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亡命の騎士

レオスガリア王国王都イディオンは、暮らしやすい街といえた。


北には山脈があり、寒気はそこで遮られる。


東のファドゥッガ大森林から与えられる森の恵みは、季節を問わず市場を賑わせた。


西には麦畑が拡がり、収穫前の時期は黄色い絨毯が敷かれているかのように見える。


レオスガリアでは屯田兵制度があり、戦争の役に立たない老兵は、前線に出ることなく開墾に従事している。

農民にはできないこともあるのだ。

軍が手を貸すようになってからは、賊による被害などは激減したらしい。


南は、いくつもの川が交差する湿地帯だった。


仮にリーザイ王国の軍が攻め込んできたとしても、兵を進ませることは困難だろう。


守りやすく、民が過ごしやすい。

それが、イディオンの街だった。


フェレンツがこの街で暮らすようになって、四年が経過していた。


亡命したフェレンツを、レオスガリア政府は歓迎してくれた。


もちろんそれは表面上のことであり、腹の中には政治的な思惑があるのだろう。


ボノアスランの騎士団団長だった自分には、様々な使い道があるはずだ。


一応の役職は与えられたが、明らかな名誉職だった。


新兵の調練を稀に任される以外は、軍事に関わることもない。


そのくせ、監視の眼だけはしっかり向けられているのだ。


時間を持て余すと、心がざわついた。

このまま朽ち果てるのではないかと思えた。


亡命したフェレンツを蔑む者は少なくなかったが、そんなことよりも、なにもない日々がただ過ぎていくことの方が、気持ちを掻き乱した。


イディオン大聖堂に行くことがある。

市民の憩いの場の一つであるが、大聖堂の中は地味なものだった。


できることがなにもない時、フェレンツはそこで時間を潰すようになった。


地味な内装が、ざわつく心を落ち着かせるのである。


なにか特別なものが聞こえるのではないかと、耳を澄ませることもある。


いつの間にか、三十をいくつか過ぎた。

少女は、生きていれば十四になっているはずだ。


死んだ姉が残した、娘だった。

つまり、姪である。


姉の死には不審なものが多く、陰謀の気配があった。


ただ、死ぬ前の姉は『コミュニティ』という組織のことを気にしていた。


本当は少女のことを探したかったが、ようとして行方が知れない。


街の中は探し尽くしていた。

街の外は、監視の眼がありほとんど出られない。


大聖堂の中で次第に腐っていく、そんな気がした。


祖国で起きた動乱により、遠征軍は混乱の内に散り散りになった。


騎士団は、当然解散された。

フェレンツのように、レオスガリアに亡命した者も少なくはない。


『死神』ソフィアとの戦闘で左足を斬り落とされたサリヴァンは、なんとか一命だけは取り止めた。


だが、気力を失ってしまっている。

病を患うことが多くなり、入院と退院を繰り返していた。


去年までは杖を使用していたが、今は車椅子での生活である。


励ましも逆効果にしかならず、医者もお手上げという状態だった。


デニスは、街で喫茶店を開いていた。

馴染みの女もでき、質素ながらそれなりに充実した生活を送っているようだ。


元はボノアスラン王国の騎士だったことで、陰口を叩かれ好奇の視線を向けられることもあったようだが、最近はそれも減っているようだ。


デニスの店にも、よく行った。

語るのは、ボノアスラン王国のことである。


ソフィアの予言通りだった。

新暦七百十七年十月二十三日は、『ボノアスラン動乱』、あるいは『七百十七年動乱』として、世界史の教科書に載っている。


四年の間に、女王も宰相も代わっている。


剣を捧げた女王はすでになく、忠誠を誓った国は動乱の渦中にある。


フェレンツもデニスも、それをレオスガリアの地から眺めるしかできなかった。


ボノアスランはレオスガリアの属国にまではならず、現在は同盟国という立場である。

少なくとも、表面上は。


リーザイ派とされた者は、次々と粛清されていった。


その中には、フェレンツやデニスの顔馴染みの者も多くいた。


叫びそうになったのは、一度や二度ではない。


すぐにでも祖国に戻りたかったが、リーザイ派と見做されたフェレンツの帰国を、レオスガリア王国は許さないだろう。


例え戻ることができたとしても、祖国を見捨てた騎士に待っているのは、国民の罵倒と軽蔑の眼差しだろう。


動乱の間に、多くの国民の血が流れた。

そしてフェレンツは、ボノアスランの騎士でありながら、安全なレオスガリアに匿われていたのだ。


デニスはもう、イディオンの街からは離れられない。

来年には、子供ができるはずだ。


フェレンツも、レオスガリア王国を去ることはできなかった。


姪が、この国のどこかでまだ生きているかもしれないのだ。


幼い少女の力になれるのは、自分だけかもしれない。


それを考えると、ボノアスランのために剣を振りたいという想いはあっても、戻ることはできない。


亡命者と蔑まれるのには、馴れた。

それでも、苦しくなる。

祖国の窮状に、胸が痛む。


ただ、日々が流れていった。


ボノアスランに残ったヘニーとフィリップの生存は、不明である。


フェレンツは、デニスの喫茶店に通うことが多くなった。


レオスガリアの料理は辛い物が多く、故郷の味が懐かしくなるのだ。


ボノアスラン珈琲を飲み、ただ過ごす。

夕暮れの街を、ただ眺める。


甘いはずのボノアスラン珈琲は、苦い味ばかりがした。


◇◆◇◆◇◆◇◆


イディオンの街の近くに、小さな村がある。


そこから更に離れた山の中で、少女は暮らした。


元々の名前は捨て、今はキーラと名乗っている。


ソフィアという名前を思い出すことはなかった。

過去を振り返ることもしない。


この国まで逃げてきたのは、十歳の時。

まず彼女は、一ヶ月近くかけてなんとか小屋を建てた。


近くには小川が流れているので、水に困ることはない。


そこでは、簡単な仕掛けで魚を獲ることもできた。


魔法を使えば、山の獣を狩ることもできる。


獣の捌き方を、彼女は知っていた。

それは、組織の中にいた時に教わったことだ。


生きる術のほとんどを、組織から学んだ。


肉は乾燥させ干し肉にし、冬に備えた。

余った分は村まで持っていき、パンや作物、塩と替えてもらう。

毛皮などは、特に喜ばれた。


作物の種と交換してもらうこともある。

小さな畑を作り、そこに植えた。

少しずつ、作物が実るようになった。


もし魔法が使えなかったらと考えると、ぞっとした。


一人で生きていくことなど、できなかっただろう。


村人たちとの接触は、できるだけ少なくした。


みんな、キーラは両親と暮らしていると思っている。


通りすがりの旅人や行商人が稀に訪れることがあったが、そんな時は親は狩りに行っていると言い張り、留守を預かるただの子供のようにキーラは振る舞った。


四年が過ぎた。

四年の間、キーラは一人で生きた。


ある日の、夕方のことだった。

いつものように夕飯の支度をしていると、小屋の扉がノックされた。


また、旅人でも迷い込んできたのか。

だが、なにかがおかしい。


具体的になにがおかしいのかわからなかったが、直感的に旅人や行商人ではないとキーラは悟った。


「……どちら様ですか?」


扉の向こうに問う。

返事は、すぐにあった。

男性の声。


「私だ」


「……」


どこかで聞き覚えのある声だった。

だからといって、すぐに鍵を外すことはできない。

知り合いが味方とは限らない。


扉の向こうの男性が続ける。


「……ボノアスランの……騎士。わかるか?」


「!」


ボノアスラン訛りの共通語だった。

名乗らない理由も理解できる。

クロイツに、すぐ検知されてしまうだろう。


キーラは、鍵を外し扉を開いた。


そこにいたのは、くたびれた印象の中年の男性。

松葉杖を付いていた。

左足がない。


名前を口にしそうになり、キーラは口をつぐんだ。


サリヴァン。叔父であるフェレンツの部下で、ボノアスラン王国の騎士だった者である。


左足は、キーラを逃がすために『死神』ソフィアと戦い、失ったのだった。


サリヴァンの表情が歪む。

今にも泣き出しそうにキーラには見えた。


「……長かった……ここまで……」


額を押さえる。

そして、不意に笑い声を上げた。


「奴らめ! 油断した! 私がもう、歩けないと思い込んで……!」


「えっ?」


「見張りを減らして、しかも経験の浅い未熟な奴だった!」


一頻り笑うと、サリヴァンはキーラの肩を掴んできた。


表情を見る限りでは、落ち着きを取り戻したようだ。


「いいか? 急なことで驚いただろうが、よく聞きなさい。君はもう、奴らに見付かっている」


「えっ?」


奴らとは、『コミュニティ』のことだろう。


見付かっていないはずではないのか。

だから、四年もの間、追っ手は現れなかった。


「でも……」


「見付かっている。私でも、探し出せたのだ。今はまだ、奴らにとって君は必要ではない。だから、放置されている。時が来れば、あの女がまた現れるだろう」


「そんな……」


「このまま、ここにいては駄目だ」


「でも、どうすれば……」


「然るべき時に、国境を越えるんだ。行き先は、ボノアスランでもリーザイでもいい。どちらも政府の何人かとは、話を付けてある」


「然るべき時に……」


「あの人が、迎えに来る……」


あの人、というのが誰か、すぐにわかった。


フェレンツ・ペトレ。

ボノアスラン王国の英雄。

そして、亡命の騎士。


「君の両親には、なにかと助けられた。その恩は、君に返す。必ず、君を安全な所まで連れて行く」


キーラは、俯いた。


恩を返す。

ただそれだけの理由で、サリヴァンはキーラを助けようとしてくれているのだ。

足を片方失った今でも。


「とにかく、いつでも出立できるよう、旅の準備と心構えだけはしていてくれ。今日は、それを言いに来た。私はもう街に戻らなくてはならないが、機会があればまた来るつもりだ」


サリヴァンの顔が、精悍なものになる。

眼には、真摯な光があった。


キーラが知るボノアスランの騎士たちは、みな一様にそんな眼をしていた。


「希望は、私たちが繋ぐ。君は、決して諦めないでくれ」


そう言い残し、サリヴァンは去っていった。


片足では、山を下り街まで戻るのに、何時間も掛かるだろう。


とてつもない苦労をして、サリヴァンは会いに来てくれた。


昔と同じだった。

見返りなく、キーラのことを助けてくれる。


それが、誇り高きボノアスランの騎士たち。


(……諦めません。あなたたちが、いる限りは)


夜になっても、雪は降らない。

サリヴァンも、少しは移動が楽になるだろう。


今年は、二十年に一度の暖冬だと村人たちが噂していたのを、キーラは思い出していた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


サリヴァン死亡。

その一報をフェレンツが受けたのは、久しぶりに出仕した王宮の中でのことだった。


崩れ落ちるように、椅子に座り込む。


自宅となるアパートの一室で、首を吊っていた、ということだった。

自殺である。


三日、四日と部屋に灯が点らないことを不審に思った隣人が、ベランダから覗き、死亡しているサリヴァンを発見したらしい。


なぜ、サリヴァンの異変に気付けなかったのか。


足を失ったことは、衝撃だっただろう。

杖を使っても歩けなくなり、車椅子の生活になっていた。


心も体も萎えていたのは、知っている。

自殺しなければならないほど、追い込まれていたのか。


葬儀に出たかった。

だが、こんな時に限って、新兵の調練を命じられた。

五日間に渡る山岳訓練である。


調練の間に、サリヴァンの葬儀はひっそりと行われた。


調練の指揮を終えると、フェレンツは数日、イディオン大聖堂でぼんやりと過ごした。


デニスの喫茶店にも行ったが、長居はしなかった。

監視の眼があるのを感じたのだ。


デニスは、呆然としていた。

自分も、似たような顔をしているのだろう。


デニスが訃報を聞いたのは、サリヴァンの葬儀が終わってからのことだったらしい。


イディオン大聖堂の中庭にあるベンチに腰掛け、行き交う人々を眺める。


観光地となっており、訪れる者はなかなか多い。


視界を人々が流れていくように、様々な思いが去来する。


後悔が多い。

もう終わったことだ、という声も聞こえる。

仕方のないことだ、と思う自分もいる。


サリヴァンは、心も体も弱りきっていた。


フェレンツやデニス、医者の励ましにも、まったく応えてくれなかった。


同じベンチに腰掛ける男がいる。

特に気に掛けなかった。


小声で語り掛けられているのに気付いたのは、しばらく経ってからのことだった。


男は、確かにフェレンツのことを呼んだ。


「……誰だ?」


見知らぬ男である。

面長の顔に、大きな鼻をしていた。

帽子を、目深に被っている。


「……情報屋です。サリヴァンさんに雇われていました」


「……サリヴァンに?」


「五万ラウ」


男が言った。


情報屋だと自己紹介した。

なにか、情報を売り付けようとしている。


ポケットから財布は出さないまま、フェレンツは一万ラウ札を五枚引き抜いた。

だが、まだ情報屋には渡さない。


「……先払いでお願いします」


「話が先だ。有益な情報だと判断したら、払う」


「有益な情報です」


「……先に、少しだけでも話せ。それ次第だ」


「……一言で終わってしまいます」


「……サリヴァンから、私のことを聞いているのだろう? 信用しろ。本当に有益な情報ならば、必ず金を払う」


情報屋は、イディオン大聖堂の中庭から望める、少し狭い中庭を見上げた。

ぽつりと呟く。


「……サリヴァンさんは、自殺したんじゃありません。自殺に見せ掛けて、殺されたんです」


「なっ!?」


大声を上げそうになった。

立ち上がりかけた。


情報屋の目配せで、ベンチに深く腰掛け直す。


「……確かなのか?」


「五万ラウ」


「……」


フェレンツは、五万ラウをベンチに置いた。

然り気無く、情報屋が回収する。


「死亡したと推定された日の朝に、洗濯物を干している姿が目撃されています。これから自殺する人間が、洗濯なんてすると思いますか?」


「……いや」


「その前日には、食料と水を買い込んでいます。およそ一週間分」


「不自然だな。だが、それだけか?」


自殺するような精神状態の人間である。

ある瞬間、突然生きていることに耐えきれなくなることも、有り得るのかもしれない。


「……自殺ではない、と確信できる事情があります」


「なんだ?」


「言えません」


「……金なら、払うが」


「いくら払われても。こっちの身に関わることです」


「そうか……」


話せば、命を狙われるということか。

危険な情報ということである。

それだけ、信憑性もあるということだ。


「わかった。感謝する」


フェレンツは、立ち上がった。

イディオン大聖堂で呆けている場合ではなくなった。


サリヴァンは、自殺したのではなく殺されたのだとしたら。


殺したのは誰だ。


なぜ、殺されなければならなかった。


レオスガリアの政府は、どう関わっているのか。


フェレンツやデニスが、葬儀に参列できないように手を回したのではないか。


調べなければならないことは、山ほどある。


まずは、サリヴァンが暮らしたアパートか。


情報屋が話そうとしない真実が、そこに眠っているのかもしれない。


目立たぬよう、観光客の歩く速度に合わせて移動する。

心だけが、逸り立っていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


サリヴァンが暮らしていた安アパートは、ほとんどが空き部屋だったはずだ。

今回の様なことがあったのだ。

管理人は、アパートを潰すことを考えるかもしれない。


サリヴァンの部屋は、警察により立ち入りが禁止されていた。


フェレンツは、小細工せずに正面から警官たちに声を掛けた。


自分の身分を証し、友人の死を聞き、駆け付けたと告げた。

そこまで不自然なことではないはずだ。


部屋から、背広を着た恰幅の良い中年男が出てくる。


警官たちとのやり取りからして、上司になるのだろう。


フェレンツは、警官たちに伝えたことをもう一度言った。


「サリヴァンが自殺したとは、どうしても信じられないのです。私にも、部屋の様子を見せてもらえないでしょうか?」


「……そう言われましてもね」


中年男は、ゲーデと名乗った。


警部補だということだ。

難しい顔をしている。


「さすがに、現場を見せるわけには……」


「そこをなんとかお願いできませんか?」


金をわずかに握らせる。

ゲーデの表情が、少し変わる。

悪い変わり方ではない。


賄賂が逆効果になることもあるが、今回は良い方に働いたようだ。


「……では、少しの間だけ」


数日経過した自殺の現場を、未だに警部補が検証しているのだ。


もしかしたら、警察の方でもサリヴァンの自殺に、引っ掛かっているものがあるのではないか。


サリヴァンの関係者に現場を見てもらおうかという考えも、少しはあったのかもしれない。


部屋の中は、がらんとしていた。

サリヴァンの物のいくつかは、押収されているようだ。


特におかしな点はないようだが。


「……」


微かな違和感があった。


ゲーデの視線を感じながら、部屋の中を歩いて回る。

夕日が射し込む部屋。

壁際に、脚を床に固定されたテーブル。


(……ん?)


テーブルの脚の一本に、微かな傷がある。

そして、ほんの微かな魔力の残滓。

サリヴァンの魔力の跡。


おそらく、サリヴァンと長い付き合いがあり、彼の魔力の癖を知り尽くしている者以外は、気付けないだろう。

魔法を使った小さな跡。


テーブルに手を付く。


(……これは、物質修復の魔法か?)


物質修復の魔法を使い、テーブルの脚を直した。

そう感じられる。

だが、なにかがおかしい。


(……わざと、下手に魔法を使っている?)


違和感の正体は、これだった。

そしてこれも、サリヴァンの癖を知り尽くしている者にしかわからないことだろう。


これは、メッセージなのではないか。


下手に魔法を使い、サリヴァンはなにかをフェレンツやデニスに伝えようとしていないか。


懸命に魔力の残滓を読む。

ほぼ垂直に伸びているようだ。


縦に脚が折れたということだろうか。

おかしな折れ方であるように思える。


垂直に伸びた魔力の残滓。

なにかを指していないか。

天井、あるいは床。


集中を高めていく。

テーブルの脚の下、床に残る、さらに小さな魔力の残滓。


「どうかされましたか?」


声を掛けられ、集中していたフェレンツはびくりと身を震わせた。


ゲーデが、フェレンツのすぐ背後にいる。


フェレンツの手元を覗き込むような姿勢で。


「……いえ、その……」


フェレンツは、動揺した。


ゲーデの眼の奥にある、暗い光に気付いたのだ。

そして、黒い感情。

悪意のようなもの。


「このテーブルが、どうかしましたか?」


「……いえ、なにも……」


「ふむ……」


ゲーデが、テーブルを撫でる。

その仕草に、フェレンツはゲーデから眼を逸らした。


「なるほど……」


ゲーデが、呟くように言った。


「この下、ですかね?」


「……」


眼を逸らす際、床を見てしまったかもしれない。

それを、ゲーデは見逃さなかったのか。


フェレンツは、観念した。


もしかしたら、ゲーデはただの警部補ではないのかもしれない。


だが、ここで下手に誤魔化せば、この場にいる警官たちにも不信感を持たせてしまうだろう。


警官たちに、怪しい言動はない。

ただの警官であるのならば、疑われるようなことは避けるべきだ。


「……実は、床から微かにサリヴァンの魔力を感じます。気のせいかもしれないと思い、言い出せませんでした」


「なるほど」


ゲーデが、大きく頷く。

弛んだ顎の下の脂肪が揺れた。


「調べてみましょう」


警官たちに命じ、床板を剥がさせる。

一枚の床板の裏に、貼り付けられている物があった。

封筒であるようだ。


「これは、我々警察で預かります」


「……それは、当然のことでしょう」


サリヴァンの自殺の現場である自宅。

その床板に貼り付けられていた、謎の封筒。


こちらに寄越せとは、さすがに言えない。


ゲーデの表情は、あまり変わっていない。


だが、してやったりという会心の笑みを浮かべているように、フェレンツには感じられた。

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