赤い鳥の抵抗
陶家の催す宴の席で、招待客の一人が華凉の髪を見ながら言った。
「漆黒の髪は月の光で輝くと、透けて青く見えるのね。」
だから、青い鳥に相応しい、と。
彼をよく見れば、狼ではなく普通の人間であったけれど。
一瞬雲の切れ間に見えた逆立つ黒い髪は、確かに透けて青く見えた。
「酒の飲み過ぎだな。見苦しいにも程がある。本日は帝とも縁の深い楊公の宴、まさかこの程度の輩が紛れ込んでいるとはな。」
さて名を聞こうか、彼の言葉に男達はニヤニヤ嘲笑いながらいう。
「我らは先帝の第一妃、珱夫人の生家である紫家の者。その我らに楯突くとはな、命が惜しくないと見える。命乞いするなら慈悲だ、聞くだけ聞いてやろう。」
なるほど、彼らがこれだけ強気に出るに足る理由があるということね。
古来、『紫は青と赤より生ず』とされている。
故に『紫』姓は青がつかないが、紫は青に通じるとして位の高い家を表していた。
また、紫家の次期当主は頭の切れる男として、次代宰相としての呼び声も高い。
ならばその家に繋がるものとして、図に乗るのも致し方がないというところか。
ところが。
「…鄭舜の一門か。彼奴も存外脇が甘い。」
「なっ!鄭舜様を呼び捨てるとは無礼な!お前、命が惜しくないのか!」
ため息をつきながら言い放った彼の言葉に場の空気が凍りつく。
はらはらしながら眺めるしかない桂花を一瞥すると、彼は男達に向かい名を告げた。
「青。」
「は?」
「青隆輝。帝より将軍位を賜り、南陵関で指揮を任されている。」
『青』はこの国で帝に連なる直系の子孫が賜り、姓として名乗ることを許される。
現在、青の姓をもつ者は一人しかいない。
「まさか、弟君…」
確かに今上帝には弟が一人おり、先帝の退位に伴い臣下に降るとの勅が発せられた。
その際に、姓として『青』を賜るとも。
「さて、命がどうとか言っていたな。こちらは命の遣り取りには慣れている。遠慮無く受けて立とう…と普段なら言うところだが、鄭舜の体面もあるしな。」
隆輝は暗がりから一歩前にでる。
「失せろ。」
彼の青みがかっている銀色の瞳がひたと男達を見つめる。
まさに狼が獲物に狙いを定めた風情だ。
男達に先程までの勢いはすでになく、血の気の失せた顔で何やら言い訳をしながら足早に立ち去っていく。
そして、後には桂花と隆輝が残された。
「…大変お見苦しい所をお見せいたしました。」
「貴女は悪くないだろう?それに、彼らの事は心配いらない。今日あった事は正しく鄭舜に伝えておく。」
先ずは失礼をお詫びしなければ。
桂花は臣下としての礼をとり、謝罪した。
少しだけ柔らかい表情になった隆輝からそう告げられ、失礼にならないよう発言の許しを得たところで、先程から気になっていたことを確認する。
「どこのあたりから話をお聞きになられていたのですか?」
正しく伝えるという発言が出るあたり、だいぶ前から遣り取りを聞かれていたのではないかと予想したのだが。
「うん?ああ、あいつらが月明かりの下でお話をと、話を振ったあたりかな?」
「…ほとんど最初からお聞きでしたのね。」
正直、なんでもっと早く助けに入ってくれなかったのか不思議な位だ。
人を呼んできてくれるだけでもよかったのに。
そうすれば、紫の家との間に無用なわだかまりを残すことなく、事は丸く収まったかもしれない。
「手を掴まれたのはいただけないが、あの程度の腕なら自力でなんとか出来ただろう?」
面白そうな表情でニヤリと笑う隆輝に対し、桂花は扇子で表情を隠しながら視線を外らす。
この人は何処まで知ってるのだろう。
確かに彼女はあの程度なら問題なく対処できただろう、物理的に。
『武術を学びたい』という彼女に対し、家族はたしなめるどころか逆に面白がり教師をつけ本格的に学ばせた。結果、体術と剣術の腕前は教師陣のお墨付きである。
そう、じゃじゃ馬の称号は伊達ではないのだ。
「それに貴女と話をしようと一人になるタイミングをはかっていたからな、桂花殿。」
「私、でございますか?」
「貴女に頼みたいことがあるのだ。」
訝しい顔で問う桂花に対し、隆輝は表情を改めて言う。
ああ、またこのパターンか、と正直思った。
桂花を経由し、父に華凉と面会する許しを得る。
どこでどう漏れたのか、桂花の頼みを父が断らないことは有名らしい。
「…承りましたわ。華凉も今夜私が青家御当主に助けられたことを伝えれば、嫌とは申しませんでしょう。」
「華凉殿?ああ、貴方の妹君が?」
…なんででしょう?無性に腹が立つわ!
「青家御当主。宜しければ南陵関に戻る前に当家へおいでくださいませ。本日のお礼と共に、ご紹介しますわ。」
「…隆輝だ。」
「はい?」
「貴女には名を呼んでもらいたい。」
「?すでにご予定がおありになるなら、日を改めますが…。」
「…あ、いや、招待は喜んで受けるが。」
よほど華凉にご執心のようだ。
端正な顔には喜びの表情が浮かんでいた。
なんだか面白くないわね。
いつもとはどこか違う自分自身に、とまどう。
華凉ではなく、私を。
なんて浅ましい願い。
誰を選ぶかなど、選ぶ人間の自由でなくてはならないのに。
こんなの、いつものことじゃない。
浮かびかけた醜い思考を笑顔に隠して捻じ伏せる。
これ以上、自分の情けない姿を知りたくないわ。
速やかに退出しようと礼をとり、その場を離れる許しを得ようとする。
「それでは、父に話を通したうえで、改めてご都合をお伺いいたします。」
「貴女は。」
「はい?」
礼の体勢から隆輝に声をかけられ、顔を上げると、思ったより近くに隆輝の顔があって驚く。
青みがかっている灰色の瞳は、暗い闇のなかでもわかるほど強い光を宿していた。
それは無条件に囚われてしまうほど、強く、どこまでも澄んで…。
自分の存在の価値を知り、道を誤ることなく与えられた使命を全うした人。
誰かに拒絶されるなんて、微塵も想像していないに違いない。
こんな人、知らない。
初めて、人を怖いと思った。
心の有り様を現すように桂花の結い上げた髪がふわりと揺れる。
「私は…。」
「…桂花殿?」
「私、もうこれ以上青に囚われるのは嫌なんですの。失礼いたします。」
どうせ選ばれないのなら、印象なんてどんな類のものだろうと同じだわ。
早口に告げ、振り返らず、足早にその場を離れる。
呼ぶ声は聞こえたが迂闊に振り向けば、そのまま何もかも奪われそうな、そんな恐怖に。
あの方には関わりたくないと、何故かそう思ってしまった。
遅くなりました。