先のことであり、視界が充分とはいえない。
おそらく、なにかの工場跡だろう。
看板はあるが、文字が掠れてまともに読むことはできない。
敷地内を、慎重に歩く。
暗い中、廃ビルの入口を手探りに近い感覚で探す。
人の気配は、今のところ感じない。
入口を見付け、中に入る。
情報、便箋に残されたメッセージ、手紙、曖昧なものに振り回されている。
そう考えると、なにか皮肉な気分になる。
明かりの魔法で、足下を照らしながら階段を登っていく。
足音を完全に殺すのは難しかった。
本当に最上階に待っている者がいるのならば、とうに気付かれているだろう。
四階建てだった。階段を登りきると、廊下などなくいきなり広い部屋のような場所に出た。
廊下と部屋を隔てる壁がないのだ。
外壁もまともに残っておらず、天井を支える鉄骨が剥き出しになっている。
昼間ならば、街並みが望めただろう。
部屋の端に近い所に、星の少ない夜空を背にして、こちらを見つめている者がいた。
フェレンツは、緊張していた意識を、さらに引き締めた。
情報屋では、ない。
やや弛んだ下顎に下腹。
警部補の、ゲーデだった。
「……やあ、ペトレさん」
口調は、友好的とも取れる。
表情は、暗さのためよく見えない。
「こんな所で、なにを?」
「……」
どう答えようかと、束の間迷った。
多分、どんな返答をしても、意味はないのだ。
全てを知った上で、ゲーデはここにいる。
「……知人に、呼び出されましてね」
「ほう……」
ゲーデが、少しだけ近付いてくる。
半歩にも満たない、わずかな距離。
「会えましたか?」
「……いいえ」
ゲーデが、ちょっと横を向く。
表情が見えない。
それが、とてつもなく危険なことに思える。
「……イディオン大聖堂の、ロッカー……八十番の……」
ぼそぼそと呟くように、だが確実にこちらに聞こえるように、ゲーデが言う。
「……なにか、ありましたか……?」
やはり、見られていた。
「……特には、なにも」
「……手紙、とか……メモ……」
愚行ではないだろう、懐に触れる。
おそらく、見透かされている。
「……なんと書かれていましたか……?」
「……話が見えませんが」
「……名簿、みたいな感じじゃなかったですかね?」
「話が、見えませんが」
フェレンツは、懐から封筒を取り出した。
「ああ、それそれ」
ゲーデの頭部が、暗がりの中で動く。
頷いたのだろう。
「それ、見せてください」
フェレンツは、無言で魔法を発動させた。
炎を起こし、便箋を焼き払う。
「……失礼。明かりの魔法を造り直そうとしましたが、暴発してしまいました」
「ふむ」
ゲーデが、下顎を触れるか摘まむかする。
動揺しているようではない。
「……なんて書かれていたか、覚えておいでで?」
「話が、見えません」
敵だ、とフェレンツは思った。
そう考えられるだけの判断材料がある。
敵、それならば『コミュニティ』の構成員である可能性もある。
「……明かりの魔法」
また、ゲーデがぼそぼそと言う。
「そちらからは、私の顔は見えないかもしれない。けど、こちらからはあなたの顔が見えますよ。……眼付きが、変わった」
「……」
「私のことを、敵だと判断しましたね。……ああ、図星のようだ。ということは、少なくとも王か宰相、あるいは両方の名前が書かれていましたな」
便箋には、協力者とあった。
そして、レオスガリア王国の王と宰相の名があった。
サリヴァンが残したメッセージをそのまま信じるのならば、王も宰相も味方ということになる。
ゲーデが真実ただの警部補ならば、レオスガリア王国に仕えているということになる。
当然、レオスガリアの国王に忠誠心がなければならない。
王が味方ならば、ゲーデも味方であって然るべきだ。
だが、ゲーデはレオスガリア国王の名が記されたこの便箋を求めた。
少なからず、悪意を持って。
だから、フェレンツはゲーデを敵だと認識した。
おそらく、便箋に名前がある者とも敵対している。
警部補というのは、仮の姿。
どこかの国の間諜か、どこかの組織から国家に潜り込んだか。
フェレンツは、そう推測した。
そしてゲーデは、推測されたことを見抜いた。
「……ペトレさん。あなたは、担ぎ上げられた仮初めの英雄ではない。頭の良い軍人だ。誰の名前があったか、覚えていますね?」
「……」
「教えてください」
「……話が、見えません」
「そうですか……」
溜息が聞こえた。
膨れ上がる殺気。
魔力の波動。
「リウ・デリート」
「!?」
明かりの魔法が消失する。
最大の光源を奪われ、暗闇に突き落とされたかのように視界を失う。
「……ル・ク・ウィスプ!」
フェレンツは、無数の光弾を放った。
直後。
「リウ・デリート!」
再度、消去の魔法。
光弾のほとんどが掻き消える。
わずかに残った光に照らされながら、ゲーデが突進してくる。
(……速い!)
見た目からは程遠い素早さで、間合いを潰しにくる。
暗闇の中、白刃が煌めく。
鋭い。
フェレンツは、なんとか剣で斬撃を弾き返した。
押し返され、だがすぐに踏み込んでくるゲーデ。
降り下ろし、防いだ直後に、剣を斬り上げてくる。
ほとんど勘だけで、フェレンツはゲーデの攻撃を防ぎ続けた。
ゲーデは、左眼を閉じていた。
フェレンツの明かりの魔法を消すまでは、右眼を閉じ、左眼を開いていたのだろう。
つまり、ゲーデの右眼は闇に慣れている。
接近戦は不利。
だが、それだけ敵の手の内も予想できる。
まだ闇に眼が慣れておらず、視野が狭いフェレンツの、顔から遠いところを狙ってくる。
膝を目掛けての突き。
予想通りの一撃を、剣を両手に持ち替え払う。
刃を翻し、ゲーデの腹を斬り付ける。
浅い。
それに、肉を斬った感触ではない。
服の下に、なにか防具を仕込んでいる。
ゲーデにとっては、予想外の力強い反撃だっただろう。
微かな動揺。
見逃さず、左手を向ける。
「ガン・ウェイブ!」
至近距離からの魔法。
魔力障壁で防がれるが、ゲーデが後退する。
いや、後退したのは右半身だけか。
左半身は、むしろ前に出ている。
器用な、そして軟らかい体の使い方をする。
左手を伸ばしてきた。
フェレンツの左手の袖を掴む。
自分の魔法に巻き込まないよう、剣を持つ右手は体の後方に回していた。
剣による防御も反撃も、一拍の遅れが出る。
それを見逃してくれるとは思えない。
わずかに袖を引かれる。
反射的に踏ん張ってしまう。
微かな体の強張り、重心のずれ。
たったそれだけで、思うように剣は振れなくなる。
ただし、ゲーデも剣は振れない。
互いの距離が近過ぎる。
ゲーデが、剣を捨てる。
同時に、フェレンツの左手の袖からも手を放している。
固めた右拳。
拳を振るのも難しい距離。
それでもゲーデは上体を捻り、拳を繰り出してきた。
それは、警察で習った格闘術か、それとも、どこぞの組織で学んだ戦闘術か。
打たれた脇腹に、想像を超える衝撃が走る。
フェレンツも、打たれる直前に足を振り上げていた。
ゲーデの腹を蹴り付けている。
大きく後退したのは、ゲーデの方だった。
片足を振り上げることが、結果的に打突の衝撃を殺していた。
そうでなければ、肋骨くらいは折られていたかもしれない。
小振りの刃物を持たれていたら、今ので死んでいたかもしれない。
ともかく、奇襲に近い攻撃を凌ぎきった。
そして、フェレンツの眼は徐々にだが暗さに慣れつつある。
ゲーデは、強い。
全盛期のフェレンツ・ペトレならばともかく、四年間このレオスガリア王国で死んだように生きた今の自分では、確実に苦戦する。
それでも、戦いの主導権を握るのは、不可能ではない。
「フォトン・ブレイザー!」
光線が、魔力障壁越しにゲーデの身を撃つ。
「フォトン……!」
ゲーデが、魔法で反撃しようとする。
だが、こちらの方が速い。
「フォトン・ブレイザー!」
フェレンツが放つ光線を、魔力障壁の魔法に切り替え防ぐゲーデ。
判断が早い。
未熟者ならば、今ので終わっていた。
ゲーデの足が、衝撃に浮いている。
連発した光線が、有無を言わさずゲーデを押している。
三度。
「フォトン・ブレイザー!」
光線が、ゲーデを襲う。
魔力障壁が砕けた。
光線も消失しゲーデにまでは至らないものの、肥満した体がビルを転がり落ちていく。
部屋の端まで駆け寄る。
下方から、飛行の魔法を使用している魔力の波動。
それを目印に、魔法を放つ。
「フォトン・ブレイザー!」
水が急激に蒸発したような音が、夜陰に響く。
当たった。
しかし、直撃はしていない。
また、魔力障壁で防がれた。
四階の高さから落ちたが、ゲーデが死んだとは思えなかった。
暗く、地上までははっきり見えない。
地面に倒れ込んでいるかもしれないし、すでに移動したかもしれない。
見えなくては、判断が付かなかった。
気配を簡単に掴ませてくれる相手ではない。
フェレンツは、身を翻した。
階段を駆け降りていく。
ビルから飛び降りる方が早いが、それでは飛行の魔法を使わなければならなくなる。
狙い撃ってくれと言っているようなものだ。
ゲーデは、痛みに悶え苦しんでいるだろうか、それとも、また暗闇に乗じて襲い掛かろうと考えているだろうか。
敢えて、フェイントを掛けずビルから外に出た。
ゲーデに対する誘いである。
防御魔法を発動させるための心構えはできている。
魔法や飛び道具が向かってくる様子はなかった。
ゲーデの姿はない。
逃げたのか、どこかからこちらの様子を窺っているのか。
夜気に包まれ、しばらく自分の吐息だけを聞いた。
遠くに、なにかが転がっている。
ようやく、眼が完全に闇に慣れたようだ。
ゆっくり近付く。
最初は岩かなにかに見えたそれは、どうやら人のようだ。
何者かが、うずくまっている。
ゲーデかとも思ったが、違う。
明らかにゲーデよりは小柄だった。
さらに近付く。
うずくまっているように見えたのは、間違いだった。
四肢を丸めるようにして、横向きに倒れている。
顔は、こちら向きだった。
息を呑む。
倒れていたのは、知っている顔の男だった。
フェレンツにサリヴァンの情報を売り付けてきた、情報屋。
顔には、私刑を受けたと思われる暴行の跡。
そして、胸に突き刺さる短剣。
首筋に触れる。
まだ少しだけ体温が残っていたが、死んでいた。
動悸が早くなる。
情報屋が、死んだ。殺された。
ゲーデ。やはりあの男だろうか。
『コミュニティ』の一員なのではないか。
組織にとって不都合な情報を得た者は、殺されていく。
ボノアスラン王国でも、『コミュニティ』を記事に扱った新聞社が、ビルごと焼き払われたことがあった。
戦慄する。
疑問も湧いた。
情報屋を、おそらくは強迫するなどして、自分をここまで誘き寄せた。
目的は、フェレンツが持つサリヴァンが残した名簿か。
それを手に入れられなかった場合、フェレンツを殺すつもりだった。
(……本当に?)
本当に殺すつもりならば、もっと周到な罠を仕掛けないか。
逃れようのない罠を。
ゲーデは強かったが、フェレンツを心底殺したいのならば、もっと人数を集めるはずだ。
自身の力を過信するような者にも見えない。
殺すつもりはなかった、もしくは、殺せなくても良かった。
それでは、目的は。
「動くな!」
声が響いた。
明かりの魔法が、複数打ち上げられる。
松明に、火が点けられる。
炎が揺らめく。
情報屋の死体に、どれだけ動揺していたのか。
いつの間にか、フェレンツは十人ほどに包囲されていた。
警官である。
「……ここで、言い争いが起きていると通報がありましてね。悲鳴も聞こえると。それで、駆け付けたのですが」
包囲の輪から、一人だけ進み出てくる。
弛んだ下顎、下腹。
ゲーデ。
「まさか、あなただったとは、ペトレさん」
『コミュニティ』の一員かもしれない男。
その表の顔は、レオスガリア王国の警察官、警部補。
警察権力を、扱える。
犯罪者を、取り締まれる。
フェレンツが触れている情報屋の体は、すでに冷たくなっていた。
「その方は、亡くなられているようだ」
邪魔者は、殺す。
手こずるようならば、犯罪者として罪を被せ、拘束する。
それが、ゲーデのやり方か。
「話を、聞かせていただきますよ、ペトレさん。署まで御同行願えますね?」
武装した警官が、十人。
手傷を負わせずに突破することは、不可能。
この場を逃れられたとしても、亡命者である自分を匿ってくれる者が、果たしているのか。
デニスの喫茶店に逃げ込めば時間は稼げるかもしれないが、それだけである。
なにより、亡命者の立場からようやく店を持てるようになったデニスを、巻き込むことになる。
「剣を捨てて、手を上げろ。抵抗はするな」
警官の一人が言う。
どうしようもない。
近付いてくる警官の背後で、ゲーデは下顎を撫でていた。
口許を隠すためであるように、フェレンツには思えた。
だとしたら、ゲーデは笑っているのだろう。
亡命者が、犯罪者になるだけだ。
たいしたことではない。
懸命に、フェレンツは自分に言い聞かせた。