最後の一人
朝起きて顔を洗い、フルーツの缶詰を開けて軽めの朝食をとる。出掛ける支度を済ませると自転車に乗って近所の野菜畑に行き、野菜に水をやったり収穫をしたりと野菜の世話をして過ごす。
お昼になり、自宅から持ってきたおにぎりを食べて、午後も農作業に精を出す。日が暮れてきたので、適当な所で作業を切り上げ帰宅して風呂に入り、夕飯を食べつつ一杯やりながら音楽を聴く。至福の一時。やがてうつらうつらと睡魔が襲ってきたので自室に戻り眠りについた…。
もうこんな生活を三年ほど続けている。
三年前のある日、目を覚ました私の前から一斉に人間が消えた。昨日までは確実にいた家族も友人も職場の人間も全員、元々初めから地球上に人など存在していなかったかの様に消え去ってしまったのだ。
人の姿を求め、私はあらゆる所を探し回った。家という家に入り、大声で家族の名前を叫んで歩いた。片っ端から電話を掛け、高い建物に登り人影を探した。突然何故人がいなくなってしまったのかなど、そんな理由は考えた所で私の頭では到底分かる訳がないし、興味がなかった。それよりただ人に会いたかった。人と話がしたかった。
ひょっとすると人が姿を消したのは私の周りだけで、他のどこかでは人がいるのかもしれないと、私はそう思い立ち、何日もかけて車をあてもなく走らせた。しかし、車をどれだけ走らせど、現れるのは無人の街並みで、私の淡い期待は見事に裏切られたのだった。
私以外の人間が忽然と姿を消して一ヶ月が過ぎる。人の温もりを失った寂しさは依然としてあったが、やがて私の中に、この生活を楽しもうという気持ちが芽生えてきた。いつまで落ち込んでいても仕方がないのだ。世界に自分一人しかいないのであれば、その暮らしというのもあるはずである。
私はスーパーマーケットに出掛け、買い物かごにあらゆる商品を詰め込んで、代金を支払わずに店を出た。罪悪感はあったが、人がいないのだ。叱られる事も捕まる事もない。私を捕まえたければ出てくればいい。むしろ私はそれを望んでいたが、店の者が出てくる様子はなかった。
寝場所はその日の気分によって変える。どこで寝ようが誰にも何も言われる事はない。見ず知らずの他人の家に上がり込んで、そこで寝る事もあれば、高級ホテルの一室で寝る事もあった。
そんな気ままな暮らしの中である問題に直面する。電気と水の確保である。しかし両方ともすぐに解決する事が出来た。電気は自家発電でなんとかなったし、水は単純に井戸水を引いている家に引っ越したのだ。
ある日、スポーツ用品店から拝借した金属バットで建物のガラスを粉々に割って歩き、たまたま目に留まった家にガソリンを撒いて火を放った。意味はない。やりたいからやったのだ。世界に一人だけとはそれが許される世界なのだ。私は燃えていく家をずっと眺めていた…。
自分以外の人が消えて三年、この三年はあっという間だった。もう『話す』という行為を忘れかけている。もし人に会ったら、私はどんな会話をするのだろう?
そのような想像をしていると突然凄まじい吐き気に襲われ、口から少量の血を吐いた。そう言えば最近、食欲がめっきり落ちていた。きっと何かの病気で、私はたぶんもう長くはないのだろう。治したくても、この世に医者はいないのだ。
具合が悪いのでソファに横になって目を閉じる。
夢を見た。私が亡くなった後、今まで消えていた人々が地球に戻ってくる夢を。どうかそれが、夢である事を…。