宴の前夜
戦闘シーンに、流血表現が含まれます。
また物語の進行上、揶揄するような表現もありますので苦手なかたは読み飛ばしてください。
「そちらの様子は?」
「まだ揃いません。個別に対処されますか?」
「いや、この距離なら同時がいい。煌達に伝えろ。そちらの突入に合わせる、と。」
「承知いたしました。」
するりと闇に消えていく赤い瞳。
愛刀を手に隆輝は館の様子を窺う。
軽い装備しかつけていないが、今回の人数ならこれで十分。
青家として協力することに決めた隆輝は戦場で繋がった縁を使い部下を数名呼び出した。
更に紫家、陶家からそれぞれ5名。
僅かに、館の方向から人のうごめく気配がする。
神経をそちらに向けたとき、間合いの中で自分に触れようとするものがいることに気づいた。
「…やるじゃないか。」
「あら、バレてしまいましたわね。」
仄かに花の香りがして、華奢な腕が隆輝の腰に回される。
「兄様と華凉と、随分楽しそうなことをされてますわね。
仲間外れは寂しいですわ。私も混ぜてくださいませ。」
「…なんでここにいるんだ?桂花。」
「『お前には、バレないように手を尽くしたのに。』ですか?」
淑女と呼ぶに相応しい柔らかな声で笑う。
「華凉がね、かつてないほど、そわそわしていましたの。
大体ああいう態度の時は私に内緒で何か策を巡らせてるときなんです。だから。」
洗いざらい吐かせてきました。
艶やかに微笑んだ表情を見て、隆輝は悟った。
桂花に悪巧みがバレてないと思ってるのは兄妹だけなんだなあ、と。
まあ、自分の知らない場所で戦闘行為されるよりはマシか。
「あそこに陶家と因縁の深い相手がいる。」
「…紅家の残党、ですか?」
「ご名答。」
陶家が国に尽くす切っ掛けとなった事件。
『紅家の乱』。
元々乱立していた力ある家を取り纏め、国としたのが現在の帝の血筋。
その体制に反抗し、他家より頭一つ抜けていた紅家の当主が反旗を翻した。
一時は勢力を拡大し、時の政権を苦しめたが、陶家当主と嫁(仮)の参戦により一気に形勢は逆転、当主含め中心的な存在のものはあらかた捕らえられ処刑された。
その時から続く紅家との確執、恨み辛みを一身に背負っているのが陶家、というわけだ。
「残党が…ああ、婚姻の宴に目をつけたのですか。」
華凉がずば抜けて人の裏を読むのに長けているだけで、桂花が疎いというわけではない。
ただ桂花の場合は『そういうのめんどくさいからやらない』、それだけだ。
「あちらが人を集めているのは気付いていたが、本気で宴にぶつけてくるほど愚かだということは予想外だったがな。それでも丁度いい機会だから大掃除をすることになった。」
「もう、そんなに楽しそうなお話をどうして隠してたのかしら!
父様も兄様も『宴の準備だ』としか教えてくださらないんだもの。」
「いくら人手が欲しいとはいえ、宴の前に怪我をするような真似をさせられる訳がないだろう。花嫁として着飾るのに顔でも傷付いたらどうする。」
桂花は隆輝の腰から腕を離して、彼の隣に並ぶ。
「あら。我が家の後始末に旦那様が参加されるのに、のうのうとしている方が不本意ですわ。」
「後始末って、いつ気付いて…というか、お前、その格好…。」
「可笑しいですか?殿方の服装の方が動きやすいんですもの。」
桂花が自分と大差ない格好でいることに気が付いて隆輝は目を見張る。
いつものような弾力性のある細い剣ではなく、屋内で振ることを前提に作られた長さが短く軽い剣を腰に差し、長い髪は後ろで一つに縛っている。
元々中性的な体型をしている桂花が男の服装をすると、逆に胸や腰の辺りが強調されて妙に艶かしい。
しかも衣装に随分と着古したようすが見られることから、彼女がこの格好をしたことが一度や二度ではないことが窺える。
今後は自分のいるときにしか許可しない、そう決めた。
ふと、戦場で駆け引きの基礎から教えてくれた元上司の言葉を思い出す。
「『戦場に女子は不用』…激しく同意するな。
これは集中するまでに時間が掛かりそうだ。」
こちらを向いて不思議そうに首を傾げる彼女へ、微妙な表情を向けてから館へと再び目を向ける。
そんな隆輝に今度は桂花から声がかかる。
「それよりも主役である隆輝さまに怪我をさせるかもしれないことの方が面倒く…心苦しいですわ。」
微妙に本音が漏れた気がするが、そんなことよりも。
「お前は、俺が誰かわかって言っているのか?」
桂花は安心したような、年相応の笑顔を見せる。
まあ緊張するなと言う方が無理だよな。
少しだけ、触れておくか。
そう思って頬に手を伸ばしたとき。
上空に、突入の合図である大輪の花火があがった。
ーーーーーー
「お前は、俺が誰かわかって言っているのか?」
いつの間にかこんな表情をするようになったのね。
かつて見た何かを恐れるような少年の表情が目に浮かぶ。
それが今、このように背を預け共に戦うことが出来るなんて。
これ以上ないほど、幸せだわ。
「油断するな。」
怜悧にして剛胆。
隆輝の太刀筋はこう表現される。
地に伏す狼が獲物を狙うかのように一気に間合いを詰める。
軽く刀を一振りして隆輝が相手の急所を切り裂くと、血が花びらのように空中を舞う。
「もちろんです。」
桂花は速度を上げ、自らの前に飛び出してきた相手を二人、三人と鮮やかに切り伏せる。
暗黙のうちに今回の意図は読めていた。
一人残らず狩ること。これ以上の禍根を遺さぬように。
やがて追い詰められていた紅家の残党は、館の奥へ奥へと逃げ込んでいく。残党を含め急遽雇われたと思われる、ならず者の集団を狩り尽くした後に。
ひときわ豪奢な扉が開く。
「よくここまでたどり着けたな。
その程度の実力はあったということか。帝の狗の分際で。」
「…やはり、こちらの館が正解か。」
公の場を逐われた紅家の残党を徒党足らしめたもの。
それは歴代当主の持つ圧倒的な武の力故。
紅魁融。
紅魁雅。
先代が亡くなり跡を継いだばかりの、若き兄弟こそが抵抗を続けた紅家最後の希望。
元々紅家は武に優れた人物が多いとされる。その中でも指折りの実力を持つとされているのがこの二人。彼らは圧倒的な武の力で若者を惹きつけ党として纏め上げていた。
魁融の視線が桂花に向く。
「これはこれは!誰かと思えば陶家の赤跳馬じゃないか!男の成りをして勇ましいものだな。しかしこのように、か弱い女を戦場に駆り出すほど陶家は人材が不足しているとは…何とも嘆かわしいことよ。」
口元に嘲笑を浮かべながら隣に立つ魁雅へと視線を向ける。
「そう思わんか?」
「そんなことはどうでもいい。裏切り者には凄惨な死を。
でなければ我らの先祖が浮かばれぬ。」
「その通りだ。…さて、先ずはそこの男共を血祭りに上げよう。
ここまで来れたのだ、そこそこ楽しめると思うぞ。
女は最後でいい。しっかりと可愛がってやるから楽しみにしていろよ?」
嫌らしい笑いを浮かべる二人を見て、隆輝のこめかみの辺りにくっきりと青筋が立つ。
うわー、この人達、跡形も残らないんじゃないだろうか?
戦場で部下だったという人達の方をちらりと確認してみる。
青ざめた表情でコクコクしているのが見えた。
そうか、間違いないか。
膨れ上がった隆輝の殺気に、魁融、魁雅の二人が二本で一対となる刀を抜く。
名刀『双牙』。
紅家に代々伝わるという秘宝。
これを持つものが紅家の正統な後継とされる由緒正しきもの。
剣を天に掲げ、二人が高らかに宣言する。
「この刀で陶家の血を絶つことこそ我らの正義!」
「…器の小さいことだな。」
何の感情も籠らない隆輝の呟きがこぼれる。
一瞬にして静まり返る部屋の中。
今の言葉でその無表情、ものすごく冷たいですよ?
ではちょっとだけフォローを。
「…その台詞は余りにも憐れですわ。もう少しこう、優しく…そうです!老いた方の武勇伝を拝聴していると思えばどうでしょう?」
桂花の言葉で更に凍り付く室内。
あら、想定外だわ。
「お前はそいつらと一緒に部屋の外に出ていろ。この場は少々荒れる。」
「お一人で対処されますの?」
「それも一興だが、今回は止めておこう。手は余っているしな。」
そう言うと隆輝は人垣の向こうに声を掛ける。
「…緋葉。いるんだろう?出番だ。」
そう言うと、隆輝は桂花の鼻の先で扉を閉めた。
音をたてて扉が閉まる寸前、室内の様子が一瞬窺える。
赤茶色の髪をした男が隆輝の後ろに控えていた。
緋葉。
久しぶりに見たわ。
気配はいつも感じてたけど、姿を見たのは随分過去を振り返っても一度きり。
溜め息をついて嫌そうな表情を隠さないところがあの男らしい。
初めて華凉に連れられて挨拶をしに来たときと同じ表情だった。確かに外部へ顔を出すのは禁じているけれど、あの仏頂面だけは何とかならないかしら?
全くもう。
華凉が大好きで側にいたいからって、私が外出するときに溜め息をつくのはやめて欲しいのよね!隠れていたって聞こえるものは聞こえるんだから!
まあそれも、間もなく終わるけれど。
それを知ったとき、あの男がどんな表情を見せるか見ものだわ。
「絶対に教えてやらないんだから。」
にんまりと笑う桂花の顔は悪党よりも悪党らしい顔付きだったようで。
それを見た隆輝の部下の間では『青い狼が奥様の尻に敷かれるのは時間の問題』という認識が共有されたという。
さて一方、閉じられた扉の向こう側では。
「…なんだ、お前は。」
少し俯いた状態で隆輝の後ろに控える緋葉を、紅家の二人が訝しげに見つめる。
「何者かだとさ。緋葉。顔を見せてやれ。」
隆輝の視線を受けて、緋葉が面倒くさそうに顔を上げる。
家具を取り払ったお陰で広さだけは十分にある室内を煌々と照らす明かりに瞳の色が露になる。
その途端に。
紅家の二人が眼を見開く。
「「猩々緋…だと。」」
古来より、巷では黒みがかった緋色のことを伝説上の生き物になぞらえ"猩々緋色"と呼んでいた。だが紅家の場合はもう一つ、別の意味合いを持つ。
かつて紅家の始祖が持っていたとされる猩々緋色の瞳は、紅家に連なる者にのみ受け継がれ、始祖にあやかり武に優れた素質を持つ者の証とされた。
実際に武芸全般に秀でた者の多い紅家の中でも、歴代猩々緋の瞳を持つものは実力の格が違うと言われる。『技は血が伝えるもの』という始祖の言葉を血の濃さと受け取り、近親婚を繰り返した結果、皮肉なことに子供自体が産まれにくくなったという。近年猩々緋色の瞳を持つものが紅の血を受け継ぐものに産まれたという噂を聞かない。
それなのに。
今、目の前に立つ男の両目が揃って猩々緋色であることに、二人は愕然とした。
まさか、この自分達と同じくらいの年齢の男は。
「血の繋がりについて色々聞くのは今更だろう。これだけ色濃く紅家の特徴が出てるんだ。年齢からいっても先代から受け継いだんだろうな。つまり」
お前達は腹違いの兄弟、なんだよ。
「…そんな大切なこと、聞いてないぞ!」
魁融の叫びに隆起は淡々と答える。
「まあ俺が先代だとしてもお前達には絶対に言わないな。権力に固執するお前達に知られて無事でいられるとは思えん。ちなみに噂で聞いたところだと紅家は猩々緋を持つものが当主を継ぐしきたりだそうじゃないか。お前達は揃って黒い髪に黒い瞳。ならその双剣の後継者はお前達じゃない。」
「要りませんよ、そんなもの。」
冷めた口調で、ためらいもなく言い切った緋葉に対し、かっとなった紅家の二人は一気に間合いを詰め斬りかかる。
「紅家を、我らを馬鹿にするな!」
「狗の癖に今すぐ後悔させてやる!」
「ついでに冥土の土産に教えておこう。お前達は紅家の残党として死ぬのではない。陶家の宴に乗じて悪事を働こうとしている盗賊が警ら隊によって処刑されたとして処理される予定だ。今まで散々好き放題にしてきたんだ。今更名誉ある死が与えられると思うなよ?」
興奮し牙を剥く二人と、冷静さを保ちつつ向かい合う隆輝と緋葉。
「さて、紅家の血によって伝わるという"猩々の太刀"とやらを見せて貰おうか。」
ちなみに何でそれを知っているかは秘密だ!と言って面白そうに笑う隆輝に心底うんざりした表情で溜め息をつく緋葉が一歩前に出る。
「いいですけど格の違いに直ぐ後悔しますよ。奴等も…貴方も。」
「豪気じゃないか。望むところだ。」
脇に納めた刀を抜くと緋葉は一気に間合いを詰める。
体の動きがまるで読めない。
重さのある太刀から繰り出される奇想天外な技の数々と剣ごと相手を叩き潰す腕力。
大胆にして堅実。
細身の体に秘められた技量に思わず目を見張る。
「なるほど。確かに伝説の生き物、猩々の如き変幻自在な太刀筋。
これは別の意味合いで楽しめそうだ。」
すでに勝負が決しつつあるのを見て、観戦する方向に切り替えた隆輝は壁に寄りかかった。
宴の前夜。準備は整った。後は宴と、宴の後始末。
やがて部屋に響く、紅家最後の二人の断末魔の声に。
隆輝が窓の外に目を向けると、欠けゆく月がぼんやりと下界を照らしていた。
「これでやっと、一人だ。」
返り血を浴びたまま、満足げに緋葉が呟いた言葉は再び空に上がる大輪の花火に吸い込まれ、儚くも消えた。
長くなったのでぶったぎりました。
あと二場面想定していたのですが、それはしばらくお待ちください。




