青い狼の選択
「桂花?」
「まあ、姉様ったら。」
華凉は眉根を寄せ困った表情のまま隆輝に向かって言う。
一瞬目を離した隙に、桂花を見失った。
通りは祭りに参加しようとする人々で賑わっている。
人の群れの中を必死に探すも彼女の姿は見つからない。
「別行動にいたしましょう、隆輝様。直ぐに姉様を追ってくださいませ。そして、きっとむくれてますから早くなんとかしてください。私、姉様に嫌われたら泣いてしまいますわ。」
姉を違う方向に心配する妹。
…ここにも姉馬鹿がいたか。
「隆輝様は、この辺の土地には不慣れでいらっしゃいますでしょう?道案内が必要でしょうから、この者達をお連れください。」
言葉を合図に華凉の脇から一斉に護衛が離れ、隆輝の後ろに控える。
訝しげな表情で彼女を見つめる。
「護衛を貸し出して、貴女は大丈夫なのか?」
「まあ、心配してくださるのですね。ですが、それは不要ですわ。」
にっこり微笑む華凉。
それから彼女は人混みへと声をかけた。
「蒼月。」
人混みから上品な身なりの男が現れ、隆輝に恭しく礼の姿勢をとると華凉の隣に立つ。
今、どこから現れた?
気配に敏いはずの自身に存在を悟らせないとは、どれほど鍛錬を積んだのか。
そして華凉は歌うかのような軽やかさで彼へと問いかける。
「配置は?」
「いつも通りに。」
「人数は?」
「八名ほど。」
「緋葉は?」
「ご指示のとおり、桂花様を。」
「そう、ありがとう。」
表情を変えぬままに、華凉は頷く。
問答のような今の会話で、欲しい情報が余すところなく伝えられたらしい。
当たり前のように交わされるやり取りだけで、彼らがこれを日常のこととしている様子が伺えた。
これでは、まるで戦場じゃないか。
武器や血の代わりに情報と策謀が入り混じる、混沌とした戦場の最前線に近い人物。
それがこの儚げな彼女だというのか。
煌達は一人で行動することを好む。
そして己の力だけを頼りに、執念深く取り付いて相手の懐の奥に辿り着く。
それが陶家の受け継ぐやり方だと思っていた。
だが華凉が選んだやり方は全く真逆のもの。
群れを率いた狐が、狡猾に獲物を追い詰めていく姿に似ている。
どれだけ奥が深いのか、陶家の裏は。
「悪戯が過ぎましたわ。怒られてしまいますから姉様には内密にお願いいたしますわね?」
唖然とする隆輝に対し、指先を唇に添えた華凉は歳相応の幼い笑顔を見せる。
言外に、裏の差配は桂花には不要のものと、そう伝えられているような気がした。
煌達の執念深さとも違うし、桂花のように気が強いからという理由だけでもない。
この華凉の持つ異質さは何なんだ?
「このまま、反対方向へお進みください。兄様とお約束事をされていらっしゃるのでしょう?兄様と合流されましたら私の部下が密かに警護している姉様のもとへ、引き続き、ご案内いたしますわ。」
「…感謝する。」
「それから私の事は兄様にお聞きください。忌憚のない意見が聞けると思いますわ。」
隆輝は優雅に会釈した華凉に見送られながら護衛と共に反対方向へと急ぐ。
しばらく歩いた先、彼女の言葉どおり、狭い路地から煌達は姿を現した。
「こちらです。隆輝様。」
「その格好はどうした?」
平民の服を場に合わせて着崩したらしい煌達が、普段通りの温厚な表情を浮かべしらっと言う。
「敵情視察に。それから囚われている桂花の様子を見に行きました。」
「…おまえ…!」
状況を察した隆輝の顔つきが変わる。
周りを気にして表情だけは取り繕うが早口に煌達を詰る。
「あれだけ、囮にはしないと…」
「我らを、見くびらないでいただきたい。」
すぐさま煌達は厳しい言葉で言い返す。
「妹を囮にしなければ、たかが人攫いごときの尻尾を掴むことの出来ぬ無能者だとでも?先日私は申したはずです。『確実に釣れる』と。」
「…」
「信用ないですね。」
疑いの晴れない表情のまま歩き続ける隆輝に対して、苦笑いを浮かべた煌達は、前方に姿を現した古びた貴族の館を指差す。
「あそこに囚われています。」
「では、このまま乗り込む。」
「いえ、間もなく黒幕の一人が到着します。それを待ってからの方が効率的です。だから少しだけ話をしませんか?」
そう言うと煌達は館の様子を伺える場所に移動し壁を背に寄りかかる。
「華凉から何か聞かれましたか?」
「兄に聞けとだけ言われた。」
「…全く、あの子は面倒事となると全部押しつけてくるんだから」
そう言うと煌達はため息をつく。
「お前たち、なんなんだ?」
隆輝は彼らの持つ"異質さ"に気がついてしまった。
軍を率いる隆輝にはわかる命の遣り取りに慣れた者達特有の佇まい。
それが煌達だけならまだ理解は出来る。
だが、彼女は、ただの容姿の美しい少女というには余りにも異質だった。
そして、それは、桂花も同じ。
隆輝の思いを察し僅かに微笑むと、これは内緒にして頂きたいのですがね、そう前置きして煌達は言った。
「我が家は代々続くしがらみとやらがありまして。その関係で実力を求めるあまり、他家とは異なり純血であることよりも国籍に関係なく優秀な血を求めました。結果…」
「なんか、いろいろ突き抜けました。」
例えば桂花には教師が舌を巻くほどの武の才能があった。
対して、華凉は。
「あの人当たりの良さと、儚げな容姿からは想像しにくですが、彼女は、その…」
珍しく口篭った煌達。
訝しげな顔をする隆輝を見て決心したように口を開く。
「優秀さが裏目に出まして。…すごく『性格が悪い』んですよ。」
煌達は深くため息をついた。
「もう少し柔らかい言い方をすると『いい性格をしている』っていうんですかね?波風立ってない所に、波風の元を見つけてそれを盛大に煽る性格、と言うんでしょうか。普段は外向きに何枚も猫の皮を被っていて大人しいものですが、一旦裏に回って人の腹の中や物事の裏を読ませると誰も敵いません。
ちなみに、人攫いが我が領地を経由させていることに気が付いたのも彼女が一番先です。」
「父も私もそういう方向に彼女が秀でているのなら、将来嫁に行く先で役に立つかもしれないと思いまして、いろいろ教え込んだんですよ。飲み込みもよくて、とても優秀な策略家に育ちました。…言い訳させていただけるなら、当時の華凉ってば超可愛いんですよ、瞳をキラキラさせて、父様、兄様って呼ぶ声がまた舌っ足らずなところもあって。」
「…それ、確実に彼女の策に踊らされてないか?」
「今思うとそうかもしれません。」
隆輝は何となく察してしまった。
なるほど、親馬鹿と妹馬鹿を拗らせた結果が彼女なのか。
「そんな経緯がありまして、気がついたら嫁に出したら危険な存在になってしまいました。
たぶんあの子なら、これ幸いと嫁ぎ先の躍進という大義名分を振りかざし、相手が無能なら婚家の乗っ取り、更に自分の嫁ぎ先より家格が上の家に問題があれば盛大に煽りたて、策を弄し、あわよくば降格もしくは取り潰しを目指して暗躍する未来しか見えてきません。」
まあ、ある意味では、富と名誉を運ぶ"青い鳥"にふさわしいとも言えますが。
そう言った煌達の口から乾いた笑いが漏れる。
「そこまでわかっていて、何故今まで放置していた?」
「彼女の策の矛先が向くのは家族以外、しかも領地や家族に不利益が生じる場合に限るときっちりと線引きが出来てましてね。しかも家族に分からないうちに結果を出す。私達が気づくのはすべて終わった後なんですよ。ちなみに桂花は全く彼女の裏の顔に気がついてません。巧妙に私に視線が向くように誘導されてましてね。お陰様で、やってない事まで私の仕業になってます。おまけに彼女は貧民街から才能のある人間を連れて来て、自ら一端の組織を作り上げまして。その人心掌握力と言うんでしょうか、それも捨てがたいという事もあります。」
先程、護衛の代わりとして彼女が呼んでいた、あの者達か。
「そんなこんながありまして、このまま突き進むと華凉が次代の当主になります。父とも話しまして私に家を継がせるより、彼女に婿を取らせて継がせるほうが家のためにもなるし、問題が少なくて済む、という結論になりました。」
今、華凉が社交の場に顔を出しているのはあくまでも人脈作りのためだけ、ゆくゆくは自身で見つけてきた才能溢れる者達の中から婿をとるつもりだということだ。
「ちなみに、隆輝様、危なかったんですよ?」
「は?」
隆輝は首を傾げる。
彼女とは、桂花の誕生日がお披露目会に代わった、あの一件以来会ってなかったと思うが?
「どこからか、貴方と桂花にあるアレコレの話を聞き及びまして、『姉様に相応しいか私が見極めてやります。』とか言い出しましてね、貴方が砦から息抜きに南陵の歓楽街へ向かうタイミングをはかって毎回好みの女性を差し向けてましたよ。」
「…まさか、彼女達全員?」
「全員ではないですが貴方が『そこそこ自分がモテる』と勘違いするくらいの頻度ではありましたね。」
「…」
「ちなみに、華凉曰く『この程度の嫌がらせ、お金と根気さえ続けば楽勝』らしいですよ。」
良かったですね、道踏み外してたら宴で桂花に会うことすら出来ませんでしたよ、という煌達に隆輝は言葉を失った。
ふと、空気が揺れる。
煌達の背後に乾いた赤茶色の髪が見えた。
「煌達様。整いました。」
…気配には気づいたが、彼が緋葉か。
彼はちらりと自分を観察する隆輝に視線を向ける。
その瞳の色は赤く、深い。
隆輝の値踏みするような視線にも臆する事無く真っ直ぐに受け止める。
いい目をしている。
こちらの思いとは裏腹に緋葉の端正な顔に表情が浮かぶことはなく、興味なさそうに直ぐ視線を逸らされた。
「全てはお話できませんでしたが、我が家はこの国では異端です。貴方が桂花を選べば、華凉のことも含め我々陶家のしがらみに貴方を巻き込むことになります。」
この件が終わった後お聞かせください。
…桂花を選ばれるかは御心のままに。
隆輝は視線を館に向ける。
あの館のどこかに桂花は囚われている。
…大人しくしていればいいが。
嫌な方の予感しかしない。
まあ、いい。
これから始まるのは"狩り"だ。
この辺りの出来事は些細なこと。
「煌達。」
だが、一言言わねば気がすまない。
「お前たちは、何を臆している?」
煌達はハッとした表情を見せる。
「華凉も、だ。俺が何も知らずにここへ来たとでも思っているのか?」
ニヤリと面白そうに笑う隆輝の表情とは裏腹に煌達の顔色は悪い。
「こちらこそ、見くびらないでもらいたい。」
「…それでは、御存分に。」
代々のしがらみとやらも、そうでないことも含め、終わったら聞かせてもらおう。
ゆるりと頭を下げ深く礼を取る煌達を横目に、隆輝は緋葉に誘導され護衛達と共に館を目指す。
さて、狩られるのは、俺か。
それとも、桂花か。
桂花、狩られますよ〜!
※すみません、消し忘れたセリフのところがありましたので、再度手を入れました。
当初とは少しだけセリフの場所が異なります。