極楽鳥と玻璃の器(前編)
「しまった、道に迷ったわ。」
ここは成安国にある海南地方。
その名の通りこの領地は海に隣接した場所にあり、交易の盛んな土地とされる。
領地の視察に訪れた父の付き添いで初めてこの地を訪れた。
『 海を見て感動した』っていう言葉は言い訳になるかしらね。
今回はお忍びの要素も強いから護衛も最小限だし、彼らは王である父を護るためにほぼ出払っている。そのため、自分につけられた護衛は二名と聞いていた。
一人は普段から護衛についてくれる近衛の者。
そして、もう一人は。
「"極楽鳥"、ね。」
この大層な二つ名を持つ者は、今回の視察に際し急遽借り受けた助っ人だという。助っ人に国王の娘の護衛を頼むというのは微妙な気もするが、次期国王となる予定の優秀な兄と、美姫として名高く教養深い姉、そして超絶かわいいけれど二人揃えばやんちゃに拍車がかかる双子の弟が居れば割ける人手などたかが知れている。そんなわけで兄姉弟達と比べ容姿性格ともに比較的大人しい方に分類される私は、大して期待もされず、構われることも余りなく、逆にのびのび育つことが出来た。それが父母にとって新たな頭痛のタネとなりつつあるらしいが、そんなこと今更言われたって困る。
そんな私をどうにかしようとしたのか、父が珍しく視察先へと連れ出した。人気のある兄や姉ではないことに落胆の色を見せる領館の職員達へ微妙な笑顔を振り撒きつつ、一通りの式典をこなす。その後、偉い方々を引き連れ、張り切って視察へと出掛ける父を見送りようやくお役御免となった。そしてこれ幸いと護衛をつれて領地の繁華街へと遊びにきたのだが。
「『お供します!』って答えた割りに、あっさり見失うってどういうことよ?」
そもそもあの護衛、頼りになったかしらかしら。
記憶をたどれば、わんこ系の人当たりのよさそうな笑顔だけが浮かんでくる。
…あれはダメね、自力で何とかするのよ。
そうして頑張った結果。
初めての土地で見事に道に迷って現在の状況に至るというわけだ。
さてどうするか。
正直お腹が空いてきた。
お小遣い程度だけど小銭を持ってきて良かったわ。
…でも食事って一体何処で食べられるのかしら。
「ぼやぼやするな!!ぶつかるぞ!」
さすがは領一番の繁華街。
ちょっと立ち止まっただけだというのに、荷を積んだ馬車にぶつかりそうになった。
「危ない!」
男性の声が聞こえたと同時に手を引かれ、軽く引き寄せられる。
あら、この声何処かで…。
導かれるまま邪魔にならないように脇に避けたところで相手を確認する。
「あら。貴方、唐紅堂の。」
「はい、店主のターイルです。緊急時とはいえ、ご無礼を致しました。」
引き寄せられる時に軽く捕まれた腕が自由になる。
彼は侍女達がなんでも揃うと贔屓にしている貸本屋の主人だ。これでも一応姫と呼ばれる存在であるが故、直接話をするのは初めて。
茶の髪に、茶の瞳。珍しくもない色の組み合わせは、人当たりの良い対応や柔らかい表情と相まって、対するものに安定感や安心感を抱かせる。
まさに商人として恵まれた容姿とでも言うべきか。場所が場所だけにこちらの身分を明かさないように努めた配慮や臨機応変な対応も好感が持てるというもの。
ゆるりと下げた彼の頭に巻く布が揺れる。
彼の国では身分を表す印として頭に色の付いた布を巻くという。
彼の布は緋…この国で一般的な赤色よりも一段濃い色だ。
まさに異国の色。
この緋色は商人階級の証だという。
そもそも、たかが貸本屋の一店主を姫と呼ばれる自分が何故知り得るのか?それは彼が本当に欲しいと思う本を手に入れてくるからだ。こちらの好みのツボを押さえるのが上手とでも言うべきか。こんなことを言っている自分もターイルの来る日を心待ちにしていて、過去二、三度必要な専門書の仕入れを特別に依頼したほど。
ゆくゆくはその才覚を生かして彼の店でも持つつもりなのだろう。
その時に、城への出入りがあり常連客がいたという事実は商いをする上で強力な武器となる。先々代の王が国内の商業の発展のため御用達とされる出入りの商人とは別に、こういった下々のための雑貨を扱う業者は身分さえはっきりとしたものであれば城の限られた区画での商いすることを自由と定めたからだ。その代わり、決して安くはない登録料を払うことになる。この登録料を差し引いてでも利益を上げるとなれば必然的に目端の利く商才ある者のみが残る仕掛けだ。つまり激しい競争を勝ち抜いた商人の卵というべき存在が彼であるということ。
「こんな所でお会いするなど、奇遇ですわね?」
ターイルに向かってにこやかに微笑む。
絶対に目は笑っていない自信があるけれど。
笑顔の裏、まるで心中を読ませない彼の表情を見て逆に疑念がわく。
何故こんなところへタイミング良く現れたのかしら?
「私も驚きました…どうされたんですか?
こんな治安の良くない場所を供も付けずに歩き回るなど。」
…まあ、もっともな質問よね。
膨らんだ疑念が瞬く間に萎んでいく。
そもそも、この場所に私がいること自体が異常なのだ。それに今回の視察の日程や当日の担当者は出発直前になって決まったというし、私が同行することも急遽決まったと聞いた。毎日顔を出す出入りの商人ならともかく、月一程度顔を見せるだけの貸本屋の主人が事前に知りようがないものね。
「ええと…ちょっと道に迷ってしまって。」
「そうですか、それは大変でしたね。」
見知った顔を見て、安心したからだろうか。
お腹の虫がきゅうと鳴く。
は、恥ずかしいわ…。
鳴き声が聞こえたようで彼の口元が緩む。
「あの店の包子はなかなか美味しいですよ。」
世間話の続きのように、彼女を通りの向かいにある食事処のテーブルへと案内する。
包子は米の皮で肉や煮た野菜を包んで蒸したもの。
小振りの包子を何種類かお任せで注文し、その他に簡単に摘まめるものを頼んだ。
程なくしてテーブルに料理が運ばれてくる。
出来立ての包子の素朴な味わいに思わず頬が緩む。
「美味しい…。」
「喜んで頂けたようで良かったです。」
ターイルが茶器を傾けながら笑みを浮かべる。
その瞬間に気がついた。
「嫌だわ、私ばかり食べてしまって。」
「私は先程食事を済ましてきたところですから気にしないでください。それに、女性が美味しそうに食べる姿はとても幸せそうで良いと思いますけど?」
真剣にそう言われてしまうと、折角のご好意に甘えてもいいかな?と思ってしまう。
まあいいわ、こんな機会は二度とないでしょうし。
ならば残さず食べてしまおう。
食事が済んだところで、彼から今後の予定を聞かれた。
ここで宿に帰ることを選択することが正解なんでしょうけれど。
どうせだしと思って、一つお願い事をしてみた。
「海が見たいのよ。」
「この通りからも海が見えますが?」
「もっと近くで、海しかみえないような場所に行ってみたいの。
貴方、いい場所知らない?」
「うーん、わかりませんが…聞いてきましょう。」
そう言って席を立つと店員に何かを尋ねているようだ。
店員は手振り身ぶりであちこち指差している。
やがて彼は戻って来ると少し残念そうな表情で言った。
「歩いて行ける距離にはそのような場所はないようですね。ですが景色が美しいと地元では評判になっている場所があるそうなんですがそこへ行ってみますか?」
「いいわね!!行ってみたいわ。」
やがて店を出て歩くこと十分程で辿り着いたのは白い砂浜に波が打ち寄せる小さな入り江だった。
「まあ、きれいね!!砂と海の青が重なって織物みたい!!」
「喜んで頂けたようで良かったです。」
暫し二人無言のままに散策する。
もう宿に戻らなくてはいけないと思いつつも居心地の良さについ甘えてしまう。
「もう少し、歩かれますか?」
ターイルはそんな私の甘えに付き合ってくれただけ。
一つ溜め息をつくと、緩く首を振る。
「もう戻らなくてはいけないわ。我儘に付き合わせてごめんなさ…」
「「あそこだ、行け!!」」
突然聞こえた男達の声に硬直する。
やがて砂を巻き上げて走り寄る男達の姿が見えた。
「な、何が起きたの?」
「わかりませんが…一先ず逃げましょう。」
ターイルは背負っていた荷を捨て、私を抱き上げるとそのまま砂浜から一気に道の方まで駆け戻り、そのまま路地裏へと逃げ込む。
狭い路地裏を巧みに走り、時に人様の家の軒下を通り抜け、更には物陰へと身を踊らせる。
…鮮やかな逃げっぷりだわね。
戦闘能力皆無の私を庇いつつ、あの人数を相手にするのは骨が折れるでしょうけど、余りにも逃げ慣れているのではなくて?
だがそのスキルに助けられたようで、気がつけば追ってきた男達の姿は消えていた。
「今のは誰なんでしょうか?」
心底不思議そうに尋ねてくるけど、もう騙されないわよ。
「そうね、それも気になるけど。…貴方こそ、何者なの?」
「私ですか?私は唐紅堂の…。」
「嘘ね。余りにも逃げ慣れているもの。」
「それは商人なら金を持っていると思われ、盗賊に狙われることが多いからで、そのために逃げ回ることがあるからですよ。」
「あら、そうなの。それで本当の理由は何?」
そういった瞬間に。
彼の笑みが深まる。
やっぱりただの貸本屋ではなかったみたいね。
内緒ですよ、と言って彼は耳元に唇を寄せる。
「今回、貴女の警護を頼まれました。」
「もしかして、あの大層な二つ名の…。」
それを聞いて彼は盛大に顔を顰める。
「あれだけ言うなと伝えたのに…。」
「ええと?ごめんなさい?」
「いえ、貴女がではなくですね。
いや、もういいです、二つ名ごと忘れてください。」
そんなに嫌なのかしら?
「変わってるけど、かっこいいと思うわよ?」
そう伝えたら、ちょっと目を見開いて驚く表情を見せた後、『面白い方ですね』と言ってふわりと笑った。
うん、その笑顔の方が作った笑顔よりも格段に素敵だわ。
「さて、どうしましょうか?」
「ねえ、聞いてもいい?」
「はい、答えられる範囲であれば。」
「私って、いつから狙われてるの?」
「…お気付きでしたか。」
溜め息をつく。
やっぱりね。巧妙に仕掛けてきたつもりだけど。
場所を変えましょう、そう言って連れてこられたのは小さな書店の二階。彼は仕入れの時にここを毎回宿として借りているという。
「この国は基本、王族は政治に余り関与しない。もちろん重要なお触れ等は王の名のもとに出されるけれど、それはあくまでも名を借りるだけ。実質、大きく分けて文官と武官がそれぞれ政務部、軍事部を仕切ってきた。だがこのバランスが崩れようとしている。」
軍部の増長。
それは他国への脅威に繋がる。
「私の主は、国同士友好関係を築いていきたいと願っている。そして貴女のお父上もだ。そこでこの地で両国は友好条約を結び、経済と文化の面から両国を発展させようと試みた。」
「それを軍部が反対しているのよね。」
「そう、軍部は軍備を増強させる理由に『他国の脅威』を挙げている。これがもし条約が結ばれ国同士の積極的な交流に繋がってしまっては軍部としては面白くない展開だ。最悪、軍の存続すら危うくなってしまう。」
「愚かな人達…そんなことになるわけがないのに。国が豊かになれば他国から領土を狙われる。その時に武官の力が必要で、そのための軍部ではないの。先ず国を富ませ、その富で身を守る準備をする。両者の力は等しく必要で、どちらかが欠けることはあり得ない。そのバランスをとるために王がいるのでしょう?」
「さすがですね。」
「お世辞はいいわ。それで私は何で狙われているの?」
「貴女がその切り札なんだ。」
「切り札?」
「貴女の父上は友好の証として我が国に貴女を嫁がせるつもりなんですよ。」
「それは王に、ということ?」
「恐らくですが。」
あんの、狸親父。視察と見せかけて、しらっとお見合い設定しようとしたわね!!とはいえ、王族に生まれれば政略結婚は義務だ。文句も苦情も言う筋合いはないが。
「そのせいで命を狙われるとはね。」
「命までは取らないと思いますよ?王家で貴女だけ、女性にして婚約者が決まっていない。だから捕らえて軍部の誰かと無理矢理関係を結ばせ、結婚。男性王族を始末し、姉君はすでに決まった婚約者のいる他国へ速やかに嫁へと出して王家を乗っとるなんて筋書きぐらいは考えていそうですけど。軍部からしても、貴方は利用価値が十分にあるんですよ。」
今度は貞操の危機?!それどころか家族の命の危機ってどう言うことよ!!
道理で私の護衛が少ない訳よね。少なくとも私は殺されない可能性の方が高いけれど父や兄、弟達は命を狙われてるもの。
それにしても…いくらなんでも護衛が少なすぎよね。だって二人よ、二人。うっかり拐われたり、間違って命を落としたらどうするのよ?
ということは。
「わざと狙わせてるのね。」
「それは結果論ですよ。ご両親は最後まで渋っていましたし。」
「貴方、私の父母に会ってるの?」
「間接的にですが。そもそも貴女の護衛が少なくなったのは、誰が軍部の間者なのか明確に判明しなかったからです。貴女に付ける護衛の中に間者が複数名混じってしまう可能性がありましたからね。だから対外的に王が命じたものが一名、極秘に関係者枠として私が選ばれました。」
「何となく状況はわかったわ。それで、予定ではこの後どうするの?」
「逃げます。」
「は?」
「捕まらないことに専念します。」
「ちょっと、戦うとかしないの?」
「しませんよ。私、腕っぷしはからきしなので。」
ターイルはヒラヒラと手を振り笑い飛ばす。
どうして私の周りにはこんな頼りないのしか集まってこないのよ!!
「そろそろかな?」
「何を?」
店の外の様子を窺ってから、ターイルは私を連れて外に出る。
路地裏を注意深く進みやがて物陰にで立ち止まると振り向いて言った。
「姫様、ちょっと体を動かしませんか?」
「体を動かす?」
「絶対に捕まったらダメですよ。
さあ、鬼ごっことかくれんぼの始まりですよ!!」
そこから先はあんまり覚えていない。
時々湧いてくる敵とおぼしき男達の追跡をかわし、
ただ指示の通り走り隠れ、気が付けば夕刻になっていた。
「もう無理よ…。」
「はい、お疲れさまでした。
調印式も終わったようですから、これで私も姫様もお役御免です。」
「あら、お見合いは?」
「実はこちらにも事情がありまして。
貴女と王をお見合いさせるわけにはいかなかったんですよ。」
「大丈夫なの?それ。」
「独断ではありませんし、主は知っていることですから。」
「それならいいけど。」
「ああ、そろそろお迎えがくる頃…。」
そこでピタリとターイルは動きを止める。
向かってくるのは兵装をした複数の男達。
鎧の紋章は我が国の物だけど…明らかに纏う雰囲気がおかしい。
「違う。」
「え?」
「迎えにくるのは女性のはずだ。」
再び兵装の男達に視線を向けると、見知った顔が一つあった。
いつも護衛につく、わんこ系の男。
だが今は別人のように表情が険しい。
「彼が本命でしたか。」
なんてこと。
彼はいつも私の側にいて、無害な顔をして。
悪意を心に秘めたままその機会を狙っていたのか。
「貴女と同じですよ、姫様。」
ニヤリと笑って男が口を開く。
「貴女だって無害な顔をして、大人しい振りをして。散々我々の計画に横槍を入れてくれた。ただ偉そうにふんぞり返るだけの王族など、大人しく我々の言うことに従っておればよいのに。我々こそこの国の民に必要な存在なのだ。」
「だからその思想からしておかしいのよ。貴方達の願う通りになって誰が得するのよ。軍の上層部、お偉方だけでしょう?そこに民に対する政策があって?他国へ侵略する予算はどうするのよ?第一、他国を敵に回せば我が国は孤立する。その状態で他国同士が手を組んだらどうするのよ?一気に攻められて国は終わるわ。」
「…うるさい!ただ着飾られてるだけのお人形が余計なことを。」
「着飾っているだけではありませんよ?」
終わらない言葉の応酬に、ターイルが楔を打ち込む。
場違いなほど口調が穏やかなだけに、その効果は絶大だった。
皆が毒気を抜かれ、場は一瞬にして静まり返る。
「黄蟻。」
その一瞬の隙をついて彼の口から溢れたのはこんな言葉だった。
一話に纏めきれなくて、二話に分かれます。
お楽しみいただけると嬉しいです。




