誇大妄想ファンタジア
「今までの一連の出来事は、果たして現実に起きたことだったのか、それとも夢か幻だったのか」
俺は、たった今、誰しもがそう口にしたくなるような、思わずそんなことを考えずにはいられない出来事に遭遇してしまった。
あぁ、待った。通報しないでくれ。頭は正常に稼動しているんだ。脳の機能に異常は見られない。バグは存在しない。たぶん、しないと思う。きっと、しないんじゃないか。……だんだん自信がなくなってきた。いや、待て。話を最後まで聞いてくれ。
とりあえず。何が俺の身に起きたのか、そして、どんな目に遭ったのか、順を追っての説明を試みるから。
「成次。早く着替えて、ワイシャツと体操服、それから弁当包みを寄越せって言ってるの。聞いてるの? 部屋、入るわよ」
「へい、へい。今、持ってくから、絶対、入ってくるな」
口うるさい姉である。ゲームを時間の無駄遣い、ジオラマを場所の無駄遣いだと言って、俺の趣味を全く理解しようとしてくれない。俺に言わせれば、長電話は時間の無駄遣いで、ぬいぐるみは場所の無駄遣いだというのに。これが男女の相違というものか。
オッと。余計なことを喋ってる場合では無かった。それでは、俺の冒険譚を、ありのまま、お伝えしよう。
*
放課後、汗を流してマネージャーと充実した青春を送ってる運動部の猿どもをフェンス越しに冷ややかに眺めつつ、そそくさと目線を合わせないうちに寄り道もせず真っ直ぐ帰宅した俺は、いつものように自分の部屋に直行し、ベルトとネクタイを外し、荷物と一緒にキャスター付きの学習イスの上に放り投げ、座面や背凭れが立てる、十年という年月を感じさせる経年劣化の不快な軋み音を耳にしながら、惰眠を貪ろうと、これまたスプリングが悲鳴を上げるシングルベッドにダイブした。
そう。ここまでは、何ひとつ、いつもと変わらなかったんだ。えっ? 可哀想とか言うな。別に、これっぽっちも寂しくなんか無いんだからな。帰宅部、バンザイ。一匹狼、バンザイ。ひとりぼっち、バンザイ。万歳、三唱。……ハァ。
*
人間に欠かせない、色彩を持った大切な何かを失ったところで、話を次に進める。
うたた寝から目を覚ますと、なぜか俺は、紅い月と蒼い星が夜空に輝く丘の上に居た。
あぁ、いや。悪いお薬の世話になってる訳じゃないから安心してくれ。それ以前に俺は尖端恐怖症で、針を刺すどころか、見るのも駄目なんだ。痛いのも血を見るのも嫌だし。
だから、余計に置かれた状況の訳がわかんなかったんだ。これが夢なら、どれだけ意味不明な境遇に晒されようと、何故か理解できるところだけど、あいにく、そういうことも無かったし。
それで、ノーヒントのまま何が何やらサッパリ分からず、近くにコンビニでも無いかと考えていると、可憐な少女が現れたんだ。もぅ、それが、アールピージーでお馴染みのヒロイン像そのもの。まだ幼いのに出るトコ出てるバブみの極みでさ。思わずキーゼルバッハが決壊しそうになったぜ。ヒャッハァ。あぁ、だから、お巡りさんを呼ばないで。俺は断じて、変質者じゃありませんっ。
「紅き月と蒼き星が並ぶ紫の夜。約束の地に救いの主が降臨するであろう。お告げは本当だったわ。急いで司祭様に知らせなくちゃ」
預言だか宣託だか、何だか訳の分からない運命論を持ち出してきたものだから、ひょっとして電波系の少女かなと思って怪しんだんだけど、背に腹は変えられない。俺は勇気を振り絞って、声帯から言葉を絞り出した。
「君は、誰?」
他に言いかたがあるだろうとか、動揺しすぎだとか、情けないとか、そういう苦情は無しにしてくれよ。俺だって突然のことにパニック寸前だったんだからさ。それに、よほどの能天気か、心臓に剛毛の生えた人間でもない限り、俺と五十歩百歩の言動しか取れないと思う。
「お待ちしておりましたわ、救世主様。わたしの名はフェブリエ。どうぞフィーと呼んでくださいまし」
いよいよファンタジー色が濃厚になってきた。こうなったら勇者を気取るしかあるまい。そう考えると興が乗ってきた。都合よく向こうも勘違いしてることだ。郷に入れば何とやらと言うだろう。違うか?
「悪いんだけど、フィー。どこか、話の分かる人の元に連れて行ってくれないだろうか?」
「もちろんですわ。このフィーが、責任を持って村までご案内いたします」
*
「カトーセージ?」
「いや、加藤は苗字。成次が名前だ」
「では、セージ様と呼ばせていただきますわ。苗字をお持ちとは、よほど位の高い家柄なのですね」
ここでイノセントな瞳を輝かせているフィーに向かって、加藤は祖国で十番目に多い苗字だ、などとは、口が裂けても言えない。
そうこうしているうちに、俺はフィーの案内で無事に村へ辿り着き、真っ先に教会らしき建物に連れて行かれた。それにしても、この建物。村の中心部に位置し、とにかく目立つ造りをしているものだ。
*
「大儀であった。救いの主よ。名を何と申す?」
「成次。加藤成次だ」
「ン? 何じゃと?」
「名前は、セージだ、とおっしゃってますっ」
「ホホォ。セージか。ウム。善き名じゃな」
この司祭とやら。裾の長いローブを纏い、髪と髭を伸ばした、アールピージーでお馴染みの長老像そのものなんだな、これが。そして、たいそう耳が遠いらしく、さっきから何度もフィーが耳元で叫んでいる。そして俺は、二人の姿が、だんだんとデイサービスの車に乗る高齢者と介護士を髣髴とさせる光景に見えてきたせいで、厳粛な場であるはずなのに、失笑しそうになってしまった。笑っちゃ駄目だ。笑ってはいけない。笑ったら不謹慎なんだ。真面目に。真剣に。真摯に。
「我らが救いの主、セージよ。そなたに、伝説の聖符を授けよう」
俺は震える司祭の手から、伝説の聖符を恭しく押し戴いた。さて。その肝心の聖符のスペックだが、手の平サイズ、ノッペリとツルッとした表面、大きさの割りに持ち重りがする代物でありまして、えぇと、……どこからどう見てもスマートフォンでございます。ありがとうございました。しかも、俺が画面に触れた途端、電源が立ち上がって画面から青白い光が発生したものだから、司祭やフィーを含め、その場に臨席したお歴々が、陽気な欧米人だってココまで驚かないだろうというレベルのオーバーリアクションをしたんだ。ありがとうございます。ごちそうさまでした。
「今日は、もう夜が更けておる。泊まりなされ」
「ハッ。ありがたき幸せに存じます」
「何とな?」
「ありがとう、とおっしゃってますっ」
「ホホッ。礼には及ばん。明日は、ひと働きしてもらうことになろうからのぉ。ゆっくり休むがよい」
*
肉体的な歩き疲れと精神的な気疲れでクタクタだった俺だが、ひとたびキングサイズのフカフカなベッドに沈めば、そんなものは、どこかへ吹っ飛んでしまった。
マットレスでゴロゴロしながら聖符を操作してみると、写真加工アプリが起動できることが判明した。
「何か、フォトジェニックな被写体はないかな、と」
「セージ様。お水をお持ちしました」
いやぁ、その声を聞いてからシャッターを押すまで、五秒と掛からなかったね。ナイトモード、フラッシュ焚きまくりで撮ったよ。フィーは、まず真昼のような明るさだと驚いて、次に画面に自分の姿が写ってることにビックリしたんだ。慌てふためく姿が、堪らなく可愛くてさ。でも、そのあとも調子に乗って撮影しまくってたら、拗ねて自分の部屋に戻っちゃったんだよね。悪いことしちゃったよ。反省と後悔はしてないけど。
あぁ、ちょっと。俺を交番に連れて行こうとしないで。えっ、行き先は心療内科だって? どっちにしても行かないから。まだ、話は終わってないんだ。
*
ベッドで寝てたら、この世界にやってきたというのもあって、こっちの世界で寝たら元の世界に戻るんじゃないかと思ったけど、そういうことはなかった。村を救うまでは、どう足掻いても帰れないらしい。
朝の謁見で、司祭から俺に使命が言い渡された。城に巣食う悪徳領主を懲らしめてほしいというのだ。何でも、最近世襲したばかりの若い領主が、領地の農民に苛政を布いてるのだとか。どこかの核ミサイル大好き国みたいだな。虎に喰われてしまえ。
司祭の見送りのもと、俺とフィーは教会の精鋭部隊と共に悪の根城へと向かった。もちろん、俺の懐にはスマ……、もとい、聖符を携えている。フィーがツンケンしてるのは、きっと昨夜のことを引きずっているのだろう。火に油を注ぐから口にしないけど、突慳貪に怒った顔も可愛いなと思ったね。
そうそう。フィーが戻った後も一人で聖符を弄ってたんだけどさ。この聖符、他にも色んなアプリが搭載されてて、なかなか優秀だってことが解ったんだ。ちなみに、解読に時間が掛かったのは、アイコンのイラストと、ルーン文字っぽい文字しか表示されなかったから。せめて日本語か英語で説明があれば、もっとスムーズに機能を知ることが出来たのに。
*
いざ城に乗り出してみたら、今度は俺がビックリしたよ。あまりの驚きに、下手な雛壇のお笑い芸人か、深夜の通販番組のゲスト並みの反応をしてしまったんだ。フィーが俺の反応にドン引きしてたっけ。いやぁ、お恥ずかしい。
それで何に仰天したかって? 堅牢な門扉? 強固な城壁? 聳え立つ尖塔? どれも違う。なんということでしょう。そこにデンと待ち構えていた建築物は、俺が毎週パーツを組み立てていたミニチュアにそっくりではありませんか。匠も真っ青だ。
でも、そうと判れば、陥落は楽勝。敵の少ない地下水路から侵入し、聖符の機能にも頼りつつ、チート全開のまま最短ルートで攻略。最後、馬鹿息子に捕まってピンチのフィーを間一髪で助けたことでフィーとも仲直りできるという、嬉しいオマケ付き。水を得た魚ならぬ、コントローラーを得たゲーマーに、怖いもの無し。
*
これでハッピーエンド。救国の英雄は、戦友の少女と結ばれ、末永く暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、かと思うじゃん? 実際、討伐が終わって、事後処理が終わったあと、フィーとはタダナラヌ良い雰囲気になったんだ。
ところが、どっこい。現実は厳しいものでさ。もう少しで村に戻れるってところで、頭がクラッとして、身体がフラフラっとして、そのまま倒れこんでしまったんだ。そのとき俺は、あぁきっと疲れが溜まってるんだと思って、そのまま目を閉じて、意識を手放したよ。まさか、その場所が最初に目覚めた丘の上だとも気付かずにな。
そんで、俺の名前を呼ぶ声がするから、ハッと目を覚ませば、軋むベッドの上ってわけさ。呼んだのは無論、俺の姉である。これにて、ゴールからスタートへ、あがりからふりだしに戻るって寸法だ。
ここまで話を聞けば、ただの夢オチだと思うだろう? 俺も、起きるのがモッタイナイ夢だった、くらいにしか思ってなかったんだ。だけど一点だけ、どうしても腑に落ちない点があってさ。聖符、いや、こっちではただのスマートフォンか、の中に一枚だけ、フィーの写真が残っているんだ。不思議だろう? 謎だと思うだろう?
ここで冒頭の問い掛け文を、もう一度。
「今までの一連の出来事は、果たして現実に起きたことだったのか、それとも夢か幻だったのか?」
これで俺の話はオシマイだ。君は、どう思う?