青い鳥の覚悟
不吉な予兆を感じさせる光景に一気に頭が冷える。
「…そうじゃない。違うでしょう?」
自分の立場を忘れていないか?
熱を逃がすように、大きく息を吐き出す。
「考えなさい。次期当主として打つ手を。」
確実に戦端は開かれる。
ならばその後でどう対応するか。
まず鼓泰地方に。
南陵関。
次に王都。
王都の次はランダール。
だめだ、選択肢が多すぎる。
どれも正しく、そしてどれも間違いに思えるほど。
それならばと呼び鈴に手をかける。
青い鳥は何のために人を、縁を繋いできたのか。
繋ぐ先にあるのは、 人の名。
経験が足りないのなら力を借りればいい。
「先ずは黄蟻。父様にもご相談しましょう。」
これから手を打つには、残された時間はあまりにも短い。
ーーーーー
「華凉様は?」
「…珍しく取り乱されている。」
「貴方も落ち着きなさい。緋葉は悪くないわよ?」
「わかっています。」
主へ最善を、策を提示できない自身への怒り。
黄蟻の言葉に急速に頭の芯が冷えていく。
世は流れ、動くもの。
それが自分にとって都合の良いものばかりではない。
そんなことわかっていただろうに。
「今から手を打ったとしても確実に戦端は開かれる。」
「そうね。それは疑いようもないわ。」
「落ち着いてますね。」
「そうよ、簡単に死ぬような男には育てていないもの。」
黄蟻はニヤリと笑う。
「それにここで手柄を立てれば緋葉は望むものが手に入るかもしれない。」
「死ぬかもしれないのに?」
「だからこそよ。神の遣いとも呼ばれる程の彼女を本気で手に入れるなら命くらい掛けるわね、あの子は。そういう風に私が育てたもの。」
手に入れたいと望むなら、死を恐れるなと。
望みを叶えられるのなら命すら惜しくはないと。
そういう状況からしか見出せない活路がある、ということを叩き込んだ。
…その路がなければ私達は生き残れなかったから。
「さ、そろそろ姫様も頭が冷えた頃よ。お呼び出しが掛かるはず。」
丁度その時。
華凉の部屋から呼び鈴の音がする。
可笑しそうな表情の黄蟻と、対照的に顔を顰める蒼月。
「全く。だから貴女達は面倒なんだ。」
「そうでしょう?貴方程度で太刀打ちできるとは思わないこと。」
姫様でさえ今回はギリギリ及第点ね。
黄蟻は廊下を真っ直ぐに歩いていく。
行き先は華凉の部屋。
彼女は今頃思い付いただろう。
誰を頼るべきか。
「戦いを知るものと、知らないものの差を思い知らせましょう。」
ねえ、陶家御当主。
ーーーーー
「随分と狼狽えたようだな。」
「申し訳ございません。もう二度は御座いませんわ。」
当主の部屋に訪いを告げると程なくして入室を許可される。
厳しい顔をした父様に深く低頭する。
「何について迷っている?」
「戦は数多の不確定要素がある。どうしても次が読みきれないのです。」
私は次期当主。
ゆくゆくは伴侶を得て、当主夫人となる身だ。
私が守るのはこの家と、将軍位を持つ者としての義務であるこの領地、そして国。
そこに彼を含めてはいけない。それなのに私は彼を失うことを恐れて、彼のために戦を起こさせないことに注力してきた。だから実際に戦が起こってしまうと手が足りずに狼狽える。
でも違うのだ。
彼に他国で手柄を立てさせ伴侶とするつもりなら私は関与すべきではない。
手柄は私の力ではなく彼だけの力で立てるべきもの。
信じると、決めたのだ。
「覚悟を決めたようだな。」
「はい。彼のことは助けません。」
父様は全て知っているのだろう。
知っていて、自ら手を打つことなく私を試した。
易々と陶の名を継げると思うな。
それは父様なりの優しさ。
再び深く低頭する。
暫しの沈黙の後に父様の小さく息を吐き出す音が響いた。
「あんまり心配させないでくれ。」
「申し訳ございません。認識を誤っておりました。」
普段は見せない厳しい表情と声に父の覚悟の程が伺える。
もし私が彼のために手を尽くしたら、もしくは力を借りたいと申し出たら。
…私は陶家における全ての権限を奪われていただろう。
家を守れぬものが、国を守れるわけがない。
「それで、何を知りたい?」
「当主として、父様が打つ手を教えていただきたいのです。」
経験は知識としてその人間のなかでひとつの形を作り、その知識は意図せずとも思考に作用し、策として昇華される。
父様は陶家当主として陰ながら南陵関の戦いを補佐してきた。
その父ならば私に見えないものが見えるはず。
顔を上げ真っ直ぐに見つめ返したところで、扉を叩く音がした。
独特のリズムを刻むこの音は…母様だ。
「難しいお話の前に少々お茶の時間にしましょうか?」
珍しく強引に入室する母様。
父様の渋い顔を横目に自らお茶を入れてくれる。
茶器が行き渡ったところで…なんと普段温厚なはずの母様が、父様を軽く睨んだ。
「いい加減に諦めなさいませ。いくら娘が可愛いからって一緒に隠居しよう、とかどんな了見していらっしゃいますの?
認めませんよ、そんなこと。」
「…はい?母様?」
「今回の件、元から貴女には経験値が足りないの。戦に関わる案件は、例え当主を退いた身であっても経験あるものが陣頭に立つべき。実際にお父様も南陵関で戦が起こったときは陶家に関わりある方へ意見を伺いに足を運んだくらいだからそういうものなのよ。それを当主なのに『娘の成長を見守る』とかなんとか上手いこと誤魔化して直接関与するのを避けたのは、貴女が失態を犯した際、責任を取るという体で、陶家の所領へ一緒に連れて行って手元に置いておきたい、っていうお父様の我が儘のせい。
それに貴女は振り回されただけ。」
「…父様?」
「俺はそこまでは考えてなかったぞ?」
「では父様、どこまで考えていたのか教えてください。」
そっと視線が逸らされる
ほぼ当たりのようですね。
お母様、流石です。
「母様。それならばそうと教えて頂ければ、
こんな見苦しいお姿を見せずに済みましたものを。」
恨み言のひとつも漏れてしまうのは張りつめた緊張が解けたからだろうか。
母様は僅かに目を見開いた後、嬉しそうに口元を緩める。
「あら、甘えちゃって。うふふ、たまにはいいものね。
貴女しっかりしてるから母様はそんな姿が見られて嬉しいわ。」
伸ばされた手が頭を優しく撫でる。
ふわりと鼻を擽る香に、伝わる温もり。
存外に気持ちよくて、とりあえず大人しく撫でられておく。
一通り撫でて満足したのか、母様は私に視線を合わせる。
「だって貴女なら気付けると思っていたもの。
信じるとは、そういうことよ。」
全てに手を出すことが正しいとは限らない。
手を出さないことが信頼の証でもあるということ。
「ありがとうございます、母様。」
「いいのよ、それにあの子なら大丈夫。
私のお友達にも声をかけているから、そう悪いことにはならないでしょう。」
思わず目を見張る。
成安国にも伝があるのか。
母様のお知り合いを繋げれば簡単に地図が白い石で埋まりそうだ。
「わかった、ならば当主として伝えよう。」
父様の声に母と二人、視線を合わせる。
当主としての言葉は確実な情報であるということ。
さあ、その情報を元に再び自身に主導権を取り戻さなくては。
「先ず、お前の提言していた改良型の高速艇による運用、移動速度の向上と海路の開拓案、あれが承認された。事前に実験を繰り返し、ある程度安全性が確保されていたのが効を奏したな。それから併せて提出された海図、あれも非常に評判がよかった。鼓泰地方から成安国を繋ぐ海路の潮の流れ、海流の早い場所、浅く船の運行を妨げる岩礁の有無など記載された内容が実用的だったからだろうな。」
「提言を受け入れてくださり、ありがとうございます。」
「今回の戦にでは、このお前の案が転用された。ある程度の兵力を高速艇を使って移動させる。手配は董家当主が済ませた。なお、当主は兵とともに乗り込む予定だ。」
それはそうだろう。董家当主…兄は、成安国の護国の徴をもつ義姉の番。
番が国を守る姿を成安国の王族へ見せねばならない。
「いつ出発されるのですか?」
「もう出立している。」
「それでは…。」
「運のいいことに海に近い場所が戦場となる予定だ。開戦には間に合わずとも、早い段階で介入できる見通しだ。」
「承知しました。」
まずひとつ。
頭に思い描いた盤に、石を置く。
…癖だろうか。
止めようと思っていたのに。
「それから珀と欧両家の治める地、渓和。」
父様がニヤリと笑う。
「お前が熨斗をつけて劉尚様へ提出した、珀欧両家とランダールの内通の証、これが国による内偵の結果裏付けがとれた。これに伴い珀欧両家の当主は出頭を命ぜられている。今捕縛のために、隆輝様が南陵関より出兵されている頃だろう。」
僅かに息を吐く。
これでもうひとつ。
複雑な仕掛けではなくとも、手を離れた案件がこのように活かされるとは。
ランダールと成安国の隣国、広寧国。
恐らく二国は結託していたに違いない。
狙うは成安国と、我が苟絽鶲国。
この国の上層部は両国が同時に事を起こすタイミングを狙って同時に叩く方を選択した。気付いていない振りをして、二兎を得てしまおうとする貪欲さが劉尚様の持ち味とはいえ、今回は心臓に悪い。
不測の事態が起これば全てが逆転するかもしれない。
…ああ、その不測の事態が起こらぬように手を回すのが今後の私の仕事と言うわけですか。
「私、今回は上手いこと利用されましたのね。」
「お前が動くと目立つからな。あえて情報を制限した。」
私が珀、欧両家を見張るように、相手も私を偵察している。
私が動かなければ国にも気付かれてはいない、そう思わせるために利用されたのだろう。
父様の手がふわりと頭を撫でる。
「安心しろ。お前の打った手はきちんと活かされている。
今回はそれがきっと助けになるだろう。」
誰にとは言わないけれど、父様も彼のことを心配してくださっていたのだろう。ある程度型を完成させていた黄蟻と違い、引き取られた時の緋葉は全く型に染まってはいなかった。何にも染まっていない、武の才を持つ者。それ故に武人でもある父様に厳しく鍛えられた。それは愛弟子と言っても良いほど。
…彼を心配でないわけはないのに。
信頼故に沈黙を貫いた父。
それもまた、覚悟のひとつなのだろう。
「お前は青い鳥と呼ばれ人を集めることで、人を繋ぎ活かす者。戦に関わる駆け引きはお前の力が十分に活かされない分野なのだよ。そういう雑事はお前の伴侶となるものに任せておけばよい。」
「では彼を認めて頂けますか?父様。」
「それは、認めん。」
「…。」
唇を噛む。
私が認識の誤りを招いたことが尾を引いているのだろうか?
だとすれば、私にはどんな打つ手が残っているのだろう。
ここで諦める訳にはいかない。
彼は私が手に入れると決めたのだから。
そんな私の様子を見て、父様がひとつ溜め息をついた。
「まだ認めんぞ。
ちゃんと俺を満足させる手柄を上げてきてからだ。」
もう、父様ったら。
その言葉に、思わず笑みが溢れる。
「ええ、お任せくださいませ。彼は必ず約定を果たします。そういう人ですから。」
「お前もこれからが大変なのだぞ。」
「はい、心得ております。」
私も恐らくは試される。
次期当主として、更にはその後に待つ当主夫人の役割も果たすことができるか。
でも、その先に未来が続くと言うのなら、打つ手がある限り諦めることはないだろう。
それが私が青い鳥と呼ばれるまでに吉事を引き寄せてきた所以。
父様と母様が互いを見つめ合い、幸せそうに笑う。
こんなに性格の違う二人が未だに相思相愛なのだから夫婦とは不思議なものね。
それにしても。
「父様。今回の件、忘れませんわよ。」
愛情故の厳しさだということはわかっている。
…でもこの歳で隠居なんて。
正直、暫くは口をききたくない。
つんと横を向く。
「か、かりょ?」
「助けませんわよ?旦那様。自業自得です。」
茶器を片付けつつ、冷たく言い放つお母様。
よし、ダメージ二倍。
「母様、半分私がお持ちしますわ。」
「あら。じゃあ、このまま一緒にお片付けしましょう?」
「ええもちろんですわ。母様のこと大好きですから!!」
「な、な…。」
「では旦那様、失礼しますわね。」
ガラリ。
ピッシャン!!
お母様と茶器を下げつつ、扉を隙間なくきっちりと閉める。
…このまま糊で貼り付けておこうかしら?
廊下を歩きながら、お母様が面白そうに笑う。
『暫くは使い物にならない』ですか?
でも問題ないかと思いますよ?
だって後は私が差配しますもの。
喧騒の先に、波の音が聞こえる。
波の音の先には海が広がり、その先にある大地に貴方はいる。
貴方の帰る場所は私が守ります。
だから無事に戻ってきて。
私の、最愛の人。
もう一話、続きます。




