赤い鳥の憂鬱
昔むかし。
子供の頃読んだ童話では、青い鳥が幸せを運んでいた。
愛しいひとへ、縁を、富を、名声を。
ねぇ、ならば赤い鳥は?
赤い鳥は誰のもの?
ーーー
苟絽鶲国にはこんな言葉があった。
『嫁にするなら"青"を持つ娘を』
元々は、花嫁が青色の小物を持つと幸せになれるという他国の風習が、この国に入って数多の地を巡った末に、このような言い回しに変化したものと言われている。
そして、残念なことに、それを知らない多くの家が所謂『"青"を持つ嫁』を探した。
最も探しやすかったのは、青の文字を名に持つ娘。
裏を返せば、青の文字を名前に使うと良い所に嫁に行ける可能性が高まる。
それなら、とばかりに皆が娘に青の文字を使う名前をつけた。
だがほとんどの娘が青の入った名前を持つに至ると、名付けに関係なく幸不幸が分かれるわけで、流石に人々も意味がないことに気付いたのか、流行は一過性のものとして徐々に廃れていく。
そして、青を姓に持つ家の娘と、身体のどこかに青色を持つ稀有な容姿の娘だけが、神に選ばれし『使い(つかい)』として、嫁候補としてだけでなく、巫女としても引く手数多になる状況へと変化した。
現在、彼女達青を持つ娘は『青い鳥』と呼ばれている。
ーーー
「こうしてお話させて戴いたのも縁でしょう。是非、良き友人として…」
「せっかくのお申し出ですが、お断りしますわ。誰かの代わりは互いに不幸ですもの。」
陶桂花は出来る限り優雅に見えるよう微笑んでから返事をした。
肌は抜けるように白く、微笑めばほんのりと頬に赤みがさして妖艶さを際立たせる。
彼女は、恥じらうような初々しい仕草が妖艶な魅力へと変化するというほどに華やかな大人びた容姿をしていた。
そして完璧で隙がないと評価されるほどに洗練された仕草。
大抵の場合、相手は彼女の群を抜いて美しい容姿と独特の雰囲気に飲まれてしまう。
現に今も、断られた子息は思わず「わかりました」と頷いている。
彼女は、こういった水面下の駆け引きには効果的な手段である事を知っていた。
結局は、その程度の熱意なのよね。
桂花は誰もが絶賛する美しい挙措で場を切り上げ、外の空気でも吸おうと庭へと足を向ける。
今頃、あの子息も我に返って断られたことに気がついている頃だろう。
桂花は苦笑いを浮かべた。
それをわかっていてやっているのだもの、無罪とは言い難いわね。
「まるで異国のお話に出てくる、悪役令嬢みたいだわ。」
進んで悪役を務めなくとも、印象が果てしなく悪い方へと転がっていく。
身分がそこまで高いわけではないけれど、とある事情から国の裏側を支える一族であり、こういう特殊な立ち位置があらぬ憶測を呼ぶのだ。
陶家は中央から少し離れた場所にある鼓泰地方を領地とする豪族であり、変わり者の一族と呼ばれている。
社交の場でも噂となるくらいに彼らは何かしらの才能を持つ人間をこよなく愛した。
そして、陶家の女性達の容姿は個々に違いはあれど一際美しい。
桂花自身も、生家の地位と容姿だけなら恵まれた生まれであると自覚している。
だが彼女は社交という戦場では苦戦を強いられていた。
まさかこんなに風当たりがきついとは思わなかったわ。
彼女のことを人々はこう呼んでいる。
陶家の赤い方。
もしくは赤跳馬(じゃじゃ馬)と。
桂花が赤い色を揶揄される理由には、かつてのこの国の在り方が関係していた。
苟絽鶲国は現在も近隣国には交易の盛んな国として知られている。
そして古今東西、才あれば人種や容姿に関係なく入植者として受け入れていた時期があった。
方針が転換された現在はそうでもないが、当時は豊かな色彩を持つ異国の人々が国中のそこかしこに見られたという。
陶家のある鼓泰地方は海の近くにあり、中央へ移動する手段も整っていた。
そのため海を渡ってきた入植者の降り立つ玄関口として、今もかつて同様に賑わっている。
そういった土地柄ゆえに陶家は彼らと交流する機会も多く、中には熱烈な恋愛の末に異国の子女と婚姻を結んだ者もおり、子孫がその容姿に特徴を残すこととなった。
例えば赤の色素を瞳や髪に持つこと。
入植者は髪や瞳に赤い色を持つ者が多かったという。
つまり、赤い色は入植者の血を濃く引く証。
余所者の印として変化を嫌う一部の人々…例えば今まさに攻略中の貴族階級にとって忌避されてきた色だ。
入植者の面影を色濃く受け継ぐ娘と歳を重ねたものほど感じるという。
そして桂花の髪の色は赤みがかった茶、瞳は薄い茶色。
まさに入植者の纏う色そのものだ。
娘らしい柔らかい雰囲気も漂い、うっかりと婚姻の申し込みの一つもありそうなものだが、黒や濃い茶色の色合いが多い同じ年頃の娘達と並べば明らかに異色。
それを面と向かって言われたこともあるし、陰口なら社交の場へ出席する度に聞かされるのだもの。
桂花が苦戦を強いられる原因に、反発を受けやすかった入植者達の存在があることは否定できなかった。
「はぁー。疲れた。」
家の秘密を守りつつ、社交の場に顔を出さねばならない。
面倒な事この上ないと父様がおっしゃっていた意味が分かるわ。
人目を避けた場所まで移動してくると、桂花は手足をぐんと広げ、伸びをする。
昔から堅苦しい場が苦手なのだ。
もちろん人前では何重にも被った猫の皮のおかげで、失敗を犯したことはない。
だが一旦社交の場を離れれば闊達な発言がポンポン出てくる。
多様な人種を抱える鼓泰地方特有の自由が空気がそう言わせるのだが、婚姻を望む相手側の家人からすれば只々将来が恐ろしい嫁だ。
『尻に敷かれると分かっていて、人身御供に差し出せる息子はおりません』とは、とある家の夫人から面と向かって言われたのよね。
なんて失礼な。
尻に敷くなんて面倒くさいこと、わざわざするわけないじゃないの。
まあ、婚家がのっぴきならない状況に追い込まれたら顎で使うくらいは…するかも知れないが。
さて、この宴にも収穫はなさそうだし、どう逃げ出そう。
思考しつつ、庭を散策していた私の後ろから軽やかな足音が近づいてくる。
「お姉様?先程お話しされた方は、お父様が差し向けたお見合い相手のお一人だそうよ?遠目から見ても、真面目そうな方にお見受けしましたけど…」
お断りされてしまったのですか?と不思議そうな顔で近づいてくる可憐な少女が一人。
桂花にはもう一つ、社交界から敬遠される理由があった。
彼女は今年社交の場へデビューしたばかりの、桂花の妹の華凉。
艶のある真黒な髪、肌は絹のように滑らかで抜けるように白い。
そして、瞳の色は鮮やかな青色。
彼女こそ『陶家の青い鳥』、また歌が上手で声も美しいことから異国の神の名を借りて『陶の迦陵頻伽』と呼ばれている、社交界から熱狂的に迎えられた美少女なのである。
たしかに清楚や可憐という言葉がこれほど似合う存在を桂花は社交の場でも見たことがない。
母から仕込まれた行儀作法は本人の飲み込みの良さも手伝って完璧。
まさに非の打ち所のない淑女だ。
それ故に、社交の場では彼女を輝かせるために存在する桂花が華凉を凌ぐ評価を得られることはない。
華凉は、青い鳥は『神の使い』。
神の使いに普通の人間が勝るなどあってはならないのだから。
だから降るように陶家へ届くとされる見合いの釣書も全て彼女宛のもの。
桂花の心の声を知らず、彼女は軽やかな足取りで庭石を伝い桂花の元へとたどり着いた。
「先程の方とは別に、会場に入ってすぐお姉様にお声を掛けた方がおられましたでしょう?あちら方はどうされましたの?」
「あら、あの方は貴女が目当てなのよ?貴女箱入りだから、なかなかお知り合いになれないでしょう?だから、まず姉である私に近づいて紹介してもらうつもりだったのね。本当、内緒話というものは人に聞かれない場所でするべきだと思わない?」
ここまであからさまに踏み台にされかけると、一周まわって笑いしか出てこないものだわ。
苦笑いする姉に、妹は憤慨するように同意する。
「全く、世の男性の見る目のなさには呆れるばかりですわ!お姉様ほど、美しさも教養も、そして内面の優しさもずば抜けた淑女はめったにいないというのに。」
これが優越感からくる優しさでないところが、妹の好ましいところだ。
あの方と、あの方でしたわね、いっそ先日のネタを使って排除して…などと嬉々とした表情を浮かべ呟いている姿は、社交の場から離れてみると年相応に愛らしいばかりだ。
多少物騒な言葉も含まれているが無視だ無視。
彼女こそ、優しさも美しさも兼ね備え家族が自慢する可愛い小鳥。
嫉妬なんて、とうの昔に克服した。
いいなあとか、うらやましいとは思う時もあるが、それだけ。
彼女が生まれたときから向き合ってきた感情であり周囲の状況は変わらない。
折り合いをつけなくては、私の努力が報われないじゃないか。
それに、と頭の奥に引っかかる記憶。
私を選んでくれた人がいるのだ。
青い鳥の隣で取り残されていた、私を。
もう昔のことで、その人は私の事なんて忘れてしまっただろうけれど。
私も小さい頃の記憶しかなくて、名前どころか表情すら忘れてしまった。
縁がないということは、こういう事なのだろう。
「どうなさいましたの、姉様?ぼんやりとなされて。」
「ありがとう、私の小鳥。」
きゅっと妹を抱き締めると、嬉しそうな様子で抱き締めて返してくれる。
まだまだ甘えたい子供だと思う。
だからこそ余計に可愛くて仕方がない。
「おや、こんなところに美しい鳥が二羽。どうです?明るい月の下で一緒にお話でも?」
突然声がする方を振り向くと、酒に酔った風情の男が二人、道を遮るようにして立ち塞がる。
桂花はさっと妹を後に庇うと、笑みを浮かべながら答える。
「随分お酒を召し上がられたようですわね?私共は身内の話をしていただけですわ。少々込み入った話をしておりましたの。ですからお気になさらず?」
お気になさらず居なくなれや!の気合と副音声付で答えたのにも関わらず、二人は余計に距離を縮めてくる。
ふと、雲が切れ、明るい月の光が降り注ぐ。
「これは、これは。後ろにいらっしゃるのは陶家の青い鳥、確かにほころび始めた花の風情。なんともお美しい。それに比べて貴女は随分と我々に対し野蛮な態度ですな。まさにじゃじゃ馬と呼ばれるに相応しい。」
下品な声で笑い合う二人に、桂花は表情に出さない代わり、手にした扇子をギリッと握りしめる。
後ろからは華凉の「なっ!」という小さな声が聞こえてくる。
その声に、桂花はすっと頭が冷えた。
…まずはこの子を逃さないと。
運の良いことに、月の光が差したことで、広間まで続く別の通路があることに気がついた。
この距離なら、すぐ入り口迄辿り着けるだろう。
扇子を口元に当てるふりをし、華凉の耳元で囁く。
「お父様か、お兄様を呼んできて。」
それから、男達から通路を隠すように体の向きを変え、華凉の体を通路へ軽く押す。
華凉は早足で一気に通路を抜け、入り口へと向かった。
「くそっ!」
男の一人が追いかけようとするが、そこは桂花がうまく邪魔をする。
「あら、失礼いたしましたわ。妹はまだまだ社交の場に出てから日が浅いからでしょう、お二人の不躾な態度に怖がってしまいましたわ。最近は人攫いの話もありますし、帝都は物騒でしょう?」
今頃、両親に訳を話しているところかしら。
などと牽制しながら桂花もその場を離れるために、ゆっくりと体の向きを変えようとする。
「ずいぶんと男をバカにした態度だな、じゃじゃ馬のくせに。」
いきなり手首を掴まれ、茂みの方へ引きずり込まれる。
「なっ!」
声を上げようとしたところで、口元を手で塞がれる。
「お前の妹の方が大人しそうで、容姿も好みだが、まあいい。今晩はお前で我慢してやるよ。よくよく見ればお前もなかなか綺麗だが、所詮赤い方だからな」
男達の下卑た笑い声聞こえる。
怒りのあまり、血が逆流する。
そのとき。
「そこまでにしろ。」
掴まれた手首と口元が自由になる。
ゆっくりと呼吸をし、見上げた先には。
青い狼が立っていた。
中華風なんですが、名前や舞台設定がなかなか難しいです。